第4話 前兆2


「酒場の旦那から話は聞いてるよ。あいつ、ちょっとやり過ぎたって言ってたからね。同情で安くしとくよ」


服屋の店主は同情だと言いつつも、その瞳の奥はしてやったりの笑みがみえる。たかだか数日だけでもセリアは町ではちょっとした噂話の中心となっていた。なしにろ白い髪なんて外見は多人種の多く住むメルシア全土でも少ない。他にも理由は色々ありはするけれども。


何より商人にはセリアは要注意人物として名前が挙がるほどになっていた。専門は武器だが、ことセリアは骨董品から雑貨、食糧と量の差はあれど買い付けることも多い。なんなら情報も金貨と同等と判断し商売道具としていた。商売に買った負けたはやはり多少なりともありはするし、なんなら彼女はその戦いに、この町に来てから一回たりとも負けたことがなかったのだった。


そのせいで負けた店の店主は敵討ちとばかりにセリアの隙を狙って一方的に火花を散らしていて、今回彼女への酒場店主の請求書云々は彼らにとってはしてやったりの展開なのだった。


「へぇ……安くですか? 」


ピリッと背筋が凍るような声が店内に響いた。1部屋のみの小さな服屋で声は大きく響く。もちろん周りの客も何かなにかとセリアをみている。最初上機嫌だった店主もまずいと感じるほどにはセリアの笑顔はとても輝いていた。もちろん悪い方に、である。


店主陣の意図を軽々見抜いているセリアは腹いせとばかりに笑顔で彼らをねじ伏せていた。


「この生地メルシア南部の貴重な素材と言うけれど、違いますよね。ほら、縫い目の荒さがすごく気になる。それに裏地も汚れているわ。これじゃあ貴重でもなんでもない。どこにでもある布っきれね」


「ひっ!! 」


セリアは店の商品を見てはああでもない、こうでもないと酷評を並べていく。これじゃあ商売にならないとただならぬ危険を感じた店主は恐怖で仰け反った。


終始笑顔のまま彼女が再び口を開こうとしたその時、奥の試着室から扉の閉まる音。


「セリア、一応言われた通りに着てみたんだけど……」


その和やかな声に内心大いに救われた店主は、安堵で涙目になりながらも試着室から出て来たフェリスを見た。


そして驚く。

上は真新しいシャツに黒いブレザー。ズボンは少し大きめだが、レザーグリーブを履くことで全体で見ればきっちりしていてシンプルではあるが決して地味なわけでも、まして動きにくそうでもない。フェリスの細身の体によく似合う服装だった。髪も服屋に来る前に切り揃えたおかげか顔もパッと明るく様変わりしていた。


店主が感嘆の声もあげられない中、隣で腕組みをしたセリアは満足そうにフェリスを見渡す。


「どう? その服」


「うん、前より重いけど動きやすい」


セリアはその感想にほとほと呆れる。別に機能性だけを聞いたわけではないのだが、まあ言ったところで意味はない。


「そりゃあ、あの布切れ一枚で作ったような荷物服より重いのは仕方ないわよ。店主、どうかしら? 」


代わりというように話を振られた店主は不覚にも何も答えることはできなかった。長年服屋をやって、ここまでぐうの音も出ないのは初めてである。よく似合っていると素直に思った。


しかしこの状況で声を出さないのは敗北と同じだ。その上、このままでは値も相手の思う壺になってしまうのは目に見えている。ほんわかしている今が絶好のチャンス、と店主は何とか自分の口をこじ開けた。


「さ、さすがだね。ちょっと地味だけどいいと思うな!! じゃあ、会計は大いにまけてこのくらい……」


「店主? 」


無理矢理にでも値を突きつけてぶん取るつもりだったが、セリアにそんな方法が効くはずもない。狼に狙われた子羊のように、店主は震え上がる。自分の無力さを痛いほど感じながら。


そんな店主に文字通り容赦無く、セリアは止めを刺す。


「とりあえず元値の3分の1からでいかがですか?あ、もちろんマケてくれるまで帰りませんよ」


負けるまでもなく、勝負は決まっていた。





「さすが、私」


「さっきの人、だいぶ震えてたけど大丈夫かな……」


結局元値の5割まで抑えることができ堂々と勝利の笑みを浮かべるセリアに、買ったばかりの自分の身なりをまじまじと眺めるフェリス。


時刻は昼を少し過ぎた頃、若い女性が訪れそうなテラスのあるカフェで二人は遅めの昼食をとっていた。若い女性であるにもかかわらず酒とつまみばかりの生活を送っているセリアには無縁に近い場所である。しかし昨日の今日で酒場に赴くつもりは毛頭ない。


日陰であることや、昨日より少し気温も下がったのか風が心地いいと感じる。フェリスも同様に思ったのか何か相談せずとも自然と2人はテラス席の1番端に座った。ちょうど2人ともトマトパスタを頼んだくらい。セリアにとって予想だにしないことが起こった。


「……視線が、痛い」


「まったくね、酒場のがよかったかしら」


戸惑いながらフェリスは辺りを見渡す。彼と目を合わせた周りの女性たちから一気に歓声が上がった。


フェリス自身は不思議そうに首を傾げるばかりだが、セリアはこの昼も過ぎた時間、それも今だ蒸し暑い最中、カフェテラスにわざわざ出向いた町の女性たちの酒場の大男にも引けを取らない確固たる根性に、呆れるほど素晴らしいと感じた。


女性たちのお目当てはことフェリスである。

もさもさ頭に悲惨な農民服だったから今まで何ともなかったものの今では服も、そして髪も整えたフェリスは美青年と言うに相応しい様相だった。


実際のところはフェリスだけでなく白髪青眼の美少女との2ショットを拝みに来た女性や男性も多くいるのだが、その存在にセリアが気付くことはなかった。彼女の場合、美少女での目立ちより髪の色を珍しがっての興味関心の方が日頃多い。今回も野次馬くらいにしか思っていなかったのである。


逆に騒ぐと面倒なので、セリアはわざと周りを気にしてない風を装う。


「人の印象は8割見た目というしね。まあそれだけちゃんとしてれば仕事の1つ2つはどうにかなりそうだけど」


「ついでに、この服代もろともは……」


「じゃあ出世払いで」


出世払いという言葉にフェリスが冷や汗をかいた。待ってとセリアの言葉に踵を返す。


「現在無職の俺に出世は無茶だよ。それに今時出世できる職なんて限られるだろうに」


口を尖らすフェリスにセリアはふと考えていじわるっぽく笑みを浮かべる。


「あら、国軍兵にでもなって功績をあげれば出世街道まっしぐらじゃなくて、自称兵士さん? 」


咄嗟の言葉が思いつかずわなわなと頬を引きつらせるフェリス。横からウェイトレスが二人分のパスタを置いた。フェリスのは多めにとリクエストしたせいかセリアの二倍の量だった。幸運にも間を取ることに成功したフェリスは我先にとそれに食らいつく。食べる時の彼は実に幸せそうで、それを見た周りの女性たちからまたも歓声が上がった。横目でそれらを一蹴しつつセリアも同じように手をつける。


「そもそも兵士なのに武器がないって致命的よね。フェリスは短剣と長剣どちらを使うの? 」


武器を扱う仕事をしていることもあって、セリアは大口でパスタを平らげていくフェリスへ興味津々に尋ねる。フェリスは口の中のものをひと飲みしてすぐに答えた。


「どっちも使わない」


一瞬の沈黙でセリアは何とか動揺を抑える。それはこの一日でフェリスに常識の一文字も通用しないことに少しは適応できるようになった証拠でもあった。ただし突っ込むところは突っ込まないと彼女も納得できなかった。表面状は冷静に話を返す。


「兵士なのに武器を使わないなんて変わっているわ。戦闘になったらどうしてるの」


「えっと正確には使わないというより使えないかな。まあ戦闘になったらこれがあるし」


そう言ってフェリスが指差したのは、普通の男でも握れば軽く折ってしまいそうな弱々しい自分自身の腕だった。


「……まさか、腕っぷしには自信がありますとか言わないでしょうね。そのガリガリの腕で」


「なにさ、信じてないなぁ。俺を拾ってくれた人が最低限の護身術を俺に教えてくれたんだ。記憶がなくなる前には俺も武器を使ってたんだと思うんだけど。なにせ使い方を覚えてないもんだから持っても宝の持ち腐れってかんじで」


護身術ねえ……とセリアは疑い深くフェリスを見る。


「じゃあ自称兵士ってのはどこからきたのよ。どっかの兵隊にでも入っていたとか?」


「あ、いやそれは……」


フェリスはごそごそと小さなバッグから何かを取り出す。それは最初からもっていた彼の私物だった。両手で抱えれるくらいの小さなバッグ。よくそれで旅をしてこれたなと最初見たときセリアは呆れたものだった。


フェリスがその中から取り出したのは小さな銀の塊である。受け取ってまじまじとセリアは見る。傷だらけのそれは丸い勲章のようなものだった。劣化がひどく絵柄も不鮮明で、中心に刻まれているのはかろうじて鳥ということだけはわかる。


「これがたぶん俺の入ってた兵団のシンボルなんじゃないかって。旅しながら聞いてまわってるんだけど」


「劣化が劣化だしね。にしてもなんの鳥かしら。私でも見たことない紋章ね。大きな兵団じゃないのかも」


大戦時には敵対する勢力との戦闘で功績をあげた兵士に勲星章シルバースターを与えることも少なくなかった。このメダルも一見それのように見える。だいたい軍のシンボルをメダルには刻むことが暗黙の約束のようなものだった。一応規模の大きな兵団のシンボルはセリアも覚えている。しかし記憶を遡っても鳥を掲げ兵団はみたことがない。


「セリアでも、か。結構聞いてまわってるんだけど収穫はゼロかな」


だいぶ聞きまわっているのか、セリアの答えにも落胆せずにフェリスは返されたメダルを受け取る。


「まあ大戦中は兵団も細かく分裂してたしね。今じゃ統合されたところも多くあるから聞いてまわるにはなかなか骨が折れそうね。ドレッドノートにいけば話は別だけど」


「ドレッド?なにそれ?」


フェリスは聴き慣れない言葉に首を傾げた。そうか知らないのか、とセリアははっとなる。記憶喪失なのだから当たり前なのだが。


「ドレッドノート《恐れ知らずの要塞》。メルシアの首都トリノラインにある国軍兵の本拠地といったところかしら。建物自体が特殊な金属に覆われていているの。そのおかげでどんな攻撃も効かない絶対防御の盾と言われているわ。その防御性ゆえにメルシアの歴史書物から軍の機密事項までありとあらゆる重要物が保管されているのよ」


「じゃあ、そこに行けばこのメダルの意味もわかる?」


フェリスの目が輝く。そこまで期待させたいわけではなかったセリアは少し困って目を泳がした。


「絶対とは言えないわね、劣化も激しいから。ただ誰彼構わず聞いてまわるより可能性は高いかもね。そのメダルが記憶喪失の手がかりになるかは分からないけれど」


いや、とフェリスはメダルをしまいつつ答える。気づけば彼の皿は空っぽだった。


「別に記憶を取り戻そうと思っているわけじゃないんだ。ただ行きたい場所があって。そこがどこだか探すためにこのメダルが手がかりな気がして」


「へえ、行きたい場所。どんなところ?」


「わかんないんだよな、これが。でも行かなきゃって気持ちが強いというか」


にへらと笑い困ったようにフェリスは笑う。あまりにも不明瞭な旅の行き先にセリアは面食らってしまう。同時にふと小さな罪悪感に襲われた。


彼が喉から手が出るほど欲しいだろう情報をセリアは多少であるが知っていた。何しろそれはセリアが旅をする理由でもあったからだ。だがおいそれと教えられるほどセリアの口も軽くない。なにより彼に教えてしまうわけにはいかない理由があった。


「とりあえず、次の行き先が決まったよ。ありがとう、セリア」


嬉しそうにフェリスは頭を下げる。やめてほしい、そんなことを言われる筋合いなどセリアにはこれっぽちもないのだから。


「……もう時間だわ。そろそろ仕事をしないとね」


罪悪感を奥歯で押し殺してセリアは立ち上がる。やる気に満ちたフェリスは肩をまわしながら同じように席を立った。


——とりあえず、いまやるべきことに集中する。


セリアはそう割り切って止まらない思考を放棄した。会計を済ませると野次馬がいることに気づいていたのか、優しい店主が裏出口を紹介してくれた。


「ところで、仕事先って?」


セリアの後ろをついて行きながら、仕事先という言葉にセリアは溜息をつく。彼女の仕事相手はだいたい決まっていた。


「この辺じゃ珍しい貴族様ね。もっとも風変りって言葉がつくけれど」





町を抜け、小麦畑を進んだ先は雰囲気も風景もがらりと変わる。それはそこに住む人の種類が違うということもあるのだが、何より賑やかな町とは打って変わったやけに静かで殺伐とした空気が漂うこの場所は自然に人を寄せ付けなくしていた。


主に貴族階級が暮らす『貴族街』である。ただしシリア地方においての貴族は数自体少なく、いてもメルシアの大都市貴族には遠く及ばないせいぜい小金持ちといったところで、権力もたかがしれていた。にも拘わらず土地の権力者ということで傲慢無知で変わり者が多いことでも知られている。


しかし、セリアのような商売人にとっては格好の獲物でもあった。簡単に騙される田舎貴族ほど稼げる鴨はいない、と生き生きと仕事に出掛ける同業者をセリアは何人も見ていたし、仕事で来ていれば彼女も同様に思っただろう。


今回向かうのはつい昨日訪れたネルフの屋敷ではない。まったくの別件である。だがそれでも今日はあの奇想天外風流ぶち壊し屋敷へ行かなくていいと思うとセリアは心底安心していた。荷馬車の隣を見れば、フェリスが物珍しそうに辺りをキョロキョロ見渡している。


「フェリス、あなたこの辺り歩いてきたんでしょう? 覚えてないの」


「生死の境を彷徨ってて周りを見る余裕もなかったから」


「大袈裟な、食べたらあっという間に元気になったくせに」


昨夜の回復ぶりを見てハッとセリアは苦笑する。あの時慌てた自分が今となっては情けない。


「いや、餓死寸前だったよ。うん」


わざとらしく頷くフェリスにセリアは飽きれたように笑った。笑い返したフェリスを見て、荷馬車に人を乗せたのはいつ以来かとふと思う。1人旅のセリアにとって隣に人がいるというのはなんとも不思議な気分だった。隣に誰かがいる温かさをセリアはゆっくりとその背に感じていた。


——例えそれが、赤目の青年だったとしても。


見え出した貴族街をじっと目を細くして覗きながら、フェリスは疑問を呟く。


「そういえば、今からどこに行くのか聞いてなかったけど。町も結構離れちゃったし、どこへ向かってるんだ?」


「ラトゥール伯爵のところよ」


「ら、らてぃーる伯爵?」


初めての言葉に弱いフェリスは聞き返す。丁寧にセリアは再度繰り返して説明する。


「ラトゥール伯爵。ここ一体の土地を管理する、上級貴族の一人よ。依頼された武器を渡しに行かなきゃいけないの。ついでにあなたの仕事探しにもって思ってたんだけど……」


「だけど? 」


「その姿見てやめたわ。今のフェリスの姿なら、うっかり一生そこで働かされそうだし。そんなことになったら、毎日罪悪感で寝心地最悪だしね」


兵士はあまり需要がないといっても、片田舎の貴族には多少必要なこともある。貴族相手だから賃金も高い。しかしさっきのカフェでの一件を考えれば、気に入らて面倒ごとになる可能性もないわけではなかった。


俺の為だと言わないのがセリアらしいね、とフェリスは微笑しながら独り言のように呟く。横でその呟きに気づいたセリアは、不愉快だと言わんばかりに顔をツンと背けた。


そうこうしてる間にも馬車は進み、町の家に比べたら多少大きい家々の中を通る。そうして、ある一つの家の前でセリアは荷馬車を止めた。


屋敷を見て、フェリスの顔はあからさまに固まる。


「……随分、凝った家だね」


「大丈夫よ。私も何て変わった屋敷かしら、ぐらい思ったから」


「……よかった、俺の感覚がずれてるんじゃなくて」


しかしネルフの屋敷を見た後では、まだこれの方がマシだと感じてしまう自分の感覚の鈍りように思わず嘆きたくなるセリアである。


屋敷や庭も至って普通の貴族の家である。ただし屋敷や外門、庭にいたるまですべて黒で統一されていた。町の住民曰く、通称モノクロ屋敷。


ただしネルフの屋敷と違うのはそれを見て不快に思わない所だろう。ラトゥールはネルフのように、価値や年代やらが全く違うものを場所も関係なく置く馬鹿ではない。例え黒で覆われて奇妙の一言に尽きるとしても、一つの屋敷として成立はしているのだ。見る人が見ればお洒落だと言うだろうし、セリアもそこに否定はない。


「あれ? 入らないの、セリア」


そのまま屋敷へ入ろうとしたフェリスは、その場に止まったままのセリアを振り返る。


「いや、まあそうなんだけど……」


なにか違和感。何がと言われればよく分からないのだが。


セリアは屋敷の入り口に目をやる。ちょうど見計らったように扉が開いて、慌てたようにラトゥールの給仕が出てきた。


「セリア様ご無沙汰しております。今回注文された武器を部屋に運べとラトゥール様より遣わりました」


今にも折れそうな細めの給仕だった。運ぶという言葉にセリアは困惑する。


「いや、個数も個数ですし。失礼ですがここの兵士は…… 」


「諸事情により、現在出掛けております」


おかしい、とセリアは眉を顰める。戦争でもないのに兵士が全員出払っているなんてことがあるのだろうか。給仕の言葉からして、セリアには言えない事情。心の中で何か引っ掛かってしかしそれが何かは分からない、そんな不吉な予感が彼女を襲う。


とりあえずラトゥールに会わない限り何も分からないと、この場はあえて感情を出さないように笑顔で誤魔化すことにした。


「分かりました。でもこちらも今日は人手がありますから、ちょうど良かったです。武器を入れる作業は重いですしこの人に任せて、私を先にラトゥール伯爵の元へ案内していただけますか」


指を差され、給仕達の注目を浴びたフェリスは少し面食らった様子で、しかしすぐにそれが仕事だと分かると嬉しそうに腕をまくる。


「了解」


さてフェリス1人で大丈夫か、と多少失礼な心配をしつつ運ぶ武器の指示とその後はそのまま外で待つよう足早に指示をして、給仕とともにセリアは真っ黒い扉から屋敷へと足を踏み入れた。





「こんにちは、ラトゥール伯爵。ご機嫌はいかがですか?」


「ああ、待っていたよ。"氷雪のシニガミ"」


そそくさと部屋に案内された黒い部屋で待ち構えていたのは、全身黒で統一された服に身を包み黒い髪を存分に肩まで伸ばした中年の男--ラトゥールである。放った言葉に内心セリアは驚愕する。そして、それを流しただろう人物に苛立ちを覚えた。


「おや、驚かないようだね。彼は君をこう呼ぶと度肝をつけると話していたんだが」


彼とはまさしく件の情報屋だとセリアは確信する。確かに度肝はついたが地雷も踏んでるわよ、とセリアは怒鳴りつけたかったが笑顔でひたすら耐えた。平然を装おったように、しかし確固たる意志を持って口を開く。


「驚きましたわ、とても。今回注文された武器は全て部屋へと運ばせていただいております。ついでと言ってはなんですが、少しお聞きしたいことがあるのですが」


「私の提案に答えてくれたらね」


セリアの聞きたいことが分かっているというようにラトゥールは踵を返す。


「提案とは?」


「どうだいセリア君、私専属の武器商人にならないかね」


何を言い出すのか、とセリアはラトゥールの上からものを言う視線や、さっきからずっと目に付くニヤニヤとした笑みも含めて気持ちが悪くなった。


表情を悟られてはいけない。情報を得るためにも、わざとらしい謙遜で話を繋ぐ。


「あら、それはとても素敵な提案ですわ。しかしながら私はメルシア全土を旅する旅商人です。そんな身分も知れぬどこぞの女を専属にするのはいささか危険ではないでしょうか」


「身分は確かだろう。なにせ大戦を生き抜いた中で知らぬ者はいないあの異名をもっているのだから。それに彼のお墨付きときている。だがそうだな、最初は期限付きでの専属契約といこうじゃないか。私が気に入れば金もたんまりくれてやる。いい話だと思うがね」


情報屋はペラペラとセリアの内情を話したようである。軽く殺意を覚えつつ、セリアはラトゥールの意図を必死に言葉から汲み取ろうと考えていた。セリアを専属にすることでのラトゥールの利益。昨日のネルフの言葉からして彼も武器を欲している?だとしたら


——武器商人があまり来ないこの地での武器の独占か。


瞬きのうちに結論を出したセリアは次の行動に移す。何か起きようとしていることはわかっても、その内情を推測するには情報が足りない。つまり彼女が今すべきは、ラトゥールの提案をうまく交わすことだった。


「そこまで信頼して下さっているのは、とても歓迎です。しかしながら……」


「失礼します。セリア様、兵士様をお連れしました」


紡ごうとした言葉を入ってきた給仕に遮られ、後からおどおど現れたフェリスを見てセリアは瞠目する。


なんで入って来るの、と鋭い視線でフェリスを睨む。どうせ給仕に押されて入らされたのだろうが目があったフェリスは意味も分からず、ギクリと凍りつく。


「あの……おれ、いや僕は先に外で待っていま……」


「セリア君、誰だねこの青年は」


やってしまったとばかりにセリアは内心呻いていた。フェリスにしては中々気の利いた言葉だったが、如何せん時と人が悪すぎる。


「……先日出会った用心棒でして」


「用心棒だと。なかなかの青年だ。町の人間か? 」


「いえ、私と同じ旅人でして」


「なぜセリア君の用心棒を。 強いのか、名前は? 」


さっきまでの専属の話がすっぱり打ち切られ、ラトゥールの目はフェリスという用心棒に夢中である。そもそもこんな弱そうな青年にここまで興味を惹かれる理由も分からなかった。否、兵士を探しているのかとセリアがさらに考えに至るが、それどころではない。


「えっと……」


どうしたものかと上を向くセリアに、予想通りラトゥールはにこやかに言った。


「まあいい、セリア君。この青年を私にくれないか」


セリアが内心どうしようかと眉間を険しくする最中、いきなり急転直下の危機に陥ったフェリスの、全く状況が掴めていない声が無情にも部屋に響き渡った。


「えっ…………? 」





「きゃあああああ」


町の細い路地で悲鳴が上がる。近くにいた人々はすぐに声の主へと駆け付ける。日の当たらない建物の狭間にあるこの路地は普段人通りのまったくない場所だった。時々近道にと使っていたその女性は、いつも通りその道を通っただけであった。


そこには日陰でもはっきりと分かる大きな血だまりができている。その中心で口を開き、目もうつろな男は右手に刀を握りしめていた。血に染まった服をみて、ようやく周囲の人間は彼が兵士であることを悟る。


「赤目」


事切れる直前、男は最後の力を振り絞るように声を紡ぎ、そうして瞳を閉じた。そしてその男が再び目を開けることはなかった。最後の言葉は周囲の人々の叫び声にかき消される。ただ1人、そこにいた青年だけがその言葉を受け取っていた。

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