乙女椿の骨
爽月柳史
乙女椿の骨
ぽってりと薄紅の花びらがみっしりと詰まっている。乙女椿という、いかにもな名前の植物。爪で引っかくと嫌な茶色に変色する。
まだ地面に落ちていない花から一片をむしり取り、ぐっと爪で押した。
「やっぱり汚い」
今度は花びらに傷をつけないように両手で包み込むようにして花を摘む。5個ほど摘んで絹製の手提げに入れた。彼女はグルメなのだ。
彼女の話をしよう。
人体の解析がそれなりに進んできて、未知とされていたものが未知でなくなった。その結果としてまた新たな「分からぬもの」が発生した。
いや"発生"は正しくなかったかもしれない。解像度が上がれば、さらに細かなノイズが見えるようになる、そういうことだろう。彼女はその「分からぬもの」であり、とある一家の生き残りのうちの一人であり、私にとってかけがえのないサンプルだ。
「おはようございます」
「おはよう、えっと」
「鵲(《かささぎ》です」
「ああ、そうだったわ」
彼女は上品にわらった。簡素な白い服を着た華奢な少女だ。しかしその薄い背からは翼の残骸のような突起物が、だらりと垂れている。天使の出来損ないのような彼女は細い腕を動かして、少しだけこちらに這いよる。桜貝のような、先程の椿のような薄紅が彼女の体に引きずられて僅かな音を立てた。
「朝食です」
檻越しに袋を渡すと、嬉しそうに椿を頬張った。翼の残骸が未練がましく震えている。
「どうかしら」
「どう、とは」
「お肉よ。だいぶ落ちたと思わない?」
ここに来た時の彼女の背には確かに翼があった。飛ぶための力も。
「そうですね。もう随分と花を食べてますから」
私は努めて平坦な声を出す。無邪気に自分の翼が骨になっていることを喜ばしそうにする彼女へ、トゲのようなものを抱かないように。
「分からぬもの」は自然災害のように発生した。出生前の全ゲノムを解析された子供によく起こった。それはもしかしたらパスワードの再設定のようなものかもしれない。その「分からぬもの」のゲノム情報は出生前の診断とは全く異なるもので、形も違っていることが多かった。
ある者はそれを進化と呼び、ある者は罰だと言った。
彼女はある一家の姉妹の妹として生まれ、その存在はひた隠しにされていた。その一家が過激な市民によって惨殺の憂き目に遭った。隠されていたことで生き残っていた妹は、空腹を肉親の血肉で癒しながら生き延びた。
血に染まり、栄養失調で翼の羽毛が抜け落ち肉がただれたそれでもなお、発見者である私に彼女は微笑みかけた。
以来、彼女は此処にいる。身よりのない生きた「分からぬもの」は意外と貴重なのだ。彼女は写真に撮られ、血液を採られ、腕を触られ、骨を叩かれ、カウンセリングを施され活かされている。治療ができるならするし、別の種族と分かればもう少し話は楽だ。現在はサンプルが少なすぎる。
「……聞いてる?」
ふてくされたような声に鼓膜を引っかかれて思考を中断した。
「すみません」
「翼をくださいって歌のことよ」
「それが何か?」
「鵲は欲しい?」
「……いいえ」
「そう、その方が良いの。あのね、お母さんはいつもこの歌を歌っていたのよ」
「え」
彼女は爪を噛み始めた。不安な時の癖だ。
「みんなしらないわ。お父さんは仕事、姉さんは学校、あたしと二人きりの時に。羽毛をゆっくりと撫でながら」
自慢話なのだろうか。私は意識して呼吸をする。
―守ってやってね。守ってやってね
私は翼が欲しかった。
「大嫌いだったの。翼があったって自由なんかじゃないもの」
―家族なんだもの
翼がなければもっと窮屈だった。
「みんな、願いを託したいのよ。なんであたしなのよ」
でも貰えなかった。吐きそうだ。この女は何を勘違いしているのだろう。
「だから嬉しいのよ。本当よ」
私に生えないのなら、この女にはせめて無くしてほしかった。だからこそこんな物ばかりを与えているのに。
ふらふらと檻の前にへたり込んだ私の手を、檻から伸びた細い手が柔らかくつかむ。
「でも、ちょっと残念かも」
私の手を口元へ運ぶ。
「だって鵲、いいえ、姉さん。貴女ならあたしの翼で何処へだって運んでもいいような気がするのだもの」
あの薄紅色の骨に爪を立てたら、やはり茶色い跡がつくのだろうか。
針のように尖った歯が指に食い込む痛みの中、私は彼女の翼から目が離せなかった。
乙女椿の骨 爽月柳史 @ryu_shi_so
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