最終話 黒曜石のウロコと不思議な夢

 マシューが池の方をのぞくと、ハツカネズミと、人魚と、妖精たちが集まって話をしているようでした。


「ねずみさん、本物のドラゴンはどんなだった?」

「大きかった?」

「ピカピカだった?」

「火を吹いた?」

「あぁ、おまけに牙もするどくて、思わずびびっちまいそうだったぜ」


 ハツカネズミがそう言うと、妖精たちは小さい声でしゃわしゃわとさわぎ立て、彼をめたたえ始めました。


「よく言うよ。僕をおいて逃げたくせに!」


 マシューがそう声を上げると、みんなの視線がいっせいに集まります。ハツカネズミがバツの悪そうな顔をしたので(鼻の頭にしわがよったのがそうなのであればですが)マシューはふんと鼻をならして、ポケットから黒曜石のウロコを取りだしました。


「これ、なーんだ?」


 それをかかげて見せた途端、ハツカネズミを取りかこんでいた妖精たちがいっせいに飛んできて、マシューにまとわりつきました。


「すごいすごい! ドラゴンをやっつけたんだね!」

「本物のドラゴンのウロコだ!」

「ピカピカだ!」


 妖精たちは次から次へと、マシューに質問をなげてきます。


「ドラゴンは大きかった?」

「ピカピカだった?」

「火を吹いた?」


 マシューは胸をそらせて答えます。


「ドラゴンは岩山みたいに大きかったし、黒曜石のウロコが体全体をおおっていてピカピカだったし、鼻から火も吹いたよ! おまけに牙もずらりと並んでいて、黄色い目玉だった!」

「すごいすごい! 人間の子どもの方がくわしいぞ!」


 そう言って、妖精たちはさらにマシューを質問ぜめにするのでした。


「ちょっと! 私にもそのウロコを見せてちょうだいよ!」


 池のそばの岩の上で、人魚がはねながらそう言います。マシューは得意な顔で池の方まで歩いていくと、ドラゴンのウロコを人魚に渡してやりました。


「まぁ、本当にピカピカ!」


 人魚は目をキラキラさせながら言いました。妖精たちは、まだマシューにまとわりついて、マシューを質問ぜめにしてきます。


「ねぇねぇ、それがドラゴンをやっつけた剣?」

「それもピカピカだ!」

「とっても硬そう!」

「おまけに強そうだ!」

「もっとよく見せておくれよ!」

「僕らにも触らせておくれよ!」

「分かった、分かったから!」


 マシューは羽虫のようにまとわりついてくる妖精たちがうっとうしくて、彼らに剣を渡してやりました。ひときわ大きく(それでも小さな声ですが)歓声が上がりました。


「……本当にドラゴンをやっつけたのか?」


 ハツカネズミがそんな事を言いだすので、マシューは眉をひそめてハツカネズミをにらみました。


「なんだよ、僕がウソをついてるって言うのか?」


 自分は逃げたくせに、とマシューは腹が立ちました。


「まちがいなく、僕がドラゴンをやっつけたんだ!」

「奴の首を落としたか?」


 ハツカネズミがそんな事を言うので、マシューはぴたりと口を閉じました。


「……なんだって?」

「ドラゴンの首を切り落としたのかって聞いたんだ」


 ハツカネズミがあまりにおそろしい事を言うので、池の周りに集まった誰も彼もが口をつぐんでしまいます。

 ハツカネズミはじっとマシューを見つめたまま、ぴくりとも動きません。マシューはだんだん気まずくなってきて、とぎれとぎれにこう言いました。


「……だって、僕が剣でドラゴンのウロコを取って、ドラゴンはお山の向こうに逃げていったんだ……。僕がやっつけたって、事でしょ……?」

「お前にはそう見えたってだけだろ? 他の可能性は考えなかったのか?」

「他の可能性って?」


 その時、森の奥から何かがやってくる音がしました。

 それは足音なんてなまやさしい音ではなく、木々をなぎたおし、地面をえぐるようなあらあらしい音でした。


「い、一体なにごとなの……!?」


 森を破壊しながら、何かがマシューたちの方へと向かってきます。その者の姿を見るよりも先に見えたのは、森を焼きはらう炎でした。


「ドラゴンだ!」


 誰かがそうさけんだ途端、池のそばに集まっていた動物たちは、みんなちりぢりになって逃げてしまいました。人魚は水の中へ、妖精たちは森のあちこちへ。


「待って! 僕のウロコと剣を返してよ!」


 しかしマシューもそうも言ってはいられませんでした。ドラゴンが木々をけちらして、大きな頭をぬっとつき出し、マシューの事をギラギラとした黄色い目玉でにらんでくるのです。


「人間の子ども、さっきはよくも……! 俺様のウロコを返せ!」

「待って! ウロコは人魚が持ってるんだ! 僕じゃないよ!」

「俺様のウロコを返せ!!」


 ドラゴンに言っても聞いてはもらえませんでした。ドラゴンは大口を開けると、のどの奥をゴロゴロとならします。そこにたまった熱いマグマの湯気で、ゆらゆらと蜃気楼しんきろうのように空気がゆれているのが見えました。


「走れ! 逃げるぞ!」


 ハツカネズミの声ではっとして、マシューはぱっと走りだします。その瞬間、背中を熱い炎がかすめていきました。


「走れ! 走れ! 走れ!!!」


 ハツカネズミの小さな背中に、マシューは必死になってついていきます。

 でも少し行くと、ハツカネズミはするすると木の上に逃げていってしまいました。


「僕はどうすればいいんだよ!?」

「走れ! 止まるな!」


 木の上からそう言われ、マシューはまた走り始めます。

 でも森の端まできた時、行きにはあったはずの草原がそこにはありませんでした。森のその先は、高い高い崖になっていたのです。


「先がないよ!」

「止まるな! 追いつかれるぞ! そのまま進め!」


 道の先には何もありません。ただただぽっかりと、黒い谷間が大地を裂いているだけです。


「このまま行ったら落っこちちゃうよ!」


 崖の方から、びょおっと強い風が吹いてきました。風と一緒に、地の底から低く大きな声がはい上がってきます。


「マシュー、やり方は覚えているかな?」


 その声には聞き覚えがありました。すき間の開いた本棚の前で、何度も聞いた低く大きな声です。


「……そんな、無理だ!」


 マシューは叫びます。


「できっこない! それに何の意味があるんだよ!?」


 低く大きな声は、空気をふるわせて笑います。


「信じてごらん。バカが二人、バカな事をしようじゃないか」


 もう崖は目と鼻の先です。まっくらやみが続く崖の縁まできた時、マシューはぎゅっと目をつぶりました。

 ハツカネズミが後ろから叫びます。


「飛べ!!!」


 一瞬体が自由になって、


 どこまでも体が落ちていきました。


 マシューは長く長く声を上げ、


 まっさかさまに落ちていきました。











「ぼうや、ぼうや! 大丈夫かね?」


 マシューが目を開けると、そこは古ぼけた本屋でした。ほこりっぽい本棚の間にあるスツールに腰かけています。


「……僕、すごくおかしな夢を見たんだ」

「ほぉ、どんなだったね?」


 マシューは勢いよくスツールから立ちあがり、おじいさんを見上げます。


「ハツカネズミを追いかけて本棚のすき間に入っていくんだ! 石畳の路地には姿の見えない化け物が住んでて、あと壁がしゃべるんだ! それから、動物とかけっこ勝負をして、人魚もいた! おかしなひげ男に会って、それからドラゴン! 体中が黒曜石のウロコでできてるドラゴンだった!」


 マシューの興奮こうふんはおさまりません。だってあんなおかしなものを見たのは、生まれて初めてだったのです。


「本当に本物みたいだったんだ! あれはきっと夢じゃないよ! だって、ワクワクしてイライラして、そしてとっても怖かった! 見たものも触ったものも、ぜんぶ本物みたいで……!」


 おじいさんはにっこり笑って、ただマシューを見ています。その様子がなんだか、マシューには腹が立って仕方がないのでした。


「……僕がウソついてるって思ってる?」


 そうたずねてみても、おじいさんは肩をすくめるだけでした。マシューは納得いかず、ぱっと本棚に張りつきます。


「どこかにすき間があるはずなんだ!」


 マシューは本棚を右から左まで、順番に見ていきました。でも本棚はぴっちりと埋まっていて、どこにもすき間などありません。


「さっきはあった!」


 マシューは、今度は自分の体をまさぐりました。どこかに魔法の枝や、ルビーのようなグミの実や、何かしら持ち帰れた物がないかを探したのです。

 でも何も出てはきませんでした。


「あぁ、そうか! 森の動物たちがぜんぶ持ってっちゃったんだ……!」


 マシューはがっくりとうなだれました。

 そんなマシューを、おじいさんはにこにこと見つめています。


「ふむ。今の君なら、きっとこの物語を楽しめるだろう」


 そう言って、おじいさんはマシューに本を差しだします。本は先ほどおじいさんが読んでくれたものとは違う本でした。マシューの腕1本分ほどもある、分厚い本です。マシューはうげぇと顔をゆがめました。


「僕は本が嫌いだよ!」

「今の君ならきっと楽しめる。貸してあげるから、試しに読んでごらん。ただし大切に扱うんだぞ。きっと気にいるから。前には見つからなかったものを見つけられるかもしれない」


 おじいさんがしわしわの手で本をこちらに手渡します。


「次は何か持ち帰っておいで」


 マシューは本を受け取ると、おじいさんの顔を見上げました。

 古い本の匂い。しわしわの皮膚。白いかみの毛。よれよれの帽子。

 おじいさんはぼりぼりと帽子の上から頭をかきました。帽子が少しずれ、できたそのすき間からもぞもぞと顔をのぞかせたのは、


 一匹の、ハツカネズミでした。


 マシューは本を抱えたまま、ぶるぶるとふるえだしました。


「どうしたね?」


 おじいさんがにっこり笑ってこちらを見ています。


「ぼ、僕……もう帰らないと……!」

「そうか。では気をつけて帰りなさい。また会えるのを楽しみにしているよ」


 マシューはおじいさんを見つめたまま、じりじりと古本屋の入り口まで行くと、ぱっと取っ手に飛びついてドアを開け、急いで走りさっていきました。

 おじいさんはその背中を見て、笑っています。


「逃げられんよ、どこに行こうとも。君のお話はまだ終わっていないのだから」


 マシューが開けっぱなしにした扉から風が吹きこんで、チリンチリンとドアベルがなっています。

 そうして、ぱたんと扉が閉じました。


 あとはもう、次のお客が来るのを、今か今かと待つのです。





― 完 ―

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「一冊の本に人生を丸ごと変えてしまう力があることを、みんな理解していない。」

マルコムX 『完訳マルコムX自伝 (上)』 中公文庫

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本嫌いのマシューと古ぼけた本屋 ぽち @po-chi

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