第6話  (完)


「大丈夫だよ。お嬢さん、人間て意外と強いもんだ」


 そこで真亜子は向こうにも同じような簡単なベッドがあるのに気が付いた。そしてベッドの上に薔薇色の衣装が見えた。その後ろ向きの姿はじっと動かなかった。


 真亜子の心は凍りつきそうだった。それでもすぐに胸を撫で下ろしたのは、サーガスの団員の問いかけにその後ろ向きの姿が普通に答えていたからだった。そして後ろ向きのその姿が起き上がってベッドの脇に腰掛けた時、薔薇色の衣装を着ていたのは女の人ではなく、華奢な少年であった事を知った。かつらをとって団員と話す声も、普通に男の子の声、少しふてくされた声だった。ふてくされていたのは空中ブランコで失敗したせいみたいだった。少年の方も不思議そうに真亜子を見ていた。


 向こうの方で真亜子のお父さんが迎えに来てサーカスの人と話している声が聞こえてくる。

「ええ、もう大丈夫です。きっと驚いたんでしょう」

 そう言う相手に対し、お父さんは「そうですね、驚いたんでしょう。強そうに振る舞って、実は所のある子なんです」と受け答えをしていた。


 真亜子はほっとしたものの、まだ頭が朦朧もうろうとしていた。だからサーカスの団長の呼びかけに対し、寝ぼけて支離滅裂な返事をしてしまった。

 

「大丈夫だよ。お嬢さん、人間て意外と強いもんだ」

「はい、氷は旅立って。でも無くならないんです」


 それでも団長は「ああ、そうだよ。旅立っても無くならないよ」と答えた。だから真亜子は少し不思議ながらも、言い間違いしてもきっと人は何かが伝わるんだと思った。その晩のサーカス全ての中でいちばん驚いたのは、そして深く心に刻まれたのは、この狭い部屋での出来事。ずっと後になって振り返り、親友や大好きな人にそう話す日が来るかもしれないと思った。


 他の家族の待つ場所に向かう時、真亜子は、さっきの薔薇色の衣装を着ていたのは男の子だった事をお父さんに話した。お父さんは「そういう事もあるかもしれないね」と言った。真亜子は言った。

「私もお母さんの編んだズボンを履けば良かった。男の子のものとか女の子のものとか関係ないのにね」


 お父さんは真亜子にサイダーを買ってくれた。一口飲むと、最初は爽快で、それからやっぱり鼻に、喉にツーンときた。あまりにツーンときたので涙がいっぱい出てきた。それで冬以来ずっと喉につかえていた所がスーッと消えていくのを感じた。真亜子は来年の夏はもうサイダーはいらないと思った。







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サイダーはもういらない 秋色 @autumn-hue

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