エミリが落ち着いたころを見計らって、膝にできた傷を消毒してあげることにした。

「ちょっと待っててね」なんて言って、誤魔化すように小屋の中で目につく星砂採集に使っている瓶なんかを押し入れに隠している自分が、少し嫌になる。


 二、三分で片付けを終えて、エミリを部屋に呼んであげた。私以外の人間をここに呼んだのが初めてだってことに気付いたのは、エミリの小さい身体が部屋に収まってからのことだった。外観の割に整った内装に、彼女は少なからず驚いたようだ。


「すごい。綺麗なベッドがある」

「うん。そこに腰かけていいよ」


 また、罪悪感。苦労して集めたわけではないお金で、私はこの子よりも不自由なく暮らしていた。

 当然『くらげ』が出てきたことで、これからはこの子と同じような生活が待っているのだけど、それで罪滅ぼしになるかといえば、答えはノーだろう。


 そんな私の気も知らずに、エミリはふかふかとしたベッドの感触を、無邪気に、だけどこわごわと堪能している。


「はい、こっちに脚向けてね。ちょっと沁みるよ」


 消毒薬を振りかけてやると、ぴくっと小さな身体が跳ねたが、悲鳴は上げずにやっぱり服の裾を握って我慢していた。

 まだ私よりも小さい子供なのに、我慢することを覚えてしまう環境だったのだと、それで分かってしまう。


「はい、これで終わり。よく頑張ったね」


 頭をなでてやると、こわばった髪の毛が指に絡みついた。エミリは気恥ずかしそうに、どこか申し訳なさそうに私の手のひらの下ではにかんだ。


 私の手から解放されたエミリは、興味深そうに私の仕事場を眺めはじめた。

 さっきまでは燃やしてしまおうと考えていた場所だったのに、今こうして見ず知らずの人間と二人で過ごしているのが、なんだか不思議だった。


「あ、月蛍つきぼたるだ」

「え、本当?」


 窓にぺったりと顔をくっつけるようにして外を眺めていたエミリが、突然そんなことを言い出した。


 月蛍は、夜行性の昆虫だ。蛍って名前についているけど、本当は蛍の仲間じゃないらしい。じゃあなんの仲間なのかって言われたら、それは知らないけど。

 夜になると巣から出てきて、星や月の明かりを蓄えてぼうっと緑色に輝く姿は本当に綺麗だ。だけど、『くらげ』が夜空の明かりを消し始めてからは、一気にその数を減らしていた。


「うわー、珍しいね」


 確かに、エミリの言う通りブナの木の周りを何匹かの月蛍が群れるようにして飛び回っていた。

 その様子はなんだか、遊んでいるようにも、もがいているようにも見えた。


 小さな背中越しに、小さな窓を二人で覗き込んでいると、だんだんと私たちが一緒に時を過ごしてきた間柄だったように思えてきてしまう。姉妹か、幼馴染か、そんな感じの。


「そうだ。ちょっと見に行こっか?」


 そんなふうに提案すると、エミリは顔を輝かせた。

 出会ってから今までに見た中で、いちばん年相応の満面の笑顔だった。


 予備の上着を羽織らせてあげると、ぶかぶかでなんだか可愛らしくなってしまった。大ぶりのフードに顔をうずめるようにして私の後ろを歩いてくる様は、なんとも愛らしい。


 だけど。

 そんなことを思ってしまう私の残酷さを責めるような声が、絶えず心のどこかで響いている。


 この子にこうやって施せるのも、お金があったからだ。それも、努力することなく得てしまっていたお金が。

 今までにこういった種類の後ろめたさがなかったわけではない。だけど、それを失うことを考えて初めて、それがどれだけ偶然に恵まれてたことだったのかと心で理解されたのだ。


 外は、少し風が出始めていた。広い森の木々の間を縫うようにして風は枝を揺らして、音という形で存在を夜に刻んでいく。


 小屋の裏手に回ると、さっき窓から顔を覗かせていたブナの木が見えてきた。


「あ、やっぱりいるよ。うわぁ……綺麗だなぁ……」


 逃げないようにという配慮なのか、小声で感動を伝えてくるその姿を見ていると、なんだか視界が滲み始めた。

 悲しいわけじゃないのに。怖いわけじゃないのに。痛いわけじゃないのに。涙が溢れてくる。


 エミリですら泣いていないのに、と思いかけて、それは違うんだと気付いた。

 エミリだから、泣かなかったんだ。


 この子はきっと、泣くことを許されてこなかった。

 そしてこれからは私もそうなることを求められる。


 ゆっくりと、私たちを掠めるようにして大きな影がよぎった。月蛍は、身体を明滅させながら散り散りに逃げていく。


『くらげ』は、子どもの夢を燃料に空を舞う。

 そうやって空から星を集めて、また地上に戻るのだ。


 二人して空を見上げると、雄大に触手を揺らしながら空をただよう、一匹の『くらげ』が目に映った。

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