3積目 橘の娘

 (一応は)平凡な高校生の井藤宗治と(正真正銘)平凡な高校生の刈谷吾郎は井藤の机を挟んでにらみ合う。双方、右拳を握りこみ、体を右側に開く形で右手を引いていた。

 昼休みの喧騒に満ちる2年3組の教室で、2人の間だけに流れる剣呑な雰囲気は異様だった。ふとしたきっかけで殴り合いでも始まってしまいそうな危うさを孕んだ空気、あるいは西部劇でガンマンが振り返る直前の緊張感。昼休みに似つかわしくない世界を井藤と刈谷は教室に形作っていた。

 そして、目をかっ開き、2人は握った拳を目の前に突き出す。


「「最初はぐーっ、じゃんけんぽんっ!」」


 井藤が出したのは「パー」。対する刈谷は「チョキ」だった。


「よっしゃっ」

「ちぃっ!」

 

 つまりは、購買のパンをどちらが奢るかを決定するじゃんけんである。無駄に真剣なくせに、蓋を開ければとことんどうでも良いことだった。

 勝者は右手をひらひら振りながら、敗者を急かす。 


「ほーれさっさと行かんと売り切れるぞ〜。誰かさんの居眠りのせいでな〜」

「くっそぉっ。偶には負けろよなっ。何連勝目だお前っ、俺の財布を空にするつもりか!」

「単純な運勝負ですぅ〜自分自身の運がないことを恨んでくださぁあい」


 「けけけー」と山姥みたいな笑い声を刈谷は上げる。人を心底馬鹿にし切った態度に腑が煮えくりかえるような思いが喉元まで昇ってきた。井藤はそれをなんとか飲み込んで、後ろの入り口から教室の外に出た。

 昼休みが始まってからやや時間が経った廊下の人通りはまばらだ。それはつまり、多くの生徒が昼食を食べ始めているということ。


(そして同時に購買で買える飯もしょぼくなるってことだ!)


 購買の品物争奪戦は早いもの勝ちで、初動が大事だ。完全に出遅れた今、まともなものが買えるかどうか怪しい。そしてもし刈谷の満足する者を買うことが出来なければ、下校時に夕飯を奢らなくちゃならなくなる。それだけは避けねばなるまい。

 気持ち早足で廊下を右から左へ歩き始める井藤。自身の教室を過ぎたろうとした、その瞬間。


「——ちょっと」


 井藤を呼び止める少女の声があった。

 壁に背を預ける彼女は、やや小柄な体格で艶やかな黒髪を肩口で切りそろえている少女だ。セーラー服を校則通りに着る彼女はその鋭い目つきで足早に過ぎる井藤を睨みつけていた。

 敵意を隠さない少女を、しかし井藤は無視して、彼女の前を通り過ぎる。


「…………」

「ねぇ、ちょっと」

「……………………」

「ちょっとって、言ってるのよ!!」


 尽く無視された少女の怒声がつんざいた。廊下の生徒や教室の生徒は何事かと、ギョッとした目で彼女を見つめる。


「あ……ぅ」


 見つめられた彼女は頬を赤くしてたじろいだ。気が強い癖に、どうにも中途半端な感じだった。

 井藤は呆れた声で言う。


「いい加減、感情に任せて大きな声出すのやめたら?」

「元はと言えば、あんたが無視するのが悪いんでしょうが!!」

「だから、声がでかいって」

「あ……うぅ——うーうーうーっ」


 感極まって、ついには顔を赤くし、少女は井藤をポカポカ叩くだけの装置に成り下がる。

 井藤は辟易とした様子でお願いした。


「止めてくれ、たちばな灯華とうか

「うっさい、馬鹿幼馴染宗治


 勝気に噛みつく少女の名前は橘灯華。彼女はここら一帯の地主である橘家の長女であり、つまり端的に言えばお嬢様だ。三田木原高校では〈成績優秀者〉〈運動神経抜群〉〈学内で一番目に付き合いたい美少女〉の三拍子で知られている。兎にも角にも超有名人。そんな彼女がクラス内では平々凡々な――もしかしたらそれ以下な――立場にある冴えない高校生たる井藤宗治に声を掛けるなんてことは有り得ない。

 あるとするならば井藤宗治が平々凡々な高校生ではない世界でのお話。すなわち、祓師の世界でのお話だった。


「話があるのよ。少し付き合って」

「いや、俺、刈谷の飯を買いに行かなくちゃだし」

「知らないし、あたしの話の方が大事だし。それにそんな長くない」

「おいおい勘弁してくれよ。あいつが満足するもん買ってこないと、放課後に何を奢らされるか……この前なんか一食3000円も奢らされたんだぞ」


 懐が寒い高校生には結構でかい出費である。

 だが、橘は悲痛な声を上げる井藤を鼻で笑った。


「……………………」


 橘の指摘に井藤は何も言えずに口ごもる。

 実の所、お金に関しては井藤は一切困ってなどいないのだった。理由は単純で、祓師としての収入があるからだ。悪霊祓うという危険極まりない仕事であるからか給金は高い。井藤の懐はちょっとした小金持ちくらい潤っている。3000円? そんなもの痛くも痒くもない。

 だから、彼があくまで普通の高校生の金銭感覚に拘るのは彼がただの高校生――祓師なんて変な仕事についていない高校生であることに縋り付いてるからに他ならない。


「あんたは最強級祓法〈十字王冠クロス・クラウン〉の使い手――何れ来る大悪霊〈Queen of Avaranchクイーン・オブ・アバランチ〉の討滅者の自覚、きちんと持っているんでしょうね?」


 橘は苛立ちを隠さずに井藤を咎めた。

 井藤だって分かっている。そんなことは。その宿命は井藤の人生を縛り、命を染め上げ、魂を形作った。逃れられることなど出来やしないし、許されない。最早、宿命は井藤の人生そのもので、そのものにさせられた。否定はすなわち死と同等だ。

 だから、橘が心配するようなことはない。井藤はただその宿命から目を逸らしているだけだ。


「もう行く」


 短く告げて井藤は橘の前を通り過ぎる。そんな彼に橘は溜息を継ぎ、要件だけ告げた。

 

「はぁ、まぁ良いわ。今日の放課後、あの女があんたの家に来る。今日は寄り道しないようにね」


 あの女、という言葉を聞いて、すぐさま井藤の脳裏に旧知の女性が思い浮かぶ。彼女が家にやってくるとなれば、それはたいてい彼女の気まぐれか、そうでなければ祓師としての仕事を持ってくる以外にない。そしてどちらであっても面倒でしかないのだった。

 廊下を早歩きで歩きながら心中で井藤は忌々し気に吐き出す。


(勘弁してくれ)


 さて、全ては購買の売れ残り次第。刈谷のお眼鏡に適うものが残っていると良いが。

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