マッサージ店の奇妙な客
神崎あきら
マッサージ店の奇妙な客
安西郁夫は早めの店じまいの準備をしていた。営業時間は深夜1時までとうたっているが、今日はこれ以上お客さんが来店しそうにない。予約の客も2時間前に捌けてしまったので、アルバイトにも帰ってもらった。
リラックスルームやすらぎ。センスのないネーミングだと妻には笑われたが、日雇いのマッサージ仕事を渡り歩いてやっと持てた自分の店、名字の一文字を店名につけるのが小さな夢だった。築40年以上のボロアパートの1階を借りて、3年。施術台は5つ、バイトも雇えるようになって商売はゆっくりと軌道に乗り始めたところだった。
安西は全盲ではないが視力に障害があった。当時通っていた盲学校から進められたのは按摩の仕事だった。特に就きたい仕事も無かった自分は先生の勧めるまま、按摩の専門学校に進んだ。それから25年。その道で仕事をしてきた。シャッター通りの商店街の中だったが自分の店を持てたことは誇りだった。
通りすがりで見つけても入ろうとは思えない、とても洗練されているとは言えない店構えだったが、だんだんと口コミでお客さんが入るようになり、なんとかやっていけている。安西には未だに自分の腕が良いのか思い悩むこともあるが、ありがとうと言われる度に人の疲れを癒やしているという自負とやりがいはあった。
入り口の施錠し、カーテンを閉めようとしたそのとき、ガラス扉の前に立つ人影に気づいた。ひょろりとした若い男のようだった。安西は横目で時計をちらりと見た。今は12時半、まだ営業時間内である。安西は鍵を開けると、ガラス扉を押してするりと男が入ってきた。外の冷えた風も一緒に入ってきたので、一気に部屋の温度が下がった気がした。
「すみませんね。どのコースにしますか?」
安西はあわてて部屋の電気をつけた。蛍光灯の明かりの下で青年の顔を見た。若いと思ったが中年にも見える。印象の薄い顔だ、と思った。
「・・・」
男は一番短い30分のお手軽全身マッサージを選んだ。
「初めてですね、こちら読んで書いてもらえますか」
安西は免責事項のサインをもらう用紙をカウンター越しに差し出す。男は覚束ない手の動きでボールペンを握り、すべてにチェックしてサインを書いた。
「着替えますか?」
「・・・」
男ははゆるゆると首を振った。仕事で疲れているのだろうか、安西は無口な男を奇妙に思いながらそれではこちらへ、と一番手前の施術台へ誘導した。背中を向けて寝転んでもらい、バスタオルをかける。
「それでは30分コース、始めますね」
まずは背中の上に手を滑らせる。そして背骨に沿ってもみ上げていく。
「・・・?」
背中を数回押して安西は違和感を覚えた。男の肉はまるで粘土のようで、ずぶずぶと手のひらが沈んでいく。奇妙なことに背骨があるはずの場所に何もない。ただ、背中の中央ラインにも粘土のような弾力があるだけだ。相当な肉付きの良い人間でも背骨くらいは指に触れるものだが・・・。安西はまるで肉だけをもみ上げるような感覚で施術を続けた。
「ちから加減は大丈夫ですか?」
定型通りの言葉をなげかけてみる。男は頭の動きだけで返事をした。それから足をほぐしにかかる。背中と同じような感触だった。足のふくらはぎには相応の筋肉がついており、背中と感触が同じわけはない。こんな感触の体はこれまで四半世紀もマッサージ業を続けているが、初めてだった。
しかし、そんな体もほぐれてきたのか気がつけば揉んでいるこちらも気持ち良くなってきた。赤子のほっぺをもむと手に残る心地よい感触に似ている。その不思議な感触に安西は自分も癒やされている気分になった。
ピピピ・・・30分経過のタイマーが鳴り、安西は我に帰った。男がむくりと起き上がる。
「あ、これで終了です、お疲れ様でした」
カウンターの前で男は財布を取り出し、お金を探している。
「30分コースで2,300円になります」
男はおずおずと小銭を取り出した。真ん中に四角い穴が空いている。安西はそれをまじまじと見た。寛・・・永通宝・・・?古銭のようだった。
「お客さん、冗談は困りますよ、これじゃ古すぎだよ」
困った顔の安西をじっと見つめたあと、男はまた財布を探り今度は紙幣を取り出した。一万円札のようだ。
「釣りはいらないわ、ありがとう」
そう言って男は出て行った。やけに甲高い声だな、と違和感を覚えだが、安西ははたと我に返った。
「ちょっと待って、これじゃ多過ぎ・・・」
安西は男を追いかけようと一万円札を手にガラス扉を開けた。深夜の閑散とした商店街に男の姿はすでに無かった。変な客だな・・・お釣りどうしようか、そう思って店から漏れる灯りで紙幣をよくよく見てみると。
「なんだこれは・・・偽札・・・?」
それは一万円札に似たデザインだったが、福沢諭吉ではない人物が印刷されていた。一代前の図柄の聖徳太子でもない。
「お釣り、返せないじゃないか」
安西はおかしくなって小さく笑いながら空を見上げた。満月が夜空を明るく照らしている。その中でたくさんの星が輝いている。男の顔を思い出そうとしたがそれはできなかった。青年でもあり、中年でもあった。どんな服だったのか、それも思い出せない。最後に一言だけ聞いたお礼の言葉は若い女性だった。幽霊か、化け物か、それとも?あの星のどこかからやってきたのだろうか。そう考えるとまたおかしくなって安西は店に戻った。
カウンターに置かれたままの寛永通宝、それに手元には未来に発行されるであろう一万円札、「ちょうどいい」のが無かったらしい。未来の一万円札がどんなデザインか、知っているのは自分だけだ。
時間旅行の途中にこの店がなぜ選ばれたのか不思議だが、これは自分だけの秘密にしておこうと、安西は紙幣をそっと机の奥にしまった。
マッサージ店の奇妙な客 神崎あきら @akatuki_kz
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