第7話 武器と商人2

「見つけたっ!!」


嬉しいそうにそう叫んだのはフェリスだった。探し始めて早一時間。それでもいまだ未開の扉は、屋敷の半分以上だった。もしニックが隠れた場所が屋敷の中心近くだったら、その倍以上かかったに違いなかった。想像するだに恐ろしいすぎる。


度を超えすぎた過酷極まりないかくれんぼに、セリアは片頬がピクピクと痙攣するのを感じた。急いでフェリスの声を辿る。単調な屋敷の廊下のおかげで、彼の居場所はすぐに分かった。


何より、1つだけ開いた扉から「ひぇ」やら「来るな」やら恐怖に埋まった悲鳴がが聴こえてくる。時間差で反対側から部屋まで辿り着いたマルクは、主のみっともない悲鳴の数々に頭を抱えた。


「このまま私まで入ったら、気絶したゃうんじゃ……」


セリアの率直な本音は、独り言の小さな呟きだったが、高齢のマルクの耳はしっかりそれを捉えていた。今にも外へ飛び出しそうな赤面顔だったマルクは、ゴホンと小さく咳払いをして、囁き声でセリアに答える。


「申し訳ないのですが、その通りにございます。恥ずかしながらセリア様の仰るように、このようになった主は二人以上の人間と会われると気絶します」


すでに人見知りの症状を超えていると、セリアは苦笑した。人見知りというより、これは人間不信である。もしくは人間恐怖症。しかし目を合わせなければ交渉などできやしない。気絶したなら起きるまで待つしかないと部屋に足を踏み入れようとした時、ボソボソとした声が聞こえた。


「……じゃないか」


少し長めの茶髪を後ろで結い、あまりパッとしないその外見に、いかにも自信がなさそうに震えてさらに弱々しく見えてしまう青年ーーニック。その側で同じくオドオドするフェリスがいて収集がつかんくなっていた。


「えっと何てい……われましたか?」


普段使わない敬語を行動同様にしどろもどろとフェリスは聞き返した。


「僕は武器屋なんて物騒な人に関わりたくないんだよ。ただでさえ君たち最近目立っているだろう?僕は安息を求めてここに来たんだ。これ以上僕の生活を脅かさないでほしい……」


実に正直な言い訳である。いっそ清々しいとさえセリアは思った。聞く所によれば、このニックという貴族は都市部の名の知れた貴族だったらしい。何でかこの辺鄙な田舎まで来た上にこの地の貴族にも嫌悪されたせいで元来の人間不信が悪化したとかなんとか。


「えっといつのまに俺たちが有名になったのかはよく分からないですけど、とりあえず話だけでも聞いてもらえないですか?」


「いやだ!!」


断固として拒否するニックにフェリスは頭を抱えていた。マルクは……いつものことなのだろう。深くため息をつく。強行突破しかないかな、と今度こそ部屋へ入ろうとしたセリアをフェリスは振り返らずに手で待ったをかける。


依然として彼はオドオドしていたが、何か策があるらしい。


「話を聞いてもらえないのは貴方にとって俺たちの話を聞くメリットがないからですか?」


「そうだ」


ニックは即答する。


「話の内容も知らないのに?」


「だいたいわかるさ。最近君たちが他の貴族の家に出入りしていることも知っている。最近、周りも物騒みたいだしね」


思った以上に情報が早い、とセリアは感嘆する。彼はセリアの思惑までは分からなくとも、その本質は捉えているようだった。やはり地方の間抜け貴族達とは大違いである。否、この面倒な性格がなければだが。


「あなたが思っていることが本当かなんて分かりませんよ。だとしたら貴方が俺たちを退けるメリットはなくなるのでは?」


「……」


ニックは正論に対して押し黙る。そう、この交渉は双方が話をしなければ始まらない。ニック側にはセリアの話を拒否する選択はできるが、あくまでセリア達の話の本質を把握しなければこの選択にはデメリットが大きい。セリアはフェリスに詳しいことを知らせた覚えはないが、彼女の気迫でここが大事な局面であると悟ったようだった。そして本質を知らないフェリスがいうことでニック自身にも悟られることはない。


フェリスの言葉に苦虫を噛みしめるような顔をしたニック。しかし憎々しげに彼は口を開いた。


「僕の安息が脅かされる。そもそも休暇まがいの移住なのだからね。話を聞くということは関係を持つということだ。そして責任を持つと言うことだ。それだけで話を拒否する行動は僕にとっては十分すぎるメリットだ」


休暇、という言葉にセリアの頭で何かが切れた音がした。隣のマルクはもちろん、セリアなど見えない位置にいるフェリスまでその音は聞こえたように思った。


貴族にコキ使われるし、変な青年は拾うし、ご飯代は高くつくし、よく分からない国軍大佐は出てくるし、大嫌いな情報屋にはからかわれるし。


ーーこっちだって休暇だってーの。


今度こそわざとらしいほどに踏み込み部屋へと突入する。ニックの悲鳴などお構いなしだ。幸運なことに悲鳴はあげるが気絶まではいかなかった。しかしその場に崩れ落ちるように跪く。


みればフェリスも真っ青な顔をしてた。セリアはその二人を一瞥冷めた目で眺めて、できるだけ優しい笑顔で話を切り替えた。


「ニック子爵。今しがたの無礼、申し訳ありません。改めてお初にお目にかかります。私の名はセリア=アーチャー。主に武器の売買を中心に営む旅商人です」


「……こちらこそ、ニック=アンダーソンです。……以後お見知りおきを」


再度苦虫を噛み締めるような顔でニックはセリアを覗く。扉前にはセリアとマルク。側にはフェリスが構えている。見るからにひ弱なニックでは逃げることなどできはしない。とりあえず礼儀だけは、とニックは申し訳程度に名乗ったようだった。


「先程ニック伯爵は、休暇なのだから関わる必要性がないことや、私どもと話すことがデメリットであると言われておりましたがそれは大きな間違いだと申し上げます」


「それはなぜ?」


ニックはすかさず聞く。導入としては満点、無事話を繋げられた。


「聞きたくない、と仰られていますので説明はしづらいのですが。単刀直入に言えば、この件に国軍が関係しているためです」


「それは知っている。だからこそ、関わりたくない」


「いえ、すでにニック子爵は十二分に当事者ですわ」


ギョッとしたのはニックと、そしてマルクだった。多分だが、ニックは今回の件に国軍やそしてアマト地方のことも把握済みだ。しかし、昨夜情報屋から聞いたことまではきっと知らないだろうとセリアは確信していた。こと相性の悪い仲だがサトフの仕事の速さや情報の正確性は信頼している。もちろん死んでも本人にそんなこと言わないが。


「それは……どうして」


「あら、ご興味が?」


ニコリと凍えそうな顔でセリアは詰め寄る。ハッとなってニックは踵を返した。


「いや、やっぱりいい……」


「では、当事者として後に今日の事を後悔されるおつもりですか?」


間髪いれずニックにチェックメイトを言い渡す。そして最後のダメ押しとばかりにセリアはカードを切った。


「ニック子爵。聞くところによればメルシアで少しばかり色々あったとお聞きしております。今回の件、協力して頂けるのでしたら友人の紹介であの人気移住地リザーブの別荘をお譲り致しますわ。場所も町から外れていますし静かで綺麗なんですけれど。後悔後にたたずで今の家も名誉も失うか、はたまた新しい土地で幸せになるか、いかがですか?」


「……分かった、話をきこう」


ニックは大きな溜息をついてのっそりと立ち上がり、セリアの要求を飲んだのだった。





「ところでセリア殿。私は貴女に敬語を使われるほどの者にはございません。どうか普段通りにお願いします。それと、立ち話もあれなので、そこの椅子へお掛けください」


セリアはニックの豹変ぶりに、鳩が豆鉄砲を食ったような顔になった。要求を飲んだ途端に話し方や身のこなしも、はたまた性格までもが別人のように変貌したようだった。


マルクは慣れているのか、顔には何も出ていないが、フェリスは不思議そうに目をこすり続けている。


ニック=アンダーソン

一世代で築き上げた富だけで首都メルシアに邸宅を構える急激に勢力を広げている貴族の1人だ。ただし、色々と人格面での問題があって今は休暇中だと訊いていた。人格面はさっきのあれやこれやで察することは簡単だが、セリアには1つの可能性を見出してた。


ーーニックが一連の事件の首謀者の可能性を。


セリアにとってニックは駒の1つだったが同時に疑心暗鬼の的でもあった。


「まあ、そんな警戒しないで頂きたい。交渉をお受けした時点で貴方とは対等な関係でありたい。貴方は私との協力とともに私を容疑者としてもみていらっしゃるようですが」


ニックはニコリと不敵に微笑んで見せた。その瞬間、セリアはとめどない敗北感に襲われる。なるほど、そういうこと。


「では、少し楽に話します。お誘いいただいたので二人きりで話してもよろしいですか。フェリスはマルクさんと、お茶でも入れてきてくれる? 」


「え? あ、うん」


フェリスは素で返事をする。マルクも素直にフェリスを連れて、そそくさと部屋を出て行った。セリアとニックは、奥に置かれた赤色の地味な椅子に向かいあって座る。


さっきまでの騒然とした空気が、ガラリと変わっていた。軽い沈黙。セリアがニックともう一度向かい合い、軽く溜息まじりに苦笑した。


「まさか、全部演技だったとは言いませんよね? 」


「ええ、人見知りなのは本当です。必要のない人間とは極力話したくない。特にこの地に来てから、もうあの方々の雰囲気というかノリといいますか。すいません、僕みたいな奴が来てしまって本当に僕は…………いや失礼」


あっちも素か、とセリアは内心突っ込んだ。やっぱり人見知りは優しすぎる。人間不信、それか人間恐怖症。


「私のことは、いつ気付いたんです? 」


「貴女がこの町にいらしてすぐです。屋敷に引きこもると情報が遅くなるので、マルクに定期的に集めてもらってます。もちろん、メルシア全体の事件や噂も聴いていました。セリア殿の容姿は目立ちますし、途中から注目されまくりの連れも増えたようですから。貴方が噂に聞く氷雪のシニガミかどうかは実は半信半疑だったのですが」


「……鎌をかけたんですね」


セリアは露骨に眉を潜める。


「鎌をかけられるほど、頭はよくありません。ですが、もし事実であったなら、確認するにこしたことはない。国……ひいてはメルシア王直属の武器屋。メルシア全土のありとあらゆる武器を集め王のもとへ収集する。それが貴方の肩書ですかね」


よくも悪くも人間の本質をみている人だとセリアは思う。人間が誰より嫌いだからこその用心深さ。彼が首謀者だったとしたら、もっとえげつない方法を使ってきそうだ。きっとそう考えることも折り込み済みなのだろうが。


「氷雪のシニガミなんて肩書、嬉しくも何ともないですけどね」


「ああ、確かにそれは共感しますね。好き好んでやる役じゃないでしょう」


クスリと微笑みニックはセリアを揶揄う。釈然としないが別に彼と雑談がしたいわけではない。


「それでここからが本題です、ニック様。先ほどの様子だと、だいたい外の様子は分かっているようなので単刀直入に言います。これから起こるであろう、ネルフ、ラトゥール両貴族の戦いに身を投げる準備はございますか?」


セリアの試すような青い瞳がニックを射抜く。しかしニックはすぐに首を横に振った。


「残念ながら、そのような兵は持ち合わせていません。現に今この屋敷には私とマルクしかいませんし」


「兵士は、ですよね。あなたが持つ土地や財産があれば、農民に剣を持たせることも容易じゃないですか? 」


ニックは苦笑する。確かにできるにはできるだろう。休暇といってもこの地の権力はあの2人に次いでいる。ならば、町の人間の意欲を唆る何かを与えればいい。しかし如何せん、それは残酷で非道だ。生まれたばかりの赤ん坊に数日で言葉を覚えさせて、いきなり会話をさせるようなもの。


セリアが予想したことではないとニックは直感する。これは予測ではない。きっと本当に会った出来事による経験だ。だって大戦中にはそんなこと、雨が降る程度にはどこの地方でも行われていたのだから。


セリアにとっては、不測の事態でもなんでもない。あるかもしれなかった今日の一つなのだ。


ニックは静かに、でもしっかりと否定した。


「ありえません。関係ない人々を巻きこむほど、落ちぶれてはいないはずです。私も、そしてこの地方の貴族も」


「でもそれは……」


「ただの綺麗事だと思いますか。確かに僕の願望も多少入っています。しかしこれは、この町のきまりでもあるんです」


「きまり? 」


「はい。東北戦争後、この地方は他地方に比べ被害は少なく、死者もあまり出なかった。しかし土地が荒れ、小麦を育てることができなくなった場所がたくさんあるんです。何より、美しいこの自然が全て灰と化すのはなんて悲しいことだろうと。趣味や方向性は違えど、ネルフ殿とラトゥール殿は意見が一致したそうです」


セリアは言葉を失った。まるであの二人のこととは思えない。しかしニックの言った言葉が嘘だとも思えなかった。


「地を耕す農民、市民は戦には決して使わない。その代わり、この地の景色を絶対に失わせないこと。僕はその時この町にはいませんでしたが、この関係と約束がある限り、セリア殿の言ったような事態は決してないと思うんです」


セリアはまた何か言い返そうとして、やめた。ニックは「思う」と言ったのだ。彼は、決してその事実を断定したわけではない。あくまで、予測。だから、何も言えない。


しかし、その綺麗事をセリアは少しでも信じることはできなかった。だから、軽く溜息をついて口を開く。


「もしそれが本当だとしても、私は耳半分で聞かせていただきます。それが商売人です。どちらにせよもし、ネルフやラトゥール伯爵がきまりを破っても私は全く関与しません。そうなったら止めるのはあなたです、ニック子爵」


「……はい、心得ています」


ニックは顔を引きつらせつつ、なんとか頷いた。彼にとってそれは、自分自身でネルフやラトゥールに罰を与えるということ。


貴族たちから逃げて、こんな辺鄙な場所で住むニックには死んでも嫌なことだろう。


セリアはクスリと笑った。彼にとって幸と出るか凶と出るか。とにかくそのことに関しては、ニックに一任するほかないので、セリアは頭の片隅にひとまず置くことにした。


「ニック子爵が戦いに参戦しないと聞いて少し安心しました。これ以上ややこしくなるのは嬉しくないですから。それでもう一つ。ネルフ、ラトゥール両伯爵でここ最近変だと思われた動きはありませんでしたか? 思い出せる限りで構いません」


ニックは頭をねじりながら、必死に思い出した。変なのはいつものことだが、最近特におかしいと感じたのは……


「商人がよく出入りしていることです、かね」


「商人……? ってまさか武器商人がですか? 」


「いや、武器屋ではないと。衣類や香辛料を売りに来ていたらしいです。商人がくるのは、至って普通のことなんですが、でも、少し奇妙なことが……」


「奇妙なこと? 」


「はい。ここ最近、やけに袋での売買が多いんです。最初は香辛料かと思ってたんですが、量がおかしい。ネルフ伯爵は収集家で、本人曰く庭園の更なる向上のためにとシェル砂漠の砂を安価で買い取っているらしいのですが」


うわ、とセリアは想像するだに恐ろしくなった。あの庭に砂。一体どんな奇怪なことになるのだろう。ニックも苦笑を隠せず、しかしその口は重く話を続ける。


「問題はラトゥール伯爵です。彼も同様に大袋を商人から大量に買っているらしいんですが、中身が何なのか全く話していないんです。麻薬か何かだと危険ですからね、マルクを中心に調べているが口を割らない」


麻薬。セリアの顔が険しくなる。薬物の売買は絶対の禁止事項。メルシアでは犯せば死あるのみの重罪に値する。確かに、もしその袋の中身が薬物なら、ハデフが見逃さないはずはない。


しかしセリアは、何か不満げに首を傾げた。まるで歯に小骨が引っかかったような、もどかしい感じ。


それが何なのか分からないが、今この場の交渉を止めるまでのことではないと考えたセリアは話を続ける。


「2人が関与しているかどうかは、また情報が出次第お伝えいたします。どうせ近々国軍が来ますし、彼らは多分目星をつけているはず」


「この町に来てが最後、関係者は皆殺しですかね。なにせ貴方と同様にハデフ中佐は有名だ」


「……一緒にされるのは嫌ですが」


露骨に嫌な顔をするセリア。確かに彼と一緒は嫌か、とさっき同様にニックは思った。つくづく苦労の絶えない人間である。


セリアは1度咳払いをした後、話を元に戻す。


「それではここからが交渉です。交渉の前段階としてニック様の戦意があるのか、戦力の有無を確認させていただきました。こちらから提示させていただくカードは2つ。リザーブでの快適な家と幸せな暮らし。そして今回の件の詳しい情報の提供。身を守る程度の武器もつけましょう、何なら1人だけならよく働く兵士もいます」


「それで私に望むことは?」


一息入れてセリアは言葉を紡ぐ。


「1つは私と同様に情報の提供。情報は多ければ多いほどいい。もう1つはもしこの町が戦いになった場合の市民の避難および保護です」


ニックは少し驚いた様に目を見開く。自分が予測していた提案と違っていたのか少し口を泳がせた。


「豆鉄砲でも食らったような顔をしまますね、そんなに驚きですか?」


「いや、僕はてっきりもっと酷な提案をされるかと。貴方の噂はとても非道なものばかりだ」


確かにそうかもしれない、ともセリアは思う。大戦中のセリは誰に何と言われようと死の商人ーー死神だった。彼女を恨んで死んでいった人間を彼女自身が数えることができないくらいには。


だけれど……


「戦争も終わった、時代は変わりました。余分に誰かが死ぬ必要なんてないし、勿体無いわ。私は商人ですから」


「そう、ですね」


彼もまた戦時中に功績を挙げた1人だ。同じように焦燥と罪悪感に押しつぶされたようなそんな哀しいそうな泣きそうな顔をする。


「まあ、少しばかりニック様に損にならない雑用くらいはしてもらいたいところですけれどね。じゃないとリザーブのお屋敷なんて割に合わないわ」


ニックは少し笑って、いやとセリアの言葉に踵を返す。


「彼らはこの土地の地主。彼らが殺されれば、彼の所有する土地を耕す農民はどうなるでしょうか。他の市民は? 私も一応この町の貴族。大きな動揺と波紋を生む前に阻止します、絶対に」


それは今までのどの瞳より芯のある、強い意志を持っていて。まるで磨く前の鉱石のようだと、セリアは微笑んだ。


「分かりました。では私も、微力ながらお手伝いします」


「ええ!? あ、いやその。セリア殿に手伝って貰うなんてそんな。いやでも、すごく嬉しいんですが、えっと」


「もちろん、無償ではないですよ? 」


「でも僕一人は正直無理かなとか、どうせ僕が頑張っても迷惑にしかならない……は? 」


セリアは満面の笑みだった。満面の悪魔の笑み。


「ニック子爵はこの町の平和を。私は利益を」


「利益……ですか? 」


あれ、さっきまで無償の愛かとも言えるような聖母のような提案をしていた人間だったはず、とニックはすぐ前の記憶を振り返る。どこに利益なんて言葉が出てくるだろうか。ニックは恐る恐る訊き返した。セリアは変わらず最初に見せた嘘みたいな満面の笑みでもう一度答えた。


「はい、私は利益のために。ニック子爵はこの地の平和のために、彼らの戦いを協力して止めましょうと。……何か問題でも? 」


やはりこんな若く儚く、戦争など知らないような少女にみえても侮ってはいけない。彼女は大戦を率いた死の商人だと少し鳥肌を感じながら頬を引きつらせる。


その時、まるでタイミングを見計らったようにノックが聞こえ、扉が開いた。


「セリア。言われた通り、マルクさんとお茶を入れてきたよ。あとお菓子も。俺、こんなに美味しい焼き菓子食べたことないよ」


「フェリスくん、さっきだいぶ食べたのにまだ食べるおつもりですか。皿に置いた菓子からこっそりつまみ食いなど。まあ、美味しかったならいいでしょう」


ニコニコと重い空気など気にせず話すフェリスと、ただでさえ皺の多い眉間をさらに歪ませたマルクに、ニックは心底安堵する。


セリアはその様子を一瞥し、美味しそうにつまみ食いを頬張るフェリスに声をかける。


「フェリス。あなたの自信作のお茶を飲みたいのは山々だけど、時間も時間だしこの辺で帰りましょう。マルクさん、ニック子爵。今日はありがとうございました」


目を逸らした主人とは反対に、マルクはピシッと背筋を伸ばし、セリアとフェリスへ深く一礼した。


「こちらこそ、いろいろとありがとうございます」


そうそう、とマルクは顔をあげて笑顔で付け加えた。


「この屋敷、よく死人の館なんて言われるんですけど実は半分本当なんです。なので……気をつけてくださいね」


セリアとフェリスは一瞬にして背筋に冷気が走るのを感じた。少しニックをいじめていたことがバレていたらしい。せめてもの意趣返しともいうように、マルクは笑顔が嘘ではないことを証明するかのように、不気味に歪む。


「じゃあ、早く帰ります。……ニック子爵」


「え、あ、はひ」


急に話を振られ、動揺したままで返した返事は声が裏がえってしまっていた。構わずはなしを続ける。


「最後に一つだけ。ニック子爵は世界で一番恐ろしいものは何だと思いますか」


「え……世界で一番恐ろしいもの? 」


ニックは突然の質問に首を傾げた。必死に考える彼を、セリアはじっと待つ。すると、ニックは恐る恐るながらも、しっかりと言葉を紡いだ。


「人の心です。争いの全ての発端は人間の憎しみ、怒りだから。戦争は恐ろしい。しかし、その戦いを考える人の心に何より僕は恐怖を感じます」


セリアはじっとニックを見つめた。多分彼は、戦争そのものの惨劇を見たことはないだろうと、セリアは彼のひたむきな瞳で直感する。ニックの言葉にマルクは瞳を閉じて軽く口を緩ませていた。


「その通り。今の言葉絶対にお忘れなきように」


「え。セリア殿の答えは……」


さっさとこれでお終いかのように帰ろうとするセリアをニックは引き止めた。


「聞きます? 私の一番恐ろしいもの」


振り向かず、セリアは答える。少し苦笑したように、ポツポツと。


その場にいた、ニックやマルクは言葉を失った。フェリスは一瞬目を見開いて、そうしてじっとセリアの後ろ姿を見つめた。


「では、また。ニック子爵、マルクさん」


その時セリアがどんな顔をしているのか、誰も分からなかった。

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氷雪のシニガミ mi-ma @mi-ma

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