第7話 ナディアキスタの星巡り

 オークの死体が散らかる領地で、ナディアキスタは真っ先に教会に向かった。


 教会の扉を荒々しく叩き、「開けろ! 俺様が来たぞ!」と大声で叫ぶ。

 オルテッドが扉の隙間からそっと目だけを見せると、ナディアキスタは「馬鹿者!」と怒鳴った。



「開けろと言われて開ける奴があるか! まずは誰かを確認しろ! 確認するまで開けるな! 俺様で良かったな!」


「高圧的な態度で、だいたい誰かは分かるさ。兄さんしかありえないだろう。その傲慢な態度をとる奴は、ここに一人もいないんだから」


「俺様じゃなかったらどうするんだ!」


「だから、兄さんしかありえないんだって。偉そうなことを言うのは」




「そもそもお前が『開けろ!』って騒いだのに、『開けるな!』ってなんだ。バカ魔女」




 耐えきれずに私がツッコむと、オルテッドが扉をガバッと開けた。ナディアキスタが扉に激突し、鼻を押さえて膝をつく。



「ああ、オルスロット侯爵令嬢! 無事だったか! 剣を持って駆け出した時は、肝が冷えた……」



 オルテッドは私の手をギュッと握ると、生きていることを噛み締めるように喜んだ。


 私は、誰からもそんな風に言われたことがない。初めての言葉だったから、どう反応していいか分からなかった。



「あ、ああ」



 私はそう言うので精一杯で、繋がれた手を見つめた。


 ……手袋越しでも暖かく、老人らしい固さのある手だ。細やかなシワの刻まれた手は、私の心さえも包み込んでくれているようだ。


 オルテッドはハッと何かに気がつくと、慌てて手を離して「すまない」と謝った。



「いきなり年寄りに手を握られて、困っただろう。あ、いや、お困りでしょう、か?

 すまない、いい歳して敬語が苦手でな。その、俺は貴族の方との付き合いはないもので。

 というか、さっきからずっと使ってなかったな。何かその、罰があったり……?」


「いいや。気にしていない。手を握ったことも、敬語を使わないことも、私には怒る理由がない。

 むしろ、心配してくれてありがとう。初めて気遣われたから、驚いただけだ」


「気遣いが初めて? まさか、あなたは令嬢だろう?」


「……環境が環境でな」



「当たり前だ! 奴は【自死の剣】だからな。オルテッド、まずは報告しろ!

  俺様を突き飛ばしたばかりか、心配もせずに放っておくとはいい度胸だな」


「兄さんは丈夫だから、心配なんていらないだろう」



 オルテッドはやれやれ、と肩をすくめると「全員無事だ」とナディアキスタに報告する。


 怪我人はいるが、軽傷で済んだし、家もあまり壊されていない、と話す声が聞こえた。


 良かった。皆が無事で。誰も大怪我を負っていない……。




 ──いや、一人いた。深手の奴が。




「オルテッドさん、こいつ! 魔女の横腹に矢が刺さった! かなり深く刺さったはずだ! 早く止血をしないと失血死する!

 報告なんてしてる場合じゃなかった!」


「うるさい女だな。平気だと言っただろう。俺様が死ぬと思うか?」




「バッカだなお前は! 人でも魔物でも、刺したら死ぬんだよ!」


「お前、本当に戦場慣れしてるな。オルテッド、こいつの頭を診てやってくれ」


「俺にはどうしようもない」




 私が騒いでいると、ナディアキスタは矢が刺さった所の穴を引き裂いて広げ、傷口を見せる。


 そこに傷なんてなく、白魚のようにツルリとした、綺麗な肌があるだけだった。




「言っただろ。俺様は死なない」




 ナディアキスタは面倒くさそうに服から手を離すと、人々を教会から出して、一人ひとり数を数える。

 オルテッドは、血とオークで汚れた領地を、困ったように見つめた。


 どうしたものかな、といった悩ましげな表情に、私は近くの荷車に目をつける。



「オルテッドさん、どこなら誰も近づかないか知ってるか?」


「兄さんの小屋」


「オルテッド! 口を慎め!」


「それとは別の」


「オルスロットの娘! そろそろ本当に殺してやるぞ!」



 オルテッドは「東に窪地くぼちがある」と教えてくれた。

 私が「とりあえずそこに捨てよう」と言うと、ナディアキスタは不満げに頬を膨らませた。



「そこに捨てるくらいなら、さっきまでいた北西の森に丁度いい穴がある。昔、失敗した魔法薬を捨てた時に出来た穴だ。

 そこなら全てのオークの死体を片付けられるだろう」


「魔女、一つ聞きたいんだが、その魔法薬、『ポーン』って捨てたのか?」


「いや、もう使わなくなったから『ポイッ』て捨てた。そしたら土と反応して爆発した」


「お前やっぱバカだろ」



 私は荷車の主を探すと、彼に了承を得て荷車にオークの死体を乗せていく。


 人と変わらない大きさのそれを、ズルズルと引きずって、荷車に乗せるのはなかなか体力が要る。それに重ねる度に死体の山は高くなるから、それを更に重ねるのはちょっと難しい。



「あと一体は乗りそうだが、やめとこ。身長が足りねぇ」



 私は荷車を引いて、北西の森へと向かう。


 沢山のオークが乗っていると、引っ張るのもやっとだ。

 これを何往復もしなければいけないのかと思うと、気が遠くなる。


 だがオークの襲撃を受け、心の傷も癒えていない者たちに、お世辞にも綺麗とは言えない死体を、片付けさせるのも心苦しい。


 ほとんどの人はこんな片付けなんて、見たこともしたこともないだろう。



「あー、重い。おもたーい。この雑用、久々にやったわ〜」



 よくこんな風に魔物の死体を片付けたなぁ。

 適当に重ねて燃やしてたっけ。

 そういえば、新兵はこれを片付けて焼ける匂いで吐くまでが洗礼、って言われていた。


 魔物の焼ける様に、うっかりヨダレを垂らして、上官に気に入られたのが昨日のようだ。



 懐かしい下積み時代──二ヶ月──に思いを馳せながら荷車を引いていると、ふと荷車が軽くなった。

 後ろを見ると、オルテッドが荷車のケツを押してくれている。



「本来、これは令嬢にさせる仕事じゃあない。だが、俺たちはこういった事に慣れていない。

 どうか教えてくれ。助けてくれたお礼にならないだろうが、せめて手伝いはしたい」



 オルテッドの申し出の後ろでは、ナディアキスタが荷車を集めさせ、死体を重ねる手伝いをしている。

 私は誰かと一緒に行動することが久しぶりで、少し笑った。



「ああ、頼む。一人でこの量は片付けられない。あと、出来るなら私のことは、ケイトと呼んで欲しい。

 オルスロットも侯爵令嬢も、長ったらしくて嫌いなんだ」


「ファミリーネームを嫌いと言って退けるとは。型破りなお方だ。なら俺のことも、オルテッドと呼び捨てに」



 私はオルテッドと、笑いながら荷車を押していく。

 かなり離れて、二台目の荷車がついてきた。私は森の小道に荷車を走らせた。


 ***


 オークの襲撃後、私は死体を片付けながら領地内を警戒していたが、幸いにもオークの生き残りはおらず、ナディアキスタが射殺したヤツで最後だったらしい。



 それにしても、皆でやると早く片付くものだ。

 騎士団にいた時は、新兵の仕事だったのに、その新兵が任務が来る度に減っていくものだから、片付けが遅くて遅くて、たまらなかった。


 新兵とかそんなの関係なく、皆でやれば良かったんだ。……なんて今更反省しても遅いのだが。



 今はナディアキスタが、打ち水のように薬を撒いて、領地を回っていた。水で希釈した薬をバケツに汲んで、色んな人に撒く手伝いをさせている。


 あちこちに飛んだオークの血は、薬がかかると跡形もなく消えて、元の綺麗な土壌に戻る。


 教会の壁にもたれるオルテッドの横に立つと、気になっていたことを尋ねた。





「オルテッド、あの魔女は、不死身なのか?」





 矢が突き刺さった時、痛がる素振りは見せた。が、血の気が引く様子も、ショック状態になる様子もなかった。

 そして領地に戻るまでに、傷は綺麗さっぱり治っていた。


 小さい頃、魔女は不老不死だと、よく聞かされた。それが本当なら、私は奴の首なんて持って帰れない。

 オルテッドはからからと笑って、「違うよ」と否定した。



「兄さんは不老不死じゃない。不老長寿なんだ。と言っても、弟たちの寿命に生かされてるだけだがね」



 ──は?



 私は素っ頓狂な声を出した。

 オルテッドは柔らかく微笑むと、怒鳴るナディアキスタに目を細めた。





「兄さんはな。【屍上しじょうの玉座】という、星巡りなんだ」





 ナディアキスタは自身が拾った子供が死んだ時、その子の残りの『寿命』を自分に付与出来るという、特殊な星巡りに生まれていた。


 それを知ったのは、魔女になってだいぶ経ってからだという。



 ナディアキスタは初めて拾った赤子に、カランコエの魔法印が浮かんだ。

 ナディアキスタは不思議に思ったが、特別異変もなく、気にしなかったという。

 その子供は病気になって、わずか七才でこの世を去った。



 その後も、彼は子供を拾い続けた。弟たちには必ず、カランコエの魔法印が体のどこかに現れる。

 弟たちが死んだその後、彼が星巡りの魔法を身につけた時に、ようやく紋章の意味と、その事実を知った。



 弟たちの寿命が彼に付与されている限り、ナディアキスタはその寿命が尽きるまで、生き続けなくてはいけない。



 私はオルテッドに「彼は何歳だ」と尋ねた。オルテッドは腕を組み、うーん、と唸った。



「少なくとも、五十数年はあの姿だ。ちらっと聞いた話だと、三百年以上は生きているらしい」


「三百年っ!? ジジイじゃねぇか!」




「聞こえてるぞ! 聞かれたくない話なら声を落とせ!」




 気がつくと、目の前には腕を組み、仁王立ちで不機嫌を顔に出したナディアキスタがいる。

 オルテッドは「ははっ」と笑って誤魔化そうとするが、ナディアキスタは彼を睨み、優しく頭を叩く。



「俺様の話を、他人に軽々しく明かすな」


「済まない。話しておいてもいいかと思ってな」



 オルテッドは、そそくさとその場から逃げた。私も逃げようとしたが、オルテッドのいた場所に、ナディアキスタがドカッと背中を預ける。





「……生き長らえたくて、弟を増やしたわけじゃない」





 言い訳のようなことを言って、ナディアキスタは話をしてくれた。



「俺様に家族はいない。だから、いたらどんな感じなんだろうって、そんな軽い考えで始めたことだった。

 赤子の世話もしたし、自分と同じくらいの子供も拾った。でも弟たちの体のどこかしらに、変な魔法印が浮くんだ。

 それを知りたくて、あらゆる魔法を調べて習得してたんだ。弟たちが死んでいく中で、天才の俺様は、星巡りの魔法を見つけた!」



 ナディアキスタはドヤ顔で、自分を褒め称える。彼の不敵な笑みとは裏腹に、目の輝きは無い。

 弟の死を、彼は本気で悔やんでいるのだ。



「そして知ってしまった。俺様は【屍上の玉座】。拾い子の残り寿命を奪い取る、忌まわしい星巡りだと。

 ……弟たちが死なないように、策を練り始めたその晩に皆、魔物に喰われたがな」



 ナディアキスタはそう語ると、少し寂しげな表情をした。



「お前の妹の星巡り、【盗っ人の手袋】があれば、星の力をねじ曲げる魔法薬が出来るはずだった」



 ナディアキスタは「お前のせいだ」と背中を向けて、わざとらしくため息をついた。が、その姿にさっきまでの威張った雰囲気がない。


 本気で、自分の運命を変えようとしている男の背だ。

 私は彼に言い返すことが出来なくて、「悪かったな」と謝るふりをした。



「……なぁ、お前の【屍上の玉座】っていう特殊? な星巡りが覆るなら、私の【自死の剣】も変えられるのか?」


「お前の星なんて、赤子の手を捻るようなもんだ。育てた経験上、本当に捻りはしないが。それに関しては、手を貸してやる。

 ……剣だけを持ってくればいいものを、わざわざ戦ってくれたんだからな。魔女の寛大な心で、多少の礼はしてやろう」


「ほーぉ、お前に『礼』なんて言葉が使えたんだな。

 傲慢・自分勝手・横暴が服を着て歩いてるようなお前に!」


「なっ! 俺様でも礼儀は弁える! お前こそ、令嬢の癖になんだ! 汚い言葉遣いに荒っぽい戦い方! 男よりもガサツだ!」


「好きなだけ言えよ。私が傷つくとでも思うか」


「この俺様に、そんな口をいつまでも叩けると思うなよ! オルスロットの娘!」


「いつまでそう呼ぶ気だ! 私はケイト・オルスロット! 他人の名前もまともに呼べないのか! ……あ、覚えられないんだな? やーい、ジジイ魔女!」


「お前こそ! 俺様の名前を呼ばないくせに! ナディアキスタなんて、洒落た名前が羨ましいか!? 俺様は名前までカッコイイもんな!」



 偉そうにふんぞり返るナディアキスタに、私はぼそっと「ダッサ」と呟いた。ナディアキスタは「この野郎!」と叫びながら、私を追いかけ回した。

 私たちが戯れる姿を、オルテッドが微笑ましく見つめている。




「……良かったなぁ、兄さん。星巡りが変わるぞ」




 彼の呟きは、沈み始めた空に消えた。

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