4
空のキャンバスに、黒い線を引いていくようだった。
『くらげ』の通った後には星がなくなり、そのたびにその身体はぼんやりと緑色に発光する。仕事を終えて翌朝を待つ私の枕元で輝いていた、あの星砂の緑色と同じ色に。
私の小屋が10個は入るんじゃないかと思うくらいの広い傘をふわふわと揺らしながら、風に流されるように森の奥の方へと身を運んでいく。
「ねぇ。レイラちゃんは今日、なにをするつもりだったの?」
隣で『くらげ』を眺めていたエミリが、そんなことを聞いてきた。
「レイラちゃん、初めて会った時からなんだかすごく悲しそうで、すごく我慢してる感じがしたから」
なんだか、情けない。こんな小さな子に心配されちゃうなんて。
周りから見れば、あなたの方がずっと心配されるべき立場のような気がするっていうのに。
返事をする代わりに、小さな頭をくしゃりと撫でてみた。
エミリは不思議そうに私を見上げていた。
きっと、これから私はあの子のように生きていくことになる。もしかしたら、夢とやらを『くらげ』に捧げて生き永らえなきゃいけなくなるかもしれない。
「大丈夫だよ」
答えになっていないことは分かっていた。だけど、これから先の私は、こんな優しさに甘えることもできない。
「大丈夫だから」
自分に言い聞かせているみたいだった。
だけど、もう涙は滲んでいない。
空に浮かんでいる『くらげ』は、もう少しで私たちの真上というところまで来ていた。ゆったりと動いているようだけど、その実けっこうな速さで動いているらしい。
これからはきっと、朝になれば太陽が昇って夕方になれば太陽が沈むように、真夜中になれば『くらげ』が舞う。きっと、それ以外にもどんどんと細かく時は刻まれる。
エミリが明日からは時間通りに『くらげ』の元に訪れて、時間になったら家に帰るように、私も近い将来、そういった何かに従って生きることになる。
そんな、切り刻まれていない最後の夜にこうして出会えたのは、どうしようもなく残酷なことのようにも、この上ない僥倖のようにも思えた。
だけど、ただ一つだけ。確実に言えることは――
「そうだ。エミリ、ちょっと見ててくれる?」
きょとんとして私を振り返ったエミリの顔は、星明りのだんだん消えていく空の下ではもうよく見えなくなってきていた。
「私じゃなくて、こっち」
だから、もっと身を寄せて覗き込む。指を空に向けると、エミリもつられるようにして顔を上げた。
完全に『くらげ』が私たちの真上に辿り着くまで、あと少し。
エミリの見守る中、私は空に手を伸ばす。思えば、誰かにこんなところを見せるのは、初めてのことだった。
空の暗幕を、爪でかりかりと
布の表面にあしらわれたきらきらとした石英質の石が剥がれ落ちるように、一粒の星が、星の海から水底へと沈んでくる。
『くらげ』が集めるはずだった星砂の、そのたった一粒を。
落ちてきたそれを拾うのと、大きな影が完全に私たちを包んでしまうのと、どちらが早かっただろうか。
摘まみ上げた星砂は、ぼんやりと、私の見知った薄緑の光を浮かべている。
そのうっすらとした光で、私たちはお互いの姿を確かめる。
驚いたように見開かれたエミリの瞳に、今はどこか暗い満足感を覚えている。こうやって私は、誰にも見られることなく星砂を集めていたんだから。
今となっては一粒程度では値段のつかなくなってしまったそれを、しっかりとエミリの手に握らせてあげた。
「二人だけの、秘密ね」
エミリに、会えてよかった。
これから先の私とエミリが同じように思えるかはわからないけれど、確かに今の私はそう思っている。
暗闇の中で、そっと手を引く。
「今晩は泊まっていきましょう。明日は遅刻しちゃうかもしれないけど、安全の方が大切だから」
仄かな明かりの中でも、エミリが笑ったのが分かった。
歩き始めると、ポケットの中でマッチの箱が揺れた。
だけど、今晩は。マッチの明かりよりも、この小さな手に握られている星明りだけで歩いてみたかった。
すっかり冷え込んだ空気の中に、手のひらの体温を確かに感じている。
少し離れたブナの木の周りで、月蛍が舞ったように見えた。
てのひらの星芒 青島もうじき @Aojima__
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