7 王女シェークリーテの結婚
都へ帰ったお姫様は、部屋に閉じこもり、ロゼルを相手に泣いてばかりでした。リュクシスに会いたくてたまらないのです。
「ああ……私はなんて、ばかなのかしら。ずっとあの人のことが好きだったのに、いつもつまらないことにこだわって、あの人の求婚を拒んでたんだわ。もう一度会いたい……。たとえあの人が猟師であっても、魔法使いであったも、竜であっても、同じやさしいあの人には違いなかったはずなのに……」
しかし、そんなふうに毎日お姫様が泣き続けるので、王様はとても心配になりました。そこで、王様は、お姫様を連れ帰ってきた騎士の一人を呼んで、尋ねました。
「姫が泣いてばかりでな。何か、心当たりはないか?」
騎士がそれに答えます。
「王様、きっと姫様が泣いておられるのは、森でであった金色のうろこの竜のせいだと思います」
「なんと、竜とな!」
王様は目を丸くしました。
「いったい、そのような獣ふぜいが、姫に何をしたというのだ?」
「ええ。実はそやつめはただの獣ではないようで。これがたいそうずる賢く、人の言葉を話すのです。姫様はきっと、その竜に何かよからぬことを言われ、それで悩んでおいでなのだと思います」
「そうか、よくわかった。ならば、どうすればいいと思う?」
「そうですね。やはり、ここは、そのふとどきな竜めを退治せねばなりますまい。国中におふれをお出し下さいませ。その金色のうろこの竜を倒した者には、望むがままの金銀財宝をつかわす、とでも」
「なるほど、わかった。そうしよう」
というわけで、王様はさっそく国中にそのおふれを出しました。やがて、それはお姫様の耳にも届きます。お姫様はとても驚きました。リュクシスを退治するなんて、とんでもないことです。あわてて、王様のところに行きます。
「お父様、お願いです! あんなばかなおふれは取り消してください! あの竜は、決して悪い竜なんかじゃありません!」
しかし、お姫様がこう言っても、王様は不思議そうに首をかしげるだけです。
「何を言っておるのだ。竜など、悪いものと決まっておるではないか。聞けば、お前が毎日泣いておるのも、その竜のしわざだという。お前がその竜に何を吹き込まれ、何を勘違いしているのかは知らんが、しょせん、あやつら竜は、わしら人間とは違う、獣ぞ。よいか、そんな獣の命など、お前が騒ぐというほどのものではない。お前は何せ、この国の姫なのだからな」
王様はきっぱりと言いました。そして、お姫様が何か答える前に、
「よいか、これは王の命令ぞ」
と、強く念を押すように言いました。こう言われては、逆らえません。王様の命令は絶対です。お姫様は泣きながら部屋に戻りました。
しかし、それでも何とか、お姫様はいいほうへ考えようとしました。
「そうよ、リュクシスは言ってたじゃない。今までどんな人間にも倒されなかったって。とても強い竜だって。だから、お父様がどんなおふれを出したって、そんなの関係ないことよ。誰だって、リュクシスにはかなわないんだから……」
お姫様がそうつぶやくと、そばにいたロゼルも、うなずくように、にゃあ、と鳴きました。少しだけ、元気が出てきました。
しかし、そんなある日、今度はこんな話を耳にします。なんと、王様の命令で、お姫様は隣の国の三番目の王子様と結婚させられるというのです。お姫様にとっては、とんでもないことです。お姫様は、リュクシスが一番好きなのです。また、あわてて王様のところに行きます。
「お父様、私は結婚なんてしたくありません!」
しかし、王様はまたも、不思議そうに首をかしげます。
「何を言う、シェークリーテ。お前の相手はとてもすばらしい貴公子だよ。気品もあるし、家柄も申し分ない。いったい何が不満だと言うんだね?」
お姫様は、きっぱりと答えます。
「たとえ、どんなにすばらしい人でも、私はその人を好きになれません。私にはもう、好きな人がいるんです。あの金色のうろこの竜です」
王様はそれを聞くと、笑いました。
「ほう、竜とな。なるほど、お前は確かに、その竜にたぶらかされているようだ。かわいそうな娘よ。お前は本物の恋を知らぬようだ。ここはやはり、何が何でも結婚させねばならぬようだな。のう、シェークリーテ、お前はどんな娘よりも美しい。だから、そのようなばかなことを言うのは、まったく、もったいないことなのだよ」
そして、そう言うと、王様は再び、
「よいか、これは王の命令ぞ」
と、強く言いました。お姫様はやはり、泣きながら部屋に戻るしかありませんでした。
「ああ……なんてことかしら。結婚なんてしたくない。いっそ、このまま死んでしまいたいわ……」
お姫様はすっかり落ち込んでしまいました。ロゼルがまた、はげますように、にゃあ、と鳴きました。しかしもう、お姫様は元気になれませんでした。
やがて、いよいよお姫様の結婚式の日になりました。
結婚式は、都の一番立派な教会で行われました。お姫様は美しい結婚式用のドレスを着せられ、ほとんどむりやりに、隣の国の王子様と腕を組まされました。王子様は、王様の言った通り、確かにすばらしい貴公子のようでした。しかし、あいかわらず、お姫様は結婚なんていやでいやでしかたがありません。だんだん悲しくなってきて、ついには、式の最中だというのに泣き出してしまいました。
「おや、どうなされたのです、姫様?」
王子様がやさしく尋ねました。しかし、お姫様は正直に答えることができません。まさか、結婚がいやだなんて、今ここで言ったら、王様も王子様もかんかんに怒ってしまうでしょう。
「なんでもありません。気にしないで」
お姫様は一生懸命自分の気持ちをごまかしました。しかし、言いながらも、涙はぽろぽろ流れ続けました。
「何か、ご気分がすぐれないようですね」
さすがに王子様は心配そうでした。周りの王様や大臣達もお姫様の様子に気づいて、ざわめいてきます。だんだん、結婚式どころではないような雰囲気になってきました。
すると、王子様はお姫様をなぐさめるように、明るく言いました。
「ねえ、姫様。実は今日の結婚式のために、私めはあなたに、とてもすてきな贈り物を用意しているのですよ。あなたが何をそんなに泣いてらっしゃるのかわかりませんが、せっかくだから、気晴らしに今から見に行きませんか? きっと、お気に召してもらえると思いますよ。ね?」
王子様はそう言うと、お姫様の手を取り、教会の外に連れ出して、歩き出しました。王様や大臣達もついて来ました。
「贈り物って、いったいどこに用意してるんですの?」
都の通りを並んで歩きながら、お姫様は尋ねました。王子様は笑顔で答えます。
「この先の広場です。何せ、とても大きな代物でしてね」
やがて広場に着きました。確かにそこには、何頭もの馬にひかれた大きな荷車が用意されていました。荷車の上には大きな布がかぶせられていて、荷台に乗っているものを見ることはできませんでしたが、やはり、とても大きなもののようでした。
「さて、もういいだろう。布を取って、中を姫に見せて差し上げろ」
王子様は、王子様の国の騎士達に命令しました。すぐに、布が取り去られます。お姫様の目にも、そこに何があるのか明らかになります……。
「ああ……!」
お姫様はそれを見て、思わず気絶しそうになりました。そこにいたのは、なんと、何十本もの槍を体に刺されてまったく身動き一つしないでいる、金色のうろこの竜、リュクシスだったのです!
「どうです、姫様、すばらしいでしょう? あなたの国で、あの竜を退治せよとおふれが出ていると知って、これはぜひ、婚礼の祝いにささげようと思いましてね。いやあ、しかし、なかなかの強敵でしたよ。倒すのに、槍の名人を百三十五人も必要としたんですから」
しかし、そんな話はお姫様にはどうでもいいことです。
「リュクシス!」
お姫様はリュクシスに駆け寄ろうとしました。しかし、そこを王子様に腕をつかまれ、止められます。
「お待ちください。あの竜はなかなかしぶといやつでね。あれでも、まだ生きてるようなのです。近づかれると、危ないですよ」
「まだ生きてるのね!」
お姫様はいてもたってもいられなくなりました。王子様を突き飛ばし、強引にその腕を振り払いました。はずみで、美しいドレスのすそがびりびりと破れてしまいましたが、そんなの構いません。ついでに走りにくい結婚式用の靴も脱ぎ捨て、はだしになると、お姫様は夢中でリュクシスのそばへ走っていきました。
「リュクシス! リュクシス!」
お姫様はリュクシスの顔にふれながら叫びました。すると、
「……シェークリーテ……」
リュクシスは目を開け、言いました。そのなんと弱々しいことでしょう。お姫様は涙が出てきました。
「ああ、どうして? どうして、こんなことになってしまったの? あなたは誰にだって倒せないような、とても強い竜ではなかったの?」
リュクシスはゆっくりまたたいて、答えます。
「ああ……そうだった。私は、強い竜だった……。しかし、お前と別れてからというもの、私はすっかりおかしくなってしまった……。食べることも、飲むことも、休むことも忘れて、ただただいつも、お前のことばかり考えておった……。そして気がつくと、私はとても弱い竜になっていたのだ……」
「そんな……そんなことを言わないで。あなたは誰よりも強い竜よ……」
お姫様は悲しくて、どんどん涙が出てきました。
「シェークリーテ、お前はいつも泣いておるな……」
ふと、リュクシスはつぶやきました。
「初めて会ったときもそうだった。覚えておるか? 私は忘れもせぬ。あのとき、お前と会うまで、竜である私はあのように人間と話したことはなかった。みな、ただ、私を悪しきものだと言って狩ろうとするだけだった。だが……お前は違った。お前は獣である私を美しいと言い、私の前で笑い、泣いた。私は……うれしかった。心の底からうれしかった。だから、私はずっと、お前のそばにいたいと思った。そして、お前が笑うなら、私もともに笑い、お前が泣くのなら、私がなぐさめてやりたいと思ったのだ……。ああ、それだけだった……シェークリーテ……」
リュクシスの目にも、うっすら涙が浮かんできました。
「だがもう、別れだ。私はまもなく死ぬ。……さあ、お前も、この獣の前から去るがよい。今日はお前の結婚式だろう……」
しかし、お姫様は叫びます。
「いいえ、リュクシス。私はあの人とは結婚しません! 私が結婚するのはあなたです! 今ここに誓います! 私は誰よりもあなたを愛しています! ああ……だから、どうかお願い……リュクシス、死なないで!」
お姫様はリュクシスの顔にぴったりと身を寄せ、呼びかけました。しかし、リュクシスはもう、何も言いません。ただ、眠そうにまぶたを閉じていくだけでした。
と、そのとき、
「お待ちください、リュクシス様。まだ逝ってはなりません」
お姫様の足元から声がしました。振り返ると、そこにいたのは、あの黒猫のロゼルでした。
ロゼルはひょいと荷台の上に乗って、リュクシスのすぐ口元にやって来ました。
「リュクシス様、私があなたをお助けしてみせます。口を開けてください。私を食べるのです。さあ、早く」
お姫様はびっくりしました。
「ロゼル、何を言ってるの?」
ロゼルはいつものように、落ち着き払って答えます。
「簡単なことです。私の命をリュクシス様にお返しするのです。シェークリーテ様、前に、お話したことがありましたね。私は以前、死ぬ運命だったところをリュクシス様に助けていただいたと。実はそのとき、私の命はすでにつきておりました。そこで、リュクシス様はご自分の命を私に分けてくださったのです。ですから、それをお返しすれば、リュクシス様は助かるはずです」
「でも、そんなことをすれば、あなたは死んでしまうわ」
「ええ、わかっています。よいのです、それで」
すると、リュクシスがかすかな声で言いました。
「だめだ……お前を死なせるわけには……」
ロゼルは首を振りました。
「いいえ、いいえ! 今ここで、あなた様に命をお返しすることが、私にとって、何よりの幸せなのです。もし、このまま、あなた様に亡くなられてしまったら、私はいったい、どう生きればよいのでしょう? ただ毎日、言葉も話せずに、このシェークリーテ様が泣き続けるのを見守ることしかできないではないですか。私は、そんなことはごめんです。リュクシス様、どうかお願いです。私のために、そして何よりあなた様の花嫁のために、私の命を受け取ってください!」
「…………」
リュクシスは少しのあいだ黙ったままでしたが、やがて、ゆっくりと口を開けました。
「では、リュクシス様、シェークリーテ様、どうぞご達者で!」
ロゼルはそこへ飛び込んでいきました。
不思議なことが起こったのは、それからすぐでした。竜の背中に刺さっている槍が、一本一本、ひとりでに抜け出したのです。もちろん、それだけではありません。大勢の人達が見ている前で、竜の翼がぴくりと動き、やがてその体がゆっくりと立ち上がったのです。驚きの声があがります。もうほとんど死んでいたはずなのに。
「何をしている、騎士ども! 早く、竜をしとめるのだ! 姫を守るのだ!」
王様があわてて叫びます。騎士達も急いで槍や弓を構えて、竜に放ちます。しかし、それらはすべて、竜のうろこにはじかれるばかりです。もう誰も、竜をしとめることなんてできません。
「シェークリーテ姫よ、今一度問う」
金色のうろこの竜、リュクシスは言いました。
「お前は今ここに、私を愛し、私の妻になることを誓うか?」
お姫様は目を輝かせます。
「はい、誓います」
リュクシスはおだやかに笑いました。
「ならば、私も誓おう。お前を愛し、お前のよき夫となることを」
そして、リュクシスはそのままお姫様を背中に乗せました。
「さあ、行こう、シェークリーテ。お前の望むところ、我ら二人で、どこまでも!」
「ええ!」
リュクシスは翼を広げ、空へはばたきました。きらきらと、うろこを輝かせながら。
こうして、二人は大空のかなたに飛んで行ったということです。この後、二人がどこへ行ったのか、それは誰にもわかりません。でも、たとえどこに行ったとしても、あの二人なら、きっと幸せに暮らしたことでしょうね。
めでたし、めでたし。
王女シェークリーテの結婚 真木ハヌイ @magihanui2020
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