第26話 団円
王子の国王就任式と結婚式でお祭り騒ぎだった王都は、上空に突如現れた一匹のドラゴンによって大パニックに陥った。歓喜は悲鳴に変わり、逃げ惑う人々で、街中を彩っていた飾り付けや豪勢な食事がめちゃくちゃに踏み荒らされた。ドラゴンを街へ近づけさせまいと、警備兵たちが城壁に集まり一斉に矢を放ったが、羽ばたきによる風圧でまったく届かなかった。そして、ドラゴンが威嚇するかのように空へ向けて炎を吐くと、肝を潰した警備兵たちが次々と逃げ出した。本来であれば敵前逃亡は厳罰に処せられるはずだが、彼らを指揮する士官や将軍たちの姿もすでに無かった……。
警備兵たちの抵抗が収まると、スレインは王城前の広場にガヴァンを着陸させた。ドラゴンから降りて、廃墟のように静まりかえった街並みを見渡した。
「ルカをちょっと脅かしてやる程度のつもりだったんだが……、予想以上の騒ぎになってしまったな」
「ちょっとどころの騒ぎじゃないですよね、これ……」と言いつつも、ハルトマンは笑った。「でも、なんか胸がスッとした気分がします」
王城に入り口から声が聞こえた。
「まさか……。そこにいるのはスレインなのか?」
振り返ると、そこにオスカー・ブレイトンがいた。
「やっぱり、スレインだ。一体これはどういうことだ?」
オスカーは引きつった表情で、ガヴァンの体を見上げた。
「話すと長くなるんだが……、とにかく、街の人間に危害を加えるつもりはなかった。それだけは信じてくれ」
「そんなこと言われても、王都中が大混乱だったんだぞ。幸い、街に大きな被害はなかったみたいだが……。でも、そんな怪物を王都に入れるなんて、君はどうかしている」
「大丈夫だ、こいつは俺が命令しない限り、誰も襲ったりはしない」
スレインの言葉に合わせるように、ガヴァンは頭を低くした。
「そ、そうなのか……」オスカーは虚を突かれたような様子で、ドラゴンの顔を見返した。「じゃあ、どういう理由でこいつをここへ連れて来た?」
「ルカに話がある」
「王子殿下に……」オスカーは再びガヴァンに目を向けると、納得したように頷いた。「なるほど、そういうことか。おかしな話だとは思ったんだ。やっぱりルカがドラゴンを倒すなんてあり得ない。でも、さすが疾告の剣士だ。こんな怪物を手懐けるなんて」
スレインは黒剣を納めた鞘に触れた。「俺の力じゃない。ご先祖様のおかげだ。……で、新しい国王陛下は何処に?」
「ああ、それが……。見つからないんだ」
「見つからない?」
オスカーは困惑した表情を浮かべた。「私たちもさっきから探していたんだが、ルカとその婚約者、国王夫妻、それに閣僚をはじめとした大貴族の面々、誰一人姿が見えないんだ」
「どういうことだ?」
「まさか」ハルトマンが口を挟んだ。「全員ドラゴンが怖くて逃げ出したんじゃ?」
オスカーは苦笑した。「いくら何でもそれは。ろくでもない連中だが、それでも彼らは国の要だ。民を置いて逃げたりはしないだろ……」
その時、王城の中から兵士が一人駆け寄ってきて、オスカーに耳打ちをした。オスカーは驚愕した表情になると、続いてガックリと肩を落とした。
「どうした?」
スレインが訊ねると、オスカーはゆっくりと頭を振った。
「王城の避難路を通って、街の外へ逃げ出した一団が目撃された。間違いなく国王一家と閣僚の連中だ」
「ほら、僕が言った通りじゃないですか」ハルトマンは勝ち誇った。
「まさか、そこまでクズな連中だったとは。これからどうしたら良いんだ」
オスカーが頭を抱える。すると突然、物陰から一人の男が姿を現し、大声で叫んだ。
「王が逃げた!」
さらに別の物陰からも人が現れ、叫んだ。
「王が逃げたぞ!」
それらを合図とするかのように、身を隠していた市民が次々と広場に集まってきた。
気づけばスレインたちは大勢の人々にぐるりと囲まれてしまっていた。
何が起こっているのか理解できず、警戒しながら周囲を見渡していたスレインの耳に、人々の歓喜の叫び声が届いた。
「やった! 王がいなくなった!」
「王子もいなくなった!」
「閣僚や貴族どももいなくなったぞ!」
そして群衆の中から一人の老人が現れ、ガヴァンを指差し、叫んだ。
「あのドラゴンのおかげで、邪悪な王たちは去ったのだ!」
人々はに歓声を上げ、「万歳! 万歳!」とガヴァンを讃え始めた。
スレインは人々のあまりの熱狂ぶりに、少しばかりの恐怖を感じた。「ちょっと、なんだこれは? 説明してくれオスカー……っ!」
なんと、市民たちと一緒にオスカーまでもドラゴンに向かって「万歳!」と讃えていた。
スレインはオスカーの肩を揺すった。「おい、何をやっているんだ?」
法悦とした笑みを浮かべたオスカーは言った。「よく考えてみれば、民衆たちの言うとおり、この国の不幸の元凶が根こそぎ姿を消したんだ、これを喜ばずにはいられようか!」
国王一家と閣僚たちは、よほど人々からも嫌われていたらしい。スレインにはよく理解できた。
「喜んでるところ申し訳ないが……」スレインはためらいがちに言った。「あいつら、ほとぼりがさめたらすぐに戻ってくると思うぞ」
「そんなことさせない」オスカーは力強い声で言った。「ドラゴンを倒したと嘘をつき、市民を捨てて逃げ出す連中を、この国の主だと誰が認めるか。よし決めた、今のうちに、あいつらの代わりとなる新しい王を擁立するんだ」
「随分と急な話だな」
「いいや、実はずっと前から父上と一緒に考えていたことではあるんだ。あの王家と閣僚連中に政治を任せていたら、いつか民も国も疲弊してしまうと。今こそまさに好機」オスカーはスレインを見つめた。「なあ、スレイン。君が新しい王になってくれないか?」
「はっ!」スレインは思わず咳き込んだ。「……ちょっ、ちょっと待ってくれ。俺が王だって。冗談だろ。しがない貧乏傭兵だぞ。王になるなら、オスカーの方がふさわしい」
「ダメだ。今は貴族が王になっても国民の支持が得られない。だけど君なら、貴族の常識を知りつつも平民のことをよくわかっている。それになにより、この国を解放した力を持っているじゃないか」
と言って、オスカーはガヴァンを指差した。
スレインは言葉に窮した。退治したはずのドラゴンを連れていったらルカの立場が危うくなる程度のことは考えていたものの、予想を超えた、国の存続を揺るがすとんでもない展開になってしまった。国を変えたいというオスカーの思いに反対はしない。しかし自分自身が王になりたいとはまったく思わなかった。スレインは自分が小部隊を指揮することはできても、国を動かすほどの政治の才能はないと理解していた。たとえ市民たちの熱狂に押されるまま王になったとしても、じきに破綻することは目に見えている。
もっと王になるふさわしい人物がいるのではないだろうか、と考えながら、スレインたちをぐるりと取り囲む民衆たちへ視線を向けた時、すぐ近くで元気な声がした。
「なんなら、僕が王になりましょうか?」
「なに!」
スレインは驚愕して、隣に立つハルトマンを見つめた。
「なんだお前は?」
オスカーも目を丸くして、しげしげとハルトマンを見た。
「ハルトマン、吟遊詩人です。誰も王にならないのなら、僕が立候補します」
「おいおい、冗談だろ。誰がお前みたいな奴を王だと認めるんだ」
とオスカーは言ったが、スレインはそれもありじゃないだろうか、と思った。少なくとも自分が王になるよりはマシだ。
「俺は悪くないと思う。こいつは俺なんかよりもずっと世間のことを見て知っているし、頭もなかなか切れる」時々空気読まないけど、とは言わずにおいた。「……だから、民に寄り添った政治もできるだろ」
「スレイン、本気か? こんな得体の知れない吟遊詩人で大丈夫なのか?」
「任せてください! 立派な王になって見せます」
ハルトマンはドンと胸を叩いたが、オスカーは不安な表情を崩さなかった。それはそうだろう、スレインがオスカーの立場だったら同じことを思う。
しかし、スレインはオスカーに申し出た。「不安というなら、こいつを付けよう」スレインはグヴァンを指差した。「国と王の守護者として見守ってくれるはずだ。……グヴァン、ハルトマンの言葉を俺の言葉と思って、従ってくれるか?」
「それが我が主のご意思ならば」グヴァンはハルトマンに向かって頭を垂れた。
「それなら、なんとかなるかもしれないが……」オスカーは唸るような声で言った。「国王は重大な責務だぞ。ちゃんとそれを理解しているのか?」
「もちろんですよ、あんな人たちでも務められたんですから」
オスカーは鼻で笑い、それから納得したように頷いた。
スレインはハルトマンへ視線を向けた。
「でも、本当に良いのか? 有名な吟遊詩人になるって夢は諦めることになるぞ」
ハルトマンはなんでもないふうに言ってのけた。「僕は有名になりたいだけで、吟遊詩人である必要はないんですよ」
「あっ、そう……」
そんな軽い気持ちで引き受けてしまって大丈夫だろうか、とスレインは心配になったが、推薦した立場としては今更何も言えなかった。まあ、オスカーもグヴァンもいることだし、おかしなことにはならないだろう。
とにかく、これで大方の問題は解決した。しかし、最後に一つ、大きな問題が残されていた。スレインが旅に出た元々の理由……。
「これで決まりだな。じゃあ、オスカー、ハルトマン。あとは頼んだ」
と言って、スレインは二人に背を向けて歩き出した。
「待て、スレイン」オスカーが引き留めた。「君はこれからどうするつもりなんだ?」
スレインは振り返って答えた。「早急に次の仕事を探さないといけない。まだ借金が残ってるんだ」
「借金! 何を言っているんだ。君はこの国の恩人だ。報奨金ならいくらでも出す」
「別にこの国のためにやったわけじゃない。褒められる謂れはない。それにこれから何かと入り用になるはずだ、だから有意義に使ってくれ」
「君という奴は本当に貴族の鑑だな。わかった、じゃあこの国の将軍として雇おう」
しかし、スレインは首を左右に振った。
「国とか王とか王子とかが関わる面倒な仕事は、もうこりごりだ」
わがまま王子とびんぼう傭兵のドラゴン退治の旅 under_ @under_
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