終章 遠く、潮騒の向こうから

最終話 日常怪奇



「────ぅ?」


 窓から射し込む光を受けて、ぼくは目を覚ました。

 身体の節々が痛い。

 どうやら、研究室の自分の机で、寝落ちしていたらしい。


 寝ぼけ眼を擦りながら机上を見れば「若くない やめよう完徹 最上川 『乙』」と書かれたメモ帳の切れ端と、まだ湯気の立っているコーヒーが置かれていた。

 ……どうやら、つい先ほどまで乙瀬くんがここにいたらしい。


 ここ数ヶ月、彼女には迷惑をかけ通しだ。

 なにせ未曾有の災害、その奇跡の生還者として連日、ぼくはマスメディアに引っ張りだこだったのだから。


 あれから。

 土石流に巻き込まれ、海に放り出されてから、ぼくは運良く海上保安庁の船艇に救助された。

 田所巡査が、亡くなる前に呼んでいた応援だった。

 同じく蛭井女史も救助をされたが、彼女は正気を失っていて、いまだに入院を余儀なくされている。


 島は地形が変わるほどの大災害で、すぐに派遣された自衛隊による救助活動でも成果は出ず。

 生存者は壊滅的とされて、捜索は打ち切られた。


 それはなんだかスピーディーで、どうにも納得のいくものではなく、マスメディアやウェブ上でも、しばらくの間は陰謀論だとか、まあいろいろ面倒臭い話で持ちきりだった。

 それも既に下火ではあるが。


 ……萌花くんと思慕くんは、いまだに遺体すら発見されていない。


「生きているさ。きっと」


 そう思っていなければ、乙瀬くんに彼女たちを探すように手配などさせていないし、ぼくの貯金が減ることもなかった。


「まったく、とても日常に戻ってきたとは思えないよ」


 などと、ぶつくさ言いながら、コーヒーを口に運ぶ。

 何気なくメモ切れを弄んでいると、裏に続きがあることを発見した。

 そこにはこう書かれている。

 「客来だ 鍵は開いてる ウェルカム 『乙』」


「客?」


 そんな予定はなかったはずだと、首を傾げたときだった。



「──相変わらず、手元がお留守だな、おまえは」



「────」


 とても。

 とても懐かしい声が聞こえて、ぼくは目を見開いた。

 それから、ゆっくりと振りかえれば、そこには。


「よっ」


 いましがたまでぼくが飲んでいたコーヒーに口をつける、パーカーを羽織った巫女服の少女がいて。


「思慕くんッ!」

「……ああ、ただいまだ、稀人。どうやらおれとおまえは、思っていたより縁が深いらしい」


 彼女は、花が咲いたように笑った。


§§


「おれにもいろいろあってな、戻ってくるまでちょっぴりかかっちまった」

「ちょっぴりって……いままで何をしていたんだい?」

「いろいろさ」


 いろいろって。


「いろいろは、いろいろだよ。おまえが知らなくてもいいことをしていたのさ。鏖殺とかね」

「…………」

「まあ、それは冗談だが。おれはな、おまえにどうしても聞かなきゃいけないことがあって、戻ってきたんだよ」


 笑えない冗句を口にした直後に、彼女は真剣な表情を浮かべ、片方だけの瞳でぼくを見据えた。

 まっすぐな視線。

 それが、嘘偽りは許さないと、ぼくを見て。


?」


 と、言った。


「……なにがだい」

「腹の探り合いをするつもりはねェよ。単刀直入に言やぁ、おまえ──いつから額月萌花が真犯人だって気がついていた?」

「…………」


 ぼくは沈黙を選択したが、それは答えに窮したからではない。

 答えるまでもない、イージーな質問だったからだ。

 彼女は、それで確信したようで、何度も頷いていた。


「考えてみりゃァおかしな話だったんだ。客人を招かなきゃいけない性質とはいえ、十一年周期の奇祭にたまたまおまえが呼ばれる確率はどのくらいだ?」

「…………」

「額月萌花は関係者だった。なら呼び戻されるのが当たり前だ。けどな、ここで疑問が生じる。あいつは本当に、何も知らなかったのかってことだ」


 例えば、両親の死について、彼女は記憶喪失であると口にしていた。

 それは蛭井女史も同意している。

 だが、本当にそうだったのだろうか?


 ぼくらは島の住人達こそが、彼女を島へ招いた元凶だと考えていた。

 しかし、逆だったとしたらどうだろうか?



 額月萌花こそが、此度の事件を画策した張本人だとしたら?



「証拠はない。だが、島と連絡とった時点で、あいつは全てを知り得る立場にあった。島民達に、隠し立てをするような理由はなかったからだ……いや、ひとりだけいたか、隠したいやつが」


 それは、赫千勇魚である。

 彼は額月萌花に邪恋を抱いていた。なにも知らない彼女を利用するほうが、都合がよかった。


「けどな、そんなのあいつも同じだよ。何も知らない幼馴染みを利用する方が、千倍楽だったろうぜ」


 かくして、額月萌花の筋書き通り、勇魚宮司は踊ることになる。


 鬼灯翁は勇魚宮司を操っていると口にしたとき、〝わしら〟と複数形で語った。あれは島民達全員ということではなく、彼と萌花くんだったとしたらどうだろう?

 惨劇の糸を裏で引いていたのは勇魚宮司でも、鬼灯翁でもなく、彼女だったとすれば、納得がいく点は確かに多い。


 ほかにも、彼女には疑惑がある。


 事件が終わってから考えれば、萌花くんは島のことをいくつも知っていたにもかかわらず、論文にまとめようとしなかった。


 郷土史を調べたと言いながら、乙瀬くんの提示した情報のひとかけらだってぼくらに与えようとはしなかった。


 自分の母親が巫女だったことを、知っていながら黙っていた。


 笄十郎太のことにしたって、他ならない彼女なら、祭りをやめたいから協力して欲しいという言葉で呼び出すことが出来ただろう。


 そして、最たるものが、母親の子宮だ。


 ヨギホトさまは人間の子宮に寄生し、継承されていく埒外の怪奇だった。

 継承の方法は、先代巫女の子宮を食べること。


「そんなこと、普通の人間が躊躇いなくやるかよ?」


 結論、やるわけがない。

 やるとしたならば、はじめから覚悟を決めていたものだけだ。

 はじめから、すべてを知っていたものだけが、実の母親の肉を食べる決意を固めることが出来る。


 逆、逆、逆、逆。

 すべて、逆。

 何もかもが、はじめから反対だったのだとすれば、すべての事柄に筋が通る。

 けれど、ならば彼女は、なんのために事件を企てたのか?


「それこそ口にするだけ無駄な問いかけだぜ、稀人。あいつは──」


 そう、彼女は。


「ただ、おまえと繋がりたかったのさ。肉体も、心も、魂さえも、な」

「…………はぁ」


 ぼくは大きく息を吐き、立ち上がる。

 歩き巫女へと歩み寄り、互いに向き合えば。

 ぼくは見下ろし、彼女は見上げる形になった。


 思慕くんの視線は、まるで挑むような、糾弾するような色を示していた。


「目的を完遂した気分はどうだ、稀人?」

「目的?」

「神秘怪異と遭遇するという目的のために、教え子を使い潰した気分だよ」

「…………」

「プロフェッサー怪奇学とは、よくぞ言ったもんだぜ。おまえはとんでもないヒトデナシだ」

「失敬だな。ぼくは、これでも人間だよ」


 そう、ぼくは人間だ。

 人間で、十分なのだ。


 怪異に出会い、そのことをあらためて認識することが出来た。萌花くんには感謝している。

 


 そして、だからこそ彼女とは、決別することになった。

 これは、ただそれだけの話だ。


「……はン。ヒトデナシのロクデナシめ。それでこそ、おれが愛するにたる人間だ。強欲な大莫迦者だ。稀人、いいことを教えてやるよ」


 鼻で笑った彼女は、上機嫌な様子で、いいこととやらを口にする。


「妣国地獄より流れ出でたヒルコの胤は、海をたどってあらゆる場所へと流れつく」


 それは、あの詩に出てくる、椰子の実のように。


「そして。基本的にヒルコに死はない。なんど地獄へ戻ろうが、胤に戻って、また現世へと流出する。だから、なあ、稀人」



 ──おまえは、またいつか、あいつに会えるだろうさ。



 彼女は、酷くシニカルに微笑んで、そう告げた。

 ぼくは幻視する。


 あの島から流れ出た無数のぬっぺふほふが、海中を彷徨う様を。

 そして、その先頭には美しい人魚が。

 褐色の肌に、鳶色の瞳の人魚が、歌を歌い、愛を歌いながら、どこまでもどこまでも、果てしない深海を泳ぎ続ける姿を。


「ああ……なんて怪奇的なんだ」


 恍惚と呟くぼくを。

 歩き巫女は、じつに愉快そうに眺めているのだった──








プロフェッサー怪奇学のB級オカルト『怪』体新書 ~ぬっぺふほふの嬰児 11年周期の奇祭~ 終

Anatomical occult of Professor Weird. ~The inherited cannibalism.~ 了

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プロフェッサー怪奇学のB級オカルト『怪』体新書 ~ぬっぺふほふの嬰児 11年周期の奇祭~ 雪車町地蔵 @aoi-ringo

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