第5話 情報屋

「そーかい、嬢ちゃん。ラトゥールの馬鹿とそんな攻防を続けたとはねぇ。本当尊敬するよ」


「……マカルグさん、絶対楽しんでるでしょ」


「いやー、何のことだか」


憎々しげに睨むセリアを他所に、酒場の店主--マカルグは苦笑いで目を逸らした。


昼の一件で懲りたセリアは、結局最初の酒場で夕食をとっていた。商売してやったりなものの少々やり過ぎたかと罪悪感があったマカルグはセリア達を嬉しそうに歓迎した。たった1日で死んだ魚のような顔をしたセリアをみて、話のタネにと仕事を放り出しセリアの向かい側に座ったのだった。


別に隠すことでもないのでセリアはジョッキ片手にラトゥールとのやり取りを話した。結局、フェリスが欲しいと攻め寄られた上に専属の話も推されに推されたセリアは、持ち前の謙遜と巧みな言葉の攻防を続け、どうにか難を逃れたのだった。


しかしそれは、嘘八百を言い連ねた挙句の勝利である。


「フェリスは手を負傷して剣を持つことができないとか、私は母親を探していて、いつ出て行くか分からないから専属には絶対なれないとか、あんな嘘をつらつら言える自分にも、騙されるラトゥールにもほとほと呆れるばかりだわ」


「まあ、その嘘があったから、今こうして二人とも酒場にいられるわけだし、よかったと思わないと損だぜ嬢ちゃん。つーわけで、これは俺の奢りと前の詫び」


机には木製のジョッキにたっぷり満たされた酒。それと件の店名物のチキンがあった。


セリアは横目で疑うようにマカルグを見る。それに気付いたマカルグは、自身の無精ヒゲを撫でながら、酒場の店主らしく豪快に笑った。


「何も入れてないし、何も考えてないよ。毒味して欲しいならしてもいいが……」


「遠慮させて頂きます。マカルグさんならこんなジョッキ一口でしょ。まさか私が、あなたの武勇伝を聞いてないとでも?」


茶化すようにセリアが言って、恥ずかしそうにマカルグは頭をかいた。客との飲み比べ未だ無敗伝説やら、一緒に飲めば良くて五日酔いで仕事が手に付かないやら、大柄に似合わない温和なマカルグの性格からしてみれば、少し照れ臭いことなのかもしれない。


もっとも酒場の店主、どころか商人としてでも、誰もが羨む体質であるのは確かなのだが。


「疑心暗鬼にさせちゃったのは本当すまないかった。ただちょっとした親父達の悪戯だったんだよ。だからほら、今だってフェリスを雇ってやってるじゃないか」


話題転換とばかりにマカルグは辺りにいるはずのフェリスを探す。セリアも奢りのジョッキに手をつけながら、酒場の隅でせかせか料理を運ぶフェリスを横目にみる。


ラトゥールにフェリスは剣を持てないと言ってまで誘いを断った以上、貴族の下で働くことはまず不可能だった。

ネルフ、ラトゥールの二人の貴族はこの地で最も土地と財産を握る融資家である。周りの小さな貴族連中を束ねるのも、主にこの二人だ。……性格や趣味がどれだけおかしくとも。


ラトゥール側の貴族はもちろん、ネルフ側の貴族へ行こうものならその瞬間、セリアとラトゥールの間に亀裂が入ってしまう。ラトゥールの狙いや、水面下で起こりつつある何かを突き止める為にはできるだけ敵は少ない方がいい、とセリアは結論に至った。結果渋々マカルグに仕事を依頼したのだ。


「フェリスを雇ってくれたこと、凄く感謝してるわ。ありがとう」


素直にお礼を告げるセリアにマカルグは素っ頓狂な顔をした。


「珍しいこともあるもんだ。そんなに仕事がないわけでもなかろうに」


それがなかなかないのだ、とはセリアは言葉にせず呑み込む。どこで情報が拾われか分かったもんじゃない。


「訳ありみたいだから、目の届く場所がよかったのよ」

 

当たり障りのない言い訳をして残った酒を飲み干す。立ち上がったセリアにマカルグは慌てて声をかけた。


「あれ、どこか行くのかい? 」


ええ、とセリアは頷くが、その表情は傍目に見ても暗いものだった。正直に嫌になるほど足が重かったのである。


「今から、ちょっと。夜遅くじゃないと空かない相手なので。フェリスに終わったら先に宿に帰るように言ってもらえます? 夕食はこの机の以外食べないように、とも」


最後一言は俺に向けてか、とマカルグは苦笑いで直感する。ひたすら根に持つ性格は、どの商売人でも変わらない。


「分かった、伝えとく。ついでに、フェリスの腹が収まらないようなら俺の自腹で奢ってやるから安心しな」


「あら、店主。気前どころか、今日は財布の紐まで緩いのね。もっと私も食べとけば良かった」


意外だと言うようにセリアは笑い、フェリスをもう一度見た後、静かに店から出て行った。





暗い地下への階段を降りて錆ついた古い鉄の扉を開けるとついさっきまでいた酒場とは全く違う、暗く重々しい雰囲気を感じてセリアは一瞬瞠目する。酒場は明るいものだという常識を、そこは完全に工程から覆す場所だった。一番印象強いのは、入った瞬間に鼻についた度のきついアルコールの匂い。


そして部屋中に充満する煙草の煙だった。窓も何も無く、外へ繋がるのは入り口の扉だけ。最低限手元が見えるくらいの小さな電球で照らされた部屋全体は薄気味悪さが漂う。重々しい空気も、それだけ見れば合点がいく。よく客が入るものだ、とセリアは溜息をついた。


部屋の端から6人、曲がって扉を背に2人が座れる、狭く小さなバー。そして扉側の入ってすぐのバーカウンターにその男はいた。


歳はセリアより少し年上だろう。くっきりとした顔立ちはほんわかとしたフェリスとはまた違うが、同様に美青年というには相応しい。真っ直ぐな黒髪に、今の薄暗い部屋より更に深い漆黒の瞳。身長はフェリスと同じくらいだろうが、何より華奢でも体格は彼の方がだいぶしっかりしていた。暑いのかシャツを肘まで捲り、ボタンも二つ三つ外した彼の面持ちは、色気のある大人の男としての充分な風格を持っていた。


待っていたとばかりに彼ーーサトフ=メイソンは、笑顔でセリアを出迎える。


「久しぶり。相変わらずの仕事ぶり、感心するよ〈シニガミ〉殿」


「お褒めに預かり幸栄ね、サトフ元大佐。あなたこそよく飽きもせず情報屋続けて、まあご立派ですこと」


お互い一歩も引かない。周りが静かで大声も出せないため、セリアとサトフは睨み付けるような笑顔で静寂に火花を散らし続けていた。


先に終止符を打ったのはサトフで、今だ厳つい顔で扉の前で立ったままのセリアを、ふっと笑い飛ばし手招きする。


「とりあえず、座んなよ。別に今回は君を騙すつもりはないしね。そもそも、君のような美しい女性を騙すなんて恐れ多い」


渋々席に座ったセリアは、いつも通りのサトフの口説きにピクピクと頬を引きつらせた。彼の口説き文句を断固拒否、拒絶まで起こすのはセリアただ一人である。


サトフはその反応を楽しそうに眺めながら、いかにも度数のキツそうな酒を、なにげなくセリアの前に置いた。フェリスなら、今ごろ匂いだけで酔い倒れてしまうだろう。連れて来なくて良かった、と心底そう思いながら、セリアはその酒をサトフへ押し返す。


不思議そうにサトフは首を傾げた。


「なんで返すのか分からないけど。とりあえず何にも入ってないし、考えてもないよ」


マカルグと全く同じことを奇遇にもサトフは呟く。だが先程とは違いセリアは鋭い目つきで相手を睨んだ。


「そういうことを危惧してるわけじゃない。あなたに出された酒をほいほい飲むなんて8割方したくないだけ」


「ついでに、あとの2割は? 」


「緊急事態及び、本当にどうしてもその酒が飲みたいと思うような状況なら。何にせよ、あなたには一銭も渡すつもりないから。もちろん情報に関してもね」


サトフは一瞬嫌そうな顔をする。押し返された酒に手をつけながら、溜息をついた。


「情報屋の俺に一銭も渡さずに情報を聞き出そうとか、後にも先にも君だけだと思うね。というか、そんなことされたら俺の商売が成り立たないの分かってやってる? 」


ふっと嘲笑うかのようにセリアは口を緩める。


「もとから情報屋なんて柄じゃないんだから、諦めてここらで農家でも勤しんでみたら? 応援するわよ、私」


「けっこう本気で言ってたり? それともわざと嫌みたらしく言って俺の気を引こうとか」


セリアのこめかみに瞬時に青筋が浮かぶ。お互い気心の知れた間柄ではある。相手の嫌なことに関して熟知していた。


「あなたに気を引く必要がどこにあるの?土下座されてもやらないわ」


白熱する嫌味合戦で、ぼんやり酒を飲んでいた周囲の客がちらりとだけセリアを見る。


サトフはクスクスと低い声で笑い続けていた。セリアの頬が赤くなり、気づいたサトフはそれを見てまた笑い出していた。セリアは一つ咳払いをして、とりあえず話を切り替える。


「お金は渡さない。でも情報に見合うだけの情報は渡します。それで大丈夫でしょ? 」


「ククッ……っああ、もちろん。俺も知りたいことがあるからちょうどいいし。……さて、何から話そうか」


サトフの目が鈍く光る。感情を感じさせない、黒い瞳は深い。少しだけその目にセリアはゾッと寒気を覚える。


セリアが彼と出会ったのは世界大戦の最中。セリアは武器屋として、サトフは一兵士としてだった。大戦終了後にサトフは諸々の事情で兵士ではなく情報屋に転身した。彼を知るセリアとしては気にくわないことばかりだったのだが。


だが、サトフが普段なにを考えているか長い付き合いのセリアも分からなくなる時がある。彼が情報屋を一つの商売として成立させられるのは、彼の油断を許さない性格や確かな情報収集の才能があるからだった。


セリアもその事実に対しては、素直に認めていた。


「とりあえずハデフ中佐が何しにここにきたのかについてかしら。ある程度予想はできているのだけど」


へえ、とサトフは感嘆を漏らす。


「ハデフ中佐が来てたこと知ってたのか、酒場の店主は耳がいいね」


「どうせ私の耳に入ることも折り込み済みだったんでしょう」


まあね、と何食わぬ顔をするサトフを無性に殴りたくなったが抑える。


「君の予想は合ってると思うけど、とりあえず順を追って話した方が良さそうだ。……君がこの町に来るちょうど一週間前。つまり二週間前に、この町にハデフ中佐が来たのは知ってる? 」


セリアはすぐに頷く。サトフは軽い調子で淡々と話を続けた。


「ハデフ中佐は横暴かつ、国軍でも最大の武力を誇る第4部隊の司令官として有名だ。そんな彼が町に来て、田舎貴族たちはどうしたか。……彼らは、ハデフ中佐に媚を売ることにしたんだ。武器や防具、装飾品、はたまた食べ物まで献上して」


確かにやりそうだ。セリアはネルフやラトゥールを思い浮かべた。


「そんでどうなったか。並の人間とは常識の観点が違うハデフ中佐様だ。彼はある提案を貴族にした」


「……どうせ、彼が行く先々でやってるご遊戯でしょ? 強い兵力を持つ貴族を昇進させる、とかなんとか」


呆れた面持ちのセリアに、サトフはあからさまに目を見開いた。


「ごめーとー、付け足すなら彼はその提案を自分でしておきながら、その戦いぶりを見ない。良くて自分の配下の若手兵にことの行方を見守らせるだけ。……なんだけど、今回はハデフ中佐が一つの条件を出したんだよ」


「……条件? 」


なんとも珍しい、とセリアは首を傾げる。相手の貴族を殺すまで戦えだとか相手が全滅したら勝ち、なんて条件かと思うと鳥肌が立った。


ハデフといえど、そこまで悲惨な状況にすると自分の官位に関わるため、そんな馬鹿に馬鹿を合わせたような行動はしないはず。いや、どうだろう、やりかねないかも、とセリアが自問自答を繰り返す中、そそくさとサトフは話を続けた。


「君が考えているようなそんなたいそうなことじゃない。……まあ、ハデフ中佐にしては天地がひっくり返りそうな言動だったけど」


「あ、あらそれは頼もしいじゃない。ハデフ中佐の予想外ってのはただの常識なんだし」


「ひどい言われようだな。まあ、異論はないけど。でも、気づいてる? 彼が常識を口にするってことは、必ずしも良いことじゃない」


「……どういうこと? 」


「おお、貴族たちよ。私の神々しい輝きを理解できるとはとても優秀。いや、素晴らしいよ。そんな君たちにある提案をしたい。これから私はまたすぐ行かなくてはならない場所がある。そうだなぁ、三週間後までにはまたこの地へ赴こう。その時、どちらが真に私への忠誠が強いかみさせてもらう。もちろん、君たちの兵と武力をもって。そして勝った方にこの土地の全ての権利を授与しよう」


サトフがハデフを似せたつもりか、手を大きく振り、朗々とその言葉を言い放つ。周りの客が驚いてビクッとこちらを見たが、もちろんサトフは全然気にしない。


「まあ、こんな風に酒場に来て自慢してたんだけど」


「ちょっと待って、全ての土地って。それって全面的な抗争じゃない」


「その通り、俺も幻聴かと思ったね」


セリアが問い詰める中、サトフもお手上げといった様子で溜息をついた。悠長に話すが事が深刻だった。嘘であればと思うが、彼がこの状況で嘘をつくはずがないと分かってはいた。それに、彼ら貴族が武器を買い占めようとしたことにも合点がいく。


普通、国軍の一中佐にそんな権限があろうはずもない。しかしハデフは特別である。彼にはメルシア国王直属の執行部隊の隊長という肩書きがあった。つまりこれは……


「分かってるだろうけど、今回は国王からの令状つきなんだ。なぜだと思う?」


サトフの答えを他所にセリアは考えを巡らせる。国王の逆鱗に彼らは触れたのだ。よっぽどの何か……


ハッとなりサトフと目が合う。


「アマト地方ね」


咄嗟の状況判断と、理解の速さ。さすが、と褒めたところで絶対に信じない、どころか皮肉と取りかねないと思い、サトフは開きかけた口を一回閉じ、もう一度開いた。


「正解だよ。ハデフ御一行が、アマト地方で派手に戦ったのは知ってるか。独立主義者沈静のためだったらしいんだけど。それを裏で操作してた奴がいる」


アマト地方はリノバ地方の南にあるシェル砂漠を抜けた先にある。近年砂漠地域が広がり平和なリノバとは正反対に未だ抗争の一途を辿る危険地帯だった。特にメルシアの干渉をよく思わない独立主義の集まりが非戦闘民にまで武器を持たせ戦わせているときく。しかしその首謀者がネルフかラトゥールとは考えられなかった。彼らにそんな悪知恵が働くとも思わない。


「あの2人が首謀者ではないのは俺も同意見だ。ただ彼らのどちらかが関与していた可能性をハデフ達は考えてるんだと思う。それを見極めるための策なんだろうけど、そこからは俺にも分からない」


セリアも同じだった。戦わせて何になるというのか。問い詰めたところで吐くとは限らないが、それじゃ無駄な犠牲がでてしまうだけだ。


「情報不足ね、全く」


皮肉を込めてサトフに溜息をつく。


「言っとくが、ここまで調べあげたことが奇跡だと思ってもらいたいとこだけど。あ、そうだもう一つ面白い話がある」


この件で面白い話などあるものかと思いはしたが、とりあえず聞いてみることにした。続けてとセリアは合図のように手を振る。


「ハデフ中佐、子供を拾ったらしい」


セリアは何か言いたげに口をパクパクと開閉し、やっとこさ口に出した。


「……………子供? 」


「そう、子供」


耳がおかしいのかしら、と言わんばかりの目線を向けるセリアにサトフは簡潔に即答する。


「独立主義者の兵ってのが老若男女、大人子供問わずだったのは知ってるか。それも、奴隷同然に扱われていた低身分層の。んで、その兵達はハデフ軍に木っ端微塵にされて、独立主義者も全滅。っても、最低限の被害だったらしいけど。それで、拾ったと」


「ちょっと、子供を拾った経緯がすっぱりさっぱり省略ってどうなのよ」


「いや、多分独立主義者の少年兵らしいってのは聞いてるんだけど、ハデフ中佐の優しさ溢れる行動に惑わされた人の話ばかり流れてくるばかりで」


「……なるほど、子供については情報があんまりないわけ」


ニタリ、と不気味に微笑むセリア。部屋の暗さも強調してまるで悪党である。サトフはその様子を一目見て、何でもないと言うように同じく微笑んだ。


「別に、そこまで話す必要性を感じなかっただけだけど……詳しく聴きたいなら話は別だ。もちろん、追加料金をもらうけど」


くっ、と一瞬にしてセリアの頬から笑みが消え、悔しさを滲ませた表情に変わる。見事に逆裁したセリアは、苦虫を踏み潰した顔でそっぽを向く。笑いながらサトフはセリアを楽しそうに観察した。


「変わんないね、君。楽しいからいいけど」


「私はあなたのせいで苛立ちがいつでも最高潮なんだけど。たまにはその陰湿さ治してみたらどうかしら? 」


「あいにく、今の自分で満足してるから充分。そもそもこんな美青年に対して陰湿とはは心外だろう」


「ナルシストにも程があるわ」


二人がぶつかるといつもこうだ。お互い、普段の仕事での冷静さはどこえやら、なぜか絡むと血の気が多くなるばかりである。


決死の戦いを帯びた刺々しい殺気は、くつろいでいた客にとって恐怖以上のなにものでもなかった。次々と金を置いて、我先にと店を出て行ったところで、2人はハッ我に返る。


「……話を続けてくれる? 」


客に対する少しの罪悪感と共に、渋々にセリアはサトフを睨みつけるのを止めた。サトフもやり過ぎたと感じたのか、咳払いをしながら話を戻す。


「少年を拾ってハデフの近づきずらい印象が少し払拭されたのか、彼を一目拝もうと物陰から見る人が続出。その人らが口を揃えて言うには、ハデフ御一行はシェア砂漠を渡って行ったらしくて」


シェア砂漠。何だろう誰かもそんなこと、とセリアは考えるが、すぐに思い当たる節を見つけハッとなる。フェリスが途中まで一緒だった男。その人物像はまさしくハデフだった。


しかしフェリスの話が一緒なら、彼らは途中で別の方角へ行ったことになる。それでは、おかしい。


「貴族たちも、行商人からか聞いたみたいでさ。もう次から次へ押しかけてくるんだよ、参った参った」


「……サトフが情報屋だと知ってたのね。貴族方は」


サトフとセリアの瞳が交差する。互いに何かを探るようなその瞳は、鋭く深い。


セリアも商人だ。肝心な場面で感情を読まれるわけにはいかない。まして、サトフは仮にも自称情報屋。油断を抜けば命取りである。情報を楽にくれる。それがサトフの仕事だと思う者は多い。しかし違う。甘い飴を与えられ、ただ欲望のままに行動すればするほどサトフの網に引っかかる。一度引っかかれば駒として使われ、終わる。


サトフは誰にも分からないくらいの小さな笑いを吐き悠々と答えた。


「いやー、彼が訪れた時にまさかの俺がいること知られちゃって。夜通し世間話……まあほとんど自慢話を聞かされる羽目に。そのことが、噂かなんかで貴族達の耳にちょうど入ったらしい」


「…………」


セリアは押し黙る。確かに、ハデフがこの場所に来たと噂があるのは事実だ。セリアはマカルグに聴いたが、彼以外にも噂好きの商人がこぞって囁いてそうなネタでもある。


しかし、こうも都合よく彼らがその情報を耳にするだろうか?


「で? 他にご質問は? 」


沈黙に耐えかねたのか、サトフが急かすように問いただす。やや釈然としない顔で、しかし考えすぎだとセリアは溜息をついた。最後に、セリアは一番聞こうとして、一番聞きたくない情報を尋ねる。


「……ハデフがリノバに向かっているとして、あとどれくらいで来る? 」


サトフは、ただ淡々とその日を呟く。セリアが考えていただろう、予想を裏切って。


「あくまでこれは俺の勘。信じるかは君しだい」


サトフの瞳は、確かにこの状況を楽しんでいた。否、この状況でセリアかどう動くのかを。自分はただの傍観者だ、とまるで観客席から見下ろしているように。


それが、セリアにはなんとも苛立だしく、虫酸が走った。それが彼の本性でないと知っているから、なおさら。


「その顔だと、もう質問は済んだかい? そうなら、代置を払ってもらうんだけど」


「はいはい、なんなりと。今回は何を調べてくればいいわけ? 」


「いや、君が知ってることを話してもらえるだけで大丈夫」


「はいはい、仰せのままに。……ってはい? 」


サトフの言った言葉の意味が分からず、セリアは見事に素っ頓狂な声をあげてしまった。それもそのはず、サトフが代置と言って命令するのは、セリアが必死に調べてくるのが常だったのだから。


サトフがいつものように笑う。柄にもなくそんなをしてしまったセリアの耳は微かに赤くなった。


「サ、サトフが知らない情報で、私が知ってるなんてことあるのかしら。というか、もしそんなことがあるなら、情報屋失格じゃない? 」


「そうなんだよ。俺もだいぶへこんでてさ」


「あらそう。全然へこんでる風にはみえないけど」


投げやりにセリアは話を戻す。


「で、何が聞きたいわけ」


「君と一緒にいる美青年について」


変わらず軽い口調でそう尋ねたサトフに、セリアはぎょっとなって彼を見る。


今までで一番輝いた、ニヤニヤと面白そうに覗くその顔に、セリアは額に青筋を浮かべた。動揺を隠すように、素っ気なく彼女は答える。


「別に、道端で拾っただけ」


「猫拾っちゃいました、みたいなノリだね。でも猫でも拾わないだろ、君」


鋭い。セリアはジロリとサトフを睨みつけた。


「サトフ、私に言わせたいだけでしょう。本当はとっくに知ってるけど、楽しいから聴いてるだけ。違う? 」


「半分正解。でも、違うね。確かに知ってることもあるけど、驚くほど情報が少ない。せいぜい、フェリスって名前の赤目天然美青年ってくらい。せっかく君の弱点を掴めると嬉々としてたのに、かなり落ち込んだよ。だから、少し興味持っただけ」


「嫌味なくらい正直で結構。……残念ながら私もあなたと同じくらいしか知らないの。嘘じゃないわよ。付け足すなら、超大食いってことくらいじゃない? 」


「へえ。嘘だね、それ」


「あら、嘘をついてる自覚ないのだけど」


サトフは全てを見透かしたような、余裕綽々とした顔つきでセリアの瞳を指差す。彼女の冷静に見えて、しかし奥で確かに動揺しているその心を。


「嘘はついてないかもね。でも、何かを隠しているのも事実。そもそも君が赤目に反応しないわけないだろう」


シュッとサトフの耳元で微かに切る風。見なくても分かる、首筋にあたる冷たく鈍い刃物。今までとは打って変わった、殺気しか含まれない恐ろしく冷たい青い瞳。


「私、あなたに一度でもその話したかしら」


「いいや、してないけど? でも聡い奴なら誰でも分かるだろう。君の容姿とあの出来事を繋ぎ合わせるのは、そう難しいことじゃない」


「あら。そう」


短く答えると、早々にセリアは短剣を元の位置にしまった。全くもって恐ろしい、とサトフは冷や汗をかく。彼相手に至近距離で剣を振り下ろし、首筋にあてたのは、彼女が初めてだろう。


このままその話題を続けたら容赦しない、と言っているようだった。しかし、それでも聞きたくなるのがサトフである。


「で? 何で、そのフェリス君は何にも話してくれないわけ」


「…………」


セリアは呆れたような視線をサトフへ向ける。否、彼にセリアの威嚇が通じるわけがない。沈黙の後、セリアは重々しい口を開く。


「……記憶喪失なんですって」


「は? 記憶喪失? 」


突然出てきた不可思議な言葉に、サトフは聞き間違えかと耳を疑う。


「年齢不詳、故郷不詳、さらには名前も仮名。二年前以前の記憶がそっくりなくなってるらしいわ」


半ばヤケクソに言ったセリアに、サトフは全く笑わなかった。絶対大爆笑だと思っていたセリアは、彼が予想以上に真面目に考えているのを見て、かなり驚いた。


「……今の状態からすると前向性じゃなく逆向性健忘……名前も忘れた状態で2年だから薬物……心因性かもしくは……」


ブツブツと何やら呟いているサトフを見て、セリアの頬が引きつった。無表情なだけに、怖すぎる。日頃から趣味だなんだと文献を読み更けているサトフの知識量は、常人よりすば抜けている。特医療に関してはすでに趣味の域ではない。記憶喪失に興味を示している彼の姿は、セリアも嫌いではなかった。


「彼ってどんな感じ? いきなり癇癪起こしたりとかしない? 」


「うん、普通だけど……」


内心微笑ましく答えるセリア。サトフは少し考えると、呆れ果て、馬鹿にしたような深い溜息をついた。


「……なるほど。セリア、君ってさ。人を疑うってことを覚えた方がいいんじゃない」


「…………は? 」


「見ず知らずの他人に実は記憶喪失です、とか言われて、すぐ信用するとかどうかしてる。そもそも、名前を忘れちゃうくらい重度の記憶喪失なんだろ? 俺だったら絶対性格歪んでるよ。普通わね」


「…………」


セリアは何も言えなかった。なぜなら、サトフの言ったことは率直に事実だったから。セリアがフェリスをその場に留めたのも、その違和感を感じていたこともある。


彼の真っ直ぐで素直な性格。言いたいことはちゃんと言うし、人の話も真面目に聞く。ちょっとずれてることもあるが、それもセリアの許容範囲内だ。


しかし、それが真実ならフェリスは異常だった。


二年前以前の記憶がないなら、きっと行動の節々から染み出るであろう感情が、彼には全く見当たらない。自分は誰なのか分からない孤独。なぜ記憶がないかという不安、恐怖。混乱と絶望の狭間で起こる他人への嫉妬や憎悪は、人を確実に蝕み、歪ませる。人の感情はひどく脆い。簡単に周囲の影響を受けやすく、すぐに曲がり割れる、まるでそれは硝子の細工。たった一度落としただけでころころ変わる。なにしろここは昨日まで優しかった人が、次の日には笑って人を殺すような嘘が溢れた醜い世界なのだから。


だからこそ、人の言葉ほど信じられないものはなく商人は相手が嘘をつくだろうことを前提に仕事をする。約束、契約、法律にいたるまで、それは人の心を守る盾。しかし、信用を嘘前提とした重い鎖。


セリアもそのことは重々承知していたし、今でもそうだと思っていることに変わりはない。


しかし、


「……信じられると思えたのよ」


「なんで? 勘でそう思ったわけ」


やっと口にした言葉に、サトフはすぐに踵を返した。別に、楽しいから聞いているわけではなく、興味本意に聞いているだけといった様子で。


なぜ、と言われればセリアにもどうしてだか分からなかった。しかし、フェリスに会った時のあの懐かしい感情や、この2日間一緒に居た中での穏やかで心地いい思いは曖昧だけど確かにあって。その心を口にしたくても、セリアには言葉が見つからなかった。


いっこうに口を閉ざしたままのセリアに、サトフはもう一度溜息をついた。


「珍しいね。君が曖昧にものを言うなんて。いいんじゃない、別に。君がそう思える理由があったんだろうから」


サトフの言葉にセリアはほっと安堵した。しかし、不覚にもサトフの言葉に安堵してしまったことにセリアは不愉快を如実に顔に現した。


「さて、と。もうそろそろ帰るわ。明日から、あなたと違って大忙しになるから」


皮肉たっぷりにそう言って立ち上り、出口へ向かおうと背を向けたセリアの右手を、引き止めるようにサトフは掴んだ。振りほどこうにも、さらに強く掴まれる。


「……なによ。痛いんだけど。もしかして、まだなんかあるわけ? 」


「いや、もう1つ君に情報をあげようと思ってさ」


「……なに」


この状況で何の情報かとセリアは眉を潜める。


「夕方ネルフ側の兵士が何者かに殺された。今は情報が錯綜しているが明日には公になるだろう。殺されたそいつが言ってた最後の言葉」


セリアの顔から、感情が抜ける。


「赤目」


それは呪いだ。


「君は彼を殺す。殺したくなくても、君の中の憎悪は決して彼を逃がさない。そうだろう?セリア」





「随分と意地悪なことをしましたね」


ふと隣に目をやると、いつからいたのか茶髪の男が穏やかな笑みを浮かべ、酒を飲んでいた。一口呑んで、おやとすぐにグラスを置く。


「すごくキツイですねーこれ。こんなのガバガバ飲むなんて気がしれます」


「上司を置いて、先にいらっしゃるとは仕事放棄ですか? ナトル少尉」


サトフの厳しい目線にも何ら変わりなく、その笑顔は深い。30代を過ぎた辺りの茶髪に緑の瞳。右目の上から真っ直ぐ伸びた傷痕は彼自身を象徴するように、だが彼の落ちついた表情とともに溶け込んでいた。


「いいですね、放棄。もう毎日毎日うるさくて。逃げてきた、といえばそうかもですね」


あながち本音だろう、とサトフは思った。あんな上司、自分なら3日で断念するに決まっている。少しだけナトルが哀れに思えて同情した。


「それで? どうして姫にあんなこと言っちゃうの。忠告? それとも思いやりかな。自分の二の舞にならないように」


「……どうでしょうね」


セリアとの最後の言葉を思い出す。


ーー私はアイツ以外殺しはしない。


無理だろうとサトフは思った。人間の中で唯一平等なのは負の感情だ。嫉妬、憎悪、絶望。復讐に囚われた彼女が復讐の的である赤目を前にいつまでも平然でいられるとは思えない。俺と同じように復讐で生きてる人間ならば。どれだけの誇りもプライドも誓いもそれが自分自身に課した枷なのなら、結局のところその枷を外すすのも自分自身なのだ。破って、ぐちゃぐちゃにしたところでいくらでも正当化できる。仕方なかった、その一言で片付けられる。


ただあんな嫌味を言うつもりじゃなかったと、サトフも思っていた。そんな彼をみてナトルは笑う。


「君も姫もまだまだ子供ですね。まあよく考え、悩むことも時には必要でしょう」


「20歳近くの男女を子供扱いしないでください。というか、ほんと何しに来たんです? 」


むっ、として言い返したがナトルには全く効かない。そうですかぁ、と以前穏やか笑顔のままである。


「いや、情報を知らせにきたんだけどね、意味がなかった。全く恐れいるね、情報屋」


いつからいたんだ、とサトフは疑念を持つばかりである。しかし、ナトルに関しては突っ込んだらややこしくなるばかりなので、あえてサトフは触れなかった。


「お褒めいだだき光栄です。じゃあ俺は高みの見物といきますね」


「おや、助けてあげないのかい? 」


誰とは聞かない。正直どっちでもサトフは同じだった。


「もう終わりましたから。あとは運まかせでしょう。血による粛正か、はたまた死神の断行か」


「うちの上司が喜びそうだよ」


ええ、とサトフは皮肉たっぷりに笑った。ナトルも、笑顔をさらに深める。


闇は深く、さらに不気味になるばかり。二人の笑い声は、静かに夜に沈んでいった。

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