運転手の日常
常畑 優次郎
ある夜の話
今日もいつものように道を走る。
この道は、最近通るようになったあまり整備されていない砂利道だ。
私はハンドルを握り、振動に身を任せながら大きな建物などない平地を走らせている。
タクシーの運転手をやり始めてそろそろ20年になるだろうか、もうすぐ40になる自分が、この仕事でしっかりと飯を食べていけるようになったのも最近の事だ。
そんな少し感慨深い事を考えていると、どうやらお客のようだった。
「どうぞ」
車を停車させ、いつものように後部座席の扉を開け、一声かける。今日のお客は常連さんのようだ。車に乗り込んだのを確認して扉を閉めると、彼は短く目的地を告げる。
「よかった。街まで行きたいんだけどいいかな?」
どこか嬉しそうな声の男を、ルームミラーで覗き見る。表情がわかりづらい男だが、それなりに長い付き合いの私には、彼が安堵の顔をしていることがわかった。
「あいよっ」
返事をした私はすぐに車を走らせる。
彼の言う街は、ここからおよそ50キロほどの大きな街だ。道が悪いので時間はかかるが、1時間と少しといったところだろう。
「今日は遅い時間に出発ですが仕事でしたか?」
「そうなんだよ。本当に居てくれて助かった。夜通し歩く予定だったからね」
外出するにはもう遅い時分。
その上、今日は曇っていて月明りもない。朝までには着いたとは思うが、夜通し歩くのは大変だろう。
「明日の朝に出発では遅かったんですか?」
「明日の朝迄の用事が、先ほど出来てしまったんですよ」
「そういうことですか……。なら少し急ぎますかね」
急な予定が入ることがある、それはどんな仕事でも同じだ。私はアクセルを少し踏み込み、スピードを上げる。
相変わらず道は悪いが、多少加速する分には大丈夫だろう。
「歩く予定だったから大丈夫ですよ?」
「いやいや、少しでも早く着いた方が、朝まで休めるじゃあないですか」
「すみません。気を使ってもらって……」
彼は私の車を見かける度に利用してくれる常連。それに、よく差し入れもしてくれるし、少し気を使うことくらいなんでもない。
しばらく他愛無い会話を楽しみながら、車を走らせていると、ライトに照らされた道の先に壁が現れた。
この道にこんなものはなかったはずなのだが。
そう思い車を止め、外に出てみるとそれは壁ではなく、大きな樹木だった。先日の雷雨で倒れたのか、ちょうど道を塞ぐようにして倒れているせいで、車が通ることは出来ない。
それに、道を外れて進もうにも、両脇は沼地になっていて通れそうにもない。
車内に戻り男に状況を伝える。
「さすがに進めないなぁ」
「……ちょっと見てきます。開けてもらえますか?」
まだ10キロ程度は距離が残っているのだが、このままでは先に進めない。それに、この道は比較的まともなので、ここが通れなくなると困る。そう思い倒木を睨みつけながら呟くと、男が声をかけてきた。
「えっ? どうするんですか?」
「まあ見ていてください」
後部座席の扉を開けると、男は倒木まで歩いて行き、なにやらぺたぺたとその感触を確かめているように見えた。
「少し危ないので下がっていてもらえますかっ?」
男の動作を車内で見ていた私に、大きな声で指示が飛んでくる。
言われた通り、車のギアをバックに入れ後方に下がると、ライトに照らされた男は樹木に向かい直した。
何をするのだろうか。
倒木は大きく、それこそ重機でもなければ、除去するのは難しいと思うのだが……。
フロントガラス越しに見ていた私の目の前で、離れていた耳に届くほどの轟音と共に倒木が粉砕された。
目を丸くする私の視界には降り注ぐ木屑に塗れながら、こちらに手を振る男の姿が映る。
あぁ、そうだった。ここはああいうことが出来る人がいる場所だった。
慣れてしまって、すっかり忘れていたのだ。
手を振る男は全身を毛で覆われている獣人という種族。
ここは自分の生まれた世界とは異なる世界。
一年前に車と共に迷い込んで来てから、慣れるまでは時間がかかったものだ。
慣れてしまうとあの獣顔にも違和感がなくなって、むしろ愛着が持てていた。
「これで通れるようになったでしょう」
「ええ、ありがとうございます」
車内に戻ってきた獣顔の男に感謝を述べると、外していたシートベルトを締める。
目的の街まで数十分といったところか。
「じゃあ行きますよ」
そう言ってアクセルを踏み込む私は、アスファルトでない道をゆっくりと走らせた。
運転手の日常 常畑 優次郎 @yu-jiro
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