幻灯小路

三角海域

幻灯小路

 電車に揺られながら、少女はいつもその風景を眺めていた。

 その風景は、普通の住宅街の中に紛れている。

 映画やドラマといった物の中でしか見たことのないような、レトロな町並み。それが、まるで時間から置き去りにされたかのように、存在していた。

 一駅戻れば、学校の最寄り駅。

 一駅進めば、ショッピングモールのある栄えた駅。

 そんな華やかな駅に挟まれている、レトロな風景。

 その日は、たまたまダイヤの時間調整か何かで、電車はいつもより長く停車していた。

 きっかけ。そんな言葉が、少女の中で渦巻いた。

 元々、あの風景を気にしていたのは、友人の少女だった。

 彼女は病弱で、よく学校を休んでいたのだが、学校へ来た時には、図書室で本を読んでいることが多かった。

 白い肌。儚げな横顔。本の香りと、静かな空気。図書室が似合う少女だった。

 図書委員だった少女は、病弱な少女と、友人になりたいと思った。

 けれど、一学年先輩ということもあり、図書室以外での接点がないということと、図書室でもうまくタイミングがはかれず、見かけても話しかけられずにいた。

 そんなある日。

 病弱な少女が、珍しく本を借りたいたいと、貸出カウンターへやってきた。少女は読書のスピードが速い。学校にいる間に、小説を一冊読み終えている。細い指がすごい勢いでページを捲っているのを、図書委員の少女はよく感心して見つめていた。

「珍しいですね」

 思っていたことが、口に出てしまったと気が付いたのは、病弱な少女の「え?」という言葉を聞いたあとだった。

「あ。えーと。いつも、図書室にいる間に一冊読み終えていたので、珍しいなと」

 気持ち悪いと思われただろうか。じろじろと眺められていたのだ。そう思われても仕方ない。だが、病弱な少女は、恥ずかしそうに笑うだけだった。白い肌に、ほんのりと朱が差す。

「この本、すごく面白かったから、ゆっくり読み直したいなって思ったの。私、本が大好きなんだけど、時間をかけて本を読める環境じゃなくて。でも、沢山本が読みたくて。それで、今はもうあんな感じで本を読むようになっちゃった。はしたないかな?」

「はしたない? そんなことはないと思いますよ。むしろすごいですよ。わたし、速読って初めてみました」

「速読なんて言えるほど速くないよ」

「いやいや、ご謙遜を」

 話始めると。すらすらと言葉が出てきた。

 本を貸し出し、手を振って図書室を出て行く病弱な少女を見送る。図書委員の少女は、その日一日ずっとニヤニヤしていた。

 なんとも気色悪いやつだなと、その時の事を回想するたび少女は思う。

 それからは、図書室で顔を合わせるたび、二人は会話をした。

 面白いもので、会話を始めるのは、いつも病弱な少女の方からだった。

 いろいろな話をした。

 小説のこと。

 映画のこと。

 風鈴が好きで、その音を聞いていると、よく眠れるということ。

 話をしている時の彼女はとてもきらきらしていて、儚げで触れれば壊れてしまいそうという、当初抱いていた印象はすっかり変わってしまった。

 そうして、会話するようになってから、しばらくした後のことだ。病弱な少女は、ある風景の話をしてくれた。

「○○駅ってあるじゃない?」

「はい」

「そこにね、面白い場所があるの」

「面白い場所? 家しかなくないですか?」

「あのね、住宅街の中に、すごく古い町がぽつんとあるの」

「ありましたっけ?」

「あるある。なんか、それがすごく気になってて」

「じゃあ、今度意識して見てみますね」

 そうして、少女はあの町を発見し、それからは、その風景を電車の中から見るのが日課になった。

 いつか二人で一緒に見に行こう。そんな風に話していた。

「大きな検査があって、しばらく学校へ来られないんだけど、それが終われば、また来るから。そしたら、一緒に行こう」

 病弱な少女はそう言った。

「約束」

 そう言い、小指を差し出す。

 細い指だ。強く握れば折れてしまいそうだ。図書委員の少女は、ゆっくり、優しく自分の小指を絡める。

「楽しみだね」

「はい」

 二人は笑みを交わす。

 それが、最後に見た、病弱な少女の姿だった。

 


 病弱な少女のことを忘れたことは一度もない。けれど、できるだけ考えないようにはしてきた。思い出を掘り返せば、悲しくなるからだ。

 けれど、今日はたまたま、あの町のある駅に、電車が長くとまっている。

 きっかけ。再び、その言葉が強く湧き上がる。

 見に行こう。

 そう思い至ると、少女の行動は早かった。

 電車から降り、改札を抜け、その場所へと小走りで向かう。

 好奇心があふれてくる。少女自身もよくわかっていないのだが、そこに「何か」があるような予感があった。

 その場所にたどり着くころには、少し息が上がり、じんわりと汗が滲んできていた。

 電車から眺めている時と、その場所の印象は少し異なっていた。

 住宅街の間にそれなりに長い道があり、そこを通って、あの場所に向かうらしい。

 周りが家で囲まれていて、その道は昼間でも少し薄暗い。

 なんだか、異界への入り口のようだなと少女は思う。

 しばらく歩くと、開けた場所に出た。

 そこには、電車から眺めていたあの風景があった。

「うわぁ」

 感嘆の声が漏れる。少女が思っていた以上に、そこは「時間からはぐれた場所」だった。

 静かで、空気もどこか澄んでいるように感じられた。周りは普通の住宅街だというのに。ここだけ、流れている時間が違うようだった。

 あたりを見回しながら、少女はその町へと足を踏み入れる。

 町の入り口であろう場所に、小さな店があり、覗き込むと、老婆が目を閉じて座っていた。起こすのも悪いので、その場を立ち去ろうとした時だった。

「いらっしゃい」

 しわがれた声が、少女に向けられた。

「こんにちは」

「若い子だねぇ。珍しいこともあるもんだ」

「珍しい?」

「ここらはじじいとばばあしか住んでないからね」

 老婆はそう言って笑った。

「ここって、どういった場所なんですか?」

「普通の町だよ」

「なんだか、レトロですよね」

「それを売りにしてた時期もあったんだけど、今じゃさびれた町でしかないよ。住んでる人間もほとんどいなくなっちゃったしね。あたしらが死んだら、ここもなくなるんだろうさ」

「そうなんですか。なんだか、ちょっと悲しいですね。わたし、学校帰りの電車の中で、いつもここを眺めてたんです。面白いなって」

「へえ。じゃあ、もしかしたら、お嬢ちゃんは呼ばれてるのかもしれないね」

「呼ばれてる?」

「そう。昔は、ここらは幻灯小路なんて言われててね」

「幻灯小路?」

「夜になると、この道をみんなが照らすのさ。家の前に提灯を置いてね。盆の時期なんかに置く提灯あるだろう? ああいうのを置くんだよ。色とりどりでね、結構綺麗だったんだよ」

「素敵ですね」

「その景色が幻想的だから、幻灯小路ってわけさ。けど、それだけってわけじゃない」

「そうなんですか?」

「どれくらいだったかね。いつからか、ちょっとした噂が広まったんだ。確か、最初は古本屋のじいさんだっけかね。じいさんが言うには、ある時道を歩いてたら、急に今いる場所がわからなくなったらしくてね。見知った場所のはずなのに、どうにも場所がわからない。ついにボケちまったのかと思ってた時、見たって言うんだ」

「見た?」

「そう。三年前に亡くした奥さんをね」

「幽霊ってことですか?」

「どうなんだろうね。あたしにはよくわからないけど。だけど、見たって言うんだ。障子戸の向こうから、自分に声をかけてきたってね。その後からさ。同じような経験をする人間が現れた。面白いもので、どこからか噂をききつけて、それ目当ての人も来たりしてね。けど、その人たちは、誰もその経験をすることはできなかった」

「住人の方だけしか経験できないんでしょうか」

「どうかね。けど、なんて言うんだろうね。初めにその経験をした古本屋のじいさんは、二年前に亡くなったんだけど、時々、その時の話をしてくれてね。じいさんは、思い出が呼び水になるんじゃないかって言うんだ」

「思い出……」

「じいさんの場合は亡くなった奥さんだったけど、他にこの経験をした人の中には、ずいぶん前に絶縁した息子と会ったなんて人もいてね。それなら、幽霊と交信できる、みたいなことではないだろうって言うんだよ。じいさんは、自分が思うに、この町は強い思い出を持った人間を呼び寄せるんじゃないかって。あたしにはさっぱりでね。、幻想だとしても、それだけの思いがあるってのはすごいことだとは思うけどね」

 だから少女は、思い出に呼ばれたのかもしれないと、老婆は言った。

「長話しちまったね」

「いえ。とても面白いお話でした。ありがとうございます。このお店、小物屋さんなんですか?」

「老人の暇つぶし程度の店だけどね」

 店内を見渡すと、少女は気になる商品を見つけた。

 それは、淡い色の花の模様が描かれた、風鈴だった。

 少女は風鈴を手に取り、その花の模様を見つめる。

「これ、いただけますか?」

 風鈴を購入し、少女は店を出た。町を見て行ってもよいかと老婆に問うと、「ただの町なんだ。許可なんかいらないよ」と笑っていた。

 


 少女は、町をゆっくりと歩いていた。

 歩くペースに合わせて、手にした風鈴が気持ちの良い音を鳴らす。

 日が暮れかけている。昔は、この道に提灯が並んでいたと老婆は話してくれた。確かに、その光景は、ただ綺麗というよりは幻想めいた景色だったかもしれないと思う。

 夕暮れ時の、少し肌寒い風。夏が近いとはいえ、初夏は日が暮れれば気温が下がる。汗はもうすっかりひいていた。

 夕陽の淡い橙色が、少女と道を照らす。

 なんとなく、少女は立ち止まり、夕陽に風鈴をかざしてみた。

 花の模様が、薄く橙に染まる。それを見ていると、なぜだか笑みが漏れた。

 再び歩き出そうとしたした時だった。

 不思議な感覚がわきあがった。

 ここは、どこだろう。

 迷うような場所ではない。入り組んでいるわけでもない一本道だ。それなのに、方向がよくわからなくなる。

 これが、老婆が言っていた感覚なのか。

 どうしたものか。動き出そうにも、どこに足を踏み出していいのかわからなかった。

「久しぶり」

 声がした。懐かしい声色。少女は振り返る。

 障子戸。その向こうに、影があった。

 忘れようもない、病弱な少女の影だった。

「元気そうで嬉しい」

「わたしはいつも元気ですよ」

「そうだね。あなたは私にもたくさん元気をくれた」

「そんなことないです」

「本当だよ。だって、あなたと話している時は、自分が元気になったって思いこめるくらいだったから」

「でも、いなくなっちゃったじゃないですか」

「ごめんね」

 そんなことを言いたいわけではない。けれど、言葉が止まらない。

「約束してきたの、そっちじゃないですか。一緒に行こうって」

「ごめんね」

「どうして、死んじゃったんですか」

「ごめんなさい」

 約束をしたあの日から一週間後、病弱な少女は、唐突にこの世を去った。病状が急変し、そのまま回復せずに、亡くなったのだ。

 突然すぎて、現実感がなかった。

 葬儀に参列し、現実を突きつけられた後でも、どこか夢の中にいるようだった。

「でも、いいです」

「え?」

「こうして、今一緒にここにいますから。針千本は許してあげますよ」

「優しいね。あなたはいつも優しかった」

「そんなことないです。これはただの妥協なので」

「ありがとう。それと、やっぱりごめんね」

「あやまらなくていいです。こうしてまた会えただけで、わたしは十分ですから。ちゃんと、伝えたかったんです。お葬式の時は、現実感がどっかにいっちゃってて、きちんと伝えられなかったから」

「伝えたいこと?」

「はい。友達になってくれて、ありがとうございました。すごくすごく楽しかったです。先輩に会えて、わたしは幸せでした」

「私の方こそだよ。友達になってくれてありがとう」

 少し間ができる。そろそろお別れなのだということを、少女はなんとなく察する。

「これ」

 片手にした風鈴を、少女は掲げる。

「先輩、風鈴好きでしたよね」

「うん」

「これ、今度会いに行くときに持っていきますから。おみやげです」

 お墓参りに時にと言おうとしたが、少女は会いに行くときにと言い換えた。なぜだか、そう言うのが正しいと思えたのだ。

「ありがとう」

「一緒にここに来たっていう記念品にもなりました」

「約束を果たした記念だね」

「です」

「楽しかった」

「わたしもです」

「ありがとう」

「さっきからそればっかりですね」

「そうだね。でも、言いたかったから。ありがとうって、あなたに伝えたかった」

「そうですか。じゃあ、ありがたく言葉を受け取ります」

「うん。ありがとう……それじゃあ、そろそろ行くね」

「……はい」

「ばいばい」

 影が、手を振る。表情は当然見えないが、きっと、笑っているのだろうと少女は思った。



「おかえり」

 入り口まで戻ると、老婆が出迎えてくれた。

「どうだい? 思い出には出会えたかい?」

 少女は笑みを返す。老婆は目を細め、「そうかい」と呟いた。

「そろそろ完全に日が暮れる。早く帰った方がいいよ」

「はい。ありがとうございました」

「あたしはなんもしてないよ」

 少女は老婆に頭を下げ、走った。

 なんだか、とても走りたい気持ちだった。

 思い出が見せた幻でもいい。

 あの影が、本当の「彼女」でなかったとしてもかまわない。

 今はただ、走りたかった。

 駆けると、風が生まれる。その風が、風鈴を揺らし、力強い音を鳴らす。

 この音は、あの人のところへ届いているだろうか。

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