第3話 贄の身代わり
魔女の騒ぎから二日が経った。
オルスロット家ダイニングでは、珍しく家族で朝食を囲んでいた。
アニレアがいた頃は、毎日必ず家族で三食共にしていたが、アニレアが結婚してから両親は、私と時間をずらして食事をしていた。
母曰く、『ケイトは戦場を駆け回っているから血の臭いが気になる』と。
元騎士団長だった父には、何も言わなかったのに。
牛肉は、私にとって滅多にないご馳走だった。戦場で、魔物の肉を食べ慣れた舌には、とんでもなく美味しく感じる。
──どんな安物でも。
これが両親の食べている高級肉なら、きっと、とろけるような味が楽しめただろうに。少しもったいない。
「十一月十日生まれの、オルスロット侯爵令嬢」
父は食事中にそうこぼした。
私が食事の手を止めると、父は「察しろ」と言わんばかりに目配せをする。こういう時だけ上司面するのは、正直やめて欲しい。もう父の部下ではないのだから。
「……アニレアのことですわね」
私はしれっと妹の名を口にする。父の表情が歪んだ。母は不安げに肉を口に運んだ。
「アニレアが『魔女の森』に……。まさか、魔女の贄になるとはなぁ」
父は含みのあることを言った。
数百年前から続く、この国の風習のようなもの。確かな呼び名はなく、安直に『魔女の贄』と呼ばれる。
不定期に魔女が求める贄は、いつも名前を言わない。誕生日とファミリーネーム。爵位があればそれも呼ぶ。指定された贄は必ず、『魔女の森』と呼ばれる東の森に連れていかれる。
そして、二度と帰ってこない。
魔女には『魔女の弟』と呼ばれる手下達がいるらしい。その手下が、魔女からのメッセージを伝えるとも聞く。会場に現れたのは、その『弟』の一人だろう。
パーティーの後、私が父に調べさせられた。ここ数十年は魔女の贄なんてなく、知らない者も多かった。私もその一人だ。
父はそれを知ると、白がゆよりも白い顔で椅子に座って動かなくなり、母は一日中泣き続けて部屋から出てこなかった。
私一人だけが浮き足立っていた。さっさといなくなれと。
「アニレアは今や国母だ。魔女の贄に選ばれたからといって、国を離れるわけにはいかない。それに、あの魔女だ。あんな恐ろしい奴の元に、可愛い娘を連れていくわけにはいかない」
「そうですね〜……」
「ケイト、お前は騎士団副団長だったな?」
その一言で、全てを察してしまった。
父は私を真っ直ぐ見つめている。私はその目を見ないように、食事を胃袋に詰め込んだ。
「アニレアの為だ。魔女を殺せ。満月の夜までに」
「それは『アニレアの代わりに魔女の贄になれ』ということで、よろしいでしょうか?」
私は父が遠回しに伝えようとしていることを、単刀直入に直して返した。
父は言葉を一瞬詰まらせると、「そうだ」と吹っ切れたように言った。私は食事を口に含むと、水で一気に押し流した。
「お断りします、と言ったらどうなりますか?」
「ケイト! お前、家族が大事じゃないのか!」
「大切ですよ。かけがえのないものですからね」
──嘘だ。どうだっていい。
「お願い、ケイト。あなたは国で一二を争う騎士だもの。魔女を倒すくらい出来るでしょう。お願い、魔女を殺して。そうじゃないと、アニレアは魔女の贄になってしまう。そんなことになったら、あの子が不憫で不憫で……」
「そうですね。私も、胸が痛みますわ」
『妹のために死にに行け』と言われているのよ。──私は不憫じゃないの?
「ケイト、お前だけが頼りだ。妹を助けろ。そして魔女を殺せ。そうすれば、家の名誉は永遠に守られる。お前も国に、オルスロット家に貢献出来るんだぞ」
「……そうですね」
──私の今までの戦績は、名誉じゃないの? 騎士団副団長になったことは、貢献に入らないの?
「お願いケイト。アニレアに代わって、魔女の森に行って」
「殺したら戻ってくればいい。贄になる必要だってない」
「アニレアは、あなたと違って力がないのよ」
「アニレアは、お前と違って国を支える義務がある」
──ねぇ、アニレアが奪ったものが、元々私のものだったこと、覚えてる?
──あの子が着ていたドレスも、身につけていたアクセサリーも、狩猟大会で貰ったトロフィーも、婚約者の皇太子も。
──全部、全部、全部。私が持っていたものだったのよ。
「分かりました。お家の為、アニレアの為ですものね」
──全部無くした私は、可哀想じゃないの?
「私にお任せください。私が魔女の喉笛を、斬り裂いてみせますわ」
私の本音は言葉にならず、胸の奥深くに消えてしまった。
***
動きやすいズボンと、着慣れた上着。
腰の剣の他にブーツとベルトの裏に小型ナイフ、袖にアイスピック、まとめ髪に針を隠し、私は鏡に向かう。
よく居る狩人の格好だ。武器もちゃんと隠れている。
私はタレ目のメイクをなぞった。
直せと言われて覚えた化粧。ずっと微笑み続けて、上がりっぱなしの口。それら全てが今、真の意味で無に帰す。ならばせめてと、私は真っ白な椿のネックレスを首に提げた。
「せめて、私のために赤く染めよう」
鏡の向こうの自分に言い聞かせ、弓矢を背負って家を出る。
両親の見送りはない。当然だ。私より、妹が無事であればいいのだから。
私は国を出て、東の森へと走った。
馬なんて必要ない。馬がなくても私なら一時間で着く。新兵は剣一本提げているだけで、ヒィヒィと音を上げていただろう。
でも、私は騎士団副団長だ。そんなことで疲れたりしない。
広大な原っぱをかけ、私は遠くに見える森を目指した。
風が冷たく頬を撫でた。空を自由に飛ぶ鳥が私とすれ違った。
誰もいない。私一人だけだ。
誰もいない。私だけだ。
誰も私を慰めてくれない。誰も私を止めてくれない。
両親でさえ、私に危険を突きつける。
誰でもいい。私に「そんな事しなくていいよ」って、「君が抱え込むことじゃないよ」って。嘘でもいい。──言って欲しかった。
私が全てを奪われるなら、私が誰にも守ってもらえないなら、私が一人で全て抱えなくてはいけないのなら、私は何のために生まれてきたの?
泣きたくても、もう涙は枯れてしまった。
東の森に着いた。歪な形の木が生える、暗い暗い森だ。
魔女が棲んでいるのは知っているから、誰も近づきはしない。
森は私に気がつくと、自然と木が道を作る。「入れよ」と、招き入れるように、遠くまで道を作る。
私は弓に矢を構え、森に入っていった。私が森に入ると、入口は勝手に道を閉ざす。
静かな風が、原っぱに吹いた。
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