5 竜との再会

 それからというもの、お姫様は悩みました。リュクシスがたとえ自信たっぷりにあんなことを言ったとしても、お姫様は、本当に竜を倒すなんてできっこないと思っていたからです。きっと、竜に戦いを挑んだとたん、リュクシスは返り討ちにあって殺されてしまうでしょう。ああ、でも、そんなことになったら……。お姫様はそう考えるととても悲しい気持ちになりました。リュクシスには死んでほしくありませんでした。


「ああ、一体どうすればいの……」


 お姫様は悩み続けました。すると、そんなお姫様の様子に気付いたのか、


「顔色が優れませんね。何か、お悩み事でもあるのですか?」


 と、ロゼルに声をかけられました。そこで、お姫様は思い切って、ロゼルに全部話して相談してみました。


「ふむ、なるほど。そういった事情でしたか」


 お姫様のベッドの上で丸くなりながらロゼルは言いました。


「ならば、その解決法は実に簡単でしょう。リュクシス様にこう言われるのです。竜を倒してほしいと頼んだのは、まったくの冗談だった、と」


 しかし、お姫様は、そんなことはできないわ、と答えました。


「だって……一度言ったことを後になって取り消すなんて、とても恥ずかしいことよ。できないわ」

「ふむ、そうですか。仕方ありませんね。では何か他の方法を考えましょう」


 ロゼルはそう言うと、毛づくろいを始めました。そして、やがて、こう言いました。


「では、シェークリーテ様、このようにしてはいかがでしょう。あなた様はこれから、その竜に会いに行かれるのです」

「竜に?」


 お姫様は驚きましたが、ロゼルは落ち着き払った様子で、ええ、とうなずきました。


「つまり、リュクシス様がその竜を見つけられる前に、あなた様のほうが先に会われるのです。そして、竜にこう頼まれるとよいでしょう。もしこの先、赤毛の魔法使いと戦うようになったとしても、決して、その人を殺さないでほしい、と」

「でも、ロゼル。私は前に、その竜をとても怒らせてしまったみたいなの。私の頼みなんか、聞いてくれるかしら」

「そうでしたか。しかし、あなた様が一生懸命頼まれれば、きっとその竜も、話を聞いてくれるのではないでしょうか」


 ロゼルはそこまで言うと、ひょいとお姫様の膝の上に飛び乗りました。


「とにかく、シェークリーテ様、竜に会われるおつもりなら、今すぐにでも森へお行きなさい。早くしないと、リュクシス様が先に竜を見つけられてしまいますよ」

「でも、竜がどこにいるのか、さっぱりわからないわ」

「ならば、探せばよろしい。竜とは大きなもの。空を舞うもの。よく耳を澄ませば、その足音を聞くこともでき、よく目を空に向ければ、その舞う姿を見つけることもできるでしょう。がんばるのです、シェークリーテ様」

「そうね……わかったわ」


 というわけで、お姫様はそのまま森に出かけました。太陽がちょうど空の真上にさしかかったくらいの時刻でした。


 しかし、森を歩いているうちにお姫様が出会ったのは竜ではありませんでした。それは、立派なよろいを身に付けた騎士たちでした。


「まあ、どうしてこんなところにいるの?」


 お姫様は騎士たちに尋ねました。すると、騎士たちのなかの一人が言いました。


「ええ、実は、私たちは王様の命令により、あなた様をお探しもうしていたのです。あなた様が狩りの途中に行方がわからなくなって以来、王様は大変心配なさっています。さあ、姫様、私たちとともに、都に帰りましょう」


 騎士たちはお姫様の手を取り、引っ張っていこうとしました。お姫様はびっくりしました。


「待って、私は都になんか、帰らないわ!」


 騎士たちは首をかしげました。


「何をおっしゃっているのです。このような森に長くいても、楽しことはこれぽっちもないでしょう」

「いいえ、ここは都なんかより、とても楽しいところよ。ずっとここにいたいわ」

「しかし、王様は大変姫様のことを心配なさっているのですよ」

「だったら、このままあなたたちだけ都に戻って、お父様にこう伝えればいいわ。『お姫様は、森でとても元気で楽しく暮らしておりました』って。ね、それなら、心配することもないでしょう?」

「いいえ、だめです。王様は、あなたさまを見つけたら、何が何でも都に連れて帰って来いと命じられました。私たちは王様に忠誠を誓う以上、それに逆らうことはできません」

「そんなの知るもんですか。私は帰らないわ」

「わがままをおっしゃらないでください。さあ、帰りましょう。姫様」


 そう言うと、騎士たちはまたお姫様を引っ張っていこうとしました。


「いや、はなして! 帰りたくなんかないわ!」


 お姫様は騎士たちの手を振りほどこうと暴れました。しかし、力の強い騎士たちにがっちりつかまれては結局、どうすることもできません。お姫様はついに、暴れるのをやめ、泣き出してしまいました。


 と、そのときです。


 お姫様と騎士たちの前に、突然空から一匹の竜が舞い降りてきました。金色のうろこの竜です。


「見なれぬ人間どもだな。森の住人ではないようだが、いったい、このようなところで何をしている?」


 竜は騎士たちに言いました。しかし、騎士たちは竜が現れたことにすっかり驚いて、何も答えられません。


 すると、お姫様は竜に向かって、


「ねえ、竜さん、助けて! この人たちはとても悪い人たちなの! 私をむりやり連れて行こうとするのよ!」


 と、叫びました。


「ほう、お前はこのあいだの娘か。まだこの森におったとはな。いったい、この男どもとお前、どのような関係なのだ?」

「言ったでしょ、この人たちは、とても悪い人たちなのよ」


 しかし、さすがにお姫様にこう言われ続けては、騎士たちも黙ってはいられません。


「何をおっしゃいます、姫様! 私たちはただ、あなた様を都へお連れしようとしているだけ。あなた様が素直に言うことを聞かれるなら、今のような荒っぽいこともいたしませんよ!」


 そうお姫様に言うと、今度は竜に向かって叫びました。


「いったい、いかなるゆえんで我らの前に現れたかは知らぬが、竜といえば、人に仇なす悪しき獣! 我ら、騎士団の名のもとに成敗してくれようぞ!」


 そう言い終えると、騎士たちはいっせいに剣を構えました。お姫様ははらはらしました。


 しかし、次の瞬間、竜は、


「ほう! 人間ふぜいが、この私に戦いを挑むというのか! よかろう! あだにその命を散らすことこそ、騎士の道のほまれとでも思い、死ぬるがよいわっ!」


 と、空気を震わせながら、とても恐ろしく言い放ちました。あまりに恐ろしいので、騎士たちもお姫様もいっせいに震えあがりました。


「さっきまでの威勢はどうした、人間どもよ。今さら臆病風に吹かれたとぬかすか? フフ……逃げるなら今のうちだぞ。私の腹の虫が鳴り出す前にな……」


 瞳をぎらりと光らせつつ、そう言われてはもう、たまったものではありません。騎士たちはいっせいに森の奥へ逃げて行きました。震えるお姫様だけが、一人残されました。


 しかし、竜は騎士たちが去ったと見るや、お姫様に向かって、


「そうこわがるな。せっかくお前のために、あやつらを追い払ってやったのだぞ」


 と、とても穏やかな声で言いました。お姫様はほっと胸をなでおろしました。


「さて、娘よ。いったい、今の出来事、いかなる事情なのか、そろそろ詳しく話してはくれまいか? だいたい、なにゆえお前はまだこの森をうろついておるのだ?」


 竜がこう聞くのに、お姫様は一から十まで詳しく話しました。もちろん、リュクシスのこともです。


「ふむ、お前はようするに、私に、その魔法使いを殺すなと頼みに来たというわけか」

「ねえ、お願い。あなたならできるでしょう?」

「できる? できるというのは、いったい何ができるということだ?」

「だから、もし、リュクシスがあなたを見つけて戦いを挑んできても、手加減してほしいの。死なせないように」

「手加減か。ふむ、それは、ちと難しいぞ」

「どうして?」

「なぜならな、私は人間と一度も戦ったことがない。いや、というより、私を退治しようと戦いを挑んできた人間は数多くいたが、誰一人、私とまともに戦えた者はいなかったのだ。いつも、今の騎士らのように、私が少しうなり声をあげただけで、人間どもは逃げだした。まあ、中には、それでも私に立ち向かってくる勇気ある者もいたが、それも、私が少し翼を動かしただけで枯れ葉のように吹き飛ばされていった。娘よ、そんな私に、何をどう手加減して戦えばよいというのだ?」


「ふうん。でも、それはたまたまその人たちがあなたに比べてとても弱かったってことでしょ。リュクシスは違うわ。すごい魔法使いなんだから」

「そうか。すごい魔法使いか。なるほどそれは強敵やもしれぬ」


 竜はふと、口から息をもらし、かすかに目を細めて笑いました。


「ね。だから、リュクシスを戦う前に追い払うなんてきっとできないわ。一緒に決闘するってことになっちゃうのよ。だから、あなたに手加減してくれないと困るの、お願い」

「しかし娘よ、言ったろう。私は今まで、一度も人間と戦ったことはないと。器用に手加減なんぞ、そううまくできるものか」

「でも、でも、困るのよ。本当に。リュクシスが死んじゃったら、私……困るんだから……」


 お姫様は言ってるうちに涙が出てきました。


「おい、いちいち泣くな、娘。方法がないというわけではないのだぞ」

「まあ、本当?」


 お姫様は泣きやみ、顔をあげました。竜は、ああ、とうなずきました。


「要はその男が死なねばよいのだろう。ならば、話は簡単だ。私はもし、その男に戦いを挑まれても、まるで手を出さないことにする。つまり、手加減うんぬんの以前に、わざと負けるのだ。そして、『参った。もう悪さはしないから許してくれ』などと捨て台詞を吐いて、その男の前から逃げることにしよう。どうだ、娘? これなら何も問題はなかろう」


 しかし、お姫様はちょっと首をかしげました。


「何だ、まだ何か不満があるのか?」

「ええ、だって、それだとリュクシスはあなたに勝ったって思っちゃうわ」

「まあ、そうなるだろうな。こちらが負けたふりをするのだからな」

「でも、私、そんなことになったら困るわ。リュクシスと結婚しなくちゃいけなくなるのよ」

「そうか。しかし、これ以外のやり方だと、私はその男をうっかり殺してしまうかもしれんぞ?」

「そんなの、絶対だめよ!」


 お姫様は叫びました。竜は、今度は息を大きく鼻から吐き出して豪快に笑いました。


「娘よ、それはちと、わがままというものだぞ。よいか、その男が死ぬのと、その男の妻になること。お前はそのどちらかしか選べぬということなのだぞ」


 お姫様はこう言われて、すっかり弱ってしまいました。しかし、いろいろ考えて、やがて、


「……わかったわ。私、リュクシスと結婚してあげてもいいわ。さすがに死んじゃうのはかわいそうでしょう。だから、まあ、助けてあげてもいいかなって」


 と、しぶしぶ言いました。竜はまた笑いました。


「よし、決まりだな。あとはいつその男と決着をつけるかだが……何事も早いにこしたことはない。うむ、今夜のうちに、ことを片付けよう」

「え、今夜すぐに?」


 お姫様はさすがに早すぎるのではないかと思いました。どうせリュクシスと結婚するにしても、もう少し先延ばしにしたいような気がしたのです。


 しかし。竜はお姫様が何か言おうと口を開いたとたん、大きく鼻息を吹きかけてきて、


「とにかく、今夜のうちだ。よし、これも決まりだな」


 と、うむを言わさず強引に決めてしまいました。お姫様は何か言いたい気分でしたが、なんだかまた鼻息を吹きかけられそうな気がしたので、とりあえず黙って、竜の言う通りにすることにしました。すると竜はさらに、決闘の場所はこの近くの湖のほとりにでもするか、と勝手に決めてしまいました。


「でも、どうやって、リュクシスと今夜会うつもり? 今夜のうちにって言ったけれど、リュクシスは夜はいつもお城で寝てるのよ」

「ならば、あらかじめ呼び出しておいて待ち合わせをすればよい」

「よくないわ。なんでこれから戦おうっていう二人が、友達みたいに待ち合わせをするの? 変よ」

「最後まで聞け、娘よ。よいか、これからお前は城に帰り、その男と顔を合わせることになるのだろう? そのとき、こう言うのだ。『昼間、森を歩いていたら、湖の近くで竜を見かけた。今もまだいると思うから、今夜のうちに倒しに行ってほしい』と。お前がこう言えば、その男は今夜、湖のほとりにまで来るだろう。私も、そこで待つことにする。どうだ、娘。これなら何の問題もなかろう?」


 竜にこう言われて、お姫様はうなずきました。なるほど、これならうまくいきそうです。


「よし、お前は今からすぐに城に戻れ。早くせんと、日が暮れてしまうぞ」


 竜はそう言うと、そこで話が終わったというふうに翼を広げ、飛び立とうとしました。しかし、お姫様はふと呼びとめました。


「ねえ、竜さん。あなたはさっき、言ったわよね。今までたくさんの人があなたを退治しようとしたって。でも、あなたはそういうふうに退治されなくちゃいけないような悪いことをしたの?」


 竜は小さく笑いました。


「よいも悪いも、何もあるものか。私は見ての通り、この奥深い森で人とは一切関わらぬ暮らしをしておるのだぞ」

「じゃあ、どうしてその人たちは、あなたを退治しようとしたの?」

「簡単な話だ。竜とは人にとってはるかに強きもの。倒せば、それは名誉となり、名声となる。その者たちはだたそれらがほしかったのだろう。この私を倒して、な……」


 お姫様はそれを聞くと、急に悲しい気持ちになりました。


「そんなのおかしいわ。悪いこともしてないのに、名誉とか名声とかで退治されなくちゃいけないなんて。誰も、あなたのことをかわいそうだとは思わないのかしら?」


 竜は目を細めました。


「かわいそうだと? そのようなことを言うとは、実に下らぬことよ。なぜなら私は強い。どのような人間でも私を討つことはできぬ。のう、娘よ、倒されぬとわかりきったうえで、何を憐れむ必要があろう。そんなこと考えるなど、おろかなことだ。そう、まったく――」


 と、竜はその瞬間大きく翼を広げました。


「まったく、そんな愚かなことを言うのはお前くらいだろうな」


 竜はそう言うと、飛び立っていきました。

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