第2話 招かれざる『魔女』
「……どうしても、行かなくてはいけないかしら?」
「当たり前でしょう! 妹と婚約者の晴れ舞台なのよ。姉のあなたが出席しないでどうするの!」
私が魔物討伐から帰還して数日後、皇太子の戴冠式に招かれた。母は気合十分にめかしこんで私の支度を手伝ってくれる。
「……素直に喜べないですわ」
「あら、どうして? おめでたい席に不満があるの?」
(不満だらけだっつーの)
母が出ていった後、私は鳥の巣箱のような彫刻のアクセサリーボックスを開けた。前は特注のアクセサリーボックスがあった。結局、アニレアのおねだりに負けて、母が勝手に譲ってしまったが。
唯一残った綿の薄緑のドレスに合わせて、母から貰ったアクセサリーをつける。
母は華やかなものを好む人だった。憎たらしいアニレアと同じだ。
母から貰った中で、一番シンプルな真珠のイヤリングをつけて、私はジュエリーボックスを閉じる。中にはほとんど何も入っていない。
一年の大半を戦場で過ごす私には、アクセサリーなんて不要の品だ。広く空いた胸元に私は手を添える。
目立つ傷痕は全て隠した。だが、こんなにも肌が見えているのは落ち着かない。それに少し寂しい感じがする。
「ネックレスでもつけるか」
私は引き出しを開けて、妹に取られなかったわずかなネックレスを漁る。イヤリングと同じ白がいい。でも、ほとんどが銀のネックレスで、色合わせが悪い。
「あ、これがいいかも」
私は真っ白な椿のネックレスを見つけた。
しかし、手に取ったものの、首につけることはなかった。
皇太子からの贈り物だった。真っ白な椿は国の花だ。それをくれたのは、アニレアが惚れ薬を使う前のこと。それに、これをつけて行ったら、アニレアに取られてしまいそうだ。
今さら皇太子に未練はない。むしろ怒りを覚えている。しかし、このネックレスは自分のお気に入りだ。ネックレスに罪はないだろう。
本当なら、自分の婚約者を奪った輩の祝宴に行く気は無かった。が、父に「礼儀だ」と一言で押し切られ、嫌々行く羽目になってしまった。
どうせ戴冠式が終わったら、どうでもいいパーティーがあるだけだ。式が終わり次第すぐに帰ればいい。
私はネックレスを引き出しに仕舞うと、代わりに翡翠のネックレスを身につけた。
***
「帰りてぇ〜……」
戴冠式後のパーティーで、私はグラスを片手に、壁際に立っていた。
会場のど真ん中では、アニレアを始めとした私の家族と、晴れて国王となった元皇太子が、和気あいあいと会話を交わす。
私は『具合が悪い』と伝えて帰ろうとしたものの、父に『途中で帰るなんて礼儀が〜』と説教されそうになり、適当に話を切って、ひっそりとやり過ごしていた。
パーティーが終わるまであと二時間。それまで、私はこうして隠れて時間を潰さなくてはいけない。苦痛だ。早く帰りたい。
私がグラスのオレンジジュースを回していると、スッと隣に男が立った。私は反射的に左手を鞘にかけるが、今日はドレスだった。剣なんか持ち歩いていない。
私が赤くなった顔で手を下ろすと、男はふふっと笑った。
「すみません。警戒させてしまったようで」
「いえ、私が勝手にしたことですわ。お気になさらず」
私は男に微笑むついでに顔を見た。
初老の男性だ。顔のシワは少ないが、灰色の髪に白髪が少し目立つ。
右側に重心を傾けているところを見ると、左脚を庇っているらしい。歳を考えると膝だろうか。
「もしや、オルスロット侯爵令嬢様ですかな?」
「えっ? ええ、申し遅れました。私はケイト・オルスロットです」
「やはりそうでしたか。私はオルテッドと申します。以後お見知り置きを」
恭しくお辞儀をする男に、私も丁寧にお辞儀を返した。貴族の礼儀はちゃんと知っている。作法が綺麗なあたり、国でも重要な仕事をしているはず。だが、その男に警戒心を抱いていた。
「ところで侯爵令嬢ともあろうお方が、どうして壁の華なぞ……」
「私は、あまりこういう所が得意ではなくて」
「そうでしたか。私も苦手でして。華々しい世界は、普段とは違って一等眩しく見えますな」
「そうですね。……ん? 失礼ですが、ファミリーネームを」
「ああ、お姉様! こんな所にいらしたのね!」
私の前に、華やかなドレスのアニレアが走ってきた。銀色で沢山の椿の刺繍をあしらった、清楚で存在感の溢れるドレスだ。しかし、髪型は乱れ、化粧も少し落ちている。
『皇后は走ってはいけない』『身なりが崩れては国の恥』『大声を出すのははしたない』──私が怒られ続けてきたことを、こいつは平然としてやってのける。
この女を見ていると、礼儀なんて本当は要らないんじゃないか、と思えてくる。私は心底軽蔑したことを悟られないように、柔らかい笑みを保っていた。
「どうしたの? アニレア。あんまり走ってはダメよ。皇后たるもの、身だしなみには特に気を遣わなくては。あと、大声もいけないわ。淑女があんなに騒いでは、はしたないと思われてしまうでしょ」
「もうお姉様ったら! 王室教師よりも厳しいわね! そんなの誰も気にしないわ。だって怒られたことないもの」
(テメーが皇太子妃だったからだろうが。礼儀は重んじて当たり前なんだよ。バーカ)
私は笑って流すと、ちらと横を見た。
さっきまでいた男がいない。オルテッド……と言ったか。聞いた覚えのない名だった。
七つある国の中でも、ムールアルマは小さい国だ。だから、貴族の名前は全て把握しているつもりだった。社交嫌いなら知らなくても当然だろう。しかし、彼はファミリーネームを名乗らなかった。
見栄っ張りの貴族共なら、必ずファミリーネームと爵位を名乗るはずなのに。
それに、話し相手が皇后となったアニレアの親族となれば、絶対に媚びを売ってくる。皇太子妃の時でも何人、屋敷裏で殴ったことか。
「お姉様? どうしたの?」
「いいえ? なんでもないわ。で、どうしたの? 挨拶なら、さっき済ませたでしょう?」
「ううん、そうじゃないわ。あのね、……わぁ! 今日のネックレス、とっても綺麗ね」
──ああ、始まった。
いつもそうだ。何でも欲しがる強欲さ。手に入れるまで絶対に諦めない執着心。そして他者のものを奪う快感に
「どこで買ったの? 同じのが欲しいわ」
「アルフェンニアの行商から買ったのよ。私の髪色に一番似合うから」
私は、ネックレスを守るように手を当てた。アニレアは曇りなき瞳で、他人が聞いたらドン引き待ったナシのことを、平然と言ってのけた。
「ええとっても似合ってるわ。でも、私のブロンドにも似合うと思うの!」
(──ほらな)
私は冷めた心で彼女を見据えた。
何でも欲しがるクズ野郎。婚約者を奪ったんだから、それで我慢してろよ。あと何を奪えば気が済むわけ? お前が私から何もかもを奪っていくなら、その
──なんて、口が裂けても言えない。
私は困ったように笑って、「無理よ」と断った。
「これは私の大切なネックレスなのよ。大事な妹にもあげられないわ」
「でも、アルフェンニアのネックレスでしょ? 宝石で有名な国のネックレスなのよ? 私はもう一人でムールアルマを出られないんだから、私に譲ってくれたっていいじゃない! お姉様なら、また買いに行けるでしょ!」
いつも通り、アニレアは駄々をこねる。私はそれを、困った笑みで見つめるだけ。アニレアが何を言っても、私が手放さないと知ると、すぐに泣いて親を呼びつける。──卑しいガキのやることだ。
アニレアの泣き声にすっ飛んできた両親は、アニレアから事情を聞くと、私に睨むような視線を向ける。私はそれを笑って流した。
「ケイト、妹をいじめるんじゃないわ。それでも姉なの?」
母はすぐにアニレアを庇う。私だって折れはしない。
「母上、これは私が騎士団に入団して初めての給料で買った、私の思い出の品ですわ。それを譲るなんて出来ません」
「しかし、翡翠のネックレスなんてまた買えるだろう?」
「ええ、同じ物は売っているでしょう。ですから、父上が買い与えてはいかがですか?」
「ケイト、親に指図するのか!?」
「私の思い出は、私だけのものです」
「嫌っ! お姉様がつけてるものが欲しいの! 今すぐ欲しいの!」
アニレアがそう言うと、両親は従うしかない。
私はそれを知っている。どうせ他国の特産品のネックレスといったところで、これは安物だ。新米兵士の給料なんて、たかが知れている。これを取られたところで痛手ではない。が、初給料の思い出を、手放すのは惜しい。
私が頑なに拒んでいると、父はため息をついて、私に言った。
「ケイト、今すぐそれをアニレアに渡さなかったら、国家反逆罪で死刑になるぞ」
それだけは避けたい、と悲しげな表情を浮かべる父に、私は内心鼻で笑った。
ネックレスを渡さなかっただけで国家反逆罪? なら、私が今受けている仕打ちは、虐待以外の何なのか。
「仕方ありませんね」
私はネックレスに手を伸ばした。アニレアはにんまりと、気持ちの悪い笑みを浮かべる。母も父も、安堵した表情に変わる。その気が緩んだ隙を見計らって、私はネックレスを引きちぎった。
「思い出の品を手放すくらいなら、壊した方が私のためになりますわ」
翡翠が床に散らばり、アニレアは目じりに涙を溜める。母は軽蔑した眼差しを私に向け、父は怒りで顔を真っ赤にする。
私それを、表情の消えた瞳で見つめていた。
「お姉様ひどいわ! そんなに私が嫌いなの!? いっつもそうだわ!
「よくもそんなことが出来るわね! ケイト!」
──お前達が、私にしたことは許されるのか。
私は本音を飲み込みながら、暴言を受け止めていた。会場はざわつき始め、同情の視線がアニレアに集まり、私には蔑むような視線が集まった。
父は泣きじゃくるアニレアの頭を撫でて、「可哀想に」と何度も呟いた。
(ねぇ、私は可哀想じゃないの?)
ついうっかり口に出しそうになった時、会場がいきなり暗くなった。
急な停電に会場はパニックになる。
夜戦慣れした私の目は、急に暗くなっても会場の状況がすぐに把握出来た。そこで、父と母が庇うようにアニレアを抱いているのも、よく見えた。
(──見えない方が良かったなぁ)
私は、誰にも守ってもらえないのに。誰も、守ってくれないのに。
そんなことを思っていると、会場のステージの方に雲のような煙が渦巻いた。その煙の中から、ローブをまとった人間が現れる。
周りの人は、暗くて良く見えていないだろう。私には、赤いメッシュの入った髪がちらりと見えていた。
「よく聞け愚かな人間共!
とても傲慢な一言が、会場を更にパニックにした。
ステージ上の男は、偉そうに指図する。自分と同じくらいの歳か、それより少し上の男の声で。
「俺様は今、とある【材料】を探している! いいか? 十一月十日に生まれた、オルスロット侯爵令嬢だ! そいつを満月の夜までに『魔女の森』に連れて来い! 決して間違えるな! 間違えたら貴様らを皆殺しにする! 俺様は伝えたぞ! 約束の刻限を破っても殺す! 死にたくなければ、十一月十日に生まれた、オルスロット侯爵令嬢を必ず! 『魔女の森』に連れて来い!」
男の声が止まった。それと同じタイミングで、会場に明かりが灯った。
ざわめく会場で、アニレアと両親は青ざめている。
私は一人ぽかんと、男の言葉を
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