どちらから来たのかという問いかけに、少女は指差しで答えた。

 暗く深い森の奥へと向けられたそれがたどり着く先は私にも想像できなくて、聞いておきながら「そう」とだけそっけない返事をしてしまった。


「明日の朝までには、家に帰らなきゃいけなくって」


 混乱しているような様子の彼女をそのままにしておくわけにもいかなくって。だけどだからといって一緒に暗い森へと足を踏み入れるほどの蛮勇も私は持ち合わせていなかった。


「そうは言っても、こんな時間に出歩いても命の保証はないと思うけど……」


 控えめにそう提案してみると、少女は歯を食いしばって、ささくれだった服の裾をぎゅっと握りしめた。


 今にも泣きだしそうなその様子を見かねて、小屋の脇に倒したままになっている名前の知らないすべすべとした樹皮の倒木に座って、隣に座るようにと手招きをしてあげた。


 事情は知らないけれど、こんなところに、こんな時間に、こんな小さな子供がやってくるのはちょっと異常だ。それこそ家出でもしたのかと思ったけど、そんなに気性の荒らそうな子にも見えなかった。


 女の子は、おとなしく私の隣に座った。隣に座ってみるとその小柄さが際立った。地面にはようやく足が届くかといった感じで、頭も私のよりも随分と下にある。

 そしてそれは、私よりも年齢が低いことだけが理由のようにも思えなかった。


「ね、あなた名前は?」


 とりあえず会話をしようと絞り出したそんな質問に返ってきたのは「エミリ」と呟く、掠れたか細い声だった。


 ざらついた肌や、伸び放題になっているのをざっとまとめただけの傷んだ髪を見ていると、得も言われぬ罪悪感に駆られた。


 きっとこの子は、あまり裕福でないところの子なんだろう。

 星砂の一つでも拾えたら少しは余裕をもって暮らせたのかもしれないと思うと、それをズルして集めていた私が悪く思えてくる。


 今からでも一粒握らせてあげようかな。でも、もう『くらげ』のせいで買い取り価格もすっごく下がってるし、物の足しにもならないかも。買い取り屋さんも手間の方が大きいからって、あちこちで取り引きやめ始めたし。


「お姉ちゃんは? 名前」


「あ、私? レイラっていうの。おばあちゃんが付けてくれたんだ」


「レイラちゃん……うん、覚えた」


 記憶にとどめるようにと深く頷いて、その前髪が揺れた。長い前髪の奥に覗く瞳は、丸くてくりっとしている。どこか、栗鼠りすを思い起こさせるような雰囲気の顔立ちだった。


 まだ細かく身体は震えている。裾を握りしめるのは、不安な時の癖なのだろう。すっかり皺の寄ってしまったそれを気にするでもなく、エミリは私の隣にちょこんと座っていた。


 強い子なんだなと、そう思った。本当なら泣いてしまいたいはずなのに、それがなにも状況を変えないことを知っている諦念を持っていると言い換えてもいい。


 どちらにせよ、この小さな身体に抱えるには重すぎる感情だ。


「エミリは、帰れないと困るの? 明日の朝、用事があるとか?」


 無理に今帰らなくてもいいんじゃないかと説得しようとして、そんなことを聞いてみた。

 エミリは、さっきまでと変わらない、なにかを諦めたような、そしてそれを抑えきれていないような声で答えた。それが私には痛々しく、罪悪感を掻き立てた。


「明日から『くらげ』のところに行くことになってるんです」


 聞いて、少しだけ後悔した。

『くらげ』は、小さな子供の空想を燃料に空を飛ぶんだって、誰かから聞いたことがある。


「お父さんが、工場を首になっちゃって。それで、お母さんと私が働きに行くことになったんです。お母さんはセイウン……なんとかの工場にいくことになって、私は『くらげ』のところに」


 最近、世間ではよく起こっていることらしい。『くらげ』のおかげで大量の星砂を集められるようになって、集めた星砂のおかげで機械が仕事を沢山してくれるようになって。

 それで大人の男の人みたいなお給料の高い人は首になって、その代わり小さい子供とか女の人が雇われるようになってきているんだとか。


『くらげ』は、確実に世界を変えている。

 それが良いことなのか悪いことなのかは私には分からない。分かるのは『くらげ』が空に散らばる星をことごとく回収して、それを使って沢山のものが簡単に作れるようになったということだけ。


 私や、首になってしまった人達みたいに困っている人もいる。

 だけど、エミリの働き口になっていたり、星砂で作られた沢山のもので生活が豊かになる人もいる。


 私が今着ている服だって、星雲織機せいうんしょっきで織り上げられたものだ。今までは動力が足りないとかで日の目を浴びることはなかったけれど、『くらげ』のおかげで沢山の星砂が手に入ってからは、世紀の大発明だなんて言われている。エミリのお母さんが働きに行くのは、きっとそれの工場だ。


『くらげ』に動かされて最後の夜を迎えた私たち二人が、いずれ消えてしまうであろう星空の下で出会ったのも、なんだか不思議な偶然のように思えた。


 ちらりと隣に目を向けると、エミリはぼうっと空に目を向けていた。その目がなにを映し出しているのか、私には想像がつくようでつかなかった。

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