第20話 鬼娘の一人旅 前編

 ―—小さな背中が霧の向こうに消えてゆく。


「本当に行ってしまわれるのですね……」


 窓ガラスに手を当て、白髪の少女はそう呟いた。

 

「……」


 後ろに控える従者の表情を見て彼女はほほ笑む。


「そんな顔をしなくても、私が今何を為すべきなのかくらいは分かっていますよ。例え何年かかろうと、必ずやフォルテムの再興をしてみせる……それが残された、いえ、私の使命ですから」


「聖主様。そろそろご準備を」


 部屋の扉が開き、入ってきた男が時間を告げた。


「えぇ、それでは行きましょうか」


(ですが約束します。この使命を果たすまでに、例え何年、何十年かかろうと……)


 部屋を出るその瞬間、少女は一瞬窓の方を振り返る。


(絶対に、あなたの力になります。シェイン様)


 その日、新たなフォルテム、そしてそれを導く新しい聖主が誕生した。生まれ変わったフォルテムはやがて学院に名を変え空白の書の子供たちの学び舎となるが、それはまた別の話……。







「さて……これからどうしましょうか」


 右も左も分からぬ霧の中、鬼の少女は考えていた。


(教団に残された文献にも有益な情報はありませんでした……。が一体何なのか、いつからいるのか、何が目的なのか。……どうやったらタオ兄たちを救えるのか)


 “おつきさま”。モリガンのうちに巣食い、今はエクスの体を乗っ取っている全ての元凶。それは今もこの世界のどこかで暗躍し、かつてモリガンを使ってそうしたように、混沌をばらまいているに違いない。

 それにモリガンの存在も気にかかる。モリガンの思う通りの力が再編にあったとすれば、今頃モリガンもまた、幼子の姿となってこの世界のどこかに流れついているはずなのだ。モリガンの記憶を保ったままなのか、それとも全ての記憶を失っているのか。どちらにせよ、彼女が再びおつきさまと接触する事態だけは何としてでも避けなければならない。


(考えるだけで頭が痛くなってきますね……)


 到底1人で背負いきれる荷ではない。だが、今のシェインはそれらを全て抱え込まなければならないのだ。


「そういえば……本当に1人で旅をするのは初めてでしたね……」


 改めて意識すると、周りの静寂がひどく寂しく感じられる。


「まぁ逆に言えば気楽でいいもんです。まだ旅は始まったばかりですし、ポジティブにいかないと」


 シェインは1人で頷くと、霧の向こう側へと歩き出す。その頬を冷たい風がそっと撫ぜた。








 体感にして半日ほど歩き続けたシェインは、海の中から少し顔を出した岩礁へと降り立つ。振り返れば背後の沈黙の霧が薄れ消えていくところだった。

 周りを見れば、青い海がどこまでも広がっている。しかし海のど真ん中に放り出されたわけでもないようで、シェインの右方、そう遠くないところに陸地と巨大な岩山が見えた。


(この感じ、鬼ヶ島を思い出します。陸の方に見えるのは松の木ですし、警戒は怠らない方がいいでしょうね)


 ともかく、まずは陸に上がらなければ始まらないだろう。シェインは荷物を頭に乗せ紐で固定すると、ゆっくり海の中に入っていく。天気は穏やかであり、波もほとんどない。海中に目を向ければ、小さな魚が砂底を這うように泳いでいる。

 周りに人工物がほとんど見えないことを考えれば、人が立ち入らないような辺境の海なのかもしれない。


「うぇぇ……」


 陸に上がったとたん、塩水に浸かった衣服がべっとりと肌にまとわりついてきた。一応替えの服も一着だけ持っているが、宿も決まっていない今、安易にそれを使うのははばかられる。


(幸い天気はいいですし、乾くまで我慢するしかないですね)


 口に入った海水を吐き出し、シェインは熱された砂浜を歩きだした。

 向かった先は松の木の方……ではなく、目の前にそびえたつ岩山である。

 先程泳いでいる時に、岩山の上に一瞬鮮やかな赤色が見えた。自然にできる色とは明らかに違うそれは、人が作った何かの一部である可能性が高い。平地に何もないのに、行き来に不便な岩山のてっぺんにだけ人工物があるというのも不自然な話だったが、この想区について知るためのヒントになるかもしれない以上シェインに行かないという選択肢はなかった。




「……よっと」


 切り立った崖の、わずかに張り出した細い道をシェインは進む。その道も、人が通るために造られたというよりは自然にできたもののようだった。

 ところどころに空いた穴を跳び越え、突き出た岩をくぐり、吹き付ける風にバランスを崩さないようにしながらシェインは少しずつ上に登っていく。

 鬼の身体能力を以てしても苦労するのだ。普通の人間なら登ることすら叶わないだろう。


(そんなところにある建物……ますます怪しいですね)


 もちろんリスクはある。だがシェインはヒーローとコネクトできる導きの栞を持っている。想区の住民程度なら、労せず制圧する事ができるだろう。


(っ……)


一瞬、脳裏にあのの姿がよぎる。シェインの集中力がわずかに途切れたその瞬間、足を置いた場所が音を立てて崩れた。


「なっ……⁉」


 一瞬の油断が最悪の事態を招く。体が傾き、崖の外に投げ出される。掴もうと伸ばした手は、わずかに届かない。


(コネクトを……!)


 咄嗟に栞を取り出そうとするが、シェインとコネクトできるヒーローの中に十数mの落下を防げる者はいない。


「それでも、こんなところで終われませんよ……!」


 とにかく今できる最善を尽くすしかない。エフェメロで草のクッションを作る? ダメだ間に合わない。カーミラでコウモリになって……これもダメだ。

 だが、突如としてシェインの落下が衝撃とともに止まる。上を見てみれば、大きく筋肉質な腕がシェインの手首をがっちり掴んでいた。


「危なかったなぁ」


 シェインを掴んだ腕の持ち主は、そう言って豪快に笑う。大柄な体に反して、少し青みがかった白い肌をした男の額には2本の角がせり出していた。


「まさか……⁉」


「その通り……よっ」


 男は岩肌に突き刺して体を固定していた腕を引き抜くと同時、シェインを上へとぶん投げる。そのまま自身は岩肌を、空中でシェインをキャッチした。


「まぁまぁ、話は俺の住処でしようじゃねぇか。嬢ちゃん」


 





「っと自己紹介が遅れたな。俺の名は蒼餓そうが。見ての通り、鬼だ」


 蒼餓と名乗る男に連れられてきたのは、山の頂上に建てられた小さな庵だった。

 朱色の屋根に白い壁のその庵は、どことなく御伽草子の想区の建物を思い起こさせる。

 

「……シェインです。どうしてシェインが鬼だと?」


 シェインは鬼でありながら、鬼の最大の特徴である角を持たない無角の鬼だ。身体能力こそずば抜けて高いとはいえ、見た目だけで鬼だと看破する事は不可能だろう。


「人が立ち入らないこの山に近づいて、あまつさえ途中まで登れてたっていうのが1つ。俺の角を見ても恐れなかったってのが1つ。あとはまぁ……鬼の勘だ。もっとも女の鬼を見るのが初めてだったから確証はなかったけどな」


(この人……どこかタオ兄に似ていますね)


 ガハハと豪快に笑う蒼餓を見て、シェインはそう思った。具体的にどこがとは言えない。だが雰囲気というか、まとっている空気がシェインの義兄とそっくりなのだ。


「しっかしお前は女のわりに出るとこ出てないっつーか、ちゃんと食ってるか? 初めは男かと思ったぞ」


(前言撤回。タオ兄ならこんなデリカシーのないこと言いません!)


「まず助けてくれてありがとうございます。実はシェインは旅の途中でして……」


「まぁ待て。まずは飯を食おうじゃねぇか。シェインも疲れてるだろ。飯は大事だ。飯を食わなきゃ頭もはたら……か……」


 突然、蒼餓がばたりと床に倒れ伏す。


「え、ちょっと蒼餓さん⁉」


「す、すまん……めし……人里は……あっちに……」


 蒼餓は弱弱しい手つきで懐から取り出した袋をシェインに渡し、北の方角を指さし目を閉じる。


「とりあえず……なにか人里で買ってくればいいんでしょうか」


 どうやら寝ているだけのようだが、このまま放置しておくわけにもいかないだろう。


「はぁ、なんか妙なことになりましたね……」



 <続>

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る