第4話

 学生らしくもなく、今年に入って一人暮らしも四年目に至る俺だけれど、しかし実態、その期間の多くを俺は一人で暮らしていない。

 同棲の経験はないし、シェアハウスなんていうものに所属した過去もないが、それでも何かしら、俺がいる所には居つく誰かがいて、話し相手がいて、語る人がいた。そんな記憶が微かにある。

 それは数年前。それこそ高校の時なんかは特に。

 隣人しかり、友人然り、あるいは恋人だったり、元カノだったり。

 様々に呼称することが可能な人たちが俺の周りにいた気がする。 

 周りにいて、会話をして、コミュニケーションをとっていた。

 そして、それは少なくとも。

 必ずしも絶対的に普遍で不変なものではなく、とても不偏で、偏りなく、満遍なかったと、今なら言える。

 様々で、多様で、何より、色々だった。

 とても、多くの色に囲まれていた。

 それが、大学生という立場になって、一層わかる。

 さて。

 あの頃は——みたいな話をする年齢ではないし、そんなことを話出して仕舞えば、老化の進みも早くなってしまうだろうから、そろそろ無駄な話は畳もうと思うけれど、とにかく。

 つまりはまあ。

 俺が何を言いたいのかと言えば。

 大学という組織において、友人というのは絶対の存在ではないということである。

 高校とは違い。

 義務教育とは違い。

 社会性の鍛錬という名目下『好きな人とペアになって』なんていう拷問が発生することもなければ、余り物になることもなければ、挙句、先生とペアにさせられることもない。

 基本一人でいい。

 一人で生活の全ての事が済む。

 もちろん、例外的に桜井のような人間とはつるんでいるが、彼女についてはだいぶ特殊で、学校、学部、学科、加え授業に部活まで一緒の存在など他にはいない。

 高校とは違い、その授業のほとんどが移動式で、教室は異なり、加え、必修やら準必修やらで、一年二年の頃は時間割を自由に決めれる範囲も少ない。

 席は決まっておらず、時間もラフで、途中退席も、途中帰宅もできる。

 そもそも友人を築く土壌がないのが、大学という組織である。

 なんて言えば、俺の生活において、友人という存在があまりに希少であることの体の良い言い訳になるだろうけれど、だが実態、やはり、元から友達が多い奴は大学だろうがどこででも周りに人はいるだろうし、反対、根が暗く元から寂しい奴の周りには、人が寄ってくることもない。

 結局。

 これは、それだけの話。

 それで終わる話なのだろう。


「あら」


「ん」


「わかってるのね、自分で」


「何が?」


「あなたに友達がいない理由」


 驚きのある顔を持って彼女は笑う。


「もう少し、未練がましく言い訳を並べると思っていたのだけれど」

 随分とあっさり認めるのね。

 心底意外だわ。


 手に持ったビニールを揺らしつつ、彼女は言う。

 店長からもらった酒の瓶の重さは相当なはずだが、それを感じることもなく軽やかに持ち運んでいる。

 その細い腕のどこに筋肉があるのだろう。

 そんな疑問を彼女に持つこと自体、意味のないことだが。


「……まあな」


 俺は呟くように答えた。

 時間は夜。

 バイトや部活の帰り道に『偶然』出会ったこいつと帰路をともにするのはもう、日課となりつつあった。

 その度、俺がもらう賄い飯や酒、部活で余ったケータリングなどを彼女が強奪する図まで、合わせて定番になりつつある。

 その該当に合わせて煌びやかに光る髪の黒さに目を奪われながら、俺は先の言葉を考える。

 言われた言葉を思考する。


 確かに。

 数年前までであればそうだったかもしれない。

 なんとなく、友人という存在を持てない奴=社会不適合者みたいな。

 そんなレッテルをどこか心の片隅にいた時代なら、時期なら、高校生だったなら。

 彼女の言う通り、もう少しだらだらと、友達のいない自分を正当化していたかもしれない。


「…………」


 色の知らない頃ならば。

 黒を知らない頃ならば。

 白を知らない頃ならば。

 そして何より。

 銀という毒を——自覚していない頃ならば。

 確かに、誰かといることを、潜在的に求めるのは普通かもしれない。


「あれだ」


「……?」


「もう成人だしな」


 そんな理由にすらなっていない理由。

 それでひとまずの納得をしたわけもないだろうが、それでもひとまず。

 この話はここで終わった。

 ここで終わって、納得して、だから彼女は口を閉じた。


 ——そんなわけもない。


 付き合いが長いゆえわかる事だが、彼女という人間はそんな物分かりの良い人間ではない。

 基本的に正体不明のまま、意味深な言葉や、不可解な言動を多い自分は棚上げに、自分の抱えた疑問や質問は、その相手が誰であれ、自らが納得するまで絶え間なく繰り返す。

 それが彼女という人間——山紫薫である。


「あ」


 その山紫が、黙った。

 意味のわからない理由、返答に。

 何も言わず、文句もなく。

 ただ静かに、沈黙した。

 そんな時は、大概別の理由がある。

 黙らざるを得ないほどの『何か』が起こった時だけだ。


「あら」


「……あ」


 家まで、マンションまで、数メートル。

 昔を思い出した最悪の気分で、その話をしていた最悪の状況。

 そこで、想像しうる限り最も会いたくなかった人間に会った。


 そんな顔、表情——自分がうまく隠せている自信がない。


「同じ大学でも、学部が違うだけでなかなか会わないものね」


「そう、ですね」


「久しぶりね、元気だったかしら?」


「……はい。とっても元気です」


 茶色がかった髪は変わらず長いまま、綺麗に均等に整えられている。

 長い睫毛と、その揺れる大きな瞳と小さな口は小動物然としていて否応なく保護欲がそそられ、わかりやすく整っている。


 当時と変わっているとことと言えば——服と容姿。

 大学生という年齢を迎えてきっと、色々覚えたのだろう。

 薄らと顔に乗るファンデーションの白さとチークの赤がとても彼女に似合っている。

 眉毛の濃さや、その口紅の赤も程よく自然でしつこくない。


 また当時の制服とは違い、白を基調としたセーターに、黒のロングスカート。全体的にダボついた格好なのにどうしてかそのスタイルの良さが際立って、より着者を魅力的に押し上げていた。


 ——白鳥報瀬。


 しばらく見てない間、また彼女は、一層綺麗になった。

 少なくとも主観の上で俺はそう思う。


「純也……くん」


 呟いたように吐かれたその声は、一体どこに向けられたものなのか。

 少なくとも俺宛ではないだろう、そう判断する。

 いつの間にか止まっていたその足を回し、すぐさまそこを立ち去る。

 前は見ず、視線を下に、地面に向ける。

 山紫も、まさかここでいたずら俺を止めることはしないだろう。

 傍若無人ではあっても、空気が読めない奴じゃない。

 近くにいても、近くにはこない。

 触っていても、触りにいかない。

 その塩梅を知っているからこそ、この女は、俺の近くにいるのだろう。

 俺の近く、毒を食べ続ける事ができるのだろう。

 そのまま足早、場を後にする。

 山紫を置いてくる形にはなったが、後で連絡でもなんでもすればいい。

 今はとにかくこの場所を離れたかった。

 ここに居たくなかった。

 家に帰りたかった。


「あ、あの——純也くん、私!」


 だからこれは反射だ。

 条件反射だ。

 自分の名前を呼ばれた事による、脊髄反射に違いない。

 それは決して、意思や願望からの行動でない。

 そうじゃないと……いい加減死にたくなってくる。

 『世界一傷つけた相手に、救いを求めようとしている自分』を、殺したくなってくる。

 だから、そう。

 あくまで、これは反射だ。

 少しだけ足を緩め、そして後ろを少しだけ、見た。見てしまった。


「……私、わたしは、純也くん。その——」


「…………」


 その表情。

 その顔。

 言葉を懸命に探し、模索し、苦しみながら進む彼女の姿。


 それを作った原因が全部自分で。

 それを生み出したのは全部自分で。

 何もかも自分のせいだとわかっていて。


 だけど、そのためにこの足を、後ろに、過去に戻すわけにはいかなくて。

 だから——。


「……っ」


 俺は帰った。

 後ろを見ずに逃げ出した。

 これ以上見たくなくて、どうしようもなくて。

 時間がどうにかするものだと棚に投げ出して。

 俺はまた逃げた。

 歩いた。

 当然だが、その後ろを、白鳥が追ってくることはなかった。

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銀色世界Ⅱ(second season) 西井ゆん @shun13146

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