第7話 使えない証言
恭子さんが僕を見て短くため息をついた。
落胆というよりは、やれやれ仕方のない子だなぁといった柔らかな表情だ。おちょくられているような気がして、僕は頬をかいてそっぽを向いた。
「気を取り直して剣崎さん。次は試合中の白川君について思い出せたことがあったら教えてほしいな」
恭子さんが平素と変わらぬ理知的な声音で問うと、剣崎さんは椅子の硬さが気に入らないのか、それとも聴取自体に飽きてきたのか、ご機嫌斜めといった感じで足を組みながら答えた。
「そうね。そういえば、ヘルメットを被って一塁に立ってるのは見た気がするわ」
『見た気がするわ』じゃねえ!
この人、本当に事件を解決したいという気はあるのか?
剣崎さんは堂々とした態度で語っているけど、僕から言わせれば情報の量も質も下の下だった。
量は言わずもがなだけど、特筆すべきはその質。
ヘルメットを被って一塁に立っていたということは、おそらく白川さんがヒットか何かで出塁したのだろう。それはいいとして。
なぜ投手である白川さんの唯一の情報がそれなのか。
エースと4番の直接対決に関連する情報が知りたいのに、そのエースがランナーで出ているところを僕らに伝えてどうする!
僕は事件解決に対する剣崎さんのあまりの不誠実さに嫌気がさしつつあったけど、恭子さんはそんな負の感情などおくびにも出さず……というより元々持ち合わせていないようだった。剣崎さんの一見聞き流してよさそうな情報すらも、宝の在処でも記すみたいに丁寧に手帳に書きこんでいる。
「ああ、あと私、退屈すぎて途中で帰った」
「えぇ!? 途中で帰っちゃったんですか!?」
何個ぶっこんでくるつもりだこの人は!?
突如発覚した衝撃の事実に、僕はホワイトボードの前で思わず声をあげてしまった。
「は? だからそう言ってんじゃん。それともなに、なんか文句でもあんの?」
「あ、いえ別に……」
本当は文句しかなかったけど、言ったところで僕に勝ち目はなさそうなのではぐらかした。綺麗な顔が一瞬蛇に見えてとても怖かった。多分僕は怯えるネズミみたいな顔をしていたことだろう。
恭子さんは恭子さんで、黒猫のような、どこか気品がある佇まいを崩さずに問いを重ねる。
「剣崎さんが帰ったのは何回くらい?」
「は? 何回? そんなのわからないけど」
「スコアボードに何か表示されてなかった? 数字が何個並んでたとか」
「スコア? なにそれ、ボウリング?」
「じゃあせめて当日の球場の様子だけでも」
「よくわかんなーい」
もう言葉も出なかった……。もう完全に飽きてきてるじゃないか!
その後も恭子さんは顔色一つ変えずに根気強く情報を聞きだそうとしていたが、
「私そろそろ帰りたいんだけどー」
という剣崎さんの気怠げな声によって、中途せざるを得なくなってしまった。何様なんだこの人は。帰りたいならさっさと帰ってほしい。
彼女のそんな様子を見て恭子さんもついに諦めたらしく、「では最後に」と前置きしてから質問をした。
「何でもいいからその日あった出来事を教えてくれるかな」
「なんでも?」
「そう何でも。例えば……その日あった嫌なこととか」
そんなことを聞いてどうするんだろう。それとも、もう漠然とした質問にしかマトモな答えが返ってこないと判断したのだろうか。
剣崎さんは目を閉じ顎に指を添えて考えこむような仕草をすると、しばらくして何か思い出したのか、まつげの長い瞼をパチンと開いた。
「あっそうだ! まだ春だってのにその日は朝からめちゃ暑くてさー。しかも日差しとか超当たって鬱陶しくて。あとスタンドもめちゃ固くてウザかった。それから――」
結局その後、剣崎さんの愚痴をたっぷり聞かされて、僕たちの放課後は終わった。
◆◆◆
剣崎さんが帰ったあと、しばらく恭子さんは手帳を眺めていた。メモした内容を確認しているのだろう。僕はその間にホワイトボードに事件の概要をまとめておく。
やがて恭子さんがパタンと手帳を閉じたのを合図に、おずおずと荷物をまとめ、僕たちは部室をあとにした。
「はぁ……疲れた……」
夕暮れでオレンジに染まった廊下を歩きながら、僕は泥が吐き出るのでばないかと思うくらいの深いため息をつく。
「剣崎さん、ぜったい事件のことなんてどうでもいいと思ってますって」
「そうかな」
横を歩く恭子さんが上半身をかがめるようにして上目遣いで僕を覗いてくる。艶やかな唇は緩く閉じられていて、黒曜のような瞳にははっきりと僕の顔が映っている。
形容し難い気恥ずかしさが僕を襲う。
「そ、そうですよ!」
僕はそれを振り払うように語気を強めて返した。
「だいたい剣崎さんの話のほとんどが自慢話と愚痴だったじゃないですか。事件に関する情報提供にも非協力的だし」
剣崎さんは自分がこの事件の中心人物でありながら、そのことについてあまりにも関心がなさすぎる。野球には興味ないとも言っていたし、単に白川さんと赤松さんという人気者2人から好意を寄せられている自分に酔っているだけなのだ。
そうでなければ――彼らの気持ちに真摯に応えるつもりがあれば――2人に条件を出して自分を奪い合うよう煽動したりなんてしないし、たとえその場の勢いでそう言ってしまったとしても、せめて試合を、彼らの勇姿を、しっかりと見届けるくらいはしたはずだ。
「松下君」
「なんですか」
「人の言葉や行動にはね、必ず理由があるんだよ」
水面をそっとなぞるような優しい声で、恭子さんが語りかける。
その声音は、僕の中で沸々と沸き上がっていた怒りの感情を冷ますように優しく溶け込んでいった。
「彼女が部室を出る直前に言ったこと、覚えてる?」
「ええ、まあ」
剣崎さんは帰り際、僕たちにこう忠告した。
『あ、そうだ。私が相談に来たことは内緒にしてよね。あと、調べるのは勝手だけど、白川君と赤松君とあとは……まあいいや、とにかくその2人に取材とかするのはNGでお願い』――と。
「それがどうかしたんですか?」
「それを聞いて松下君はどう思った?」
「当事者たちに聞くのが1番手っ取り早いと思ってた矢先にあんなこと言われたので、少し腹が立ちました」
「はは、キミは正直だね」
恭子さんが苦笑する。そして、またいつもの調子に戻って言継いだ。
「あのプライドの高い剣崎さんが私たちに『お願い』と言ったんだよ。何かあると思わない?」
「あ……」
その瞬間、僕は金槌で頭を打たれたような感覚に陥った。
そうだ。あの横暴な態度を素で貫いているような剣崎さんが、確かにあの時、僕たちに初めて『お願い』をしたのだ。
「この事件の謎を解くことはそこまで難しくない。でもそれでは――謎を解いただけでは本当の意味で事件の解決にならないんだと思う」
恭子さんが呟く。それは推論というより述懐のようにも聞こえた。
彼女にはその謎の先にあるものが見えているのかもしれない。
さすがは"元"名探偵。
事件と向き合う恭子さんは頼もしく感じた。
「ともあれ、まずは謎のホームランの真相を暴かないとね」
「ですね」
「そのためにまずすべきことは」
「聞き込みですね」
「いや……」
「え?」
「私たちがすべきこと。それは――野球のルールを完璧にマスターすることだよ!」
「はい〜っ!?」
「実は野球用語としての『ホームラン』には私の知らない別の意味が含まれていて、試合の中で複雑な条件を満たすことでホームランを打ったことになるのかもしれない……。例えば前後のバッターの打撃成績によってヒットがホームランに進化するとか……」
「恭子さん。ホームランはホームランを打つことでしかホームランになりません」
……やっぱり心配になる僕であった。
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