第7話
相変わらず地味に意識が残っている。時々意識を完全に手放したかと思えば、思考できているような感覚のときもある。
そして、僕は一度経験したことがある感覚に陥る。それはまるで僕を呼んでいるようなあの音だった。
目を開いた僕の頬に涙が伝うのが分かる。
「あの音だ……」
この良く分からない世界に飛び込んで、恋焦がれた音がする。あの人魚のハープの音色。辺りを見回しても真っ暗だが、音の方向だけはなんとなく分かる気がした。
「こっちかな」
音を頼りに僕は暗闇を突き進む。
相変わらず障害になる物はなにもないが、徐々に音の源に近付いていることが分かる。よく耳を澄ませると、あの洞窟の水滴が定期的に落ちる音まで聞こえる。
「これは……」
思わず目を見開いた。僕の目の前にはあの洞窟と同じ湖とその中心に浮いた岩。それからその岩に置かれたハープを奏でる人魚がいる。
なぜか隠れようとは思えなくて、呆然と立ち尽くす僕に気付いた人魚が視線を向けてきた。
『やっと私に姿を見せてくれましたね』
「君は、エルザだよね?」
朗らかに笑う人魚に思わず確かめた。すると彼女は優しく微笑みを浮かべて頷いた。
「そっか。それじゃあ、ここは洞窟なんだね」
胸を撫で下ろす僕に、エルザは悲しげな瞳を向けてきた。
「いえ、ここはあの世とこの世の境目です」
「えっと……。それじゃあ、君も生死を彷徨っているの?」
僕はなにも知らずに歩き続けていたのに、どうしてエルザはここがどこなのか知っているのだろうか。
現実の僕になにが起きたのだろうか。
『私は、あなたが創り出した空想の人魚。どこにも実在しないのです』
「なにを言いているの? 僕は確かに何度も君を見た。君が奏でるハープの音色だって──」
『私自身も、ハープの音色も全てあなたが創り出した偽りなのです。あなたがこのハープの音色を具体的に再現できたのは、あなたが前世で恋に落ちた女性が弾いていたからです。エルザという娘が作詞作曲した曲。だから、私の名前はエルザです。恐らく、声を掛ける前にその娘が亡くなったので、その未練が後世のあなたに受け継がれたのでしょう』
僕の言葉を遮って、エルザは長々と説明をしてくれた。
確かに僕が創り出した偽りだったとして、なぜ音も知らないハープを聴けたのかも理解できる。
もう、認めてしまう他ないのかもしれない。彼女は僕が現実逃避して創り出した偽りなのだと……。まさか前世の影響だとは夢にも思わなっかったのだけど、今の僕を考えれば前世の僕が恋に怖気づいたのも頷いた。
『どうされますか』
「どうって?」
不意に主語のない質問をされ、僕の選択肢は聞き返すしかなかった。暗闇の中スポットライトが当てられたようなこの虚構の洞窟で、神秘的な彼女を見つめて回答を待った。
『私と共に逝くか、偽りのない世界に行くのか。選んでください』
「ははは。残酷な選択肢だな。僕は君と共に行くよ。前世も今も僕が興味を持てたのは君だけだったようだ、エルザ」
エルザの表情は複雑さを物語っていた。
でも、あくまで僕の意見を受け入れてくれるらしい。僕に手を差し伸べてきた。僕はその手を握り、二人で湖の中に飛び込んだ。
ハープの音色 星々来 @sesera
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