第21話 鬼娘の一人旅 中編

 蒼餓そうがの言った通り、岩山を下りてしばらく歩いたところに小さな町があった。それなりに活気もあるようで、道の端にいくつもの店が並んでいる。


「お嬢ちゃん、見ない顔だけど、どこから来たんだい?」


 渡された袋に入っていた銭で買い物をしていると、店番をしていた女がそう聞いてきた。


「えっと、海の方から……ですね。ここから南の方向の入江に船をつけて、ここまで歩いてきました」


 この想区の実情が分からない以上、蒼餓の事は言うべきではないだろう。それでなくても鬼と人が友好な関係を築いているケースは少ないのだ。

 だがシェインの答えを聞いた瞬間、女の顔色が変わった。


「まさかあの入江かい⁉ 岩山には近づかなかっただろうね!」


「え、えぇ……」


 こちらに食いかからんばかりの勢いで身を乗り出した女に、シェインは頷くしかなかった。


「そう、良かった……! あそこにはね、とてつもなく恐ろしい鬼が住んでいるんだよ。生きていて本当によかった……あぁ、でも船を入江に残しているんだねどうしようどうしよう……⁉」


「船など放っておけ!」


 気が付くと、シェインと女を数人の男が取り囲んでいた。全員物々しい鎧を着こみ、腰には大太刀をさしている。


「船ならここに余っているものがいくらでもある。わざわざあの場所に戻る必要などない」


 おそらくリーダーであろう髭面の男が屈み、シェインに目線を合わせる。


「船は惜しいかもしれんが、命よりは軽いはずだ。それより、今から私たちについてきてもらおうか」


 いきなり取り囲んでついて来いと言われたところで、大人しく従うわけがない。男もシェインの表情からそれを読み取ったのか、釈明するように手を広げた。


「君に危害を加えるつもりはないとも。直接鬼に会わなかったとはいえ、君はあの鬼の住む入江を通ってきたわけだ。そこで奴の瘴気を受けていないとも限らない。その魂が穢されてしまわぬよう、霊山で禊の儀式をおこなってもらう」


 何か嫌な予感がする。


「えっと、それってどれくらいかかるんですか……?」


「そうだな。霊山まではここから一週間と言ったところだろう。儀式のみであればそれからさらに一週間でいいが、万全を期しまずは祓の準備で3日、神仏のご加護を得る守護陣の儀がおおよそ5日間、その後儀式を経て最後に穢れが消えたかを調べる顕蝕期間が一月……」


「すいません。ちょっと用事を思い出しました!」


「あ、こら待て!」


 そんな長い期間拘束されるなんて真っ平ごめん。幸い食材は十分買っていたので、シェインはその場から一目散に駆け出す。

 鬼の身体能力を存分に活かし、みるみる男たちとの距離を離していく。町の外れまで来た時には、追手の姿はどこにもなかった。








「さて……それじゃあ台所を借りますよ」


 庵に帰ってきたシェインは食材片手に台所へと向かう。蒼餓と言えば、変わらず床に伸びていた。


「本当に何もないじゃないですか……。よくこれで生きていましたね。まぁ作れる物を作ればいいでしょう」


 手際よく食材を準備し、手入れされていない器具をどうにか使って料理を作っていく。


「うん、こんなもんですかね」


 味噌汁に豚肉とねぎの合わせ炒め、おにぎりに魚の塩焼きetc.etc...。大量の料理にシェインは得意げに胸を張る。


「この短時間でこれだけの量を作れるだなんて、シェインの料理の腕も捨てたもんじゃありませんね。こんなに一杯あれば姉御も満足してくれるでしょうし、皆が帰ってきた、暁に、は…………」


 俯いたシェインの頭に、大きな手が乗せられる。


「どうしたよ、んな辛気臭い顔しやがって。なんか悲しい事でもあったか?」


「っ違いますよ……。玉ねぎを切ってたら目が痛くなっただけです」


 乱暴に袖で顔をぬぐい、シェインは蒼餓の方を見る。


「もう大丈夫なんですか?」


「あぁ。飯の匂いを嗅いだら元気が出てきた」


「動物ですか……まぁ、とりあえず料理を持って行ってください。色々聞きたい事もありますが、まずは食事にしましょう」








「かぁーーーっ! うめぇ! ひっさしぶりの飯はやっぱ最高だぜぇ!」


「……」


 みるみるうちに机から料理が消えていく。もはや噛む前に流し込んでいるような勢いで蒼餓は飯に食らいついていた。


「……ちなみに最後にご飯食べたのっていつですか」


「うーんと、そうだなぁ……昔の事過ぎて詳しい時期は覚えてねぇけど、庵まで飛んできた蝉を食べたのは覚えてるから多分夏だな!」


 ちなみにシェインの見立てによれば今の季節は夏である。ということはつまり、蒼餓は最低でも一年は絶食している事になる。いくら鬼でも普通に餓死する。


「まぁ体をちょっくら弄ってエネルギーの消費を抑えていたから、死にはしなかったけどな。お前を助けるために力を使わなかったらあと数か月は何とかなっただろうし」


「あなた本当に同じ生物ですか……?」


 やっていることが神仙の域に片足を突っ込んでいる。シェインの故郷である鬼ヶ島でも、そんな事ができた鬼の話など聞かなかった。


「なんだ、お前はできねぇのか? 鬼なら誰でもできるもんだと……あぁいや、そういえばもそんなこと言ってたな」


「あいつ?」


「まぁ、古くからのダチってやつだ。わけあって数十年ほどは顔を見てねぇけど……なっ」


 最後の白米が蒼餓の口の中へと消える。


「ぷはーっ、食った食った! あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁエネルギーが体を巡っているのが感じられるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!!」


 その瞬間、蒼餓の体が一回り膨れ上がったような気がした。


(な……まじですか……!?)


 肌で感じるほどの圧倒的な威圧感、空気を震わせる咆哮、そして止めどなく身体からあふれ出る闘気。


(こんな力、ヒーローと同等……下手したらカオステラー以上……!)


 先の感想を改めなければならない。片足を突っ込んでいるどころか、誇張抜きで蒼餓は神仙に等しい力を持っている。


「久しぶりに腹一杯食ったからなぁ……今なら何でもできる気がするぜぇ……!

おいシェイン!」


「な、なんですか……?」


 瞬間、岩山が揺れる。それが蒼餓の頭が地面につけられたためだと気づいたのは、揺れがすっかり収まってからだった。


「恩に着る! お前がいなきゃあ、俺はあのまま野垂れ死んでいた。その恩には到底釣り合わねぇが、お前の望みは何だって叶えてやる! さぁ言ってくれ! 何が欲しい? 都か? 国か? それとも世界か!?」


「ちょちょ、ちょっと待ってくださいよ……!」


 たしかに蒼餓の力なら世界征服もできそうだが、シェインが求めているのはそんな事ではない。欲しいのは“おつきさま”とモリガンに関する情報、あと強いて言うなら少しの食料だけだ。


「シェインがしているのは人探しです。……いえ、今は地味ではないかもしませんが、とにかく青い髪で身長はこれくらいの男の子を見た事はありませんか?」

 

 正直言って、非効率な方法である事は理解している。しかし想区の外の知識が集積されているフォルテムで有力な情報が得られなかった以上、何か手がかりが見つかるまでこうして地道に調査を重ねていくしかなかった。


「青髪のガキねぇ……。知っての通り俺はしばらく庵の中で閉じこもってたから、多分直接見た事はねぇな。ま、ちょっと探してみるか」


 蒼餓が座禅のようなポーズで座りなおし、両手を広げる。


「ふぅ……ずいぶんとまぁ人間も増えたもんだ……海の向こうにも範囲を広げてっと……」


 間違いない。蒼餓は想区中の生物の気配を探っている。魔法を使える鬼というだけでも珍しいのに、これほどの規模の魔法をたやすく扱えるなんて。シェインはただ驚愕する事しかできなかった。


「うーん、この世界にはいねぇみたいだな。青い髪のガキ自体は2人ほど見つけたが、多分お前が探している奴じゃねぇ」


「だったら赤ん坊はどうですか? 何か異常な気配を持った女の赤ん坊は」


「そっちも見当たんねぇな……。せっかく俺を頼ってくれたのに、何も出来なくて申し訳が立たねぇ……!!」


「別にいいですよ。わざわざ探す手間が省けたってだけで助かりましたから」


 本音を言えば “おつきさま”とぶつかった時、蒼餓の力があれば心強い。しかし蒼餓はこの想区の住人だ。シェインの旅に付き合わせることはできなかった。

 

「目的も果たせたことですし、そろそろシェインはお暇します。ちゃんとご飯は食べてくださいよ」


 荷物をまとめてシェインは立ち上がる。沈黙の霧が出現するスパンは想区によってまちまちだが、経験則から言えばそろそろ現れてもいい頃合いだろう。生まれ故郷に似ているこの想区は過ごしやすいが、今は一分一秒が惜しい。


「もう行っちまうのか」


 渋い顔で蒼餓が尋ねる。恩を返せなかったのがよほど悔しいらしい。


「えぇ、急ぐ旅ですので」


「どっちの方向に行くんだ?」


 海があるのはたしか……。


「南ですね」


「南……そうか、南か!」


 何か思いついたのか、蒼餓は庵の奥にあった部屋に飛び込んでいった。

 10秒ほどして、シェインの目の前に大きな包みが放り出される。


「南に行くんだったらちょうどいい! 1つ頼まれちゃくれねぇか?」


 包みに続いて文机と筆を取り出した蒼餓は、見た目に似合わぬ小さな細筆を動かし始めた。


「さっき言ったダチが南にいるんだが、そいつにこの手紙を届けてもらいたい。俺はもう会う事はできねぇけれど、お前は空白の書の持ち主だから手紙を託すくらいはいいだろ」


「……! シェインが空白の書の持ち主だって知ってたんですね」


「まぁな。崖から落ちた時に書を開いてただろ? その時にちらっと見えちまったんだよ」


 あっという間に手紙を書き上げた蒼餓は、それを包みの中に入れて紐で硬く縛る。


「もちろん何のお礼もなしってわけじゃねぇ。あっちについたら俺のダチが礼をしてくれるはずだ」


 頼まれたからには断れない。しかし……。


「南に住んでるって事は、海を越えるってことですよね。結構な距離があると思いますが……」


「あぁ、それは大丈夫だ」


 蒼餓が満面の笑みで言う。


「俺がぶん投げれば向こう岸なんてすぐだぜ!」

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[短話] グリムノーツ小噺集 白木錘角 @subtlemea2

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