4積目 後輩
井藤が購買に駆け付けると、もう既に人だかりが出来ていた。クラスも、学年も関係なくもみくちゃになって入り乱れている。
「すみませーん! 焼きそばパンくださーい!」
「サンドウィッチってまだ余ってますかぁっ?」
「ヨーグルッペ貰えますっ?」
群衆の中から上がる注文の声は、さながら叫び声のように聞こえた。もう音すらごちゃまぜになって何を言っているのかよく分からないくらいだ。
最早購買の争奪戦争で勝利を勝ち取るどころか参加すら出来ない。これでは最後に残っているのは不人気の味なしコッペパンくらいだろう。こりゃまたどやされるな。
「まぁ、しょうがないか。また今度埋め合わせてやろう」
大した戦果も挙げられないで帰ると刈谷に散々文句を言われるだろうが、まぁ、仕方ない。そもそも自分の昼飯を相手に委ねる方が悪い。それで文句を言われても知らん。
とはいえ出遅れたからといって努力しないのは間違いだろう。見るだけでも嫌になるくらいの人混みに跳び込もうと形だけの腕まくりをする。
購買争奪戦争は文字通り学生たちの戦争だ。押し合いへし合いは当然ながら、見えない範囲での足元での熾烈な攻防戦が繰り広げられる。中途半端な覚悟で参戦すると酷い目に合う。新年度では夢見がちな新入生が高校の夢を壊すためのイニシエーションと化している。
首を左右に傾けて、肩を軽く回す。さて、戦いの時だ。気合を入れて、人混みに押し入ろうとした、その時だった。
「せ~んぱいっ」
井藤を呼び止める声があった。その声は弾んでいて、井藤にとっては耳慣れた声の1つだ。
井藤は声の方を振り返る。
「もしかして、購買争奪戦争に出遅れちゃった感じです?」
声の主である少女は薄いブラウンの短髪を揺らして首を傾げた。いつの間にか近づいていた彼女は不自然に両手を後ろで組んでこちらを悪戯っぽく覗き込んでいる。
この少しばかり背の低い女子生徒の名前は
いつからか鬼無は彼に付きまとってくるのだった。決定的なきっかけというのはない。というか、井藤はもう覚えていない。部活にも、生徒会にも所属していない井藤は後輩と接する場面なぞないにも関わらず、この少女とはいつの間にか縁が出来ていた。
「刈谷にパシリにされたんだけど、まぁ、どうにもならんから諦めたとこ」
「あぁ、いつもの昼食掛けてのじゃんけん勝負ですか。って、また負けたんですか?! 最近、負けすぎじゃありません?」
「もう数えるのも辞めるくらいは」
「……もしかして厄年だったりします?」
「やめてくれよ、縁起でもない」
祓師という職業上、吉凶も場合によっては生死に関わる重要な要素になり得る。井藤にとっては冗談でも笑えない。
うんざり顔をする井藤。そんな彼に嗜虐心が満たされたのか、大層ご機嫌になった鬼無はにんまり笑顔でずずいと距離を詰めてきた。
「じゃあ、後輩のお手製弁当を食べるしかありませんね? ねっ?」
「まぁ、食べるものがないという意味ではそうだけども」
いや実際にはないわけではない。やはり不人気な商品はあるわけで、売れ残りはどうしても発生する。例えば失敗作で店頭に到底出せないようなパンとか。だから誰も買わないような不良品すれすれのそれを買って食べれば良いだけだ。不味いが、背に腹は代えられない。ないものねだりをしたところで購買の商品が湧き出るわけではないのだ。
ただ、最近は――井藤に限って言えば――そんな外れくじを引くことは減っていた。
理由はこの目の前の後輩だ。鬼無咲。彼女と井藤はちょっとした不思議な関係にある。
鬼無は人懐っこい瞳をキラキラさせると、後ろ手にやっていた手を前に出して井藤にそれを見せつける。
それは可愛らしいピンクの花柄の巾着袋に包まれた何かだった。そしてその何かとは『お昼時』ということを加味すれば自ずと見えてくる。
つまりは弁当である。
「今日のおかずはから揚げと卵焼きです! 自信作です!!」
「……頂いてる身で言うのもなんだけどさ。もう少しラインナップ増やしてみない? またあれだろ? 2段の弁当箱の2段目にぎっしり入ってるんだろ?」
「いーじゃないですかっ。食べれればっ」
「ハードル低いなぁ」
というより、
「そもそも作って来なくても良いんだぞ? 週に何度も作るのは大変じゃない?」
何故鬼無が井藤の弁当を作って来てくれているのか。それは、実のところ、井藤にも分かってない。聞いても教えてくれないのだ。帰ってくる答えは「私が作りたいからです」なんて感じではぐらかされる。そんな理由で弁当を作るなんて出来るものではない。井藤は1人暮らしだから分かる。しかも弁当のおかずは冷凍食品などではなく、手作りだ。常軌を逸している。作りたいからなんて理由で作れるわけがない。他人の弁当なんて、だ。
だから先の言葉は井藤からすれば鬼無を気遣った上での言だった。けれども言われた鬼無は分かりやすく肩を落として、
「私のお弁当、おいしくないですか……?」
なんて言葉を不安げに瞳を揺らしてかけてくる。イメージとしては捨てられた子犬だ。耳や尻尾があったら、肩と同じようにしょんぼり具合を訴えかけてきているだろう。
まったく。そんな顔をされてしまっては断り辛い。井藤は困り顔で頭を掻くと告げる。
「いや、おいしいよ。購買のパンよりも。味に文句はないけど、だからこそ作るの大変だよなって思うから俺としちゃあ申し訳ない気持ちになるんだよ」
「いやいや、先輩。毎度毎度言っているでしょう? 私は先輩にお弁当を作りたいから作ってるんです。ですから、気にせず食べてくれれば良いんですよ」
「でも……だってなぁ」
「でもでもだってはなしです! いいですか? 先輩は可愛い後輩のお弁当を食べてればそれで良いんです」
鬼無は満足気に胸を張る。そんな鬼無に井藤は何も言えない。彼女が満ち足りてるなら、井藤だって断る決め手に欠ける。本人が楽しんでるなら、井藤が何かを言える筋はないのだ。
「はい、どうぞ」と満面の笑みで渡されたお弁当箱を井藤は受け取る。ずっしりと重たい感覚が手にかかる。また随分と沢山用意してくれたようだ。
「じゃっ、放課後にまた回収しに行くので、よろしくです!」
「あぁ、いつもありがとな」
「にへへ。喜んで貰えてよかったですっ」
尻尾があれば激しく振ってそうな感じで鬼無は笑う。そのまま子犬系後輩は照れくささを誤魔化すようにして駆け出してしまった。
走り去る背中を見て、ふと井藤は思い出す。
「そういや、またあいつのクラス聞き忘れたな」
弁当を作ってきてもらう——というか押しつけられる——奇妙な間柄の彼女のことを井藤は大して知らなかった。毎度毎度聞こうと思って、ついつい忘れてしまっている。後輩に知り合いでもいれば別なのだろうが、しかし井藤にはそんな都合の良い誰かなどいないのだった。
「ま、良いか。今度で」
どうせ会う。またその時に聞けば良いだろう。そうやって、聞きそびれ続けていることには目を瞑って、だ。
こうして井藤の昼飯は手に入った。手作り弁当なんて失敗作のパンとは比べものにならないくらいのご馳走そうだ。ありがたく食べることとしよう。
…………。
さて、ここで1つクエスチョン。何か忘れていることはないか?
「あ」
そういや刈谷の昼飯、どうしよ。
購買を見やれば、そこにはもう人の群れはなく、代わりに明らかに失敗作な見栄えの悪いパンたちが寂しげに鎮座していた。
凍えた蕾がほころぶころへ~Queen of Avaranch~ 御都米ライハ @raiha8325
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