第2話 血花舞う

 山口県下関市は三方を海に囲まれたひっそりとした中田舎である。一般人にとってはフグの産地としてしか認知されていないこの田舎町はしかし、競技麩菓子マニア達にとっては特別な響きを持つ。

 山口県立下呂甘高校……通称アマ高と呼ばれるこの巨大な学園は、県内外から集められた優秀な麩菓児ふがじ達のひしめく、夏の全国大会常連校である。



「なんだよこのでかい建物……!?」

「本当に学校かよ……?」

「なんかの基地じゃねーの……?」


 下呂甘高校の外観を初めてその目に収めれば、このように圧倒されるのも無理はない。九つの体育館と四つのグラウンド、超大型屋内プールまでも内に飲み込むアマ校の総敷地面積は優に50haを超える。これは国内の某巨大遊園地を超える広さであり、驚異的と言える。

 入学式の日になると、その威容に気を当てられた新入生達が足を止め息を呑み、校門前で大渋滞が起こるのが春の恒例行事となっていると言うのも、無理からぬ話である。



 某年某日・春。下呂甘高校入学式当日。

 通学バスを降ろされた新入生の群れは、例年の如くこの学園の巨大さに戸惑い立ち止まっていた。その数優に千名弱。

 刑務所の様な巨大な塀の外から見えるのは、十階建ての四つの学舎。そしてそれらを上から見張るように聳え立つ教師詰め所と言う名の尖塔。 

 新入生の中には、その雲を貫く巨大な尖塔を見る為に顎を上げすぎ、後頭部から倒れる者まで居る始末。まことに荒唐無稽なスケールである。

 そしてそれら、学園へ辿り着いたばかりの初心な新入生たちを狩るように取り囲み待ち受けていたのは、メガホン片手に部員を募集する威風堂々たる先達。二・三年生一同である。


「拙者ら剣道部は共に明鏡止水を目指す求道者を募集中だ!」

「陸上部でピリオドの先を目指さないか!?」

「ラグビー部はヤカンとおさげの似合う女子マネを探しておるッ!」

「俺たちは瀬戸の飢え鮫……!七つの海を統べる水泳部は野心ある新入生を猛烈に欲している……!いつ如何なる時でもだ……!」


 各々の部活動が派手な看板を抱え、大声で新入部員を獲得しようと躍起になる中。既に一つだけ、苦もなく黒雲のようなひとだかりを作るスペースが一つ、校門前広場には在った。


「……麩菓子の道は不我の道。死ねる覚悟の有る者だけが麩菓子部の門戸を叩けッ!」


 メガフォン片手に腰に手を当て、海のような人並みの中に一人。気負う事無く空へ向かって吠えるのは、黒鳥のように艶やかで黒い長髪を靡かせる怜悧な面の美女である。


 彼女こそ、この巨大なアマ校の看板にして国民的英雄「府賀しぃる」。

 万戦無敗。麩菓子の権化。不我の女王。……様々数多の異名を併せ持つ、高校麩菓子界の怪物である。


「本物の府賀しぃるだああああああ!」


「今年のオリンピック代表候補じゃん!」


「写真撮らせてくださーい!!!!!!」



 アマ高麩菓子部レギュラーのみに着用の許された軍服じみた白いユニフォームに身を包む府賀は、己に群がる新入生達を氷のような瞳で睨めつけると、突如としてメガホンを投げ捨て叫んだ。


「 喧 し い ッ ! ! ! 」


 その声量は、本州西端から九州全域へと届かんばかりの大音声である。その場に居た者達が豆鉄砲をくらった鳩のようになるのも、無理はない。


「私は命を捨てる覚悟ある者を探していると言った。……先程喚いていたそこの貴様ァッ!!!」


「は、はひィ!」


 府賀のその背から確かに発されている後光の中から指刺され、先程まで騒いでいた男子生徒は失禁し、それでも何とか返答する。


「貴様は命を捨てる覚悟があるのかと聞いているッ!」


「アッ、アッ、アッ、アリマセェーーーー」


「 な ら ば 去 れ い っ ! 」


「ぬ、ヌワアアアア〜〜!!!」


 府賀の放つその圧倒的声量に吹っ飛ばされた生徒の体は軽々と学園の塀を超えて道路へと落下し、そのままぴくりとも動かなくなった。何と言う無残な光景であろう。しかし、彼女のこの一連の所作こそが、麩菓子道の険しさ、そして超名門スポーツ校である下呂甘高校で生き抜く厳しさを、厳然と物語っているのである。まるで生態系の王者はそうするのが自然であるかのように泰然と、府賀しぃるは弱者に対し、慈悲も無く、言葉もない。何をべらべらと語るでなく、この学園の掟を、その背で語っているのだ。


「……他に入部希望者は居ないか?」


 そう言いながら辺りを見回す府賀の周りには、既に新入生の人雲はない。まるで猛獣を恐れるかのようにして出来た孤独の輪のその中心で、嘲笑うかのように府賀が鼻を鳴らした。その時の事である。


「……入部を希望します!」


 そう言いながら、まるで横断歩道を渡る子供のように手を挙げ府賀へ近づいて行くのは、ブカブカの学ランを見に纏った小柄な新入生である。


「……私は、死ねる覚悟のある者だけが入部を希望しろと言った。」


 思わぬ挑戦者の乱入に、新入生のみならず、勧誘中の在校生一同までもが息を呑み、場の視線が一点へと集中する。


「 貴 様 は 麩 菓 子 で 死 ね る か ッ !?」


「 死 ね ま す ! 」


「その言葉、決して吐き戻すなよ……ッ!」


「男に二言は、ありませんッ!」


 即答した新入生の真っ直ぐな瞳を見返す府賀の瞳に、氷菓子のような冷たい輝きが確かに宿った。

 府賀はゆっくりと腰を落とすと、麩菓子部レギュラーにのみ帯刀を許された麸刀の柄に手を掛ける。

 そして突如、広大な学舎を揺るがす雷の如き轟音が響いた。府賀が、地を蹴ったのだ。


「 な ら ば こ こ で 死 ね い っ !」


 瞬きも許さぬ一瞬の間に距離を詰めた府賀が抜刀し、その大振りの刀身が姿を顕す。見るもの全てを虜にするような、見事な麩刀である。万本の麩菓子を叩き練り鍛えられたであろうその刀身は美しく、そこにたゆたう波紋はまた、関門の荒波を想起させる。

 麸光一閃。なんの迷いも躊躇いもなく振り下ろされた、美しき麸刀の起こす残酷な赤き閃光。辺りの者は思わず、その眩しさに目を蓋った。


「ほ、本当に……殺した……ッ!?」


 遠巻きに出来たやじ馬の輪からそんな声が上がったがしかし、真っ二つに両断されたかのように思われた新入生は未だ、生きていた。


「……目も瞑らんとは、良い胆力だ。」


 優雅なる仕草で麸刀がその鞘に収められると、新入生の前髪が数本、はらはらと風に舞った。


「……ップはァ!」


 先程まで堂々と立っていた新入生はしかし、急に緊張の糸が切れたように、大地にその両腕両膝を突いた。情けない格好ではあるが、その顔は実に晴れやかである。


「これで、これで入部を許可して貰えますよね!?」


 問われた府賀はしかし、少しバツが悪そうに唇をへの字に歪ませ、言いづらそうに口を開く。


「……すまんが、我が校に男子麩菓子部は存在しない。」


「……なっ!?」


「しかし我が校の部活動は全て国内トップクラス。それだけの気合があるならば、お前はどんな競技でも大成出来るだろう。」


「そんな事言われても……!?」


「……期待しているぞ、名も知らぬ新入生。」


 まるでこの世の終わりのように悲嘆に暮れる新入生を一瞥しただけで、府賀は他部員を連れ立ち、去っていった。府賀しぃる。無情なる麩王の二つ名は伊達ではないと言ったところである。


 校内各所に置かれたスピーカーからベルが鳴る。二・三年生は火がついたように学舎へと走り出し、それを見た新入生の群れも、途端に焦って歩き出す。

 それから一分も経たぬ内に、校門前に残された者は、途方に暮れる新入生「富樫スキロー」のその姿のみとなった。


「もっとちゃんと調べてから入学するべきだったよ……。」


 人の生ある僅かな間に、後悔する時間など与えられてはいない。

 しかし無駄とは分かりながらも、悲嘆に暮れ足を止めることが往々にして在ることもまた、真実である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夏の全国高校麩菓子選手権 弁天留星 融田(ベテルボシ・トロケダ) @paipai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ