6 竜と魔法使い
お姫様はそれから急いでお城に戻りました。そして、さっそくリュクシスを呼び止めて、竜に教えられたように話をしました。
「そうか。じゃあ、君の言う通り、今夜にでもその竜を倒しに行こう」
少しも疑った様子もなく、リュクシスは言いました。
やがて、日もすっかり沈み、いよいよリュクシスは竜を倒しに出かけることになりました。
「シェークリーテ、実は頼みがあるんだが」
出かける直前になって、リュクシスは言いました。
「すまないが、何か一つ、君の身につけているものを私に貸してくれないか」
「いいけど、でも、どうして?」
「はは、正直に言うとね、あんまり自信がないんだよ。竜を倒すなんてね。だから、まあ、お守り代わりさ」
お姫様はそこで、ずっと身につけていたペンダントを渡しました。
「亡くなったお母様の形見なの。きっと、お守りとしては、一番効き目があると思うわ」
「そうかい、ありがとう。じゃあ、絶対になくさないようにしないとね」
リュクシスはそう言って、そのペンダントを自分の首につけました。
「じゃあ、シェークリーテ、私はもう行くよ。すぐに帰ってくるから、おとなしく城で待っててくれよ。いいかい、間違っても、心配だからって湖に来たりしちゃいけない。竜がいるからね、危ないだろう?」
お姫様は、リュクシスがこう言うのにおかしくて笑いたくなりましたが、必死に我慢してうなずきました。危ないどころか、竜は初めからわざと負けることになってるのに。
しかし、リュクシスはさらに念を押します。
「わかったかい、もう一度言うよ。絶対に、何があっても城を出てはいけない。私は必ず朝までに戻るからね。そして、夜が明けたら、一番に私達の結婚式を挙げよう。約束だよ、シェークリーテ」
そう言い残すと、リュクシスは城を出て行きました。
しかしやがて、一人でお城にいるうちに、お姫様はとても不安になってきました。というのも、もしかすると本当にリュクシスが竜を退治してしまうのではないかと考えはじめていたからです。竜は、お姫様と約束した以上、リュクシスにはまるで手を出せないのです。でもリュクシスはそうではありません。せいいっぱい、竜を倒そうとがんばるはずです。そしたら、どうなるのでしょう。何せ、リュクシスは、すごい魔法使いなのです。
「ああ、もし竜が倒されてしまったら……あの竜は決して悪い竜ではないのに……」
どんどん不安は大きくなってきます。もう、我慢の限界です。
ついに、お姫様は湖に行こうと決めました。
「そうよ、私が行って、二人に戦いを止めさせればいいんだわ」
お姫様はお城の中庭に出ると、馬小屋に行きました。そこに、あの黒い馬がいます。
「ねえ、お願い。私を湖に連れて行って、今すぐ!」
馬は快くお姫様を背中に乗せました。そして、そのまま一気に湖に駆け出しました。
しかし、湖に着いても、なぜか二人の姿は見えませんでした。ただ、月の光がおだやかな湖面を照らしているだけです。
「いったい、どこにいるのかしら?」
お姫様はきょろきょろ、辺りを見回しました。すると遠くに、何かオレンジ色のおぼろな光が見えるのに気づきました。
「あそこかしら?」
お姫様は馬と一緒に、歩いて近づいて行きました。
すると、そこには、あの昼間見た騎士達の姿があるではありませんか。騎士達はおのおの、手にたいまつを持ってました。それが遠くでオレンジ色に光って見えたようです。そして、騎士達はみな、その光をある一点に向けていました。そこに何かがある……いや、いるようです。お姫様は目を凝らしました。すると、そこにいるのは、まさにあの、金色のうろこの竜だったのです。
何か、話し声が聞こえます。
「……何度言えばわかるというのだ、騎士どもよ」
竜の低い声です。
「よいか、貴様らの探しておる姫は、この私が食った。あの後、お前達が去った後でな。フフ……久々の若い娘の肉、大いに美味であったぞ」
お姫様はびっくりしました。しかし、竜の話はまだ続きます。
「わかるだろう、貴様らの役目はもう終わった。おとなしくこの森を出て行け。そして、貴様らの国の王に伝えるがよい。姫が死んだ以上、探索はもう打ち切りにしろ、とな」
と、そこで、騎士の一人が口を開きます。
「何をばかなことを。貴様のような、人語を解す、ずる賢い獣ふぜいの言うことなど、いったいどこに真実があろう。我ら、王に認められし聖なる騎士ぞ。ざれ言を聞く耳など、もとより持ってはおらぬ!」
ちょっとびくびく震えた声でしたが、確かな言葉づかいで騎士は言いました。他の騎士達も似たようなことを言い始めます。
しかし、
「何をさえずっておる! 虫けらども!」
竜がこう叫ぶと、騎士達はとたんに静まり返りました。
「騎士どもよ。私の言葉を信じぬというか。ならば、これを見るがよい」
竜はそう言うと、口の中から何かきらきらしたものを地面に吐き出しました。
「これは……」
騎士達は、とても驚いている様子でした。いったい何を見ているのでしょう。お姫様はまたも目を凝らしてみました。すると、そのうち騎士の一人がそれを拾って、よく確かめるみたいにたいまつの光にかざすのが見えました。その瞬間、そこに何があるのか、お姫様の目にも明らかになりました。騎士がその手に持っているもの、それはなんと、お姫様のお母様の形見のペンダントだったのです。
「どういうこと? あれはリュクシスにあげたものなのに。じゃあ、リュクシスは今、どこで何をしているの?」
お姫様はたちまち、とても不安になりました。もうじっとしていられません。すぐに騎士達と竜が話している真っ只中に飛び込んで行きました。
「な、なにゆえ、お前がここにおるのだ!」
竜はお姫様が現れたことに、とても驚いているようでした。騎士達も突然のことにすっかり面食らっています。
「私にだって、何が何だか、さっぱりわからないわ」
お姫様は、竜に向かって声を張り上げました。
「ねえ、いったい、どういうことなの? どうして、私を食べたなんて嘘をつくの? それに、そのペンダント。どうして、あなたがそれを持っているの?」
「黙れ。お前に話すことなど何もない」
竜は答えました。おそろしく冷たい声でした。しかし、だからといって、こわがってはいられません。
「どうして? ねえ、あなたは知ってるんでしょう。そのペンダントを持ってた人は、今どこにいるの?」
「心配など何もいらぬ。お前はこのまま城に戻ればいいのだ。さすれば、明け方までにその男は必ず帰ってくる。よいか、シェークリーテ、今すぐ帰るのだ」
竜のその言葉に、お姫様はとてもびっくりしました。
「どうして? どうして、あなたは私の名前を知ってるの?」
一度だって、竜に名乗ったことなどなかったはずなのに。
しかし、どういうわけか、竜はとたんに黙りこくってしまいました。お姫様はますます不安になってきました。わからないことだらけなのです。
と、そこで、
「そこまでだ!」
騎士達がお姫様の周りに集まってきました。
「竜よ! 奸悪なる獣よ! 今度という今度こそは、我ら騎士団の名の元に、貴様の爪から姫様をお守りしようぞ! さあ、みなの者、かかれ! 竜を討つのだ!」
そう叫ぶやいなや、騎士達はいっせいに剣を抜き、勇ましく竜に斬りかかっていきました。
「やめて! やめて!」
お姫様はあわててそれを止めました。しかし、その必要はなかったようです。なんと、騎士達の剣は、竜のうろこに当たったとたん、みなぐにゃりと曲がってしまったのです。
「失せろ、ごみども! そのようななまくらで私を斬ろうなど、片腹痛いわ!」
こんなふうに叫ばれては、もう騎士達も戦うことなんてできっこありません。おそろしさのあまり、やはりみんな逃げ出してしまいました。また、お姫様だけが一人、残されます。
しかし、
「お前もだ、小娘! 目障りだ!」
昼間とは違い、竜はお姫様にも荒々しく叫びました。お姫様は心底、おそろしくなりました。しかし、だからといって逃げるわけにはいきません。まだ何も、竜は答えてくれていないのです。
「小娘、私の言葉が聞こえぬのか! 消えろと言っておるのだぞ!」
お姫様は、せいいっぱい声を張り上げます。
「いやよ! あなたはまだ、私の聞いたことに、何にも答えてないじゃない! ちゃんと話を聞くまで帰らないわ!」
「何を、たわけたことをぬかす。噛み殺されたいのか!」
竜は口を開け、その鋭い、おそろしい牙を見せました。お姫様は、こわくてたまらず涙ぐんでしまいました。しかし、それでもなお、叫びます。
「ええ、かまわないわ! このまま、わけもわからずお城に帰るくらいなら、いっそこのまま、あなたに噛み殺されるほうがましだわ!」
「ほう! ならば望み通り、我が牙の餌食になるがよい!」
竜は体をしならせ、お姫様に噛み付きかかってきました。お姫様はもう、震えて一歩も動けません。ただ、目を閉じ、身を固くしているほかありませんでした。
しかし、竜はその寸前で、ぴたりと動きを止めました。そして、そのままなんと、お姫様の顔をぺろりと舐めたのです。お姫様は、いきなりのことに、思わず悲鳴をあげました。
「……もう、よい。もう泣くな。私が悪かった。お前はいつも、私の前で泣いておる……」
竜は穏やかな声で言いました。
「まったく、強情なやつだ……。もう、偽り続けることはできぬようだな。いいだろう、シェークリーテ、お前の質問に答えよう。よく目を開き、私を見るがいい」
言われたとおり、お姫様は竜を見つめました。すると、なんとたちまちのうちに竜はその姿を変身させました。お姫様は、とても驚きました。というのも、そこに現れたのは、あの赤毛の魔法使いリュクシスだったのです。
「うそ……。こんなことって……」
お姫様は信じられない気持ちでいっぱいです。しかし、
「シェークリーテ、見ての通りだ。金色のうろこの竜こそが、赤毛の魔法使いリュクシスの正体だったのだ」
目の前の魔法使いは言いました。そして、ゆっくりと、地面に落ちていたペンダントを拾いました。辺りには、騎士達が放り出したままなお燃え続けているたいまつがいくつかあり、それらの光が、揺れ動くリュクシスの細い影を何重にもとらえます。
「すまぬことをしたな。私の牙で、すっかり傷だらけだ」
ペンダントを火にかざしながら、リュクシスは言いました。
「あやつらを説得するためには、やむをえんでな……。もし、あやつらがいつまでもこの森に留まり、お前を探し続ければ、いつかまた昼間のようにお前を見つけ、都に連れ戻そうとするかもしれぬ。そう考えると、私はとてもこわくなった……。許してくれ、お前の大切な母の形見だというのにな……」
リュクシスはお姫様の首にペンダントをつけました。二人の影が重なります。
「シェークリーテ、どうして城を出てきたのだ。あれほど、出てはいけないと言ったのに……」
お姫様の耳元でリュクシスは言いました。とても悲しい声でした。
「お前にだけは、知られたくなかった。この私の正体……。もう、わかっただろう。私はしょせん、長き年月のうちに人の言葉を覚え、人に化けることを覚え、魔術のまねごとまでも覚えた、ずる賢い獣に過ぎぬ。そして、いやしくも、人間の娘と結ばれることを夢見ておった。ああ……なんと、狡猾にして愚かしくあったことか。しかし、シェークリーテ、それでも、私はずっとお前のそばにいたかった。お前を愛していたのだ……」
リュクシスはお姫様の手を取り、そこに口づけしました。何か、あたたかいしずくが落ちました。リュクシスの涙でした。
「すまなかったな……。もう、お前の前には二度と現れぬ。さらばだ、シェークリーテ」
リュクシスはそう言ったとたん、素早く身を翻し、再び竜の姿に戻りました。そして、またたく間に翼を広げ、夜空の向こうへ飛び立ちました。地面に燃えるたいまつの火が、その風に吹かれて残らず消え、辺りは月明かりを除いては、まったくの暗闇になりました。
お姫様はあわてて空を見上げ、叫びました。
「待って、リュクシス! 行かないで!」
しかし、月を背に飛ぶリュクシスの姿はどんどん離れていき、ついには見えなくなりました。
お姫様は大変悲しく、心細くなりました。ですが、まだ、今見たことが本当のことだとは信じられない気持ちでした。そこで、お姫様はそのまま、ふらふらと歩き始めました。二人のお城に帰ろうと思ったのです。きっと、今のは全部間違いで、帰ればリュクシスにまた会える、そんな気がしたのです。
しかし、帰ってみると、そこにはお城なんかありませんでした。ただ、お城と同じぐらいの広さの草原があっただけでした。
「うそよ、こんなはず……きっと道を間違えたんだわ」
それでも、お姫様は自分に言い聞かせました。すると、そのとき、近くから、にゃあという鳴き声が聞こえてきました。お姫様はどきどきしながら、そちらに振り返りました。そこにいたのは、あの黒猫のロゼルでした。
「ロゼル!」
お姫様が呼ぶと、ロゼルはまた、にゃあ、と鳴いて、お姫様にすり寄ってきました。
「ロゼル、私、もう一度リュクシスに会いたいの。どうしたらいいかしら?」
お姫様がこう尋ねても、ロゼルは不思議そうに、にゃあにゃあと鳴くばかりでした。
「ねえ、何か言って、お願い!」
お姫様は必死に話し掛けました。涙が出てきました。しかし、ロゼルは何も言いません。
「ああ、そうなのね……。リュクシスが遠くに行ってしまったから、あなたにかけられた魔法もなくなってしまったのね……」
お姫様はロゼルを抱きしめると、その場に座り込みました。そして、ずっと泣き続けました。
やがて、夜が明けたころ、お姫様は再び騎士達に見つかり、都へ連れ戻されました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます