第6話 武器と商人1

頂上にそびえる、その姿は漆黒の闇。


恐怖や不安を拭い去り、血に汚れたドレスも一心不乱に振り払い、猛然と闇夜を駆け抜け向かった先。あったのは真っ赤に広がる白昼夢。


扉も、床も、壁も。その目に映るもの全てが、鮮やかな赤に変わる。


自分の目がおかしくなったのだろうか。でも、何度こすっても、閉じても開けても、その目に焼き付いたままの現実がすぐ目の前に広がっていた。頭から足先に至るまでの全ての血液が凍りついたような気分だった。手も足もその光景をまじまじと見せつけるだけでピクリとも動かない。いっそ気絶でもできたなら、と思っても瞳は目の前にいる人間を焼き付けるために必死にくらいつく。


狂った現実で出会った最初で最後の人間は、楽しそうに笑いながら、真っ赤な瞳で世界を見つめていた……





目を開く。ドクドクと心臓が大きく脈打つのがわかる。うまく息ができなかった。必死に大きく息を吸って、肺に新しい空気を入れる。


こんなことはセリアにとって日常的だった。だからいつも通り事務的に息を吸うことだけに専念する。


息が整った頃に窓を見れば、今日は曇りのようで、厚い雲に覆われた空は灰色に濁っていた。つられてか、こういう日は気分も下がってしまうものだ。落ち着いたセリアは起き上がり、顔に張り付いた一房の髪を無造作に払った。


「まったく……寝た気がしない」


それもこれも全部昨夜のサトフのせいだと責任を全て押し付けるように悪態をつく。物音で起きたことに気がついたのか、寝ていたセリアを気遣ってか、ゆっくり扉を開けてフェリスが入ってきた。


「おはよう、セリア」


にっこりと穏やかな春のような笑みは、不思議とセリアを落ち着かせた。しかし同時に彼の赤目を見るやさっきまでの夢と重なって、セリアは不自然に目を逸らしてしまった。


「おはよう、今日も早いのね」


朝食を置くフェリスに、セリアも寝台から出て椅子に座る。今日の朝食は、ご丁寧にパンにマーマレイドまでつけてくれていた。


「寝起きがいいだけ。あと、お腹空いて起きちゃうというか」


「明らか後者なんでしょうけど。昨日あんだけ食べておいてよくもまあ空腹なんて出てくるものね」


何も言い返さないのを不審に思ってふと向かいを見れば、じーっと観察するようにフェリスはセリアを見つめていた。じっとみられると恥ずかしい。何か顔についているだろうか。


「な、なに? どうしたの」


「…………」


沈黙なのが、変に怖い。さっきの夢のこともあって、心臓にすごく悪いとセリアは鼓動も早くなる。


「ちょっと、フェリス……」


「いや、感傷に浸ってて」


「……は? 」


わけが分からずセリアは戸惑う。フェリスは頬をかきながら、苦笑した。


「マーマレイドとか久々だったから。旅に出る前はよく食べてたなぁ、てセリア見てたら、懐かしくなってさ」


ガックリと、セリアは大きく項垂れた。今の無駄な気苦労はいったい何だったのか、と馬鹿らしくなってしまう。そもそも彼にそんな気苦労をした自分が悪いのかなんなのか。


ーー名前を忘れちゃうくらい重度の記憶喪失なんだろ? 俺だったら絶対性格歪んでるよ。普通わね。


サトフの言葉を思い出すのは大いに不愉快だったが、確かに一理あるとも感じていたのだ。すごく不本意だが。


そもそもセリアはまだフェリスを知らなすぎる。この際聞けるだけ聞いてみようと、セリアは残ったパンを早々と食べフェリスに尋ねることにした。


「フェリスを拾ってくれた人? その人はどんな人なの? 親、ではなそうだけど」


突然の話にフェリスは目を見開く。直接的だったかな、と少し後悔するセリアだったがフェリスはやっぱりどこか嬉しそうに微笑んで答える。


「親じゃないのは確かだね。小さな村の外れに一人で住んでて。少し変わっている人でさ。川から流れてきた記憶のない俺を息子……ではないか。友人みたいに接してくれたんだ」


序盤から疑問に思う言葉が多すぎる。だが嬉しそうに話すフェリスを見て遮るべきではないと思った。


「結構村の人からは嫌われてたみたいでさ。だから1人で辺鄙な場所に住んでた訳だけど。石とか投げられたりしてたなあ。まあ笑ってかわしてたし気にしてなかったみたいだけど」


「どうしてそんなに嫌われていたのかしら。 よほど悪いことでもしなきゃ、会って石を投げられるなんてされないんじゃない」


少し悩んだようにフェリスは考えて答える。


「その人が言うには、自分はその村の住人ではなく外から来た人間なんだって。その村自体が外からの人間を受け入れない隔離的な場所だったから。でも自分の居場所はここしかないからって言ってた」


確かにメルシアの町や村によってはそうゆう風習が今なお続いているのは事実だ。場所によっては外から来た人間を攻撃なんていう危険な場所まである。国が一つになったとしても、みんながみんな変化を受けいれられるわけではない。


でも、とまるで遠くを見るような瞳でフェリスは話を続けた。


「とても優しい人だった。どれだけ石を投げられて、罵詈雑言を喚かれようが、絶対にその人達を悪く言わない。自然を愛して、人を愛して、世界が好きだといつも言っていた。時々、悲しそうに空を見上げてたけど、それ以外はいつも笑顔を絶やさない。秘密で遊びにくる子供達にはすごく好かれていたよ」


「フェリスはその人のこと好きなのね」


フェリスが目を見開く。自然と口から出た言葉に、セリア自身が驚いた。何を、口走っているのだろう。そんなことを確認してどうするのか。否、信じた答えが欲しいとも思っていた。彼にはちゃんと心があると。


フェリスは微笑みながら即答する。


「好きだよ、とても。今の自分があるのはあの人のおかげだろうからね。俺が記憶喪失でも構わず拾ってくれて、喜びや楽しさをくれた。セリアは自分を形作るモノってなんだと思う?」


セリアは少し考えるが、自分の中で答えは決まっていた。


「知識と経験かしら。知識を持って自己を形成し、成功であれ失敗であれ経験から自己の成長を育んでいく。そうして生まれたモノこそ自分が自分たる証になると思うわ」


さすが、とフェリスは口笛を鳴らす。


「俺もそれは一理あると思う。でも俺があの人から貰ったモノは感情だったと思う。何にもないからっぽの俺に感情をくれた。あの人だけじゃない。俺と関わってくれた人たちとの思い出が俺に感情をくれる。それが積み重なって自分を形成している」


サトフにどうしてフェリスの言葉を信じられるのかと聞かれて、しかしあの時言葉に出来なかった感情が、かっちりとセリアの頭ではまった気がした。


フェリスは、知らないだけなのだ。


記憶喪失でも、誰一人として覚えていなくても、孤独だと感じなかった。


他人を憎むこともなければ、嫉妬することもない。なぜなら、そんなことを感じないほどに、フェリスは幸せだったから。


「ちょっと恥ずかしいけど。だから何て言うのかな。セリアと会ったことも俺としてはすごく嬉しいことで感謝してるって言いいたかったんだけど」


「ええ、十分伝わったわ」


いっそ羨ましいと感じるほどの素直な彼の性格を、セリアは信じようと思った。きっとそれだけ。だけどそれで充分なはずだ。


しかし、フェリスが赤目であることは確かで、警戒しないと言えば嘘になる。


ーーきっと君はフェリスを殺す。


サトフの言葉の意味も、その真意も、繰り返すように頭に響く。


それでも、


「私は、負けない」


「え……? なんかいった? 」


セリアの呟きが聴こえて、フェリスは首を傾げた。そんな彼に、セリアは少し微笑んで勢いよく席を立つ。


「なんでも。さてと、今日も忙しくなるわよ」


空は一向に曇っていたが、それでもセリアの心は晴れ晴れと暖かかった。





「それで、今日はどこにいくの? 」


前を速足で進むセリアに、フェリスは周りを見渡しながら訊ねる。いつもなら荷馬車を引いての移動が、今日は珍しく歩きである。しかしセリアは、貴族街がある町外れではなく、どんどんリノバの細道を奥へ奥へと進んでいた。


リノバは町の中心にセリアたちの寝る宿や、酒場が建ち並ぶ大通りから網目のように細道が広がるつくりになっている。


奥へ行くほど住宅地が増え、風景も少しずつ変わっていくことに、フェリスは戸惑っていたのだった。ちょうど仕事に出かける時間を過ぎた頃で、あたりは洗濯や家先の掃除をする主婦がいるくらいで閑散としていた。町の大通りから遠ければ遠いほど、錆びた建物や低身分の家が増えていく。


観光で有名な都市はどこもそうだが、観光客を呼び寄せるために、汚いと思われる部分を隠しているのだ。大通りだけみれば、整然と綺麗な町だと誰もが口を揃えるが、実際真の町の姿と言われれば、それは全く違うのである。


「もちろん、貴族のところへ」


セリアが当たり前のように答える。フェリスは傾げた首をさらに曲げた。


「貴族……って。貴族なら、町じゃなく町外れじゃないのか 」


「まあ、普通はそうなんだけど。貴族街じゃなく町に住んでる、ちょっと変わった人……らしいのよね」


セリアは自分で言った言葉に半ば苦笑する。ネルフやラトゥールの他にまだ変な人がいるのだ。会ったことはまだないが、考えるだに恐ろしい。


マカルグや他のリノバの人々によると、財力や土地の所有はネルフやラトゥールに負けず劣らずたが、なにぶん性格が全く合わないらしくて、貴族街に住んでいないとかなんとか。


それだけなら、ネルフやラトゥールの変人奇人ぶりについていけない常識人、という印象なのだが、なぜか町の人々は彼は普通ではないと言う。


「まあ、人の噂より自分の目で見た方が確かよね、きっと。この町に来て自分の常識を疑う場面に何度も出くわすのだけれど。どうか少しでいいから彼が普通でありますように」


「……それ、独り言じゃないよね。というか、実は俺にも言ってない? 」


「ダイジョウブ。わざとじゃないなら、まだ許せるわ。ギリギリ」


「…………」


セリアの片言棒読み口調と、何とも温度の感じない視線に、自分も非常識人だと認識されたことに密かに落ち込むフェリスである。彼の心情に鈍感なセリアは、キョロキョロと右手に持った紙切れと、周りを必死に見比べていた。


マカルグは彼の酒場から目的地までの地図を親切に書いて渡してくれた。しかし彼の地図は、良く言えば簡潔。悪く言えば適当かつ大雑把なものだった。横から覗き見したフェリスも、さすがに苦笑いを浮かべる。


「マカルグさん……せめてもう少し目印の建物でも書いてくれてたら良かったのに」


「酒場と目的地だけしか建物がないなんて、無茶にも程があるでしょう。正規の地図、やっぱり買っとけば良かった」


あるんだ本物、とフェリスは思ったが、セリアの「でもお金……」という小さな呟きで理解し、沈黙を貫いた。



自分のせいで、お金も底を尽きつつあるに違いない。せめて、恩に報いれるよう頑張って働こう、とフェリスは心に固く誓った。


しかし実際、セリアが言おうとしていたのは「でもお金……荷馬車の奥から取るの面倒なのよね」で、彼女自身お金には全く困ってはいなかった。だがそのことにフェリスが気付くのはもう少し先である。


セリアは手元の地図を穴が空くほど見て、大きく溜息をついた。


「お手上げだわ。そもそも特徴が、レンガ造りの茶色屋根の屋敷って言われても。この一体、殆どそんなのばっかじゃない。行けばすぐ分かるって言ってたのに」


「いや、どんどん人気のない小屋ばかりになってる。セリア、やっぱり一回戻ったほうが 」


「そんなことしたら、また笑いの種にされるの間違いなしじゃない。そもそも私の意地が許さな……」


フェリスが立ち止まっていることに気づいて、セリアはちらりと後ろを振り返る。フェリスは苦笑いで前方を指差していた。


「セリア。もしかして、あれじゃない? 」


セリアも、前を見る。すぐに、大きく顔を引きつらせた。


使われなくなった馬小屋や、住居が蔓延る最中、その屋敷だけは確かに綺麗だった。しかしセリアもフェリスも、綺麗だと分かっても住みたいとは露ほどにも思わなかった。


周りの建物のせいも大きいだろう。しかしその周りの雰囲気さえも考慮に入れているかのように、暗い。


昨晩のサトフの酒場とは違った暗さだとセリアは感じた。言うなれば、この暗さは……


「……なにか、出てきそうな場所だね」


先に飄々と呟いたフェリスに、セリアは目を見開いて食ってかかった。


「な、なにか出そうって? な、な何が? 」


「幽霊とか」


「そ、そんな根拠のないものは私は信じない質なの。ただの、人の恐怖から生まれる幻想」


「う……ん? そうだね」


いつもと様子が違ったような、と感じたフェリスだったが、セリアの並々ならぬ気迫に押されて黙る。フェリスにとっては、今この状況では幽霊よりもセリアの方が何倍も怖かったりするのだった。


その時レンガ造りの建物から、ガチャッと扉の開く微かな音。初めて、目の前の建物の正面に扉らしきものが見当たらないことに二人は気付いて、ゴクリと息を飲んだ。


建物の横から出てきたらしい人間は、伸び放題の庭の雑草を踏み付けながら、ゆっくりと二人に近づいてくる。見れば、普通に給仕服を着こなした使用人だった。少し顔が青白いのが気になるが、それでもちゃんと人間に見える。


セリアはフェリスに気付かれないように、安堵の息を吐いた。目の前で止まった使用人は、ゆっくりと口を開く。


「セリア=アーチャー様とお付きの方ですね。こんな辺鄙な場所までお越しくださいまして、誠にありがとうございます。どうぞお上がりください」


「ちょ、ちょっと待ってください」


深々と一礼して、そそくさと案内しようとする使用人を、慌ててセリアは引き止めた。


「なぜ、私達がここに来ることを? 事前に連絡はしていないと思うのですが」


使用人が振り向く。遠目に見ても分かる肌の白さは、近くだとさらに際立っていた。短く切り揃えられた髪は年月を思わせる灰色だったが綺麗に整えられていて綺麗だとさえ感じる。苦労の証のような染みや皺。高齢と呼べるような外見にも関わらず、しかしその立ち居振る舞いは若者と何ら変わりなかった。


「とりあえず、案内しながら話させていただきます。私の主、ニック=アンダーソン様は急がねば逃げてしまわれる方ですので、どうかお急ぎ頂きたく存じます」


セリアは使用人の言葉に驚きながらも頷き、彼の後について歩く。その後ろからフェリスも静かに続いた。


「逃げる、とはどういう意味ですか? えっと……」


名前が分からず戸惑って目が空を泳ぐセリアに、使用人はチラリと目をやりながらも足は止めなかった。ただし、口だけは淡々と動かす。


「失礼。私の名は、マルクとお呼びください。逃げる、とはそのままの意味でございます。主はあまり、人と話すのが得意でない方でして」


最後の言葉に、セリアとフェリスは同時に首を傾げた。セリアは聞き間違えかと言葉を返す


「……えっと、彼はこの地で名のある貴族だと伺ったのですが」


「ええ、その通り。ニック子爵は、この地へ降り立ったのが他の貴族より遅かったにも関わらず、有数の財産と土地を所有するお方でございます。しかしながらこの地に来て以来、もともとこの地を掌握していたネルフ、ラトゥール両伯爵の嫌がらせと元来の人見知りも重なって、今ではこのような人の寄り付かない場所に住まわれるようになってしまわれたのです」


可哀想に、とセリアはニック子爵を思いやった。ネルフ達の嫌がらせだ。とりあえず精神的に多大な損傷をしたに違いない。セリア達三人は、長い廊下を黙々と進んでいた。赤い絨毯はネルフの家と変わらないが、この屋敷にはそれ以外の飾りと呼ばれりものが何もなかった。


シンプルと言われるば確かにそうだが、なぜか日が差し込まない窓は黒いカーテンで隠され、昼だと言うのに、廊下は薄暗い。唯一足元を照らす蝋燭が、唯一の装飾のように点々と置かれていた。


マルクが急に一つの扉の前で立ち止まる。おもむろに、しかし大分豪快に扉を開けると、そこには人の気配のない空虚な部屋が広がっていた。


チッとマルクの舌打ちの音が聞こえた。すぐさま旋回し、今までの倍の早歩きで周りの扉を手当たり次第に開けまくる。フェリスは青白い顔が一瞬で鬼の形相に変化したような気がして、身震いする。


セリアはマルクの今までの言葉からして、ニックが逃げたのだと瞬時に理解した。何よりマルクのこの必死の形相や、慣れたように次々と扉に開けていく様子に彼の苦労を感じて哀れに思った。


「マルクさん。ニック伯爵が逃げられるのは、この屋敷の中だけですか? 」


「はい。彼は一人で外出なんてできません」


あまりにマルクが真顔で言ったため、二人とも何一つ突っ込めなかった。


「セリア、俺たちも探そう」


「え、ええ。もちろん。マルクさん、私達は入り口側から探して行きます。三人なら、それだけ早く見つけ出せると思いますから」


マルクは申し訳ないといった様子で「お願いします」と頷いた。


辺りを見渡せば、二人だけの屋敷にしては部屋が多すぎる。1階だけでもかなりの部屋数がある。3人がかりでも、なかなかの骨を折れる作業なのは間違いない。セリアもフェリスも異様な屋敷の様相に疑問を募らせながら各々探し人を見つける為に走ったのだった。

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