バンブーハッスル!

劉度

バンブーハッスル!

 森は、一見穏やかに見えるが、その中には無数の危険が潜んでいる。木の根や石に躓けばケガをするかもしれない。草木は意外と頑丈で、人間の肌を容易く切ってしまうものもある。傷口をそのままにしておけば、人里にはない森特有の病気が忍び込む。そして、それらに気をつけていても、森の中に住む獣たちは侵入者を見逃さない。

 そんな森の奥深くを、独りでひた走る少年がいた。焦げ茶の髪が特徴的な、幼い少年だ。服はボロボロで、手足や顔にはいくつも傷がついている。それでも少年は足を止めない。時折振り返っては、黒色の怯えた瞳で背後を見て、更に足を速める。

 少年は獣道を外れ、近くの藪の中に飛び込んだ。鋭い葉に手が切られるのも構わず、草の中を突っ切っていく。藪をかき分け進んでいると、唐突に草の壁が途切れ、何かにぶつかった。

「わぷっ」

 幸いぶつかったものは柔らかく、少年は弾き返されて尻餅をつくだけで済んだ。一瞬驚いたが、すぐに気を取り直した少年は、自分がぶつかったものを見上げた。

「――ッ!?」

 その大きさに戦慄した。村の大人よりも、牛よりもずっと大きい、小山のような巨躯。白と黒の毛皮に身を包んだ、牙を持つ獣が少年を見下ろしていた。

「パンダァァァ!」

 巨獣が吠える。

「ひっ――!」

 少年が竦む。

「どーう、どうどう」

 別の声が獣を宥めた。

「落ち着きなさい、サデン。人間の男の子じゃない」

 その声は巨獣の背中から聞こえた。少年が見上げると、巨獣の背に跨る人影が見えた。

 きれいな女の人だ。少年の第一印象はそれだった。

 巨獣に乗っているのは、円錐型の編み笠を被った女性だった。笠の後ろからは銀色の髪が流れるようになびいている。濃緑色のマントを羽織っていて、服装はよくわからない。唯一、マントの裾から見えたのは、使い込まれたブーツだった。

「大丈夫かーい、少年?」

 驚きのあまり、少年は返事ができなかった。

「……げっ、ひょっとして怪我した?」

 女性はぎょっとした表情を浮かべると、巨獣の背から飛び降りて、少年の顔を覗き込んできた。笠の陰から覗く顔は、今まで少年が見てきたどんな女の人よりもずっと整っていて、透き通っていて、きれいだった。青い瞳は不思議な光を湛え、少年を優しく見下ろしている。その視線を浴びただけで、少年の心臓は早鐘を打つかのように高鳴った。

 特徴的なのは三角形に尖った耳だ。笠からはみ出る程ではないが、人間のものよりもずっと大きい。それは、彼女が人間ではないことの証だった。

「大丈夫?」

「め……」

 少年は辛うじて声を絞り出す。

「女神様、ですか?」

 人間ではない。だけど魔物のような恐ろしい存在でもない。なら女神様だろうと、少年は乏しい知識で推測した。

 少年の言葉を聞いて、女性はキョトンとしていたが、やがて言葉の意味を理解して、吹き出した。

「んっふふ……女神様……!」

「違うんですか?」

「うん。残念だけど、そんな大したモンじゃないよ。あたしはトヨ。神様じゃなくて、ただのエルフさね」

 エルフ。森の中に住んでいて、人間よりもずっと長生きな異種族。少年の知っているエルフの知識はそれだけだ。

「それじゃあ、ここはエルフの森だったんですか? 村の森だと思ってたんですけど……」

「んー? いやあ、違う違う。あたしは旅のエルフよ。ここを歩いてたら、キミがサデンにぶつかってきただけ」

「パンダァ……」

 白黒の巨獣が不満そうな唸りを上げる。少年は怯えて一歩下がった。鋭い牙が少年に向けられている。

「やめなさいって。この子はサデンって言ってね。バンブードラゴンなのよ。肉は食べないから安心して」

「バン……え、何?」

「それより大丈夫かい、少年? 頭とかぶつけてない?」

 トヨは少年の頭を撫で回しながら、全身をくまなく観察する。その間、少年は気恥ずかしさで指一本動かせなかった。トヨは初めのうちこそ微笑んでいたが、少年が体のあちこちを怪我していることに気付くと、表情から余裕が消えた。

「いや、ちょっと本当にどうしたの? ボロボロじゃない?」

「……あっ!」

 トヨに言われて、少年は状況を思い出した。

「ごめんなさい、すぐ行きます! お姉さんも逃げて!」

 少年はトヨの横をすり抜け、森の奥へ走り去ろうとする。

「パンダァァァ……」

「ひえっ」

 だが、その前に唸る巨獣が立ちはだかった。

「こーら、サデン。怖がってるでしょ? やめなさい」

 トヨが宥めるが、獣は唸るのを止めない。

「どうしたのよ……ん?」

 ガサガサと音がした。少年が振り返ると、出てきた藪が音を立てて揺れていた。

「ヤバい……!」

「んー?」

 怯える少年と、訝しむトヨの前に、それが姿を現した。

 少年と同じぐらいの背丈の人型。しかしその肌は緑色で、しわだらけだ。耳も鼻も醜く歪んでおり、瞳は邪悪な黄色に染まっている。ゴブリンだ。棍棒や石斧で武装した総勢4匹のゴブリンが、藪の中から現れた。

「ひっ……!」

 このゴブリンたちは少年を追いかけてきたのだ。少年は森に入り、藪を掻き分け逃げようとしたが、ゴブリンたちは少年の臭いを追って、無情にも追跡してきたのだった。

 ゴブリンたちは少年に飛び掛かろうとしたが、得体のしれないエルフと、獰猛そうな獣がいることに気付き躊躇している。

「あ、ふーん。へえー……」

 一方トヨは、ゴブリンたちと少年を見比べ、それから少年の怯え切った様子を見て、何やら感づいたような顔をしていた。

「なるほどなるほど。そういうことね……」

 トヨはマントを翻し、腰から剣を抜き放った。それは少年やゴブリンがよく知っている鉄の剣ではない。木の板を紐で組み合わせた、変わった形の木剣だった。トヨはそれを顔の横で構えた。

「チェストォォォ!」

 トヨは裂帛の気合と共に踏み込み、木剣をゴブリンの頭に振り下ろした。一撃を受け、ゴブリンの頭は粘土細工のように凹んでしまった。当然、ゴブリンは即死した。

「こんのクソ鬼共がぁ! こげな童追い回して泣かせるたぁ、外道共め! 1匹残らずチェストして、きさんの家の前にそっ首並べたる!」

 エルフ訛りが酷く、何を言っているのか少年にはわからなかった。ただ、トヨが怒っていることは理解できた。

「チェストォーッ!」

 木剣が振り下ろされる。ゴブリンの頭蓋骨が砕ける。

「チェストォーッ!」

 木剣が振り下ろされる。防ごうとしたゴブリンの腕ごと、頭蓋骨が粉砕される。

「チェストォーッ!」

 木剣が振り下ろされる。受け止めようとした石斧が粉砕され、その先にあった頭蓋骨が破壊される。

 一方的な虐殺だった。逃げることも立ち向かうこともできず、ゴブリンたちは一撃で絶命してしまったた。後に残ったのは、木剣とマントを返り血で染めたトヨだけだ。

「ったく、歯向かってもきやせん。こげん奴らの肝なんぞ、興味なか」

 トヨは木剣を収めると、顔の変え位置を拭い、少年に向かって振り返った。

「どうよ、少年。悪いゴブリンはお姉さんが全部退治して……あれ?」

 恐怖の上限を超えた少年は、気絶して倒れていた。


――


「……ふがっ!」

 少年が目を覚ますと、優しい青い瞳に上から顔を覗き込まれていた。顔の横からは長い銀髪が垂れ下がって、少年の頬にかかっている。

「あ、起きた。大丈夫?」

「は、はい……」

 少年は起き上がると、体調を確かめた。体が痛かったり、そういうことはない。何だか怖いものを見た気はするけれど、思い出せなかった。

「はー……足が痺れた」

 少年が起き上がると、トヨは正座の格好を崩して足を延ばした。その様子を見て、少年はドキッとした。トヨはさっきまで羽織っていたマントを脱いでいた。その下に着ていたのは、緑色のワンピースだ。ただ、少年が普段見ているワンピースとはデザインがまるで違う。何しろ太ももまでスリットが入っている。要するに少年は、さっきまであの剥き出しの太ももに頭を乗せていたことになる。頭の後ろの柔らかい感触を今更思い出して、どぎまぎしてしまった。

「手とか足とか大丈夫? 染みない?」

「手?」

 見ると、少年の手には見たことない植物の葉っぱが巻き付けられていた。

「切り傷だらけだったから、消毒しておいたよ。結構染みるやつだけど、治りは早くなるから安心して」

 言われてみれば、少しじくじくする気もしたが、剥がそうと思うほど痛くはなかった。

「うん、大丈夫」

「そう? 良かった」

 そしてトヨは少年に何かを差し出した。緑色の木でできた筒だ。少年の腕よりも太い。

「水入ってるから。飲みなさい」

「え、ええ……?」

 飲めと言われても、どこから飲めばいいかわからない。手の中で回転させて眺めてみると、丸い切り口の部分に栓があった。それを抜いてみると、中から水が流れ出した。

「うわっ」

「あー、もったいない」

「ごめんなさい……。い、いただきますっ」

 走り続けて喉がカラカラだったことを思い出した少年は、浴びるように水を飲む。筒の中の水は、あっという間に空になった。

 喉が潤った少年は、手の中に残った木の筒を不思議そうに見つめた。見たことのない木だ。葉っぱのような濃い緑色で、整えたわけでもないのにきれいな円筒形になっている。大工の親方が使うスギや、木こりの人が薪にするブナとも違う。軽く叩いてみると、コンコンと軽く、それでいて硬い音がした。相当丈夫なようだ。

 不思議がる少年の様子に気付いたのか、トヨがニコニコしながら言った。

「それはねえ、バンブーって言うの」

「バンブー?」

 聞いたことがない名前だった。

「そ、バンブー。タケ、とも言うけどね。丈夫で火にも水にも強いし、どこにでも生えるし、魔力を込めれば鉄より硬くなるマジカルバンブーよ」

「へえ、すっごい」

「でしょー? しかも食べられる」

「は?」

 驚く少年から、トヨはバンブー水筒をヒョイと取り上げると、バリバリと食べてしまった。とんでもない顎の力だ。

「どう?」

「無理無理」

 トヨが食べ残しの破片を少年に差し出すが、少年は全力で首を横に振った。こんなものを食べたら歯が折れる。

「そっかあ。柔らかい方がいいよね、やっぱ」

「柔らかいのもあるの?」

「うん。バンブーチャイルド。タケノコって呼ばれることが多いけど。ショーユとミリンで煮物すると美味しいよ」

 見たことも聞いたこともない食材と調味料。どんな食べ物になるか全く想像がつかない。

「……さて、落ち着いたところで」

 トヨは足を組み替えて、少年に向き直る。

「キミ、名前は?」

「えっと、リコ、です」

 少年、リコに名前を隠す理由は無かった。何しろ命の恩人だ。

「リコ君か。なるほど、いい名前ね。それでリコ君、ちょっと聞かせてほしいことがあるんだけど」

 トヨの表情が真剣になった。

「どうしてゴブリンに追いかけられてたの?」

 その問いに、リコの表情が強張った。自分の置かれている状況を、改めて思い出したからだ。慌てて周りを確認するが、ゴブリンの姿はどこにもない。

「大丈夫。ゴブリンはさっき全員やっつけたから」

「ひえっ」

 リコは先程のトヨの暴れぶりを思い出し、悲鳴を上げた。

「いや、あの、大丈夫! さっきみたいな暴れ方はキミにはしないから!」

「本当?」

「本当。たぶん。きっと。メイビー」

「めいびー?」

「えっと、エルフの言葉で、『がんばります』って意味よ」

 知らない言葉が混ざったが、トヨに危害を加えられることはないらしい。傷を手当してくれたり、水をくれたりしたから、リコはトヨを信じることにした。自分の置かれた状況を、トヨへ語り始める。

「実は……魔王軍が攻めてきたんです」

「……魔王軍? 何かの間違いじゃないの?」

 トヨが驚くのも無理はない。魔王軍と言えばおとぎ話の存在だ。全ての魔族の上に立ち、世界を支配しようとした魔王。その魔王の部下である魔物たちが結束して一大戦力となったのが魔王軍だ。1000年前に人間たちと一大決戦を行ったとか、今でも生き残りが魔王を復活させようとしているとか、そういう話は誰でも知っている。しかし現実には、魔王がいたと信じている人間はいない。それどころか、当の魔族たちすら信じていないのがほとんどだ。多種多様でそれぞれ文化が違う無数の魔族をまとめ上げるなど、想像もつかないからだ。

「でも本当なんです。ゴブリンに、コボルトに、オークに……見たこともない魔物がいっぱいいました」

 だが現実にリコは魔王軍を目撃していた。薬草を採るために森に入ったリコは、その途中で多種多様な魔族の群れを見つけてしまった。雑多な混成軍だというのに、揉め事一つ起こさず森の中で野営をしていた。

 こんな群れがやってきたら大変なことになると思ったリコは、村に戻って知らせるために隠れて移動を始めた。しかし、そこに不運にも商人の馬車が通りかかった。魔王軍に見つかった馬車はリコがいる方向に逃げてきて、そのとばっちりでリコはゴブリンたちに追いかけられる羽目になったのだ。

「うーん……信じられないけど、ゴブリンはいたしなあ……」

 トヨは半信半疑と言った様子だが、ゴブリンに追いかけられたのは本当だ。そして考えていた彼女は、もう一つの事実に気付く。

「ねえ、そうするとキミの村もヤバいんじゃないの?」

「そう、なんですけど……」

 リコは言葉を濁らせる。

「どうしたの?」

「逃げてたら、ここがどこだかわからなくなっちゃって……」

 リコはゴブリンたちから無我夢中で逃げていたので、村までの道がわからなくなっていた。

「なるほど。ちょっと待ってなさい」

 トヨは何もない地面を指差し、それから手を複雑に動かし空中に印を描いた。すると地面の一部が盛り上がり、そこから茶色い物体が顔を出した。

「何あれ」

「あれがバンブーチャイルドよ」

 バンブーチャイルドは見る見るうちに伸びていき、少年の背より高くなった。

「よっと」

 トヨはそのバンブーチャイルドの先端を掴み、節に爪先をひっかけた。どんどん伸びるバンブーチャイルドは、トヨの体を持ち上げていき、頭上の木の葉を通り越して見えなくなってしまった。その頃には、バンブーチャイルドは立派な青いバンブーになっていた。

「はええ……」

 リコが呆気に取られていると、トヨが木の葉の上からバンブーを伝ってするすると滑り降りてきた。器用だ。

「見つけたよ。割と近い」

「本当!?」

 リコの表情が明るくなる。対照的に、トヨの表情は真剣だった。

「ただ、煙が上がってる」


――


「パンダァ!」

 バンブードラゴンが森を駆ける。昔、リコが乗せてもらった馬と同じぐらい早い。ただ、乗り心地は絶望的だ。木の根を飛び越える度に大きく上下に揺れ、曲がる度に振り落とされそうになる。だから、リコは必死でトヨの腰にしがみついた。

「あっはっはっはっ! 少年、そんなにしがみつかれると苦しいぞぅ!」

 一方、トヨはバンブードラゴンを乗りこなして、笑う余裕すら見せている。エルフって凄い。リコは心からそう思った。

 しばらくそうして森を進んでいたが、やがてバンブードラゴンが歩みを止めた。

「……見えた」

 木々の向こうに目を凝らし、トヨが呟く。リコには見えないが、エルフの目は森をも見通すらしい。

「どう……ですか?」

「ゴブリンが1匹、2匹……オークもいるねえ。それに、あれはオーガ? 珍しいなあ。こいつは本当に魔王軍かもしれないわね……」

「村の、皆は」

 リコの問いかけに、トヨは少しの沈黙を置いて答えた。

「こっからじゃ見えないわね」

 それからトヨは荷物を持ってバンブードラゴンの背から飛び降りた。荷物の中には長いバンブーも加わっている。さっき魔法で生やしたものを、何本かに切ってバンブードラゴンの背に載せていたのだ。

 トヨは荷物の中から鉈を取り出し、バンブーを斜めに切った。それを脇に抱えて、バランスを計る仕草をした後、頷いてバンブーを置いた。

「何それ?」

「バンブーランス」

 続いて手で掴めるぐらい細いバンブーを生やし、これも斜めに切っていく。切ったものは背負ったり、腰のベルトに挟み込んだりしている。

「それは?」

「バンブージャベリン」

 十分な数のバンブージャベリンを作った後は、バンブーを筒状に切り、それにキリで穴を空けていく。続いて、バンブーの穴に紐を通して繋ぎ合わせる。そして、紐の両端をバンブードラゴンの首と腰に結びつけると、バンブードラゴンの体が吊り下げられたバンブーに覆われた。

「これは?」

「バンブーラメラーアーマー」

「パンダァ」

 バンブードラゴンが何だか自慢げな表情をする。いいものらしい。

「時間があればバンブーチョバムアーマーにしたかったんだけど……。あ、これはキミの分ね」

 マントのように連なったバンブーを渡される。言われるがままに来てみると、リコの体がバンブーに覆われた。何だかミノムシみたいだ。

「それを着てサデンにしがみついてれば、大抵の攻撃は何とかなるから。オーガに叩かれたらちょっと危ないかもしれないけど、サデンはそんなにトロ臭くないから大丈夫よ」

「パンダァ!」

 バンブードラゴンが前脚を上げた。ガッツポーズのつもりなのかもしれない。

「そしてこれがバンブーコンポジットボウ」

 荷物の中から弓を手にとり、聞いてもいない名前を言うトヨ。弦の張り具合を確かめると、サデンの鞍に手をかけ、ヒラリとその背に飛び乗った。

「さ、乗って」

 言われるがままにバンブードラゴンの背に乗ると、バンブードラゴンはゆっくりと歩き出した。

「これからどうするの?」

「そりゃ当然、カチコミよ」

「カチコミって?」

「エルフの言葉で『戦いに行く』って意味よ」

 戦いに行く。何と? さっき、トヨが言っていた。村にゴブリンやオーガといった、魔王軍がいると。

「……どうして?」

「ん?」

「どうしてそんなことするんですか?」

 リコにはトヨの考えがわからなかった。思わず敬語に戻ってしまうほどだ。

「んー? 少年は村の皆が心配じゃないのかい?」

「心配ですよ! でも……お姉さんは、たまたま通りかかっただけじゃないですか。どうしてそんな、危ないことを?」

「そりゃ、あれよ。悪い奴らがいて、少年が困ってる。ぶちのめすには、それぐらいの理由で十分さね」

「でも、お姉さん、死んじゃうかも……」

「あー、まあ死ぬかもねえ」

 トヨはあっけらかんと言い切った。

「そんな……っ!」

「あー、心配しなくていいよ。あたしが死んだら、サデンが安全な所まで運んでくれるから。ねー、サデン?」

「パンダァ……」

 トヨがバンブードラゴンの頭を軽く叩くと、バンブードラゴンは不承不承といった感じで頷いた。だが、リコが心配しているのは自分の身のことではない。

「お姉さんは……お姉さんは、死んだら嫌じゃないんですか!?」

「あたし?」

 心底意外そうな表情をするトヨ。しばらく驚いていたが、やがてニンマリ笑うと、いきなりリコの頭をわしゃわしゃと撫で回した。リコの焦げ茶の髪がくしゃくしゃになる。

「わわわっ」

「そっかー! あたしの心配してくれてんのかー! んーっふっふっふっ! 嬉しいなぁー、こんな可愛い子に心配されるなんて!」

「か、からかわないでくださいっ」

「からかってないよ。ありがとうね、少年」

 ハッとしてリコが顔を上げると、トヨが優しく微笑んでリコの顔を見下ろしていた。

「少年は人間だから違うんだろうけど、あたしらエルフはちょっと長生きしすぎるのよ。だからまあ、死ぬ時にどれだけカッコつけられるかに命懸けなわけ。

 だから、少年を困らせる悪い奴らと戦って死ぬんなら、むしろ望む所なわけ。だから大丈夫。心配しなくていいよ」

「……わかんないよ、そんなの」

 トヨは死ぬことを怖がっていない。死んでもいいとすら思っている。リコにはその感覚が理解できなかった。

「ま、人間だからねー……っと、そろそろか」

 バンブードラゴンが足を止めた。木々がまばらになっている。森の終わりだ。その先には村がある。村からは煙が上がっている。見えづらいが、煙突だけでなく広場や道からも煙が出ている。

 そして、家々の周りにはコブリンやコボルト、オーガといった魔物の群れがたむろしていた。さっき追われていたゴブリンよりもずっと多い。見える範囲だけでも10匹以上いる。しかし、人間の姿は1人も見えない。リコが知っている村人たちは誰もいない。

「さあて」

 トヨはバンブーコンポジットボウを構え、バンブーアローを番えた。弓矢が淡い緑色の光を帯びる。魔力を込めたようだ。

「我が正義と名誉に於いて、この戦、正しきものであると誓う。万武を統べしタケミナの神よ、我に力を与え給え……!」

 戦いの前の聖句だろうか。騎士はそうすると、リコは聞いていた。知らない神様の名前が出たが、きっとエルフの神様なのだろうと思った。

「――いざ、ナムサン!」

 張り詰めた弓が解き放たれた。風切り音と共に飛んだバンブーアローは、村の外れで退屈そうにしていたゴブリンの頭に命中した。

 しかし、矢は刺さらなかった。何故なら、当たったゴブリンの頭が砕けてしまったからだ。ゴブリンの頭蓋骨を爆発四散させたバンブーアローは、後ろにあった石の壁に深々と突き刺さった。

「ええ……」

 弓矢の破壊力ではない。ドン引きするリコの横で、トヨは二の矢を番え、放つ。同僚の首無し死体に駆け寄ったゴブリンが胴体に命中。ゴブリンは腹から真っ二つになった。

 続いて三射目。コボルトを狙ったものだったが、狙いが逸れて民家の壁に突き刺さった。

「やっべ、外した!」

 目の前に矢が突き刺さったコボルトが腰を抜かして叫んだ。それで、他の魔物たちは自分たちが攻撃を受けていることに気付いた。武器を構えるもの、壁に隠れるもの、食器を放り捨てて伏せるもの、反応は様々だ。

 トヨは次々と矢を放つ。しかし、最初や2射目のような正確な射撃が出ない。右往左往している魔物には当たるが、伏せている魔物や隠れている魔物には中々当たらない。

「お姉さん、落ち着いて……!」

「いや、落ち着いてるのよ。落ち着いてるんだけど、あたし、実は弓が苦手で……」

「あんな遠くに飛ばしてるのに!?」

「エルフなら百発百中なのよ、普通は! ああ、恥ずかしい……!」

 当てたり外したりしているうちに、魔物たちの統率が整い始めた。盾や瓦礫を持った魔物たちが集まり、壁を作ろうとしている。

「こりゃあ駄目だね。突っ込むよ、少年。しっかり掴まってな!」

「は、はいっ!」

 トヨはバンブーコンポジットボウを投げ捨てると、バンブーランスを構え、バンブードラゴンの背を叩いた。

「パンダァァァ!」

 バンブードラゴンが吠え、猛スピードで突撃する。森を飛び出し、道を駆け抜ける。隊列を立て直そうとする魔王軍がみるみるうちに近付いてくる。トヨはバンブーランスの穂先を魔物の群れへと向け、叫んだ。

「チェストォォォォォ!」

 チェストとは、エルフの言葉で『ブチ殺せ』の意味である。その言葉通り、オーガが構えた鉄の盾ごとバンブーランスに貫かれ、ブチ殺された。

「パンダァァァ!」

 他の魔物たちはバンブードラゴンの巨体に轢かれ、あるいは豪腕に叩き潰された。

 魔物の群れを蹴散らしたトヨたちは、勢いを止めることなく村の中心部へと突撃する。リコは振り返り、蹴散らされた敗残兵を見た。多くの魔物たちは倒れているが、全員死んだわけではなく、地面をのたうち回っているのもいるし、立ち上がろうとしているものもいる。

「お姉さん、まだ残ってる!」

「わかってる!」

 しかしトヨは振り返ろうともしない。バンブードラゴンは騒ぎを聞きつけてこちらに向かってくる別の群れを補足すると、今度はそちらへ突っ込んだ。

「チェストォォォ!」

「パンダァァァ!」

 突如現れた、雄叫びを上げるエルフとバンブードラゴンに、魔物たちは浮足立った。そこにトヨは容赦なく槍を突き入れ、バンブードラゴンは豪腕を振るう。今度は隊列を整えるまもなく集団が散った。

「肩慣らしにもならんわぁ! 次ィ!」

 バンブーランスの血を振るい、トヨは次の獲物を探す。すると、民家の上に短弓を持ったゴブリンが数匹現れた。その下には武装したリザードマンの群れが展開している。

 ゴブリンの矢が放たれる。トヨはバンブーランスを振るい、自分を狙った矢をはたき落とす。バンブードラゴンにも何本か飛んだが、全てバンブーラメラーアーマーに弾き返された。本当に頑丈な鎧だ。

「ひょろいわボケェ! こんなんであたしのタマ取ろうってのかい!?」

 バンブードラゴンが突撃する。トヨは背中からバンブージャベリンを引き抜き、屋根の上のゴブリンへ投げつけた。突進の勢いを乗せたジャベリンが、ゴブリンの体を革鎧ごと貫く。屋根の下ではリザードマンが槍を構えていたが、穂先はバンブードラゴンの腕で弾き飛ばされた。そこに、トヨがバンブーランスを振り下ろす。鉄より硬いバンブーに殴られ、リザードマンたちは昏倒した。生き残ったゴブリンが二の矢を放つが、これも防がれ、バンブージャベリンで返り討ちに遭った。

「さあて」

 トヨはぐるりと首を回した。怒鳴り声や金属がぶつかる音が、すぐ近くから聞こえてきた。ボロボロの武具に身を包んだ白骨死体が駆け寄ってくる。

「スケルトンに」

 続いて、民家の向こう側から巨大な人影がゆっくりと顔を出した。醜い顔を兜で覆った緑色の巨人。

「トロルに」

 馬の蹄の音が響いた。角を曲がって現れたのは、上半身が人、下半身が馬の魔物。その手には槍や弓が握られている。

「ケンタウロス!」

 どれもこれもリコが見たことのない魔物ばかりだ。そして、こんな小さな村には不釣り合いなほど強そうだ。こちらに向かってくるのを見ただけで、リコは震えて縮こまってしまう。

 しかしトヨは、魔王軍を前にして怯えるどころか、青い瞳を爛々と光らせて嗤った。

「ハッハァ! 上等! 望外! 相手にとって不足なし! タケミナの神よ、照覧あれ!」

「パンダァァァ!」

 バンブードラゴンの雄叫びも相まって、凄まじい迫力が魔物の群れに叩きつけられる。トロルですら一瞬怯んだほどだ。そして、その隙を見逃すトヨではなかった。

「チェストォ!」

 正面にいたリザードマンが、バンブージャベリンの一撃を受けて吹き飛ぶ。その死体が地面に倒れ込む頃には、既にトヨとバンブードラゴンは敵の群れの中へ切り込んでいた。バンブーランスを振り回し、討ち漏らしはバンブードラゴンに任せ、死体を重ねていく。

 スケルトンの群れが向かってくる。アンデッドは恐れを知らない。猛威を振るうバンブーライダーにも臆さず、整然と槍を並べて進軍してくる。これではバンブードラゴンも迂闊に近寄れない。

 スケルトンの槍衾を見たトヨは、懐からバンブーの板を引き抜いた。掌に収まるほどの小さな板だ。

「バンブー・ドラゴンフライ!」

 それを2本の指で挟むと、横倒しに投げた。バンブーの板は回転しながらスケルトンの群れへと飛んでいく。あんなものでどうにかできると思えない。そう思うリコの前で、トヨは指を使って空中に印を描いた。

「アクション!」

 バンブーの板が緑色に光ったかと思うと、突然、道幅一杯まで巨大化した。回転する木の板は、殺戮旋風竹蜻蛉と化し、スケルトンの隊列を薙ぎ払う。乱れた槍衾を潜り抜け、トヨはスケルトンの群れの中に飛び込み、縦横無尽に暴れまわる。

 確かに、魔王軍は統率が取れている。そこらのゴブリンの群れとは量も質も桁違いだ。しかし、村一つを占領して、食事休憩をとって一息ついていたところに突然の奇襲を受けたので、足並みがバラバラであった。

 トヨはそれを狙って、トドメにこだわらず被害を広げることに集中していた。目論見通り、魔王軍は大勢であることを活かせず、大集団になる前にトヨに各個撃破されていった。そして被害が広がれば広がるほど、集団全体に恐怖が伝わり、戦いやすくなる。そしてトヨはますます勢いづき、暴れて被害を広げていく。

「うっはっはっはっ! これぞ破竹の勢いよぉ!」

 オーガの喉にバンブーランスを突き刺し、トヨは高笑いを上げた。返り血を浴びてなお損なわれないエルフの美しさと、エルフらしからぬ熱狂を湛えた青い瞳に、魔物たちは等しく怯えていた。

 だが、そんなトヨに頭上から襲いかかる影があった。

「ッ!?」

 脳天へと突き出された槍。トヨはそれをバンブーランスで受け止める。しかし押し負け、バンブードラゴンの背から弾き落とされた。

「お姉さんっ!?」

「大丈夫!」

 リコの叫びに返事をしながら、トヨは追撃してきた相手に反撃の槍を繰り出す。相手は急上昇してバンブーランスを避けた。

「……へえ」

 頭上の敵の姿を認めたトヨは、感嘆の声を上げた。

「デーモンとは、随分大物が出てきたじゃない」

 黒い肌。頭に生えた2本の角。手には邪悪なオーラを纏った三又槍。口からは揺らめく炎が漏れ、瞳は爛々と赤く輝いている。筋骨隆々の体は、背中から生えた1対の翼によって空に浮いている。デーモン。太古の昔、神に逆らった精霊たちの末裔で、そこらの魔物とは比べ物にならないほどの力を持つ。千年前の魔王もデーモンだったと言われているほどだ。

「こりゃあ、魔王が復活したってのも本当の話かね。それともあんたが魔王かい?」

「ほざけ」

 デーモンが口を開いた。魔物が喋るだけでもリコにとっては驚きだったのだが、そこから発せられた言葉は更に驚くものだった。

「魔王は貴様らの方だろう」

「……あぁ?」

 トヨは眉根を寄せる。

「あたしのどこが魔王だっていうんだい? あたしゃどこにでもいる普通のエルフさね」

「バンブー」

 デーモンは、トヨが手にしたバンブーを指差した。

「知っているぞ、その植物を。千年前、我が故郷を飲み込み、世界を覆い尽くそうとした悪魔の植物だ。それを好き好んで操る種族はただ一つ。

 貴様はただのエルフではない。バンブーエルフだ」

 デーモンに指摘され、トヨはバツが悪そうに頭を掻いた。

「何さ……バンブーエルフ、知ってんのかい」

「当然だ。世界全土を覆い尽くそうとしたバンブーを焼き払う大呪法を発動させるために、我が魔王は千年も眠らなければいけなかったのだ。我らが悲願、世界征服を千年も遅らせた貴様らバンブーエルフを忘れる訳がない!」

「アホぬかせ。こっちに言わせてもらえば、あんたらが便利だとかいって所構わずマジカルバンブーを植えたのが悪いのよ。バンブーは放っておくとどんどん広がるものだってのに、ロクすっぽ管理もしないでほっときやがって!」

「あのような植物だと素直に教えていれば、育てなかった……!」

 デーモンは三又槍を構える。槍が纏った赤黒いオーラが、怒りに呼応して力強く輝いた。

「バンブーエルフ、貴様は決して逃さん。積年の恨み、ここで晴らさせてもらうぞっ!」

 デーモンが踏み込み、槍を突き出した。トヨはバンブーランスを掲げ、これを受け止めた。鉄とバンブーが打ち合わされる鋭い音が、開戦の合図となった。

 デーモンの槍は素早い。突いたと思ったら引き戻され、次の突きを繰り出す。だが、リーチはトヨのバンブーランスの方が上だ。突きの範囲外に出て、そこからバンブーを繰り出す。しなるバンブーは普通の槍とは違う曲線的な動きでデーモンを惑わす。

「っしゃらぁ!」

 槍の防御を掻い潜り、バンブーがデーモンの肩を強かに打った。しかし、デーモンは顔をしかめただけで、すぐに反撃を繰り出してくる。頑丈だ。打撃ではダメージにならない。

 ならば、とトヨはバンブーの穂先を突き出すが、デーモンは翼を広げて空中へと逃げた。デーモンを追ってバンブーランスを繰り出すが、軽々と避けられてしまう。槍術は地上の敵を突き刺すためのものだ。空中を縦横無尽に飛び回る相手には当てづらい。

 更に、トヨに向かって周りの魔物たちが飛びかかってきた。トヨは突っ込んできたケンタウロスの斧を受け止め、背後のスケルトンに蹴りを入れる。そこに空中からデーモンの槍が突き出される。トヨは身を捩って避けようとしたが、肩口が浅く斬り裂かれた。

「ぐっ……!」

「お姉さん!」

「パンダァ!?」

 バンブードラゴンが助けに向かおうとするが、群がる魔物たちに阻まれ近づけない。暴れるバンブードラゴンに矢が射掛けられる。そのうち一本が、リコに当たった。

「痛っ!」

「ッ!? 少年!」

 リコの叫びを聞いたトヨは、バンブーランスを地面に突き刺し、しなりを利用して魔物の群れを飛び越えた。空中で腰のバンブーブレードを抜き放ち、着地点に居たスケルトンを砕くと、リコに駆け寄った。

「大丈夫か!?」

「うん、平気……いたた」

 幸い、矢はバンブーラメラーアーマーに弾かれたようだ。リコには傷一つついていない。

 しかし、本当に怪我をするのも時間の問題だろう。今のジャンプでトヨはバンブーランスを手放してしまった。しかも、デーモンの奮戦に呼応して、魔物の群れの統率が戻ってきている。こうなれば、数で劣るトヨたちはじわじわと追い詰められてしまうだろう。

 武器を構えてゆっくりと包囲を狭めてくる魔王軍。それに対し、トヨはバンブーブレードを構えて威嚇していたが、やがて大きなため息をつくと、その場に胡座をかいて座り込んでしまった。

「お姉さん!?」

「諦めたか? 殊勝な態度だが、簡単には殺さんぞ」

 空中からデーモンが声をかける。それに対し、トヨは据わった瞳を向けた。

「ハァ? 誰がおどれらにタマ差し出すかい」

 座ったトヨの声は凄味が増していた。空中のデーモンを睨めつける一方で、その両手は複雑な印をいくつも結んでいる。

「おどれらがケツ拭き忘れた癖に、逆恨みでワシらのせいにしよって……。挙句、こげな美童にもお構いなしに撃ちよって。もう我慢ならん。全員まとめてシバき倒す。バンブーエルフをナメたらどげな事になるか、思い知らせちゃる……!」

 ブツブツと呟くトヨの体から、膨大な魔力が地面へと流れ込む。すると、地面が揺れ始めた。動揺する魔物たち。揺れはますます大きくなっていき、転ぶ魔物も出てきた。

 その様子を見たデーモンの顔色が変わった。

「これは……まずい! 全員逃げろ!」

「トロいわ」

 印は結ばれた。トヨが両手を叩きつけると、大地が応えた。

竹魔法結界禁呪バンブーレギオン緑一色オールグリーン!!」

 村の地面が盛り上がり、数百、数千本のバンブーが一斉に伸び上がった。当然、真上に居た魔物たちは例外なく串刺しになる。初撃を避けた魔物の足元にも、第二次バンブー成長期が起き、容赦なく貫いていく。村の家々も同様に、何本ものバンブーに貫かれ、あっという間に廃墟と化してしまった。

「うおおおおっ!?」

 辛うじて生き残っているのは、空中にいたデーモンだった。急上昇し、下から迫るバンブーから逃れようとするがバンブーの成長速度の方が速い。翼を操り方向転換してバンブーを避けるが、別方向からさらなるバンブーが迫る。

「おのれ……おのれ、バンブーエルフ!」

 バンブーを避けながら、デーモンが叫ぶ。

「この力だ! この力こそが世界を滅ぼしかけたのだ! 森も、山も、畑も、城も、ありとあらゆる土地がバンブーに支配された! こんなものは世界に存在してはならなかったのだ! それを、この世にまたしても蘇らせるなど……あってはならんのだぁぁぁ!!」

 三又槍が赤黒に輝いた。デーモンが槍を振るうと、そこから放たれた熱波が、迫るバンブーを焼き払った。さらなるバンブーがデーモンに迫る。それも焼き払おうとしたデーモンは、目を丸くした。

 伸びるバンブーの先端に、トヨがしがみついていた。バンブーごとトヨを焼き払おうと、デーモンは熱波を放つ。それが届く前に、トヨはバンブーを蹴って跳んだ。デーモンの頭上を取ったトヨは、落下しながらバンブーブレードを振り下ろした。

「チェストォォォッ!!」

 バンブーブレードの渾身の一撃が、デーモンの頭にめり込んだ。デーモンは叫び声を上げることもできずに、竹林へと落ちる。その体が大地に還ることはなかった。伸び上がったバンブーがデーモンの体を貫き、空中から降ろそうとしなかった。


――


 生まれ育った村が竹林になった人間はそうそういない。リコはその貴重な一人になってしまった。

 見慣れた村の光景は、青々と茂るバンブーに覆われてしまい、面影も残っていない。バンブーハリネズミ状態になった家屋が少し残っているぐらいだ。少年が生まれ育った家は、バンブーの生えどころが悪かったのか、完全に倒壊していた。

 家だったものを呆然と眺めるリコ。その横ではバンブードラゴンがムシャムシャとバンブーを食べている。

「パンダァ……!」

 戦いの後に山程の食事にありつけて、バンブードラゴンはご満悦のようだ。

「終わったよー、リコくん」

 そこにトヨがやってきた。

「お姉さん」

「いやー、久々にやったから、結界の範囲が大分広くなっちゃったよ。でも大丈夫、これ以上は広がらないよ」

 トヨが言うには、このバンブーは魔術で押さえつけないとどこまでも広がっていくらしい。放っておくと、村の外の森もすべて竹林になってしまうそうだ。だからトヨは、土地に魔術的な処置を施していた。

「でも……ごめんね。少年の村、ダメにしちゃって」

「いいんです。もう、誰もいませんから」

 村が魔物の群れに占領されていて、人間が一人も居ないとわかった時から、リコはこうなることを覚悟していた。遺体が一つも見つからないということは、そういうことなのだろう。ひょっとしたら、バンブーの先端に刺さっている無数の魔物の死体の中に混ざっているかもしれないが、そこまで探す気力はなかった。

 リコは瓦礫の中から小さな十字架を拾い上げた。これに向かって、毎日家族と一緒に祈っていたことを思い出す。瓦礫をいくつか積み上げた後、その上に十字架を置いた。簡素な墓標に向かって、リコは跪いて祈る。声を押し殺して、肩を震わせる。

 小さな体がそっと包み込まれた。トヨが背中からリコの体を抱き締めていた。

「あの、お姉さん」

 トヨは何も言わずに、リコを抱きしめ続ける。

「おねえ……うっ、うう……」

 リコの目から涙が溢れ出す。

「うわあああああっ!」

 滂沱の涙を流し、叫び続けるリコを、トヨは優しく包んでいた。

「パンダァ……」

 バンブードラゴンも竹を食べる手を止め、弔うように顔を伏せていた。

 しばらく泣き続けていたリコだったが、やがてその声は小さくなり、鼻をすすり上げる音に変わった。

「……落ち着いた?」

 リコは頷く。その顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていたが、黒い瞳の奥には、これから生き延びようとする強い光が宿っていた。

「よし。それじゃあ少年、これから行く宛はあるかい?」

「……町まで行こうと思います。そこなら、仕事はありますから」

「うーん……仕事できるの?」

「大工仕事とか、細工仕事なら。親方に教えてもらったんです」

「でも大変よ? 知り合いとか、引き取ってくれそうな人はいるの? あと、住む場所は?」

 リコは言葉を詰まらせる。街に行ったことは数度しかないし、知り合いなどいるはずがない。住む場所なんてもってのほかだ。仕事もまだまだ見習いで、生きていくには相当苦労するだろう。考えてみたら、生きていくには問題ばっかりだ。

 そんなリコの様子を見たトヨは、少し考えてからニカッと笑った。

「よーし、それならしばらくお姉さんが面倒見てあげましょう」

「えっ……えっ!?」

 言葉の意味がわからず、リコは思わず聞き返す。

「あたしもそろそろ街に出たかったからね。少年が街で立派にやっていけるまで、宿とか仕事の交渉とか、あたしが手伝ってあげるよ」

「で、でも……」

「嫌?」

「嫌じゃないけど、そうしたらおねーさんには迷惑だし……」

「ああ、お金のことなら大丈夫よ? バンブーで何か作ればいくらでも稼げるし。何だったら適当な山賊とか魔物のアジトにカチコミかければ……」

「そういうのじゃなくて、その、僕のせいでお姉さん死にかけたのに、まだ迷惑かけるのは……」

「だーかーらー」

 リコを抱きしめる腕に力が籠もる。

「誰かの為に何かするのは、あたしにとっちゃ迷惑でも何でもないの。だからもうちょっと面倒みさせて、ね?」

 腕の中に捕らえられた上に、不思議な光を湛えた青い瞳で見つめられては、リコは頷くしかなかった。

「よしっ、決まりっ! それじゃあ行こうか、少年!」

「は、はいっ!」

「パンダァ!」

 バンブードラゴンの背に乗って、トヨとリコは、かつては村、今は竹林になった場所を後にする。青竹の香りに後押しされて、2人と1匹の旅が始まった。


――


 数日後。

「なんじゃこりゃあああ!?」

 村を奪還するためにやってきた領主の軍勢を出迎えたのは、村を覆い尽くしたバンブーの森だった。

「お前……これ、ワシの村!? こんなエキセントリックな村構え、許した覚えはないんじゃが!」

「俺らも知りません! 魔王軍がやったのか……!?」

 完全武装した領主に付き従うのは、この村の住人たちである。彼らは村に逃げ込んできた馬車持ちの商人のお陰で、魔王軍に襲われる前に村から逃げ出すことができた。

 そして、知らせを受けた領主は一大事ということで軍勢を招集し、村を取り返そうとしたのだが、相手は魔王軍ではなくバンブーになってしまった。

「斥候が戻りました!」

「生き残っている者は!?」

「死体だけです!」

「死体!? まさか、リコ……!」

「いえ、魔物の死体だけです!」

「そうか……それなら、まだ良かった」

 その言葉を聞いて、村人は安堵の溜息をつく。父親の表情だった。

「しかし、魔物の死体が?」

「はい。この木の上の方に沢山刺さってます」

「ええ……なにそれ怖い……何でそうなってんの……」

「この木を生やす魔法が暴走したのかもしれません。酷いもんでした……」

 外からはわからない地獄絵図である。しかし、領主として退くわけにはいかない。

「ええい、怯むな、皆の者! 魔物は多分いない! 今のうちに、村を覆うあの何かよくわからん木を根こそぎ刈り尽くすのだ! 一番伐採したものには褒美を与える!」

「うおおおおおっ!」

 兵士たちは勇ましい声を上げて竹林へと襲いかかる。何しろ命懸けの戦いかと思ったら、ただの森林伐採になって、しかも給料はそのまま出るのだ。やる気にならない訳がなかった。

「俺たちも行くぞ! 村を魔王軍の木から取り戻すんだ!」

「応ッ!」

 当初は道案内だけの予定だった村人たちも、相手がただの木だとわかると、恐れを無くして斧や鉈でバンブーに挑み始めた。自分たちの住処を取り戻す戦いだ、盛り上がりが違う。

「ふむ、これだけ勢いがあれば、簡単に片付くだろうな!」

 士気旺盛な自軍の様子を見て、領主は満足気に呟いた。そして、自分も少しは武勲をあげようと、斧を担いで伐採へと参加していった。


 意外と硬かったバンブーに苦戦し、更に地下茎から次々と生えてくるバンブーに手を焼いた領主が、領内の木こりを総動員することになるのは、それから一週間後のことであった。

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バンブーハッスル! 劉度 @ryudo

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