窓越しの月

宇佐美真里

窓越しの月

窓際の、テーブルの上に"予約席"と札の置いてある席に通された。

「ご注文は後ほどお伺い致します」と言いながら、案内してくれたスタッフは"予約席"の札を下げて去って行く。

「何だか白いテーブルクロスって…緊張するね…」

クリーニングされ、皴ひとつなく敷かれているクロスを手で撫でながらワタシが言うと、落ち着かない様子でひと言、「確かにね…」とカレは答えた。

言葉ではそう言ったが、実はそれほどワタシは緊張していなかった…カレほどには。見るからにカレは緊張している。その緊張の理由をワタシは密かに知っていた…。



一週間ほど前のことだ。

「来週の日曜日…レストランの予約を取ったよ。イタリアンにした」

ノートパソコンで何やらカチャカチャとやっていたカレは、パソコンの向きを変えモニターをワタシに見えるようにして言った。

「夜景が綺麗だって色んなレヴューで書いてある。たまにはこんなところもいいんじゃないかな…と思ってさ」

ワタシはモニターを覗き込む。サイトには美味しそうな料理の写真たちに並んで、幾つか夜景の写真も載っていた。普段、レストランの予約などほとんどしたことはない。珍しく予約してくれたのは、その日曜日がワタシの誕生日だからだった。


更に何日か前にカレは言った。

しばらくパソコンの画面を見ていたカレ。

「今度の誕生日は、ちょっと好い店で食事しようよ?」

「あ…うん。珍しいね…。いつもの所でも別にいいんだけど?」

いつもの所というのは、近所にある、ふたりお気に入りの小さなビストロだ。去年もその前も、何かイベントごとがあると、ふたりしてそこで乾杯していた。

「いや…、たまにはいいじゃない。ね?店探してみるよ」

ニコリとしてカレは答えた。その理由をワタシは密かに知っていた…。


最近ずっと、カレはパソコンを使って何やら検索ばかりしていたからだ。

部屋には共有のパソコンが一台。普段はスマホで充分なので、何か込み入ったことがあれば、そのときだけパソコンを使う。

詮索するつもりはなくても、そこは狭い部屋…。モニターに映るものも何かの拍子に目に入ったりする。たまたま目に入ってしまったページに、ワタシは思った…苦笑いと共に。


『そういうのは見られないように調べて欲しいんだけどなぁ…』



そして今日、誕生日。レトスランの窓際の席に居る。

インターネットの口コミサイトの言う通り、窓からは煌びやかなビル群とその上に佇んで光る月が見えていた。食事はコースではなく、アラカルトでオーダーした。真っ白なテーブルクロスの上にオーダーした料理が次々に届く。どれも凝った料理で美味しかった。食後のデザートのジェラートと熱く濃いエスプレッソが届いた。


「誕生日おめでとう。はい、これはプレゼント…」

着ていたジャケットのポケットから小さな…リボンの掛かった小さな小箱を、テーブルの上…真っ白なテーブルクロスの上をワタシの方に差し出した。

明らかにこれって指輪ケースだよね…。嬉しくて笑みがこぼれる。

「それと…」唐突にカレは続けた。


「今夜は月が綺麗だよね…」


ついにきたっ!やっぱりきたっ!

どんな展開から、このシーンまで辿り着くのかと思っていたけれど、やっぱり唐突だった…。嬉しい笑みは、いささかニュアンスを変えた…。


「そうね…。死ぬほどね…」ワタシは笑いを堪えながら言った…。

「え?何か可笑しかった?」小さく眉をひそめて、カレが訊く。


「いや、ごめん…。確認なんだけど…これって"プロポーズ"…って捉えていいんだよね?」

念のため、ワタシは確認してみた。

「う、うん…」ひそめた眉が下がり、今度はちょっと困った表情になってカレは答えた。


「ありがと!嬉しいよ。今夜は『死ぬほど』月が綺麗だね…」

シ・ヌ・ホ・ド…と強調してワタシは言った。


「でも…、それって"プロポーズ"のフレーズじゃなくて、"告白"のフレーズなんだけど…ホントは」


その昔、明治の文豪夏目漱石は英語教師時代に『アイラヴユー』を『月が綺麗ですね』と訳したという。当時、日本人は面と向かって「愛してます」とは言わないと「月が綺麗ですね…とでも訳しておきなさい。それで伝わる」と言った…という逸話だ。

そして、同じように二葉亭四迷はロシア文学翻訳の際に、愛を打ち明けられた女性が男性に対して返した言葉を『死んでもいいわ』としたとされている。

事実かどうかはさておき…、日本人らしい婉曲的な表現として知られ、インターネットでは"告白"の名フレーズとしてアチコチで見掛ける。


「そういうのはスマホで調べて欲しかったんだよなぁ…見られないように。パソコンで調べてるのが見えちゃってたんだよねぇ…。調べてたでしょ?検索ワード"プロボーズ"・"婚約指輪"って?で、行きついたのは"告白"のフレーズなんだよ…」

「あ…見られてたの?」頭を掻きながら苦笑いするカレ。


プレゼントのリボンをほどき、ワタシは小箱を開けた。

そこにはやはり指輪があった。店の照明を反射させて光る、石の乗った指輪。

カレはテーブルの上のグラスを手に取り、ゴクリ…ゴクリ…とふた口、水を飲み込んだ。

「失敗したなぁ…プロボーズじゃなかったんだ…あのフレーズ」


「だから…綺麗だね…月。『死ぬほどに』…ね?!」

エスプレッソをひと口、口にしてワタシは言った。

「茶化しちゃってごめんね…。でもホント嬉しいよ。忘れられないプロポーズになったね」

カレはやはり苦笑いしたまま言った。

「ハハハ…。忘れて…」


窓際越しに見える月をワタシは見上げる。

今夜の月は格別に綺麗だった。


-了-

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

窓越しの月 宇佐美真里 @ottoleaf

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ