第8話 おバカ探偵ここに極まれり


 剣崎さんからの依頼があった日の翌朝。

 僕がいつものように目を覚ましてスマホを見ると、


『とりあえすわたしがどうきゆうせいに聞いてみふからまかせせ(ΦωΦ)』


 恭子さんからメッセージが入っていた。

 なにこの暗号みたいなの。そして相変わらず顔文字のセンスがわからない。


「とりあえず私が同級生に聞いてみるから、任せて……か」


 翻訳し直して独りごちる。

 ミス研の活動は放課後だけだけど、今日は例の事件の調査をするため、昼休みに部室に集合するように言われていた。


 とすると、恭子さんは朝から活動するつもりなのかな。


「よし、僕も同じクラスの野球部に聞いてみるか」


 情報は多いに越したことはない。あの日紅白戦に出ていた選手ならきっと何か知っているはずだ。

 僕は心の中で気合を入れ、眠気を覚ますように大きく伸びをした。



◆◆◆



「それで、恭子さんは何かわかりましたか?」

「そうだね。夜更かしは調査の妨げになることがわかったよ」

「僕はその調査の結果を聞いてるんです」


 予定通り昼休みに部室へ集合した僕ら。


 長机を挟んで向かい合って座る恭子さんに僕が成果を尋ねると、妙にスッキリしたような顔から素っ頓狂な答えが返ってきた。


 え、夜更かし? まさか……。


 ふと今朝のメッセージが頭に思い浮かぶ。


「恭子さん。もしかしてずっと寝てたとかいうことないですよね」

「ふぇ!? そ、そんな訳ないでしょ。その推理……く、詳しく聞かせてもらおうかな……」

「推理するまでもなく恭子さんが冷や汗タラタラで目を逸らしているのが紛れもない証拠です」

「うぐっ」


 努めて平静を装っていた恭子さんの顔が苦しそうに歪んだ。そのまま頭を抱えて机に突っ伏す。お手上げのポーズだ。


 恭子さんは机に顔をくっつけたままの状態でもそもそと話し始める。


「昨日の夜ね、野球のルールブックを読んでいた私は気づいたんだよ……こんなことしても事件解決にはなんの役にも立たないって……」

「やっぱりルールの勉強してたんですね……」


 わかってたけど、昨日の宣言は冗談ではなかったらしい。

 ていうか気づくのが遅すぎる。


「でも途中でそう気づいたったことは、別にルールブックを読み込んで夜更かししちゃったわけではないんですよね?」

「う、うん……」

「じゃあなんで」


 僕が問うと、恭子さんはようやく机から顔を持ち上げた。

 でもなぜか恭子さんの頬がほんのりと朱に染まっている。


「そ、そんなこと……恥ずかしくて言えないよ……」

「ホントに何してたんですか!?」


 恭子さんは僕の追求から逃れるように火照った顔を両手で塞いだ。

 その仕草はどこか恋する乙女のようで可愛かったけど、今が全然心ときめかないシチュエーションということも手伝って、僕は逆に冷静になって尋ねる。


「それで、どうして恭子さんは夜更かししちゃったんですか? もしかして、昨日とったメモを見返しながら推理を組み立てているうちに時間を忘れたとか?」

「っ!?」

「『その手があったか!』みたいな顔やめてください」


 僕の抑揚のない冷ややかな言葉に、恭子さんは顔を覆っていた両手をちょこんと膝の上に乗せ、観念したように小さく呟いた。

 

「プロスピ……」

「え、プロ……なんですか? すみません、もう一度お願いしてもらっても」

「プロ野球スピリチュアル」

「ああ、知ってますよ。野球ゲームの人気タイトルですよね。でも今は関係な――」

「してた」

「してた、とは?」

「だ、だからっ、昨日の夜ずっとプロスピしてたんだよ!」

「ナンデヤネン」


 あまりのショックに、エセ関西人の自分が出てきてしまった。


「どこがどうなったら野球ゲームで遊ぶなんていう事態に陥るんですか!」

「あ、遊んでいたわけではないんだよ。私なりに深い考えがあって」

「深い考え?」

「ルールを覚えたところで野球をしている人間の気持ちはわからない。だから実際に野球をしようと思ったけど――」


 その時点でだいぶおかしいけど。


「――今は夜だし野球道具も持っていない。ならどうする、ゲームでしょ」

「なぜそうなるっ!」


 ダメだ。やっぱり恭子さんは推理が絡むと、普段は正常に働いている思考回路が熱暴走を起こして訳のわからない行動にでてしまう。


 以前の恭子さんならこんなことはなかった。いや、もはや普通の人ですらこんなことはしないだろう。


 推理をしようとした瞬間に、頭脳明晰な優等生から破天荒なおバカ探偵に切り替わってしまうような、言うなれば、スイッチみたいなものが恭子さんの中には存在するのかもしれない。そのスイッチの作動条件が『推理』なのだ。


「ということは、収穫はなしというこですね」

「め、面目ない」

「いいですよ。今に始まったことじゃないですし」


 僕は深いため息をつく。それは落胆なのか、それとも安堵なのかは自分でもわからなかった。


「それより、僕の方は休み時間に何人かの野球部員に聞き込みをしておきました」

「おお、さすが松下君。頼りになるね」

「紅白戦に出場していた選手はほとんどが3年生だったので、赤松さんのホームラン疑惑についての詳しい情報は聞きだせなかったのですが、そんな中で皆が口を揃えて言っていたのは……」

「言っていたのは?」

「……現在の野球部の雰囲気が最悪だということです」


 今日の休み時間、僕はクラスの野球部の何人かに聞き込みを行った。

 紅白戦に出場していたのは一軍の選手たちだったらしく、そのクラスメイトたちは試合の結果すらよく知らないと言っていた。


 ただ、彼らが困ったように言っていたのは"紅白戦があった日から白川さんと赤松さんの仲が良くない"、"その険悪なムードが他の部員たちにも伝染して、部内全体の雰囲気もギスギスしている"ということだった。


「それはやっぱり、紅白戦の直接対決が原因だろうね」

「僕もそう思います」

「その部員たちから剣崎さんの名前は出てこなかった?」

「いえ、彼らは白川さんと赤松さんの仲がどうして悪くなったのか知らない様子でした」

「さすがに女の子絡みで喧嘩しているなんて言えないだろうしね。それも部活動の最中に私利私欲のために対決してたわけだから」


 確かにそんなことが知られたら部内での印象が悪くなるのは避けられないだろう。しかも彼らは副キャプテンも務めているというし、彼らの不祥事が野球部全体の指揮にどれだけの影響を及ぼすかなんて考えなくてもわかる。


「これは、より早急に事件を解決しないといけなくなったね」

「そうですね。とりあえずは関係者に聞き込みをしましょう。できれば彼らの直接対決についての情報が欲しいところです」

「うん。となると誰に聞くのがいいんだろう? 監督か、キャプテンか……」

「あ、マネージャーに聞くのはどうですか? ほら、スコアをとっていると思いますし」


 スコアとは試合の細かな情報が全て記録された用紙である。それを見れば、彼らの対決の全貌が明らかになるはずだ。


「そうかスコアか。紅白戦のスコアが手に入れば何よりの証拠になるね」


 こうして僕らはなるべく駆け足で事件解決へと動き出したのだった。

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