第9話 敗戦 反転

 負け戦だった。

 これほどの敗戦になるとは思いもよらなかった。レーヴェンの智謀は自分の遥か高みにあったのだとユウは実感していた。最早取り返しのつかないところまできた。ユアンの軍は壊滅に近い状態だった。まさか自分の指揮でここまで軍全体が瓦解するとは思っていなかったのだ。どこかで甘えがあった。ユアンが抑えてくれるのではないかと期待していたのである。しかし、ユアンはユウに全ての指揮を託していたのだ。裏切ったのはユウ自身だった。


「兄上。指揮を」


 ユーリが喘ぐようにユウに問いかけてきた。

 今更何をしろというのだ。ゼラの軍はレーヴェンの後方につき守りを固めているし、トマの軍にはロンド・タナシィが潜んでいた。まるで喜劇のようだ。

 シーラにはあれほど諜報員を放っておきながら、目潰し薬の存在にも気づけなかった。

 ユアンの言う通り、焦っていたのだろうか。自分では沈着でいるつもりでも、内心はレーヴェンを超え、復讐戦を勝利で収めたいという逸りがあったのだろうか。

 それとも、シンなのか。

 いずれにしても、いつまでも自失しているわけにもいかなかった。なんとしてもユアンと合流し、首都までの撤退の指揮をとらねばならなかった。


「今更体裁を気にしても仕方ない。散り散りになってもいい。なんとか本隊と合流する」


「御意」


 ユーリは唇をかたく結んだ。金色の髪が赤みがかって見えた。既に日没を迎えようとしていた。闇が大地を覆えば、少なくとも自軍の兵達の朱く染まった屍を見なくてよいかもしれない。

 ユウは再び空を見上げた。

 そういうわけにも行くまい。夜を迎える前に本隊と合流しなければならない。時間との闘いだった。

 早馬の音だった。騎手の兵の右肩には深々と槍が突き刺さったままだった。恐らく抜く気力すら残っていなかったのだろう。ユアン本隊から敵の包囲を切り抜けてきた。真の勇者とはこういう男のことを言うのだ。たかが一兵卒。しかし今のユウにはこの男に敬服するほかなかった。

 ただ、状況は状況だった。このような早馬が送られてくるのも、理由あってのことだ。


「ユアン将軍が戦死なさいました。私は、それを伝えるために」


 何かが、砕け散っていく。

 言葉を発しようとしたが、うまくできなかった。ただ、喘ぐような嗚咽を漏らしただけだ。

 その男は、もう事切れていた。


「兄上、これでは」


 ユーリもまた、既に戦士としての表情を失っていた。泣き虫で、自分に頼りきりだった幼少の頃のように。

 終わるのか。全て。


「まだ、重歩兵がいるのです。騎兵も」


「たかだか三万だ。何ができる」


 ようやく声が出た。最早、焦ることも必要ない。たかだか三万。ユウ・セセイ、ここで終わるのか。武の国であるこのカルディア帝国第二軍の将として抜擢された。全軍の指揮も任された。それが、シンどころではない、レーヴェンにすら及ばぬ。ユーリが居なければゼラに斬られていた。情けない限りだった。


「降るのですか、兄上」


「……情けない限りではないか。ユーリ」


「……兄上?」


 智将として名を馳せた。しかし、剣の腕はまだ衰えてないと自負していた。馬の扱いだって、ユーリには負けていない。そして、鍛えあげた兵たちがいる。あの神速ゼラの軍に対抗するために、軽歩兵の調練に打ち込んだ。騎馬に対抗するに、歩兵の調練など馬鹿げていると思うものもいた。しかし、優劣の常識を覆してこその戦だとも思っていた。ゼラ・アーヴェイル。その先にはレーヴェン・オルト。打ち倒せぬはずがない。我が軍はまだ三万の兵が残されている。本隊と合流を果たせれば少なくとも五万。コキアの軍はさすがに守勢に強く、思っていたより損害は多くなさそうだった。

 七万の軍だ。半数近く失った。それでも、まだ王国軍と互角の兵数ではないか。

 シン・カシアムはたった千の騎兵で十倍する兵を圧倒できる。それを考えれば、現状の戦況など、造作もないことだとユウは思った。


「軽歩を走らせろ。ユーリ。騎馬より早く」


「本隊と、合流するのですね」


「いや、ゼラを叩くのだ」


「…兄上。冷静になってください。ゼラは守りを固めています。ユアン将軍の軍は既に統率を失っています。ここにレーヴェンが加われば、今度こそわが軍は壊滅を免れません。トマの軍も、遊撃の位置にあるではないですか」


「それならば、レーヴェンも叩けばよい。トマなど論ずるに値しない」


「兄上、どうしてしまわれたのですか」


 ユーリが、ついに涙をこぼしていた。馬を寄せ、ユウの頬を平手でたたいた。しかし、ユウの視線の先にはただゼラの軍だけをとらえていた。


「全軍、陣を正せ。これより、ゼラ・アーヴェイルの首級を頂戴しに参る。良いか、これは自棄になったのではない。帝国軍は不敗。そして我が軍は最強だ。最強の軍が、神などという偶像にすがった狂信者どもに遅れをとると思うか。カルディア帝国軍としての誇りを持て。突撃だ!恐れることはない、このユウ・セセイが先陣をきってやる。貴様らは、ただ続くだけで思うがままの手柄を手にすることができるのだぞ。さぁ、突撃だ!我が軍にとって、王国兵など遅るるに足りん!殺しつくすのだ!」

 

 怨嗟の声で満ちていた戦場に、静寂が訪れた。しばらくして、喊声があがった。喊声は、地鳴りのように大地に響き渡り、一瞬ではあったかもしれないが、ゼラやレーヴェンの軍の進撃を止めるにいたった。ユーリにいたっては、自分の兄のこれほどまでの鼓舞激励を見たことがなかったため、ただ目をしばたたかせていた。


 カルディア帝国軍第二軍ユウ・セセイは、ついに、戦場の風を支配した。

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