第10話 野球部主将も嘘をつかない①

 3年B組の教室を出た僕ら。

 廊下の窓冊子に背を預けると、どちらともなくため息を守らした。


「おかしいですね。試合中にガッツポーズまでしていた赤松さんがホームランどころかヒットすら打ってないなんて」

「そうだね。あのスコアブックの情報が正しいとすると、赤松君は剣崎さんの条件を全く満たしていないことになる」

「白川さんにどうしても剣崎さんを奪われたくなくて赤松さんが苦し紛れの嘘をついた、ってことですかね? 剣崎さんは試合をちゃんと観ていなかったわけだし」


 剣崎さんさえ誤魔化すことができれば、まだチャンスがあると思ったのだろうか。


「でもそうだとしたら、2人がホームランについて揉めていたというのは不自然だよね。松下君の言うように赤松君がバレバレの嘘をついていたなら、2人はホームランを打った打たないではなくて、嘘をついたつかないで喧嘩すると思うんだ」

「あくまで彼らの争いの論点はホームランについてですもんね」


 う〜んと唸ってると、恭子さんが「これは憶測だけど」と前置きしてから口を開く。


「もしかしたら、赤松君が凡退した打席の中で、審判の判定によってはファールにもホームランにもなるような際どい打球を打ったという可能性もあるにはあるかもね」

「なるほど。それで実際の判定ではファールになったけど、『やっぱりあれはホームランだった』と後になって食い下がった、みたいな」

「そうそう。紅白戦といっても練習試合だし、ホームランの判定をする線審は部員の誰かが務めていた可能性が高いよね。正規の審判だったら判定に納得するかもだけど、自分と立場が同じ、もしくは下の部員の微妙な判定によってホームランがファールになったとしたら、試合の後でケチをつけたくなる気持ちもわからないでもない」


 恭子さんの一例を踏まえて頭の中を整理してみる。


・スコアブックの正式な記録では赤松さんはホームランを打っていない

・でもスコアブックに載らない情報もあるから、あくまで『正式な記録としてはホームランを打っていないだけ』ということも言える

 

 今のところは赤松さんが何らかの理由で嘘をついている可能性が高いけど、なぜそんな嘘をついたのかはわからない。謎は深まるばかりだ。


「やっぱり紅白戦に出場した選手に聞くしかなさそうですね」


 スコアブックを見て、逆に頭がこんがらがるとは思わなかったけど、わからないなら他の人に聞くしかない。

 僕の提案に恭子さんもコクリと頷く。


「そうだね。野球部は今の時間、昼練を終えている頃だと思う。球場近くに行けば誰かしら捕まるんじゃないかな」


 練習熱心な野球部は朝昼放課後と練習している。ハードと思うかもしれないけど、その分土曜日が完全オフなので、部員からの評判はいいらしい。


「昼休みも残り少ないし急ごうか」

「は、はい」


 「恭子さん、僕たちは昼ご飯食べないんですか」とは言いづらい雰囲気に、僕は腹の虫を抑えながら恭子さんの後を追った。



◆◆◆◆



 校舎からグラウンドに出ると、春にぴったりなぽかぽか陽気が僕たちを出迎える。


 野球部専用の球場にたどり着くには、グラウンドを真横に突っ切るのが最短ルートなのだ。バトミントンやらサッカーやらに興じる生徒たちの邪魔にならないようにグラウンドを横切っていく。


 と、その途中で野球部と思わしき生徒を見かけた。真っ白な野球着に身を包み、グラウンドの外周を黙々と走っている。


「丁度いいところに。さっそく聞いてみようか」


 恭子さんも彼の存在に気づきたのだろう、猫のようなすばしっこい身のこなしで彼の走るランニングコースを先取りした位置で待ち伏せし始める。


「練習中みたいですけど邪魔にならないですかね」

「邪魔と言われるまでは邪魔にならないから大丈夫だよ」

「そういうこと言ってる人ほど積極的に邪魔するからたちが悪いですよね」


 僕の小言は華麗に無視されて、恭子さんは走路に文字通り土足で踏み込むと、両足を広げて堂々と立ち塞がった。

 言ってる傍から急に邪魔しているこの有様である。


 奥から走ってきた野球部の生徒は、目の前の走路に立つ恭子さんを見て何事かと目を細めたが、自分に用事があるのだろうと察したのか、ランニングの速度を緩めると、電車が駅に到着したみたいに恭子さんの前で静かに止まった。


 適度に荒くなっていた呼吸を落ち着かせている間に、恭子さんが話を切り出す。


「えっと、郷田君だよね。ちょっと話があって来たんだけど、いいかな?」


 僕はその名前を聞いて、先ほどの金沢さんとの会話を思い出す。


 この人が野球部の主将で金沢さん曰く『怪力ゴリラ』の郷田さんか。

 確かにその名に恥じぬ巨躯の持ち主だ。身長は190cmに迫ろうかという勢いで、野球着が裂けそうなほどに発達した胸筋と丸太のような四肢がその威圧感に拍車をかけている。ゴリラと呼ばれているのも頷ける。


 やや小柄な恭子さんと比べると、巨人と子供が並んでいるみたいだった。


「君は……えっと、誰かな? もしかして新入生?」

「私は3年A組の神津恭子だよ。よろしくね」

「3年? えーと、その……申し訳ない。野球部の他には自分のクラスメイトくらいしか知らないんだ」


 郷田さんが低い声で詫びを入れる。野球帽を取って浅く礼をすると短めに刈り上げられた頭髪があらわになった。強豪校の主将を務めるだけあって礼儀正しい。


「全然大丈夫だよ。去年の秋に復学して知らない人も多いから気にしないで」

「そうか。どうりで知らないわけだ」


 郷田さんは少しホッとしたような表情を見せた。堀の深い漢らしい顔立ちが優し気に緩む。


「俺は3年C組の郷田将司だ。よろしく」

「よろしくね。それとこっちは2年の松下君。ミス研の部員なんだ」

「松下です。よろしくお願いします」


 僕が恭子さんに促されるままに会釈すると、郷田さんは快く「よろしく」と返してくれた。


「郷田君。練習中に邪魔してごめんね」

「いや、ちょうど終わるところだったからそれはいいんだが、俺に何か用か?」

「用と言うか、聞きたいことがあって」


 そこで恭子さんは、紅白戦での白川さんと赤松さんの対決の結果が知りたいという旨を改めて説明した。


 その話を聞いた途端、郷田さんがやや疲弊した面持ちになって大きく嘆息した。


「お前たちもあいつらのファンか何かなのか?」

「ううん、違うけど……何かあったの?」


 恭子さんが聞くと、郷田さんは愚痴をこぼすというよりは、野球部のことを慮るような困った声音で呟いた。


「あの紅白戦以降、あいつらの仲が急に悪くなってな。それがなぜか両方のファンクラブにも広がってメンバー同士で衝突して厄介なことになっているんだ」

「ファンクラブなんてあるんですね……」

「ああ。あいつらは実力はもちろんだが、顔も整ってるからな。ファンクラブくらいあっても不思議じゃないさ。あそこまでの人気者だと嫉妬もしなくなるものだと始めて思い知ったよ」


 肩を竦めておどけて見せる郷田さん。


 白川さんと赤松さんってそんなに人気なのか。もしかしたらクラスメイトにもファンクラブの会員がいるかもしれない。


 そして、そんな超がつく人気者2人に同時に好かれている剣崎さんって、相当すごい人なのでは。


「副キャプテンが2人ともあんなだから、最近チームのまとまりも悪くなってきている気がしてな……」


 そう語る郷田さんの目は不安と危機感を織り交ぜたように真剣そのものだった。


「大事な大会も近い。3年の俺たちにとっては最後の夏だし、できるだけ早くあいつらの仲が戻ってくれるといいんだが」


 そこまで言ったところで、郷田さんが「しまった」と言うような表情になった。


「悪い悪い、紅白戦の直接対決の結果だよな。あいつらの名前が出てきたからつい愚痴を言ってしまった」

「ううん、大丈夫だよ。それよりも、野球部けっこう大変そうだね」


 恭子さんが珍しく気遣うような調子でそう言うと、郷田さんは、


「まあ、あいつらの仲が悪くなった原因は大方予想がついているんだけどな。わかっている分、手が出しづらいというのが難点でもあるが」


 と湿った空気を嫌うように無理をして笑った。

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【連載版】おバカ探偵を救いたい! ~かつての名探偵が落ちぶれてしまったので助手の僕が頑張ることにしました~ ゆ♨ @nomuro0427

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