第6話「呑まれた金を取り戻せ!」
僕は再び、22年前のあの日に思いをはせた。
「おい、ショーケン。勝ち分は諦めるんだな?」
「はい。僕は元本が返ってくればそれでいいです。取り返せますか?」
「楽勝だよ。で、俺の取り分は?」
「それ以上に取れるなら、その分は収めてください」
「一体いくら勝ってたんだよ?」
「五十万位です」
「五十万じゃ、俺の名前を使うだけ損だな。俺が動かなきゃ、1円も返ってこないと思うが、一体どうする?」
「……」
「出世払い……という事で勘弁してもらえないでしょうか? あの100万は僕にとっては命銭なんです」
「百万? お前、たった百万の元手で五十万稼いだのか?」
「はい」
「仕手株じゃなくて真っ当な株なんだよな?」
「そうです。仕手株は触ったこともありません」
「おい、土佐波。この坊主が言ってることは本当か?」
「本当みたいです。嵌めようにも、こっちが勧める株には全然乗ってこないし、ちっとも負けないしで、面倒くさい客だって中野が言ってました」
「お前の息子より、よっぽど出来がいいじゃねえか!」
剣乃さんはそう言って笑った。心なしか、さっきまでとは、僕を見る目が違っているように僕は感じた。
「よし、じゃあ出世払いという事にしてやろう。だが、俺の出世払いは高いぜ? おい、土佐波。電話を寄こせ」
「どうぞ」
彼は電話を受け取ると、僕の目の前でニッパチ屋に電話をかけた。そして、僕にも会話が聞こえるように、電話をスピーカーモードに切り替えたのだ。
「はい、CCC《トリプルシー》キャピタルです」
「剣乃だがな。社長の中野を出してくれ」
「けっ……剣乃さん? 本物ですか?」
「この世界のどこに、俺以外の剣乃がいるっていうんだよ? ふざけたこと言ってねえで、さっさと中野を出せ!」
「しょ……少々お待ちください」
どうやら、彼の「楽勝」という言葉は本当のようだった。
「大変お待たせしました。剣乃さん、お久しぶりです。今日はどのようなご用向きでしょう?」
聞きなれた声だ。僕の返金要求をのらりくらりとかわしてた、あのおっさんである。なんだ、アイツ社長だったのか……。
「おう、中野か。いや、土佐波から厄介な客に悩まされてるって聞いたんでな。確か、佐々井とか言ったか……」
僕は無言でうなずいた。
「いやいや、大した客じゃありませんよ。剣乃さんのお手を煩わせるような話じゃありません」
「そうか。だがこっちには、【お手を煩わせなきゃいけない理由】があるんだよ」
「へっ?」
「あのガキは、俺の上客の息子だ。お前まさか、奴の金を呑んだりはしてないだろうな?」
「めっ、滅相もない。ちゃんと言われたとおりに売買してます。そうですか、剣乃さんのお客様の息子さんですか、どうりで売買がお上手だと思いました」
「世辞はいいよ。じゃあ勿論、利益も残ってるよな? 50万程稼いでるって聞いてるんだが……」
「……」
「どうなんだよ!?」
「も、勿論です! 少し手違いがあって返金が遅れておりましたが、利益分も含めてきっちりお預かりしております。今日にも振り込もうと思っていたところです」
「おう、そうか。じゃあ、今から本人に取りに行かせるわ」
「へっ?」
「あるんだろ、その金? 佐々井の方も直接、礼がしたいって言ってるからよ」
「はい、ありますあります」
「じゃあ、何も問題ないな?」
「勿論、問題ないです」
「ところで、中野。こんなチャチな話に俺を巻き込んだんだ。ちゃんと分かってるだろうな?」
「……」
「どうなんだよ? それとも、俺を敵に回すか? お前らのグループ、今、豊栄産業をやってるよな? 俺は別にどっちでもいいんだぜ」
中野と呼ばれたニッパチ屋の社長は、本当に困り果てたような声でこう答えた。
「剣乃さん、マジで勘弁してください。上納金はちゃんと毎月お支払いしてるじゃないですか……」
「それとこれとは話が別だろ? 俺をつまんない話に巻き込んだことに対する『誠意』を見せろって言ってんだよ」
「わかりました。でも、今本当にキツイんです。一本で勘弁してください。あの相場が上手くいけば、きっちりお納めできますから……」
「わかったよ。これに懲りたら、もうガキは騙すんじゃねえぞ。先のないおっさん連中からなら、いくら巻き上げたって構わねえがな」
そういって、剣乃さんは電話切った。
「こんな下らねえ話に俺をつっこませて、一千万か。剣乃の名も地に落ちたもんだなぁ。なあ、土佐波?」
「こんな子どもまで騙さなきゃ食えねえんだから、奴らも本当に厳しいんでしょう。今日のところは、それくらいで勘弁してやって下さい。ニッパチ屋は生かさず殺さずです」
「そうか? 俺らが若い時は、どんなに苦しい時でも、女子供だけは騙さなかったもんだがなぁ……」といって、剣乃さんは僕の方に向き合った。
「おい、ショーケン。そういう事だから、さっさと金を取りに行ってこい。俺の分も忘れずに貰ってくるんだぞ!」
「わかりました」
半信半疑の気持ちで、僕はCCCキャピタルに向かった。最終的には直談判するつもりだったから、会社の場所は既に抑えてある。土佐波さんの車で蛎殻町まで送ってもらって、僕はCCCキャピタルの入っている雑居ビルの前に辿り着いた。古めかしい階段をのぼりながら、僕は思った。
「僕の百五十万と、剣乃さんの一千万。本当に返ってくるのかなあ……」
僕が事務所の中に入ると、社長が自ら応対してくれた。僕には、「担当者が辞めてしまって状況が分からない」とか言っていたが、本当に他に社員がいるのかなあと思うくらいの小さなオフィスだった。
「お前、一体何者だよ。剣乃さんを担ぎ出すなんざあ……」
応接机の向かい側のソファーにどっかりと腰掛けながら、中野さんがそう言った。僕の返金請求をのらりくらりと交わし続けてきた、ニッパチ屋の社長だ。
「聞いたでしょ? 剣乃さんの上客の息子ですよ」
「嘘つけ。剣乃さんの身内が、ニッパチ屋なんか使うかよ。最初から、俺を嵌めるつもりだったのか?」
「さあ、どうでしょうね。確かなことは、『誠意』の分も含めて僕にお金を渡さないと、剣乃さんが貴方の敵に回るってことだけです」
少しばかり意地悪してやろうと思って、僕はそう答えた。
「ほらよ。これで文句ないんだろ?」
大帯の一千万と僕の百五十万、そして一通の封書が、応接机の上に置かれた。
「端数はこの封筒の中だ。計算書も一緒に入ってる。確認したら、この受取にサインをしてくれ」
「拝見します」
僕は封書を開け、計算書を改めた。過去の売買報告書は、既に何度も確認してある。計算自体は全く問題なかった。問題は、「実際には売買してない」って事だけだ。ざっくりと計算書に目を通し、明らかにおかしい部分がないことを確認してから、僕は言った。
「足りませんね」
「何っ!? そんな訳がない。後で難癖付けられたらたまらないから、検算もちゃんとしたんだ」
「いや、数字自体はあってます。利息分を返してくださいってことです」
「利息?」
「本当は全部呑んでたんでしょ? だったら、利息を取られる筋合いはないじゃないですか?」
「じゃあ、利益分も返せよ」
「売買しなかったのはそちらの勝手です。僕はちゃんと発注したんだから、利益分は頂きます。FAXで証拠も残ってますしね」
「ふざけるな!」と、中野さんが怒鳴った。
「ふざけてないですよ。剣乃さんの目もありますし、これからもこの商売を続けたいなら、ここで揉めない方が良いと思いますが」
「あまり調子に乗るなよ、小僧」
「今更、凄んだって駄目ですよ。もし僕が1時間以内に金を持って帰らなかったら、土佐波さんがここに人を連れてくることになってます。どんな人たちが来るか、中野さんには想像がつきますよね?」
「……」
僕は一つブラフを入れた。効果はてきめんだった。
「剣乃さんが後ろにいるからって、いい気になりやがって……。お前、あの人がどういう人なのか、本当に分かってんのか?」
「どういう人なんです?」
あまり、追い込み過ぎるのも良くないので、僕はつとめて軽い感じでそう言った。
「どういうって……。お前、本当に何も知らないのか?」
「ええ、土佐波さんとは古い付き合いですが、剣乃さんにお会いしたのは、今日が初めてです」
「初対面なのに、何でお前みたいな若造に、剣乃さんが肩入れするんだよ!」
「さあ……。死んだ息子に似てるとか、そんなんじゃないですかね?」
僕はスッとぼけてそう答えた。
「ったく……。あの人が、そんなのに流されるタマかよ。あの小沢を裏で操ってると、噂されてる男だぞ」
「小沢……? あの新生党党首の小沢一郎ですか?」
「そうだ。角栄さんの懐刀だった時代から、剣乃さんは宮澤の事が大嫌いだったからな。『奴の政権を続けさせるくらいなら、党を割らせた方がマシだ』といって、小沢を焚きつけたとの、もっぱらの噂だ」
「……」
余りにも荒唐無稽すぎる話だ。でも微妙に、筋が通っている話でもあった。田中は博打うちの父を持ち、進学したくともその金すらなく、たまたま彼の事を気に入った、理研所長の
政治家の家に生まれ、東大法学部を主席で卒業し、エリート官僚から政治家に転じて、とんとん拍子に出世街道を歩んできた宮澤とじゃ、そりが合わないに決まっている。剣乃さんが田中派だというのなら、宮澤には絶対につかないだろうなと僕は思った。
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