婚約指輪と爆弾
すえもり
婚約指輪と爆弾
意図せず漏れた溜息に、傍らに座る友人が顔を上げた。
「なんやねん。キャラに似合わずアンニュイやなぁ」
わが親友であるその女は、ニヤニヤ笑いながら私をからかうと、再び文庫本に目を落とした。さっきからあまり進んでいないようだ。車窓の外の、田んぼばかりが広がる懐かしい風景を見ているからだろう。
「出るもんは出る。キャラなんぞ仮面やわ」
「ほう。私の前でも仮面か?」
「別に? ただ、相手によって対応変わるやん」
「ふーん」
彼女は全く興味がなさそうに、まるで脊髄反射のような適当さで返答している。一年ぶりに会うが、大学生の時から何一つ変わらない、いつもの会話だ。
「あっ、せや」
急に思い出したかのように再度顔を上げた親友は、私の目をじっと見つめた。
「何やねん」
「言い忘れてたけど、私、結婚することになってん」
私は彼女の黒目がちな瞳を見つめ返した。今日一日中、河原町近辺を歩き回っている間、一体いつ言い出すのかと思っていた。その話は一週間前に共通の友人から聞いて知っていた。というか、左の薬指できらめく婚約指輪に私が気づいていないとでも思っていたのか。バカなやつだ。
「おめでとん。良かったな」
私はそれだけ言うと、特に意味もなくスマホを取り出した。実家に帰って報告しに行くついでに遊びに誘われたのかもしれない。
「なんや、あっさりしてるなあ」
私は一瞬真顔になり、それから真っ昼間で車内に他の客がいないのをいいことに、立ち上がるとバラエティの芸人よろしく両手を激しく打ち鳴らした。
「おめでとうごじゃいましゅ〜〜!! 末永く爆発しやがれ! ちなみにこの電車には、すでに爆弾を仕掛けてある! ワトソン君! 君が見つけ出して解除しないと、西大寺の手前でドッカーンだ! みんな京都にも奈良にも難波にも天理にも行けなくなる! 大大大惨事やぞ!」
その時彼女が浮かべた間抜けな顔を、私は一生忘れないに違いない。文字通り、鳩が豆鉄砲を食ったようだった。そして我に返った彼女は、バカにしたようにゲラゲラと笑った。
「あかん、あんた全然おもろないわ、センスないわ、ごめん!」
彼女が引き笑いをするのは心から笑った時だけだ。初めて部屋に泊めてもらった夜、くだらない恋バナをしたとき、彼女は同じ笑い方をした。その時、この子は信用できると思ったのだ。
「センスないのは知っとるくせによぉ!」
私が脇腹をくすぐってやると、彼女は声を裏返してヒイヒイ言いながら文庫本を取り落とした。
一年前に私が勧めた小説である。付き合って五年なのにプロポーズされないというから、励ますために適当に勧めただけだが。
典型的なハッピーエンドの結婚で終わる小説だ。私が卒論を書いた本であり、かのモームが世界の十大小説のひとつとして挙げた傑作である。私は本がすり減るくらい何度も読んだというのに、こいつはまだ最初の数ページで止まっている。信じがたい。
「まだ読み終わってないくせにプロポーズされやがって‼」
「ご利益あったんやな、ありがとうございましたー!」
「ハラタツ‼」
二人の結婚式で、私は最初から最後まで満面の笑みを貼り付けているだろう。誰からも祝福され、誰からもお似合いだと言われる二人の式では、間違いなく誰もが笑顔を浮かべているはずだ。そうでなくてはならない。
二人がそこに至るまで道のりが平坦だったわけではないことを、私は知っている。だから祝福するのだ。私がこの世で一番大切な二人の幸せを心から嬉しく思う。私の失恋は誰にも言わずに墓まで持っていく。
大和西大寺駅で彼女と別れてから、幼少期から見慣れた暗赤色の車両がもつれた線路の向こうへと去ってゆくのを見送りながら、ふと思い付いた。この感情を記録しておかねば。私は呼吸するが如くごく自然に筆を――いや、スマホを執った。
婚約指輪と爆弾 すえもり @miyukisuemori
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