【3月1日】卒業前の日曜日

王生らてぃ

【3月1日】卒業前の日曜日

「あーあ。また人身だよ」

「また?」

「また」



 妙に電車が遅いと思ったらそのせいだ。スマホを見つめながら、陽子がぶーと口を尖らせた。



「死ぬのはいいよ」

「え?」

「死ぬのはいいよ。自由だと思う。死にたい時に死んでもいいと思う。人間だから、そういう自由があるべきだと思う。でも、それで生活に不便を被るわたしたちって、なんかやるせないよね。誰に文句を言えばいいのか」

「え、なに、急に。こわい」

「ずっと思ってたんだよ。人に迷惑をかけず、でも苦痛も感じず、なおかつすぐに、手軽に、思い立った1時間後くらいには実行できるような、すばらしい自殺ってなんだろう」



 陽子とは結局3年間同じクラスで高校生活を過ごした。もう腐れ縁みたいな感じだけど、急にこんなことを言い出すような変な子じゃない気がする。



「それで? その方法は思いついたの?」

「それが、なかなか」

「そうだよね。自分で試すわけにもいかないしね」



 死んでみた。アーこの自殺はダメだわ、痛いし、すぱっと死ねないわ。よし次の自殺を試してみよう。

 ……なんてことは神様でもないとできないだろう。人間には、いのちは一つしかない。



「電車にぶつかるって、痛いよね、たぶん」

「んーたぶんね」

「なんで、そうまでして電車に飛び込むんだろう。死にたくなるほど辛いことがあるのなら、そんな痛い思いをしても平気なの?」

「平気なんじゃん?」



 陽子はなんでもないふうに言った。



「そうなのかあ」

「つか、電車来ないね」

「ね。ついてない」



 今日は卒業前の最後の日曜日だ。わたしと陽子は最後の「合法制服デート」を楽しんでいた。

 わたしは地元の大学に進学し、陽子は東京の専門学校に進学する。進路はばらばらになり、気軽に会うことができない距離が開く。

 学生定期を使えるのも、あとわずかの期間だ。これを使って、めいっぱい遊び倒そうという計画だったのに、最初の駅ですでにつまずいている。



「仕方ないよ。電車来るの待とう」

「ん、」



 陽子はスマホを片手にうつむいている。髪が真っ直ぐで羨ましい。初めて会った時からすごくきれいだと思っていた。わたしは毎朝必死で整えているのに。

 それに背が高い。姿勢がいい。足が長い。まつ毛がきれい。専門学校で舞台の勉強をした後は、女優になるために事務所で経験を積むと言っていた。



「わたしさ」



 なんか、そんなことを考えていたら急に、感慨深くなって、わたしは口を開いていた。



「陽子のこと、好きだよ」

「んーあたしも」

「かっこいいし、きれいだし、それに……わたしと仲良くしてくれるの、嬉しいし」

「ん、」

「入学した時、最初に話しかけてくれたの、よく覚えてるし、クラスもずっと一緒だし……修学旅行の時、京都をふたりで歩き回ったのも、すごくよく覚えてる。なんか、この高校3年間は、陽子とずっと一緒だった気がするよ」

「うん……」

「陽子はそうでもない?」

「そんなことないよ」



 スマホを閉じた。

 わたしは陽子の手を握ろうとしたけれど、陽子の左手はそれをさっと避けて、わたしの手首をがっちりと掴んだ。



「中学の時にさ、」

「うん?」

「すごい仲の良かった友達がいて。クラスもずっと一緒で。いつも一緒に遊びにいったり、放課後にだべったりしてたの。でも、その子とは進学の時に別々になってしまってさ」

「違う高校に行ったの?」

「死んだんだよ」



 人で賑わう駅が静まり返った気がした。



「そう……なんだ……」

「あたしの目の前で、電車に飛び込んだの。卒業式の前の日だったかな、一緒に街に遊びに行った後に、突然。なにも言わずに。さっきまで一緒におしゃべりしてたのに、突然、電車の方に向かっていって、ばっとホームから飛び降りた次の瞬間に電車が通り過ぎていった。それからどうなったのかは、よく覚えてない」



 わたしは何を言ってもその場にふさわしくない気がしてずっと黙っていた。陽子は好きな映画の魅力を語る時みたいに、ちょっと興奮しながら続けた。



「ずっとその子のことを考えてた。なんであの時電車に飛び込んだのか、なんで相談してくれなかったのか。でも、いくら考えても分かんなくて、あたしの前で弱音とかネガティブなこととか言ったことない子だったし、その日もずっと楽しかった。喧嘩もしたことないのに」

「だからじゃないの?」

「え?」



 しまった、と思った時には全部口に出していた。



「不満や愚痴を言い出せなかったから、もう嫌になったんじゃないの?」

「そっか。なるほどね」

「そんな時、もう限界で逃げ出さない時、目の前に都合よく電車が来たらとっさに飛び込んでしまうんじゃない?」



 陽子はうん、うん、とうなずいていた。



『……まもなく電車が到着します。黄色い線の内側に下がってお待ち下さい……』



 駅のアナウンスが鳴る。



「なるほどね」



 陽子はようやく、ホールドしていた、わたしの手首を離した。



「そっか。そうだよね」

「……いや、分からないけど。ぜんぶ、想像だけど」



 電車が滑り込んでくる。

 わたしはすごく胸がざわざわした。陽子はなにか、馬鹿なことを考えているんじゃないかと、とっさに思った。



「陽子、なにか、」



 どんっ、

 と、振り返ったわたしの胸の真ん中を手のひらで思い切りどつかれた。あまりに強い力だったので、思わずバランスを崩して後ろへと倒れる。

 後ろ……

 つまり線路の方へ。今まさに電車が滑り込んでくるホームの下の線路へ。



「馬鹿だなあ、花絵はなえ



 陽子は笑っていた。



「あたしのことが嫌いなら、あたしをこうしてやれば良かったんだ」



 世界がスローモーションになる。

 背中から落ちていくわたしの身体。

 目の前にはわたしを突き飛ばして笑う陽子。

 電車の音。

 ブレーキ。

 悲鳴。



 わたしはとっさに手を伸ばした。

 わたしを突き飛ばした陽子の手首をつかんで、ぐいっとひっぱった瞬間に、ホームの淵から足の先が離れた。

 陽子は目を見開いていたが、わたしはぐいっと引っ張る力を緩めなかった。

 なぜかは分からない。

 陽子は抵抗しなかった。いや、抵抗していたけれど、わたしの力が強すぎたのかもしれない。ふたりで線路に向かって落ちていく。



「なにをっ……、」

「離れ離れになるくらいなら」



 こうすればずっといっしょにいられる。

 卒業しなくて済む。

 ずっといっしょだよ。



 ブレーキ音が体に響く。

 電車が近づいてくる。

 陽子の身体がわたしの上に重なる。



 きっと死んだ陽子の友だちは陽子と一緒にいるのが嫌だったんだ。いつか陽子は卒業してしまうから。離れ離れになってしまうから。

 でも陽子のことが本当に好きだから、陽子のことは大事だから、自分ひとりで時間を止めたのだ。自分だけが死んだのだ。



 陽子はそれが分からなかった。

 だからわたしを突き飛ばした。

 でも、わたしは陽子と一緒にいたいから、陽子の手首を掴んだのだ。



 陽子は泣いていた。

 わたしは笑っていた。

 電車がだんだん近づい

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【3月1日】卒業前の日曜日 王生らてぃ @lathi_ikurumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ