第10話 月下の一騎打ち

 再びユウが攻めてきた。軽歩兵が前面に出ている。これがユウの基本戦術なのかもしれない。

 開戦の時とはまた違う。気づけば、ゼラは身震いしていた。肌に、戦場の熱気を感じている。しかし、身体の芯の奥底は、冷気に包まれているかのようであった。

 夜戦になろうとしていた。

 思いの他、明るい。月の光が、朧げに青白く戦場を照らしているのだ。

 ゼラはこれ以上ユアン軍の追撃には加わらず、ユウの迎撃の体勢を整えるために、陣を反転させた。


「兵達が、疲れています」


 イリーナの声は、少し震えていた。

 アリィが負傷で不在となり、レーヴェンが気を使って一時的にイリーナをゼラの副官代理として付けていた。

 アリィとはまた違った角度で助言をする。互いに冷静な判断力は兼ね揃えているが、イリーナには鋭さがあった。


「日没までには潰走を始めると思っていたが、案外粘るな。ユアンを討ち取ったという情報は確かなのか?」


「レーヴェン様が間違い無いとおっしゃられています。私も、ユアンの首を確認致しました」


「では、何故潰走しないのだ」


「元々、この戦はユウ・セセイが全軍の指揮を取っていたようです」


「成る程。しかしそれだけではないな。ユアンの兵達は将一人の首で崩れはしないようだ」


「ユウの軍の対応は如何致しましょうか」


 ユウの軍にも一定の被害は与えたが、実はこの戦場の中で最も疲労が少ない。攻め続けているレーヴェンは、ユアンの残兵の掃討で手一杯だろう。

 自分が、対応する他ないとゼラは思っていた。しかし、先程の喊声はなんだったのか。ユウの軍の方から聞こえていた。嫌な予感があった。窮鼠猫を噛むというではないか。


「俺が出る」


「御意。私もレーヴェン様より五千の兵を預かっております。まず、先制の一撃を加え……」


「俺が出ると言った。それ以外の兵は必要ない」


「ゼラ様。ユウは追い込まれているのです。あの軍も、決死の軍です。死闘にはなるかもしれませんが、それでも我が軍の優勢は変わりません」


「僅かな隙が勝敗を決する。見よ。やはりあの軍は尋常な士気ではない。感じぬか。あれはシン・カシアムの軍にも勝るとも劣らぬ。まともにやりあえば、我が軍とて無事では済まない」


「ゼラ様、だからこそなのです。あなたが」


「もう良い。指揮はお前に委ねた。敵の動きを見て対応しろ。そのあとは、お前の好きにすると良い」


 ゼラは、馬をゆっくりと走らせた。剣は一刀。腰の短剣は外した。小細工が通用する相手とは思えなかった。

 アリィは大丈夫だろうか。珍しく戦いに性急だった。傷を負い、苦悶の表情のまま気絶していた。

 このような時に、無性にアリィの心の底から笑った顔を見たくなった。造り物の人形のような硬い笑顔。いつしか、アリィの心を解いて見たいと思った。


 ただ、一騎。両軍の中心に立った。構うことなく全軍が迫ってくれば、ゼラとてひとたまりもないだろう。

 砂塵が舞っていた。月明かりに照らし出され、光の粒子のように煌めき、降り注いでくる。

 進軍の地響きが止んだ。前方の軍から一騎。静かに、駆けてくる者がいた。


「茶番だな。ゼラ」


 ユウ・セセイだった。やはり、先ほど相見えた時とは別人のようだった。


「ユウ・セセイ。智将と聞いていたが。存外戯れも嫌いではなかったようで安堵しているよ」


「軍は、そのまま進める。良いな?」


「元よりそのつもりだ。男二人が互いの命を懸ける。それだけのことだ」


 ユウが右手をあげ、振り下ろした。ユウの騎馬の両脇から、一斉に軽歩兵が駆けだしてくる。ゼラの後方から、イリーナが慌てた声で兵達に号令をかけているのが僅かに聞こえた。レーヴェンですらここまでイリーナを困らせたことはないだろうと、ふと笑いがこぼれた。


「侮るなよ。ゼラ」


「分かっているさ。節介焼きの副官を持つ苦労もな」


「……ゼラ・アーヴェイル。その首、貰い受ける!」


 ユウが先に動いた。

 瞬く間に距離を詰められた。一瞬闇が深くなり、すぐにまた光が見えた。頭上から剣が振り下ろされている。ようやくとらえた。この暗がりでは、月光の反射を頼りにする他ない。片手で受け、受けきぬと思い二手を添えた。ユーリの剣撃よりも遥かに重い。武勇において妹の後塵を拝するなどという噂があったが、誰ぞがそのようなことを流布したのか恨みたくもなった。

 僅かに、ユウの剣が軽くなる。押し戻して払い、今度はゼラが横薙ぎに一閃した。防がれる直前に脱力し、ユウの剣を撫でるように軽く弾く。間髪を入れずに頭上を狙ったが、それも防がれた。その後も三、四合打ちあったがやはり押しきれない。


「解せぬな」


 ユウが言った。


「何が!」


「その剣。汚れなく澄みきっている」


「神の御加護の下。俺は戦っている」


「真の信教者の剣は濁る。所詮偶像に心を贄として捧げた者達よ。しかし貴様は違う。何故戦う!神の名を利用し、民を騙し大陸を支配しようというのか」


「それで平穏が訪れるのなら」


「欲に溺れた者が支配する世界に平穏など訪れるものか。待っているのは結局のところ独裁の政治だ」


「それは帝国とて変わらぬ!」


「支配するものが強い。それは道理よ。ただ、我が皇帝は力を以って支配する。虚偽を以って民を支配する貴様らの王とは、根本異なる!」


 ユウがまた、打ち掛かってくる。

 見えていると思っていたが、またしても暗闇に落ちる。今度は、剣が空気を切り裂く極小の音を頼りに剣を合わせた。またしても尋常ならざる剣撃に唯一の一振りの剣は叩き落とされてしまった。

 すぐに間合いを取ったが、もう終いだった。覚悟を決めた。ここで勝てねば死ぬと決めていた。

 しかし、更に剣が振り下ろされる事は無かった。

 剣先をゼラの心臓に向け、静かに呟くように言った。


「降れ、ゼラ。貴殿は王国で何を為そうというのだ。……いや、共に来いゼラ。殺すにも、捕虜にするも惜しい。共に、戦おうではないか」


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剣に願う 岩瀬 流水 @aggsive

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