のろまのペンギン
@miraiyashima
のろまのペンギン
大胆に破けたダメージジーンズを穿いたわたしは、下半身を窮屈に拘束されていた。ヘソが出るか出ないかのTシャツと、薄桃色のチュニック。どちらを合わせようかと迷った挙句に、孝之が好きそうなTシャツを選んで袖を通した。
大学1年の夏。最後のデートの行き先は3日前の夜中に孝之から掛かってきた電話で一方的に告げられた。
静岡県の掛川市にある最後のデート場所。掛川花鳥園。
「俺、観てみたい鳥がいるんだよね。名前なんだっけな? とにかく鳥じゃないみたいな鳥がいるんだよ! 」と通話口の向こうで孝之は自分本位な理由を捲し立てた。かくいうわたしも特段、最後に見合うデート場所を提案できるわけでもなかったので「楽しそうだね。」って言葉で片付けて、約束の日時だけしっかり覚えて電話を切った。
遠くから聞こえる相変わらずのうるさい音。もう危ないよと忠告することもなくるんだなと思いながら、近づいてくるマフラー音でもうすぐ孝之が到着することを知る。準備があるから家を出る前に連絡してね。というわたしのメールはどうやら読まれなかったようだ。孝之は読まずに食べちゃうヤギと同類もしくはそれ以下。そんな奴のために慌てる必要もないかと思いながら、階段を降りて玄関に並んだ履きやすい白のスニーカーに足を突っ込んだ。
「よぉ! 」
玄関を出ると、黄色と黒が混じった蜂みたいなコントラストのヘルメットをかぶった孝之がいた。
「久しぶり。てかバイクで来たんだ。」
「だって天気いいじゃん。絶好のバイク日和だよ。」
そう言うと孝之はようやくヘルメットを脱いだ。前あった時より少しだけ焼けた気がする。
「午後から思いっきり雨の予報だけどね。」
夏なのに黒いライダースジャケットは見ているだけで、こっちが暑苦しい。
「げっ、まじか。いいかな? バイクでも。」
「いいもなにも、どうせ帰る気ないでしょ?とりあえず、薄着してきちゃったから着替えてくる。」
「俺、紗季の分のライダースも持ってきたよ! 」
そう言って無駄に重たいジャケットを渡した。
「これ暑いし重いしから…。わたしパーカー羽織ってくる。」
「パーカーなんかじゃ、万が一バイクで転けた時危ないよ。」
そう思うなら車で来てよ。と喉まで出かかったが、孝之を無視して家に引っ込んだ。グレーのパーカーをハンガーから横取りするみたいにして、またすぐに家を出た。
わたしたちの住んでる神奈川から掛川は1時間ほどで到着した。
道中で何度も尻のポジションを変えながら、どこまでも続くような海沿いの景色をひたすら眺めた。その間に行き交った孝之とわたしの会話はたった2回。「海だね! 」「そうだね。」「綺麗だね!」「そうかな。」
わたしは海が汚いと思う。海が汚いんじゃなくて、人が汚した海が。そんなことをぼんやり考えて、赤信号の合間に破けたジーンズから覗く太ももをいじってたら、花鳥園に到着していた。
1300円の入園料を2人分支払って園内に入ると、そこは動物園とは違ってガラスが鉄骨を覆った室内ハウスで、雨が降っても楽しめるような仕組みになっていた。鳥が飛ばないために然るべき姿になった建物のおかげで、わたしたちの無計画さは守られる。
孝之は入ってすぐ右側にある、フクロウが展示されているスペースに進み、わたしも後に続いた。
夏休みなのに園内はそれほど混んではいなかった。けれど、寂れた雰囲気がないのは職員の人がそうならないように、努力しているからだろうと思う。
わたしと孝之は動物園や水族館に行くと必ず、おのおのが好きなところを自由に見て回り、たまに寄り合ってはあっちに面白いのがいた。などと報告し合うのが常だった。
世界のフクロウコーナーには綺麗なガラスケースがずらりと並ぶ。真っ白な顔にまんまるの目が窪み、人間の鼻がついてるようなメンフクロウや、誰もが羨む美脚を伸ばすヘビクイワシ。 注意深く見てもミミズクとフクロウの違いが、わたしにはいまいちよく分からなかった。
わたしはアフリカオオコノハズクという種類が一番気に入って、他のフクロウを見て飽きてはここに戻った。アフリカオオコノハズクは細い木を足というのか、爪というのか、で掴んで深く眠っている。まるで毛深いお爺さんがそこで居眠りをしているように。
しばらく観察しているとガラスに映るわたしの後ろに、孝之が立った。
「どう?」
どこで入手してきたのだろうか。園のパンフレットで顔を仰いでいる。
「それ、後で見して。」
「ほいよ。」
「ねえ、この子なんかおじいちゃんみたいじゃない?」
「俺、紗季のおじいちゃんに会ったことないから分かんない。」
「いや、そういうことじゃなくて、世間一般のおじいちゃんっていうか…。まぁいいや。でも、可愛いね。この子たち。」
「あっちのほうに、もっと面白いのいっぱいいたぜ。」
「うん。じゃあ、行く。」
その後、園をいろいろ回ったけど孝之はなぜか珍しく自由行動をしなかった。
ペンギンプールで休憩して、カラカラになった喉を潤そうと2人で飲み物を買った。目の前でペンギンが歩いたり、泳いだりしてる。ペンギンが入水する時の水飛沫が容赦ない日差しに照らされてキラキラするたび、ペンギンが生き生きしていくように見えた。
1匹ただ歩いてるだけなのに転んでた子がいて、なんだかちょっと愛着が湧いた。
飲み干した空き缶を捨てる時、自動販売機横に貼ってある先着10名様!ペンギンと写真撮れます。という内容のポスターを見た孝之が「紗季、ちょっとここで待ってて。」と言ってどこかへ走って行った。しばらくして戻ってきた手には、何やら小さな白い紙が握られていた。
「俺らも撮ろうぜ。ペンギンと」
「うん。」
こんなデートと思ってたけど、差し出されたチケットを見て霞む視界に驚いた。
顔を上げて、もう一度さっき転んだペンギンを探したけれど、もうどの子だったか見分けが付かなくなってしまった。
孝之が電話で言っていた、鳥じゃないみたいな鳥。というのはハシビロコウという鳥で、園の名物でもあるらしかった。
待望のハシビロコウの森に辿り着くと孝之は「触りてぇ。乗りてぇ。」と意味のわからないことを連呼していた。
問題のハシビロコウはこちらが何かをしたわけでもないのに、殺意を含んだ目で見てくる。ホストが履いてる革靴みたいなクチバシがとてもゴツい。
「ねぇねぇ、孝之。これ飛ぶ?」
「分かんない。けど、とりあえず強そうだね。」
「たしかに…。写真撮ったげる。これ孝之が観たかったやつでしょ? 」
そう言うと、孝之はポケットから携帯を取り出した。そのまま渡してくるのかと思ったらカメラを起動しインカメにして、私とハシビロコウと孝之でスリーショットを撮った。
「あとで送っとくわ。」
「うん…。ありがと。」
あぁ、なんだろう。調子が狂うな。
孝之に見せてもらった写真の中でハシビロコウが完全にわたしらの間でガンをつけていたから、一瞬胸に宿った名残惜しさも少しだけ薄れていった。
ペンギンと写真を撮るイベントの時間が迫っていたけれど、2人ともお腹が空いていたので、園内にある小さな喫茶店で昼ごはんを食べた。
孝之は暑いのにラーメンをチョイスして、醤油と味噌どっちがいいかと聞いた。わたしは味噌が好き。けど孝之が好きな醤油と答えてから、わたしは牛丼とフクロウの顔になってるロールケーキを一つ頼んだ。孝之が少しくれた醤油ラーメンは700円だったけど、500円くらいの味だった。フクロウロールケーキは可愛くて、食べるのに躊躇していたら写真を撮る前に、孝之に目玉を食べられてしまった。
わたしのしょぼくれた顔を見て孝之は「ごめん。」と謝ってくれたのに、「いいよ。どうせ思い出に残しても、しょうがない写真だしさ。」と言ってしまった。
写真撮影前だというのに気まずい空気が流れたまま、ペンギンの待つわくわくイベント会場まで向かっている。
こういうのが苦手なわたしは孝之の数歩後ろで、俯きながら歩く。無理に歩幅を合わせようとする孝之に、堪忍して顔を上げた。すると孝之はわたしの手を奪い、恋人繋ぎをした。そういえば今日、わたしたちは一度も手を繋いでいなかった。
今日が終わるまでは、まだ繋いでもいい関係性。湿った手と手の間を流れる汗を感じながら、わたしたちはごく自然に恋人を振る舞った。
ペンギンは近くで見てもやっぱり可愛くて、触ってみると想像と違ってすごく硬かった。孝之はペンギンのことを勝手にペンゴロウと呼んでて、職員さんたちがそれに笑っていた。「仲良いですね。」とオレンジの作業服を着た飼育員さんに言われて、確かに今日で別れる恋人のすることではないな。と考えていた。わたしは向けられたカメラにぎこちなく笑った。現像された紙の写真では真ん中にいるペンギンが1番よく写っていて、孝之はうまく笑えていたのにカメラ目線が出来ていなかった。
ペンギンと写真を撮るという一大イベントを終えてしまい、わたしたちはやることを失った。
「ハシビロコウはもういいの?」
「目に焼き付けたから大丈夫。」
「嘘つき。」
「だって、あいつ全然動かないんだもん。」
「そっちが本当の理由ね。」
「まぁ、そうともいう。帰る前に、売店でお土産見てから帰ろうよ。」
「うん、いいよ。なんか買うの?」
「見なきゃ分かんないだろ。」
そうして、わたしの頭を小突いた。
「そっか。」
わたしはペンギンと撮った写真を左手に持ち、孝之はしわくちゃになった用済みのパンフレットを右手に丸めていた。
わたしたちを今日一日楽しませてくれた鳥たちに、さようならを告げてゆっくりエントランスに向かった。
エントランス横の売店には、園内で会ってきた鳥たちのグッズがたくさん販売されていた。どれもが可愛くて、使い道の分からないものまで欲しくなる。
わたしは悩み抜いて、お母さんにペンギンのチョコレート。妹にフクロウの靴下。大学の友達には、配りやすいようにたくさん枚数が入っている小鳥のクッキーを選んで買った。
孝之はいろいろ見たいものがあるのか、売店では自由行動をして、店内中を見回してもどこにいるのかわからなかった。わたしは先にお会計を済まして孝之が来るまでの間、アフリカオオコノハズクのグッズを見ながら何度か買いたい衝動にかられていた。でも、思い出をこれ以上残してしまえば虚しくなりそうで、やめた。
孝之は見ている時間が長かった割には小さな袋を二つだけぶら下げて戻ってきた。
「ずいぶんかかったけど、何買ったの?」
「俺のは内緒。紗季は?」
「お母さんと妹と、大学の友達にお土産買っただけ。」
「ふぅん。で、大学で出来た好きなやつにでもあげんの?」
「何それ。本気で言ってる? 」
「言ってみただけだよ。」
「人を節操のない女みたいに言わないでくれる? 孝之のほうこそあげる相手も教えないし。あぁ、そういうことね。」
「いや、カマかけたっつうーか。そんなやついねぇし。悪かったよ。」
「もういいよ。」
どうせ同じバイクで帰らなきゃいけないのに孝之を置き去りにして、わたしは勝手にエントランスから退園して走った。
外に出ると空いっぱいに綿飴みたいな雲が広がって霧雨が、なにかを遠慮してるようにか弱く降っていた。
ぼやけていく視界のせいで前がよく見えなくて、わたしは園の駐車場に植った大木の太い根っこに足が捕まって、前のめりに転んだ。
持っていた袋がお腹の下敷きになって、可愛い小鳥の絵が描かれたパッケージの箱が潰れてしまった。中のクッキーもきっと粉々だろうし、もう誰かに渡せるような代物ではなくなった。大学の友達に静岡に行くこと、話してなくてよかった。
今日のことは、本当になかったことにすればいい。ついでに、今までの孝之とのことも。そして、静岡の土産話の代わりに別れたことの報告をすればいい。
涙を土で汚れた手で拭っていると、後から走ってきた孝之が驚いた顔をしてわたしの肩を触った。
「紗季、大丈夫か? どうしたんだよ。」
「そこの根っこにつまづいてコケただけ。別に大丈夫。」
「ごめんな…。それ、買ったやつ。潰れてちゃってんじゃん。俺もう一回中行って、同じの買ってくるよ。」
わたしは園に戻ろうとする孝之の腕を掴んだ。
「もういいの。本当に。ここに来ること大学の子には言ってないし。特別…あげたい人もいないから。」
わたしがそう言うと、孝之は秘密と言った袋からアフリカオオコノハズクのぬいぐるみを取り出した。
「これ…紗季が最初に見て、可愛いって言ってたやつ。」
「なんで…?」
「うん。紗季にあげるつもりで買った。」
「そっちの袋は…?」
わたしが聞くと、孝之はもう一つの袋からハシビロコウのぬいぐるみを出した。
「こっちは、俺の。」
「今さら…思い出増やしてどうするの?」
「それは…俺の勝手だろ。クッキー、やっぱ買ってくるよ。俺ら最後にこういうのなんかやだよ。」
「いいの! 本当にいらない。」
「じゃあ、また一緒に買いに来てくれる? って言ったら? 」
「…何それ。わたしたち今日で別れるんだから、または、なしだよ。」
孝之はわたしの手を振り払って、園に走り出すことはしなかった。けど納得もしてないといった顔でわたしの隣に座った。何をするでもなく時々、周囲の人に怪しがられながら互いに無言を貫き、大木に寄りかかる時間が続いた。
孝之とわたしは同じ高校だった。それで文化祭とか、同じクラスになったりとかそういうありきたりなことがきっかけで、両想いになって2年間付き合ってた。
卒業して、大学が離れて。毎日顔を合わさなくなって、だんだん新しい生活が楽しくなり始めて。気が付いたらわたしたちの間には、向こう岸に渡れないほど激流の川が出現していた。わたしは孝之を嫌いになったわけじゃなかった。
ただ、いつの間にかできたその川を必死に渡った先で、孝之に手を差し伸べてもらえずに溺れていく自分が怖かった。
わたしたちがここまでに至った経緯はその濁った川のように、あまりにも不透明だった。
「俺さ、今日楽しかったよ。紗季はもう、うんざりだって思ってるかもしれないけど。」
孝之はポツリポツリと話し始めて、隣にいるのに声は遠くから届くように聞こえた。
「そんなこと…ないよ。」
「紗季とまた来れたらいいのになって。素直にそう思った。」
「うん…。」
あぁ、わたしは誰かに引っ張ってもらわなければ、ちゃんと走ることも泳ぐこともできない。ノロマなペンギンだ。
「紗季は…どう思った?」
「また来たいよ…。」
「それは、俺と?それとも俺以外と?」
「クッキー。こうなったのは孝之のせいだ…。」
「せいだから、なんだよ。」
初めて見る、孝之の少し怒ったような顔。
「違う…。」
「はっきり言ってくれていいよ。」
「孝之と…来る。また来たい。」
川の濁りが、流れが緩くなる。孝之がこっち岸に泳いできてくれたことで、その手をわたしが握ったことで。川が消滅していく。
どうやらその水は、わたしの瞳の中にはけているらしく涙が溢れて、それでは足りず鼻の穴からも流れた。
帰りのバイクでわたしは孝之の腰に手を回して、真っ黒に染まった海を眺めていた。夜の海の方がずっと好きだなんてことを考えていた。
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