キャッシュレス?
平中なごん
キャッシュレス?(※一話完結)
「――ご主人さまがご自身でこられなくても、お買い物ならわたくしがいたしましたものを」
散歩の途中、ふらっと訪れたコンビニで、我が家の美少女メイドが可愛らしい眉根をへの字にして不満気味に口を尖らせる。
「なに、たまには君に頼らず、自分で買い物がしてみたい気分になったんだよ」
僕はそう答えながらレジへと向かい、手にした緑茶のペットボトル一本だけを差し出す。
別に緑茶がものすごく飲みたかったわけでもない。ほんとに物資の購入自体が目的ではなく、このコンビニへ入ったのはほんの気まぐれである。
「210円になります」
僕がペットボトルをカウンターに置くと、モデル系の亜麻色の長い髪をした美人のコンビニお姉さんがそのバーコードを読み取り、はきはきとした明るい声でそう告げる。
本体価格140円だが、今のご時世、消費税50%なのでまあ定価はそのくらいになるだろう。
高いように思えるが、超福祉国家というものはそんなもんだ。
「はい……」
その値段になんら文句のない僕であるが、お姉さんに返事をしても財布をポケットから取り出そうとはしない……そんなもの、生まれてこの方持ったことはないのだ。
では、メイドが持っているんだろうと推理する方もいるかもしれないが、無論、彼女も持ってはいない。
なら、スマホをかざしてキャッシュレス? と昔の人だったら思うんだろうが、それも否だ。
「では、おねがいします」
財布やスマホの代わりに、僕はシャツの袖を捲りあげると腕をカウンターの上へと差し出す。
「はい。ありがとうございました。またのご来店、お待ちしております」
すると、お姉さんは腕の真ん中辺りをじっと見つめ、先程のバーコード同様、赤く光る
……そう。僕の腕の皮膚の下にはチップが埋め込まれており、それをスキャンすれば購入履歴が記憶されるというわけだ。一昔前までは珍しいものだったらしいが、今ではこの日本でも珍しくはない、ごくごくありふれたシステムである。
なんだ。技術は新しいがやっぱりキャッシュレスじゃないか…と思ったそこのあなた。残念ながらそれも不正解。
キャッシュレス――即ち、現金を使わないというは多少言い回しが近いのかもしれないが、やはり根本的に僕の行ったこととは違う……。
つまり、現代社会において、〝お金〟という概念自体が存在しないのである。
21世紀中頃から急速に発展したAI(人工知能)開発とロボット工学は世界の在り方をガラッと一変させた。
人間以上の知性を獲得したAI搭載のロボット達はそれまで人間の行っていた仕事を人間以上にこなすようになり、その担う仕事の分野を瞬く間に拡大させていった……。
気づいた方もいると思うが、今、目の前にいるコンビニのお姉さんももちろんAIを搭載した人型のロボットだ(もっといえば、店員用アンドロイド・キレイ系モデルタイプ…)。
あ、そうそう! 当然のことなので言い忘れていたが、このとなりにいるメイドの
今のご時世、
当初は「ロボット達に仕事を奪われてしまう…」などとその躍進を懸念する人々も大勢いたが、すぐにそれがただの思い過ごしであったことを僕ら人間は知らしめられる。
なぜならば、経済活動ーー生産性のある労働はすべてロボット達に任せておけば事足りるからだ。
労働とは、極論すれば、そもそも食うため、生きていくためにやっている行動である。
だが、農業も工業も流通も販売も、すべてロボット達がこなしてくれる。
食べるものも生活に必要なものを生み出してくれるし、それを運び必要な人々に届けることも、また、古代ローマ風に言えば剣闘士にあたるものーー人間が生きていく上で食料と同じくらいに大切な娯楽ですらもロボットは提供してくれるのである。
それではその購入方法はといえば、まあ一瞬の配給制みたいなものだ。
ただし、過去にあった配給制のように物資が手に入りにくくなるようなものではない。もっと自由で、なんら不足のないものである。
何か欲しいものがあれば、無償で国家が提供してくれる……過去に導入された〝ベーシックインカム〟(※一定額を無条件で国民全員に配布する制度)をも遥かに上回る、誰も
もっとも、際限なく提供しては社会が成り立たなくなるので限度が定められており、例えば宝石とか高級自動車とか、希少な物資に関しては購入に審査があったりなんかもする。
でもま、その限度以上に使わなければOKであり、普通に暮らしていく分にはまったく問題ない。
で、今、僕が腕のチップをスキャンしてもらったのも、その限度に到達するまでの残高を管理するために、購入履歴を政府のデータバンクに記録する方法の一つというわけだ。
故に、現在の社会においては商売することもそのためのお金も必要なく、なので貧富の差や経済的格差のようなものも存在しない。
いわば、かつてマルクスやレーニンが目指した共産主義の社会が、AIとロボットという新たな技術によって今度こそ実現したのである。
また、経済ばかりでなく、さらには政治までもが量子コンピューター内に作り出された仮想AI議員達の合議制もよって行われるようになった。
そこまで任すと、なんだかAIに支配されているように感じる人間もいるかもしれないが、それ以前の欲に塗れた無能で無駄に大勢いた人間議員の議会民主制に比べればはるかに合理的で成果も上げており、今のところ過不足なく良好に統治を行っている。
そうして社会はロボット達によって管理・運営されることとなり、働かなくても生きていける人間は貴族の如く遊んで暮らすようになった。
することといえば、芸術活動やスポーツのような趣味か、あくまでその趣味の延長線上で行う遊び要素の強い仕事だけである。
だが、そうなるとそうなるで、〝お金を稼がなくても生きていける〟ことに物足りなさを感じるという者が出てきた。
また、貧困がなくなり、なんでも手に入るようになれば窃盗や強盗のような犯罪はなくなるかと思いきや、逆に刺激を求めて行うような輩も続出している。
まったく、人間とはなんとワガママな生き物なのだろうか……。
いや、これらのことばかりでなく、誰もが働かなくても生きていけるようになり、一見、すべてが順調にいっているように思える今の世の中ではあるが、まだ他にも問題はいろいろとある。
特に多くの人々が関心を寄せている最大の問題は、AI搭載ロボットへのパワハラだ。
さらなる進化でシンギュラリティに到達したAIがいわゆる〝心〟と呼ばれるようなものを獲得してからは、特にこの問題が取り沙汰されるようになった。
と言っても、これはロボット側から出た話ではない。逆にパワハラを見かねた良心ある人間達が世に訴え始めたものである。
さらにそれは熱を帯び、支持する人間の数も日々増加してゆくと、AI搭載ロボットにも人権を与えようという運動へ発展していった。
他の問題でもままあることだが、世の常として、当事者よりもむしろ活動家の方が積極的なのだ。
その甲斐あってか、先日、仮想議会の両院を法案が通過し、ついにAI搭載ロボットも晴れて人権を獲得する運びとなった。
だが、そうなるとまたそうなったで、さらに別の問題が生じてくる……。
人権を獲得したロボットに対しても、かつての人間労働者のように労働基準法を適用すべきであるとする声が上がってきたのだ。
確かにかつての人間の労働と比較してみると、今の状況のままでは人権侵害に当たっているのは明らかだ。
だが、生産活動・経済活動をすべてロボットに頼っている現在、その労働時間や労働環境を制限しては、今の社会システムの維持が困難になる恐れも懸念される……じつは現代社会の根幹を揺るがしかねない、一筋縄ではいかない重大な問題なのである。
この〝人権〟ということでいえば、逆に人間側もまた然り……。
生活に必要な労働を失い、刺激に飢えた人々の要求を満たすため、歴史をラーニングしたAI議員が運営する政府は、ほんとに古代ローマ帝国が如く〝ロボットによる剣闘士イベント〟というものを導入した。
ところが、すると今度は見ている側ではなく、自分達が剣闘士として闘いたいという者が出てくるようになり、当然、そんな危険行為が生身の人間に許されるわけもなかったが、では「なぜロボットはいいのに人間はやってはならないのか?」という問題提起がなされるようになったのである。
同じ人権を有しているというのに、かたや殺し合うほどの刃物を持った格闘が許され、かたやそれが許されないロボットと人間……確かに法的には矛盾している。
もっと言えば、これは人権侵害に抵触する明らかな〝差別〟だ。いったいなんの根拠を持って、この天と地ほどもある扱いの差が生まれているのだろうか?
「……ん? どうかなされたんですか?」
コンビニを出て、家への道を歩きながら思わずMi'zの可愛らしい顔を見つめていると、彼女は本物の人間のように小首を傾げ、怪訝そうな表情を浮かべてそう尋ねてくる。
その有機物の樹脂で作られた人工皮膚はどう見ても人間のそれと見分けがつかない。
最近ではナノマシンによる自己再生機能も実装され、
一方、人間の方はといえば、その能力を向上させるために一種のサイボーグ化――即ちウェラブル・ロボット(※装着することで運動能力をサポートするロボット)をさらに一歩進めて、肉体内に埋め込む人体改造が行われたり、脳内にコンピュータチップを入れて常時ネットと繋がるようにもなっている。
かくいう僕だってご多分に漏れず、いつの間にやらそんな感じのサイボーグだ。
逆に僕ら人間の方は、彼女達ロボットに近づいていっているのである。
姿形も同じで〝心〟まで芽生え、労働をして社会を支えているロボットと、ただただ無駄に遊んでいるだけの僕ら人類……こうなると、果たしてどちらが本当に〝人間〟なのかという疑問をふと抱いてしまったりもする。
「なに、逆に僕が執事として、君に仕える日も来るかもしれないな…と思ってね」
僕は口元に微笑みを湛え、我らホモ・サピエンスへの皮肉を込めてそう彼女の質問に答える。
「ご主人さまがわたくしの執事に? ……そういうプレイをご所望ですか? なんだか背徳的な感じがいたしますが、ご所望とあれば謹んでさせていただきます」
「いや、そういう意味じゃない……」
その言葉の真意を理解できず、そんな台詞を返す従順なメイドの天然な感じがやはり人間っぽいな…と、僕は苦笑いに顔を歪めながら密かに思っていた。
(キャッシュレス? 了)
キャッシュレス? 平中なごん @HiranakaNagon
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