第12話「最初の嵌め込み」

「剣乃さんの話は良かったですね。お二人の事はそれなりに調べたつもりでしたが、ああいう馴れ初めがあったとは知りませんでした」


 高速に乗ってすぐに、猫のユキさんはそういった。今日は色んなことがありすぎて、猫がしゃべるのにも、何の違和感も感じなくなっていた。


「ああ、あれか。でもさ、あの話には実はオチがあるんだよ。不合格になったら嫌だから、あの時はいい話で終わらせておいたけどね」

「どういう意味ですか?」

「あの話だと、一番損したのはニッパチ屋の中野さんに見えるだろ? でも、本当は誰も損してないんだ。全部、僕を騙すための演技だよ」

「演技?」

「そう、演技。もっとも僕がその事実を知ったのは、弟子入りから二年近くもたってからだけどね」


 そう。剣乃さんは、僕に嵌め込みの楽しさを教えてくれた張本人だ。


「そもそも、僕にニッパチ屋の存在を教えたのは、土佐波さんだ。当時の僕は常日頃から、信用口座を持てないことを嘆いていたからね。僕は、彼がその責任を感じて、剣乃さんを紹介してくれたとばかり思っていたんだ」

「土佐波さんは、貴方の相場の腕を買っていたんですよね。ニッパチ屋の9割以上が詐欺なら、勧めたりはしないんじゃないですか?」

「そこが、【カラクリ】だよ。剣乃さんは、ほとんどすべてのニッパチ屋と繋がりがある。だから、僕がニッパチ屋に手を出しさえすれば、業者はどこでも良かったんだ。あの時はそれが、中野さんのCCCキャピタルだっただけの話さ」


 猫のユキさんは不思議そうな顔をしている。


「全然、ピンと来ないって顔をしてるね。じゃあ、一から話そう。僕は児童養護施設で育った人間なんだ。実の親が、どこで何をしてるのかも知らない」

「それは存じてます」

「そうか、じゃあ子供の頃の話はしなくていいな。ぜいたくを言わなきゃ、株で勝つのは難しくない。だけど、百万円の現物取引じゃ、買えてもせいぜい三千株がいいところだ。手数料もまだ高かったし、株取引じゃ生活費を賄うのが精いっぱいだった」

「それで、ニッパチ屋に手を出したと」

「そうだ。学費は何とか奨学金で賄っていたけど、全然手持ちが増えていかなかったからね。三千株が一万株になれば、生活費を賄いながら金を増やしていく自信があったんだ」

「なるほど」

「当時の僕は、起きている時間の全てを相場に捧げていた。そんな生活をしてたから、友達もロクにいなかったよ。でもね、僕が天涯孤独の身であったからこそ、僕は剣乃さんの弟子になれたんだ」

「どういうことですか?」

「あの頃の剣乃さんは、自分の思うがままに動かせる人間を探してた。だから、ワザとニッパチ屋に嵌めて、そこから救い出すことで、自分に忠実な人間を作ろうとしてたんだ」

「えっ?」

「土佐波さんは、そういう人間を探すために、証券会社の店頭に来てたんだ。そこに僕が現れた。株の腕があり、口もそこそこ立って、親類縁者のいない僕は、まさに剣乃さんが求める人材だったんだよ」

「という事は、剣乃さんと土佐波さんは、最初から貴方を嵌めるために動いていたという事ですか?」

「その通りだ。あの1千万も、元々剣乃さんが用意した金だよ」


 そういって、僕は笑った。


「冷静に考えたら、いくらあの時代とは言え、1千万なんて大金をニッパチ屋が直ぐに出せる訳がないよな。僕の目の前でやって見せた、あの電話のやり取りも、全部シナリオだ」

「あのー。私の感動を返してもらえます?」

 

 猫のユキさんはそう言ってむくれた。どうやら僕の良い話を、そのまま信じていたらしい。


「話はそこで終わらないよ。CCCキャピタルで、中野さんが僕に吹き込んだ政治話も、全部剣乃さんが描いた絵図だ。あの頃の僕は、何とかして自分の人生を変えたいと焦ってたからね」

「どういうことですか?」

「単に恩を着せて働かせるのではなく、自らの意思で弟子入りするよう、【仕向けた】ってことだよ」

「??」

「僕は政治経済学部の出身で、政治の話なら株と同じくらいに大好きだ。今じゃ信じられないだろうけど、あの時代、小沢一郎は自民党をぶっ壊したヒーローだった。剣乃さんはそのことをちゃんと知っていたから、中野さんを通して、自分が小沢の陰にいることを吹き込んだのさ」

「なるほど」

「剣乃さんと中野さんがつるんでるだなんて、あの時の僕は思いもしなかった。だから、あの話を聞いて、僕は剣乃さんの事を相当な人物に違いないと思いこんでしまったんだ。まあ、その判断自体は間違いじゃなかったけどね」

「じゃあ実際は、中野さんは何も損してないってことですよね? 貴方の稼いだ50万円も含めて」

「そうだね。持ち出しだったのは、僕が突然言い出した金利分だけだろう。案外それでプンプンしてたんじゃないかな?」といって、僕は笑った。


「後は僕が、剣乃さんに弟子入りさせてくれって言うのを待つだけさ。全部、剣乃さんの絵図通りに事は運んで、僕は彼の最後の弟子になった。最初からそうするつもりだったんだから、僕の口座に彼の金が振り込まれたって、何の不思議もない」

「嵌められたのは事実だけど、貴方にとっても、それが良かったという事ですか?」

「そうだ。僕にとって剣乃さんと共に過ごした3年間はかけがえのない時間だった。全てを知った時、僕は生まれて初めて親に感謝したよ。もし僕が、両親の愛情をたっぷり受けて育った人間だったとしたら、どんなに株の腕があったところで、剣乃さんのお眼鏡には叶わなかっただろう」

「そうでしょうね。そんな思い出を持っているだけでも、貴方はとても幸せな人間だと思います」

「こんな話で良ければ、いくらでもあるよ。剣乃さんは心の底から、嵌め込みが好きな人だった。相場では売り方を嵌めて相場を作り、現実では仲間をガンガン嵌めて、周囲に笑いを巻き起こしたんだ」


 笑い話をしているはずなのに、いつの間にか涙ぐんでる自分に僕は気づいた。


「本当に不思議なんだけど、嵌められたからって、本気で怒る人は誰もいなかった。それくらい、彼は魅力あふれた人だったんだ。あんな人に出会う事は、もう二度とないと思う」

「少し羨ましいです。私には想像もつかない世界ですから……」


 そういったっきり、猫のユキさんは黙り込んでしまった。僕も泣いてるところを見られたくなくて、そのまましばらく車を走らせていた。そのうちに、助手席にいる全力さんはニャアニャアと鳴き出した。多分、いつもの全力さんに戻ったのだ。

 

 僕にとって、剣乃さんは師匠であり、親であり、自分よりも大切なただ一人の人だった。師匠に敵対する陣営の人間から付けられた、『剣乃の忠犬いぬ』という蔑称を、僕は案外気に入っていたくらいだ。


 師匠を失って20年近くたった今でも、僕は人生に迷う度に、彼ならなんというかを考えながら生きている。そして、今回もそれが生きた。ユキさんの手紙を読んだ時、僕は一瞬、全力さんを置いて逃げようかと思った。だけどすぐに、心の中の剣乃さんに叱り飛ばされたのだ。


「一度身内と思った人間の事は、絶対に裏切るな!」


 あの時、「笑え」とすごまれた時と全く同じ口調で、心の中の師匠はそういった。だから僕は直ぐにヤサに向かえたし、黒い服の人々にヤサを囲まれても、脱出することを諦めずに済んだのだ。


 そして、僕をテストしたユキさんすら騙して、師匠の遺品である、「人生を変える箱」を受け継ぐことが出来たのである。


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