化物

きょうじゅ

化物

 新良貴しらき藩の城中に、胴の面ドウノツラが住み着いていると専らの評判である。それは化物けものでありまた獣であったが、どのような手段を以てしても人間と見分けることは決してできなかった。


 その日もまた、新しい被害者が発見された。本丸の御殿に努める女中の一人で、およねと申すものであったが、はらわたを食い尽くされた無残な姿で中庭に転がっているところを、見回りの侍が発見したのである。


 胴の面は人間のはらわたを好む。それだけを見れば、ただの妖怪変化の一種であるに過ぎない。ただ、奴の恐るべきところは、獲物を捕らえるその一刻ほどの間のみを除いて、普段は完全に「もとからいる人間のだれか」に憑り付き、成り済ますことができるという点であった。


 その胴の面の討伐を藩主から命ぜられたのは、まだ若いが藩の国許家老の末席に連なる侍、清田平右衛門きよたへいえもんである。


 平右衛門が屋敷で案を講じていると、友人の僧、良沢りょうたくが尋ねた。


「平さま、ご苦労をなさっておいでですかな」

「そうだな。こたびの務めは、ただ武勇やまた義侠の心があれば解決するというものではない。一計を、案じねばならぬであろうなあ」

「こういう有名な話があるのですよ。申し上げましょうか」

「申せ」

「こういう有名な妖怪退治の説話がございます。どこぞの城で、化け狐が殿様の奥方に化けたそうです。本物は本物でちゃんといるのですが、どちらが本物でどちらが狐なのかわからない。そこで殿様が一計を案じなされました。両方とも牢屋に閉じ込めて、食事を与えずに放置したのです。果たして、本物の奥方は大人しく飢えに耐えておりましたが、狐の方は空腹に怒って大暴れを始めました。そうした次第で、本物の奥方は判明し、狐の方は正体を暴かれたわけです」


 だが、平右衛門も良沢も知っていることだが、胴の面にはそういった手は通じない。ひとつに、胴の面は本物を殺し、本物の死骸に憑り付くから、本物と偽物が二つ並ぶという状況が生まれない。ふたつに、胴の面は乗っ取った相手の頭をそのまま利用し、自分は元の人間のままなのであって別にあやかしに殺されてなどいないと思い込ませておくのである。


 妖怪胴の面自身の自我はその状態でも存在しているのだろうが、表面に現れていくることはない。ただ、乗っ取っている相手がぬかりなく犠牲者を餌食に出来ると判断したときのみ、胴体に顔として浮かび上がるというその姿を明らかにするのだという。


 平右衛門はこれまで殺された犠牲者たちの名前を帳面に付けていった。城勤めであったり、とにかく新良貴の城中において殺されたという点以外に、犠牲者たちに大した共通点はなかった。それはそうであろう。下手人はただ人間のはらわたを喰いたい一心であって、それ以上の深慮があって犯行に及んでいるわけではないのである。


 良沢は言った。


「いかがでしょうか。拙僧に腹案があるのですが」

「申してみよ」

「藩にとってもっとも恐るるべきことは、藩主様の身に何かが生じることでしょう」

「それはそうだ。当然、警戒して警備は強めているが、何しろ相手が相手であるからな」

「その警備を、あえてきっぱり断ってしまっては如何でしょうか」

「なんと申す」

「化物にとっても、藩主様の御身体を乗っ取ることができたならば、これは今後にとってさらに都合のよいことになるのは必定。必ず狙ってきます。そこを叩くのです」

「どうやって叩く」

「拙僧の念仏を以て、あやかしの素性を暴くことができまする」

「ここだけの話だが、実は既に藩主様が妖怪に乗っ取られているという可能性もあるわけで、実のところ幣藩として最も警戒しなければならないのはその事実が明らかになるということなのだが」

「そのときはそのときです。なんとかなりましょうぞ」


 というわけで、良沢と平右衛門だけが特別の措置として毎夜、藩主の寝室の不寝番をすることになった。なお平右衛門は、良沢こそが胴の面であり、藩主に近づくための一計としてあんな申し出をしてきたのではないか、という考えを振り切っていない。胴の面という妖怪の恐ろしいところは、そのような疑心暗鬼をひとびとの間に振りまくことでもあるのであった。


 そして、ある晩のことである。果たして、藩主がひとり寝所に籠もり、良沢がこっくりこっくりと居眠りを始め、平右衛門だけが起きているというそのときに、そのあやかしは現れた。


 あやかしの現れた場所は、であった。平右衛門のまなこはぐるんと白目を剥き、着物の腹の部分をたくし上げて現れた、牙の生えた狂暴そうな妖怪の顔が、舌なめずりをしていた。


 障子を開ける。


「平右衛門か。どうした」


 文机に向かっていた藩主が、表を上げずに問うた。


「少し思いついたる儀がございますれば、恐れ多いことでございますがお耳を御貸し願えますでしょうか」

「耳なら貸してもよいが」


 藩主が答えるのと、良沢が声をかけるのが同時であった。


「耳を取られて耳なしの芳一という塩梅では、これは困りますからねえ。喝!」


 良沢は念仏を唱え始めた。平右衛門の、いや胴の面の動きはぴたりと止まった。その胴の顔の部分に、繰り出された真槍やりが突き立つ。藩主は、文机に向かうと見せかけて、ひそかに寝所にずっと槍を忍ばせていたのである。このときに備えて。


「藩主様。残念ながら、人払いは本当に厳重に行われておりますゆえ、叫んだくらいで助けは来ませぬ。拙僧がひとっ走り、というわけにもまた参りませぬ。従って、平右衛門どの御手討ちになされるは御身おひとりで為していただけなければ、藩主様も拙僧も腹の怪物の腹のうちということになりますゆえ、どうぞ御奮戦のほどを」


 藩主、加藤輝政かとうてるまさはかつて豊臣秀吉に仕えて槍働きをし大名にまで登り詰めたところの祖先から伝わる、家宝の十文字槍を引き、また突いた。胴の面は狼狽していた。念仏がその動きを鈍らせた上に、対手が完全武装で立ち向かってくるという状況は彼にとって意想外のことなのである。


 胴体の顔の部分というのは、ちょっと想像してもらえばお分かりかと思うが、あまり戦闘に向いたものではない。特に、相手が槍となればなおさらである。そこで胴の面は、平右衛門の刀を抜いた。護衛という名目で入り込んでいたのだから、もちろん刀くらい持っている。


 だが、剣道三倍段槍道九倍段とはよく言ったもので、剣をもって槍に立ち向かうのには相手の三倍の力量がいる。胴の面はじりじりと押され、またその身体を、平右衛門の肉体なのではあるが少しずつ傷つけられていった。


 そして、ついに。輝政の槍は胴の面の口の中にずっぽりと入り込み、その身体もろともを貫いた。妖怪といっても肉体的な強度は人間と変わらないらしく、胴の面はそれで死んだ。平右衛門も、もともと死んでいたのだが、もの言わぬ骸にようやく戻ることができた。


「藩主様、いやーこれはお見事にございましたぞ! その妖怪退治の腕前の天晴なりますこと、また後々まで世の語り草となることでございましょう。では、わたくしは人を呼んで参りますので」

「待て」

「はて? この場で拙僧に何か?」

「そなた、平右衛門の友人の僧だと名乗っていたな。だが、藩内でひそかに調べたところ、そのような者がいたという話を誰も知らんのだ。貴様は――」

「拙僧でございますか。拙僧はただの――」


 その瞬間、輝政の槍は良沢の身体をも貫いていた。

「外法使い――妖怪を使役する人間にございますよ」


 良沢は死ななかった。というより、槍は刺さっていなかった。にいやりと笑って、良沢は霧のように中空に掻き消えた。


 以上が巷間に伝わる新良貴藩妖怪退治の一件、その一部始終である。良沢のその後は、同藩の人間たちの知るところとはついにならなかった。


【結】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

化物 きょうじゅ @Fake_Proffesor

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る