明日も生きてゆく

豊福 れん

明日も生きてゆく

 満点の星、とはこういう景色を指すのだろう。黒いベルベットに小粒のダイヤが散りばめられたような空に、香子は感嘆の息をもらす。

 ロマンチックなロケーションのせいか、周りは見渡す限りカップルばかりだ。そうでなくても家族やグループで同じテーブルにつく人たちはもちろん、どこを見渡してもおひとり様での参加は恐らく香子一人である。


 広いオーストラリアの大地のど真ん中、エアーズロックを拝みにやって来た。地元の言葉でウルルと呼ばれる一枚岩は荘厳そのもので、つい数時間前に圧倒されて来たばかりだ。

 感動ついでに星空鑑賞ツアーに参加したのはいいが、カップルだらけの、それも新婚旅行と見える人びとに胸がチリチリと痛む。


 香子も本来なら今頃、左手の指に新しい揃いの指輪を着けている予定だった。けれど、式や披露宴の段取りは食い違い、両家の両親や親戚との折り合いはとことん悪かった。このまま結婚することに躊躇し始めた香子が二の足を踏むと、夫婦となる予定だった二人にも亀裂が入ることとなる。

 新婚旅行で来るつもりにしていたこの場所ですら争いの種になり、香子から結婚の取り止めを提案したのだ。

 とはいえ、一度旅行する気になると、香子はどうしてもエアーズロックに来てみたくなった。傷心旅行と称して、思い切って一人でやって来たのだ。


「言葉にするんもおこがましいくらいやな」


 星座について解説者が力説している。けれど全部英語であったために、香子には殆ど理解できなかった。

 けれど今の香子には、きれいなものを見るだけで十分だった。トゲトゲしてささくれていた心が和らいでゆくようで、香子は昼間のウルルとはまた違った爽快な気分に浸っている。


「あ、オリオン座や。日本とは反対向きなんやな……」


 3つ並んだ目立つ星を見つけて香子は少し嬉しくなった。日本の空を鏡で写したように並ぶ星々が何とも思議だ。とはいえ自分がよく知るものを海外でも見つけるのは、ちょっとした喜びでもある。


 婚約破棄は香子が想像していたよりも心を抉られた。親からは慰められるどころかなじられ、家では全く気が休まらなかった。「良い年をして」などと言われても、香子とて好きでこうなった訳ではない。容赦のない両親に、実は毒親なのではないかと疑った程だった。

 友達からも同情されたが、香子は必要以上に強がった。同情されるのも可哀想な自分も大嫌いだし、それを曝け出せるほどの友人もいない。結局、香子の心の拠り所はどこにもなかった。

 香子は自分で思っていた以上に精神的に疲れていた。そして、それを自覚することも出来ないほど疲れきっていた事に、ようやく気が付いた。


 星が一つ流れた。願い事をする間もなく、あっという間に消えてしまう。香子は既に見えなくなった星に想いを馳せる。

 闇夜に浮かぶ星々の光は、実は何万年も前の物だという。すると香子の人生など、ほんの一瞬だ。

 宇宙はどこまで広がっているのだろう。地球などその中ほんの一部に過ぎず、日本はさらにその中のアジアの小さな島国である。

 小さい国の、更に小さな地域に限られた狭い自分の世界。自分も、自分の悩みや苦悩も極極小さく一瞬なのだ、などと思えてしまう。


「ま、やっぱり小さくはないけどな。結構一大事やったわ」


 自分で自分にツッコミを入れた。宇宙規模では小さい事でも、自分の手には余っている。気分だけは壮大になったが、それだけでは何も解決しない。


 ウエイターがやって来た。赤ワインと白ワイン、オレンジュースから一つ選べるようだ。香子が白を注文すると、ウエイターはすぐにテーブルセットの中から取り出したグラスに注いだ。

 香子は注がれたばかりのワインを手に取ると、早速一口含んだ。それをゆっくりと飲み込みながらまた空を見上げる。


「ええなあ、オーストラリア。この際やし、いっそ留学しようかなあ」


 どうしようかな、独りごちながらまたワインを飲む。けれど、そう言いながら既に香子の腹は決まっていた。予算、地域や入学する学校の下調べなど、香子の頭の中では既に算段が始まっている。


「今、人生の転機やろな。たぶん」


 香子は先ほどとは比べ物にならない程、気分が良い。薄くかかる雲の模様までも目に焼き付けるように、香子は宝石箱のような空を仰いだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

明日も生きてゆく 豊福 れん @rentoki24

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ