第9話 スコアは嘘をつかない

 僕たちは紅白戦のスコアを探しに、3年B組の教室に来ていた。恭子さん曰く、このクラスにいる金沢さんという人が野球部のマネージャーをしているそうだ。


「恭子さんが他のクラスの生徒のことまで知っているなんて驚きました」

「どうして?」

「だって今までは、推理に関係ないことには全然興味持たなかったじゃないですか」


 名探偵だった時の恭子さんは推理に必要ない物、関係ない人に全く関心を寄せなかった。

 近寄ってくる人間にも徹底的に無視を決め込み、推理のためなら他人を邪険に扱うことも厭わないというスタンスだった。


 そんな恭子さんが、事前に調べたわけでもないのに他クラスの人を知っていることに違和感を覚える。以前ならあり得ない兆候だ。


「身近な人のことは知っておいたほうがいいと思っただけだよ」


 そう言う恭子さんの表情は少し物憂げにみえた。


「さてと。さっそく聞きに行こうか」

「じゃあ僕はここで待ってます」

「なんで? 君もミス研の部員なんだから一緒に行くんだよ」

「でも上級生のクラスに入るのはちょっと……」


 ちょっと……いや、結構緊張する。

 僕のクラスに下級生が入るところを想像して、これから僕がその下級生と同じ立場になると思うだけでも足が重くなる。


 でもそんなこと恭子さんには当然関係ないので、


「何言ってるの。そんなの皆気にしないよ」


 と強引に僕の手を引いて教室に入っていった。


「あっ! ちょっと恭子さん!」


 恭子さんに続いて教室に入る。昼休み中のガヤガヤとした喧騒が少しだけ鳴りを潜めた気がした。


 生徒の数人は弁当を食べる手も止めてこちらを凝視している。僕たちが移動しても関心が他に向くことはない。めっちゃ見られてる。

 不思議そうに、何かを勘繰るような視線。何か想像してたのと違う。


 そこで僕は異変に気づいた。

 これ、僕のことを見てるっていうより……


「あ、あの、恭子さん。僕もう1人で歩けるので大丈夫です」

「ん? 大丈夫ってなにが?」

「いやだからその……手を」


 僕は自分の手をしっかりと握りしめる恭子さんの、小さくて柔らかな手を遠慮がちに見つめる。


 なぜなら今こちらを見ている生徒のほとんどが、下級生の僕がというより、恭子さんが男子と手を繋ぎながら入ってきたという色めき立つような奇異の視線を向けていたからだ。


 もしかしたら僕の思い違いかもしれないけど、僕自身、恭子さんと手を繋いでいることを意識し始めた途端、教室に入る前とは別の種類の緊張に襲われている。


 居心地悪そうに視線をあたふたと彷徨わせる僕に恭子さんは、


「ああ、なるほど。ごめんね気づかなくて」


 と言って、僕の肌を指でなぞるようにして優しく手を離す。


 その見方によっては名残惜しそうにもみえる淑やかな動作が妙に艶かしく、少女漫画のワンシーンのようで更に緊張が加速しそうになった。


 だけど、いつまでも不釣り合いなラブコメを披露しているわけにもいかないので、僕は「い、行きまひょう」と噛みながらも恭子さんを促した。


 恭子さんはそれに頷いて、長めの髪をポニーテールにした女子の元まで歩いていく。


「金沢さん、ちょっといいかな?」


 金沢さんと呼ばれた女子生徒は急に呼ばれてまず驚き、僕たちを見て更に驚いた様子だったが、机を繋げて談笑していた友達に「ちょっとごめんね」と一言断りを入れると、改めて僕たちに向き直った。


「えーっと、神津さん、だよね? 何かよう?」


 面識はないようだったが、恭子さんが隠れた有名人であることは周知の事実らしく、割とすぐに名前が出た。恭子さんは快く頷きを返して本題に入る。


「この前の日曜日に野球部で紅白戦があったよね」

「うん。あったけど……それが?」

「もしその試合のスコアとかがあったら見せてもらいたいんだけど」

「スコアを? どうして?」


 怪訝そうに眉を顰める金沢さん。急に話しかけてきてスコアを見せてくれと言われたら、誰でも少しは警戒するだろう。

 こうなるのは想定済みなので、その質問は僕が引き取った。


「白川さんと赤松さんの直接対決に興味がありまして」


 白川さんと赤松さんはクラスどころか学園の人気者。

 そんな2人の直接対決というのは一般の生徒も関心を寄せるほどの話題なのだそうだ。なので、2人の名前を出せば自然な流れに持ち込めるはず。


「ああ、そういうことね」


 その読みどおり金沢さんは得心づいたように頷いた。


「それくらいなら別にいいよ」


 そう言って机の横にかけられたカバンから横長のスケッチブックみたいな紙の束を取り出した。


「スコアっていつも持ち歩いてるものなんですね」

「いやいや、いつもは持ち歩いてはいないんだけど、丁度部のPCを使って試合のデータを打ち込んでて」


 データ野球というのだろうか。さすが都内でも古豪と称されるだけあって活動も本格的だ。ミス研にはPCどころか部費もまともに貰えないというのに。


「ありがとう、金沢さん」


 恭子さんがお礼を言いつつスコアブックを受け取る。

 直近の試合が件の紅白戦なので、迷わず最新のページを開いた。


 見開きのページには左右にそれぞれ紅組と白組のスコアが記されている。


 打者ごと回ごとに四角で区分けされた枠の中に『K』やら『B』といったアルファベットや数字に加えて、赤と黒ボールペンで線がたくさん引いてある。


 パッと見どころかよく見ても何が書いてあるのか理解できない。恭子さんも同じくといった様子だ。

 辛うじて赤松さんが紅組の4番、白川さんが白組の先発投手だということだけはわかった。


 すると、スコアブックを開いたっきり顔をしかめている僕たちを見て金沢さんが、


「神津さんたちは白川と赤松の対戦結果が気になるんだよね。なら私が教えてあげるよ」


 と助け船を出してくれた。恭子さんからスコアブックを受け取り、結果を読み上げる。


「えっと、直接対決は全部で4打席。1打席目から結果は『三振、ピッチャーゴロ、三振、三振』だね」


 その結果を聞いて思わず声が出る。


「えっ!? 赤松さんはホームラン打ってないんですか?」

「ん? そうみたいだけど」


 それはおかしい。

 赤松さんは剣崎さんに向けてガッツポーズまでしているのだ。しかしスコアの記録はホームランどころか3三振と散々なもの。とてもガッツポーズができるような成績ではない。


「そうみたい、とは?」


 恭子さんが聞くと、金沢さんは少し緊張が解けた面持ちで笑みを含ませて答える。


「球場で紅白戦やってる間、私は校庭のほうで2軍選手のノックの手伝いをしてたからその試合自体は見てないんだ。でもスコアにはちゃんとそう書いてあるよ。ホームランと凡退を書き間違えるわけないだろうし、結果はこの通りだと思う」

「なるほど。ちなみにその試合で他にホームランは出てる?」


 いつの間にか黒手帳を手にしてメモをとっていた恭子さんが質問する。


「ちょっと待ってね……えっと……あ、郷田が初回に1本打ってるね」

「郷田君……」

「うちのキャプテンだよ。別名怪力ゴリラ」


 そう言って金沢さんがクスクスと笑う。あだ名なのだろう、嘲笑とかではなく親しみのこもった笑い方だ。

 

「郷田君のチームと打順も教えてもらっていい?」

「ん? いいけど、郷田のファンなんて珍しいね」


 金沢さんは思い出し笑いをこらえながら言った。


「郷田は紅組の5番打者だね」

「なるほど。赤松君の次のバッター……」


 恭子さんが口に手を当てながらポツリと呟く。

 しばらくそうしていたが、金沢さんの不思議そうな視線に気づいてコホンと1つ咳払いした。


「金沢さん。色々教えてくれてありがとう」


 恭子さんが丁寧に再度お礼を言うと、金沢さんは「どういたしまして」と微笑みを返した。

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