第4話 星巡りの……『魔女』???
いつでも弓を引き絞れるように、いつでも魔女の眉間を打ち抜けるように、警戒と殺意を保ったまま。
地面に浮き出た木の根が絡み、足場はかなり悪い。が、私にとっては好都合だ。
実を言うと、私はタイルの地面が嫌いなのだ。綺麗な靴で歩くなら、タイルの方が良いだろうが、日差しの照り返しが強く、ものすごく暑い。ドレスで街を歩け、なんて、言われたら、服の中に氷を仕込んで染み出ない方法を模索する。
そういえば、馬好きな騎士団の兵士たちも、こういう道は好まなかった。馬で入っていけないんだから。
「ったく、馬なんぞに頼るよりも、体を鍛えた方が遥かに楽だろうに。腰抜け脳無しが多すぎる」
騎士団の文句を言いながら、私は森の中を進んでいく。
……だいぶ歩いただろうか。太陽の位置で時間を確認したいが、木が空を覆っていて何も分からない。
いっそ木に登ってみようか。それともこのまま進もうか。
「おい、オルスロットの娘」
私が悩んでいると、奥の茂みから声が聞こえた。
私は迷わず弓を引くと、ククク、と笑う声が聞こえた。
「そんなひ弱な腕で、この俺様を殺す気か?」
覚えている。パーティー会場に現れた男の声だ。きっと『魔女の弟』だ。なら、猫を被った方がいいかもしれない。
「あら、すみません。狩りをしていたものですから、少し気が高ぶっていたようですわ」
貼り付けた笑顔と、おしとやかな声。全ては皇太子妃になるため。それだけに培った、無駄な努力の
令嬢の狩りなんて珍しくない。この近隣で狩りをしていたら迷った、なんて適当な理由をつけてやればいい。
男はまたククク、と笑うと「嘘が下手だな」と言った。
「この森で狩りをする奴など一人もいない。『魔女の森』だぞ? 騎士の国の者は皆、魔女を恐れて入ってきやしないんだ」
「あら? そうなんですか? すみません。私はこの辺りは初めてで、ちっとも知りませんでしたわ」
「ハッ! 本当に嘘が下手だな! 自分の格好を見て分からんのか!」
「……一般的な、狩りの格好じゃありませんか?」
私は男に言われて、自分の服装を確認した。男はケラケラと笑って「馬鹿なヤツだ」と一蹴した。
「令嬢の狩りなら、もっときらびやかな服を着るだろう。それこそ、家紋の刺繍と高貴なお家柄を表す色の服をな。軍服のような格好でお供を連れるはずの狩りに、どうしてお前は、目立たない男のような格好で、森に入ってきた? 茶色で動きやすさを重視した、本物の狩人と違わない。飾り気のない髪型と香水をつけないところを見ると、かなり手慣れてるな」
男は私の格好を一つ一つ指摘していく。
もう少し雑な格好をすべきだったか。暗殺まがいの戦術を使いすぎた。自分が令嬢であることを、もう少し意識するべきだった。
「あとな、そもそも他国の令嬢は狩りをしない。狩りを
──世界の常識から見直すべきだった。
私は「ちくしょう……」と呟いて頭を抱えた。
しかし、どうして私がオルスロット家の人間だとバレたのだろうか。
男は自慢するように、ペラペラと話し続けた。
「家の特定はその腰の剣だ。見た目に気を遣わないが剣には気を遣う。いやに手入れされた剣、武器の中でも一級品だ。剣を大事にする職種は知っている。騎士だ」
「……私が騎士とは限りませんわ。ただの、か弱い娘かも。狩りが好きな」
「いや、その剣はオルスロットに属する者の剣だ。柄に茨の装飾がある。家に代々伝わる剣ではないだろうが、その切れ味は家の錆び付いた剣よりも切れるんだろう? お前にここへ来るよう突きつけた後なんだ。魔女を殺しに来た。そのよく切れる剣で。そうだろう?」
「……そうですわ。あなたの言う通り、この剣はよく切れる。いかなる骨も肉も、岩だってケーキのように切れる。──魔女の首もな!」
私はその茂みに向かって矢を放った。隙を突いたつもりで。
その矢は、確かに茂みの向こうを穿った。しかし、何の音もしない。私が茂みに近づくと、今しがた放った矢が、ひょこっと顔を出した。
「矢じりに毒。紫陽花から取れる毒だ。随分と舐めてくれたな。俺様はこんなものでは死にはしない」
「毒の知識がある。お前も中々やるようだな。だがこの私に仕留められない獲物はないぞ」
「馬鹿を言うな。今回の獲物はお前だ。オルスロットの娘」
男は茂みから姿を見せた。
ローブで顔を隠しているが、赤いメッシュの髪は記憶にある。
男は指を一振りすると、私の手に手錠をかけた。
何も無かったところから、鉄の枷なんて出てくるはずがない。これが魔法か。ありえない事の具現化に、私が驚いていると、男は手錠に繋がった鎖を引いて、森のさらに奥地へと歩いていった。
***
木の根が絡んで出来たような小屋があった。
偶然出来た穴に窓とドアをはめ込んだだけのような、小屋とも言い難い小屋が。私をそこに連れ込むと、男ドアに鍵をかける。
鍵をかけたところで、私が剣を振るえばドアも壁も壊れる。
男が油断した隙を狙って──
「逃げようってか?」
私の考えを読んで男は言った。ここでようやくローブを脱ぐと、自分とさほど変わりない容姿の男がいた。ボロ切れを縫い合わせたような服で、唯一ブーツだけが新品だ。手や首には稲妻のような古い傷痕があった。
男は手をすり合わせ、私の顔をじっと見る。
「まぁ、そう怯えるな。殺しはしない。……生かしておくとも言えないがな。まずは確かめよう。お前があの、『星巡り』の娘かを」
そう言って、男は私の目を覗き込んだ。
男の濃紺の瞳に私が映っている。その瞳に星が広がった。
途方もなく、明るく広い、星空だ。私は彼の目に魅入った。魔女の弟は皆、こんなことが出来るのだろうか。
すると突然、男の表情が険しくなり、怒りを露にする。近くにあった食器や鍋をなぎ倒し、声にならない叫びをあげる。男は怒り任せに私の首に手をかけた。
「お前じゃない! お前じゃない! 俺様が欲しかったのは【盗っ人の手袋】だ! 【自死の剣】じゃない! お前! お前の生年月日はいつだ!」
男の指が喉にくい込む。私が手の隙間に指をねじ込んでも、血管が圧迫されて、より苦しさが増す。出来る限りの抵抗と呼吸をするが、頭に血が回らず、上手く動けない。
「がっ……かはっ、あ。……ぐぅっ」
「言え! 言ってみろ!」
男は私から手を離すと、肉用ナイフを私の首に突きつけた。そのまま刺すんじゃないかというくらいに、ナイフの先が喉に当たる。これがまた微妙に痛い。
「言ってみろオルスロットの娘! お前の! 生年月日は!」
「……六月、二十八日だ」
「やはりそうか! オルスロット侯爵家め! 簡単な
──『我が子可愛さに』、かぁ。
私は、可愛い娘ですらなかったのか。
私は何かを悟ると、剣を抜き、男の腕を弾き、首に刃をあてた。
手錠なんて障害にならない。多少ハンデがあったところで、片手さえ使えたら剣は振るえるのだ。私が負ける理由はない。
男は一瞬息を詰まらせた。形勢逆転した私は、男に一歩詰め寄った。
「お前、『魔女の弟』だろう。魔女を連れて来い。もしくは私を連れていけ。やつの首を跳ねてやる」
──そうすれば、私は愛される?
なんて、思ったところで虚しさが募るだけ。
男は私の命令を鼻で笑った。剣を跳ね除けると、私に詰め寄り返す。
「俺様が! この森の『魔女』だ! この俺様が! 偉大なる魔女なんだ! この世界で長く続く歴史の中でも! 最も偉大な魔女!」
男は鼻息荒く離れると、また部屋の中を荒らし始める。怒り狂う男とは対称に私は冷静になっていった。
「ああクソ! 長い計画が台無しだ! 何年かけて、面倒で細かい作業を繰り返してきたと思う! 探したんだぞ! 何年も何年も! 強欲の星巡りの年の、十一月十日生まれの女! お前いくつか言ってみろ!」
「十九だ。怒ってるところすまないが、お前が……『魔女』?」
「ああそうだ! さっきから言ってるだろう!」
「いや、その。魔『女』? お前、女じゃないだろう。あ、去勢したのか?」
「恥じらいのない女だな! もっと言い方があるだろう! 魔女はただの肩書き! 男女関係なく使える職業名だ!」
男は机をなぎ倒し、食器棚をもなぎ倒す。部屋はめちゃくちゃになり、足の踏み場もなくなった。この騒動を聞きつけたのか、裏口のドアから初老の男が入ってきた。あのパーティー会場で、少し話をしたオルテッドだった。
「またか。今度は何だ。ミートパイの肉はちゃんと羊にしたろう。食後の飲み物はコーヒーを持っていった。朝は必ずコーヒーを飲むじゃないか」
「朝食の不満じゃない! こいつだ! この女だ! お前がついていながら、どうして間違えた!」
「俺の役目は、魔女の森とパーティー会場を繋ぐドアだった。もう一度言うぞ? ただの、ドアだ。違う娘が来たのは、侯爵家が勝手にしたことじゃないか。そうカッカしてくれるな
「お前が俺様の材料をちゃんと見張っていれば、間違えても森の外で追い出せたんだ! どうしてお前がいながら、こんな事が起きるんだ
私はさらに混乱した。
男は自分よりかなり年上のオルテッドを『弟』と呼んだ。逆にオルテッドは年下の男を『兄さん』と呼んだ。
「魔女が、その男で、オルテッドさんが、そいつの弟?」
「おや兄さん。まだ挨拶もしていないのかい」
オルテッドは自分を叩く男の頭を撫でて、私に微笑んだ。
「改めまして。魔女の弟の、オルテッド・ロジャー。オルスロット侯爵令嬢様。彼は、私の兄……もとい、魔女のナディアキスタ・ロジャーです」
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