4 魔法使いの城

「実はね、私は魔法使いなんだ」


 リュクシスは城に入ったとたん、指をぱちんと鳴らしました。とたんに、暗かった城内にたくさんの灯りがついて、昼間のように明るくなりました。


「魔法使い……ですって?」


 お姫様はまたもや、とてもおそろしくなりました。魔法使いといえば、悪巧みをして人からお金を騙し取ったり、幼い子供をさらっては、魔法の薬を作るために鍋で煮たりするような、とても悪くてこわいものと決まっていたからです。


「ひどいわ。猟師だなんて言って、私を騙したのね!」

「そりゃあね。もし初めから私が魔法使いだって君に教えてたら、きっと君は、すぐにおそろしさのあまり、私のそばから逃げてしまっていただろうからね」

「でも、だからって、人を騙していいって理屈はないわ!」

「いや、あるんだよ、そういう理屈がね。わかるかい、それが魔法使いってやつのやり方なのさ」


 お姫様が怒っているのに、少しも謝ることなくそう言うと、リュクシスはまたぱちんと指を鳴らしました。すると、城の奥から一匹の猫がやって来ました。黒い猫でした。


「リュクシス様、何の御用でしょう?」


 驚いたことに、呼び出された黒い猫は、実にちゃんとした言葉づかいでこう言いました。


「シェークリーテ、驚くことはない。彼はロゼルといってね、この城の執事なんだ」

「猫が執事?」

「ああ、そうだよ。君のためにかわいい部屋を用意したのでね。彼に、君をそこまで案内してもらおうというわけさ。……さあ、ロゼル、用はこんな感じだから、頼んだよ」


 リュクシスはそう言うと、城の奥へと去っていきました。


「シェークリーテ様、ですね? ロゼルと申します。どうぞ、よろしく」


 猫のロゼルはすまして挨拶しました。


 さて、その後、お姫様はロゼルにある部屋へと案内されました。ロゼルが言うには、その部屋はリュクシスがお姫様のために特別に用意したというものだそうで、なるほど、入ってみると、確かにとてもかわいらしくて豪華な部屋でした。


「ねえ、ロゼル。こんなすばらしい部屋、都にだってめったにないわ。本当に私が使っていいのかしら?」


 部屋を見回し、上機嫌でお姫様が言うと、ロゼルはまたもすまして答えました。


「ええ、もちろんでございます。あなた様はリュクシス様の妻となられるお方。あなた様のためなら、リュクシス様はありとあらゆるぜいたくを約束して下さいますよ」


「でも、私はあんな悪い魔法使いの妻になんか、なるつもりはないのよ」

「何をおっしゃいます。確かに、あのお方は魔法使いですが、あなた様のおっしゃっているような、悪い魔法使いでは決してございません。……これをごらん下さい、シェークリーテ様」


 と、ロゼルはお姫様に向かって、右の前脚を差し出しました。見ると、そこには古い傷痕がありました。


「私は今、こうしてあなた様とお話することが出来ますが、昔はそうではありませんでした。普通の人間に飼われる、普通の猫だったのです。しかし、ある日、私が足を怪我してネズミが獲れなくなると、その人間は私をこの森に捨てていってしまいました。捨てられた私は、歩くこともままならず、そのまま弱って死を待つほかありませんでした。……一人の魔法使いに助けられるまでは」


「まあ、リュクシスがあなたを?」

「はい。リュクシス様はそんな私に命を分け与えて救って下さいました。さらに、魔法で私が言葉を話せるようにも。私は心からあのお方に感謝しております。シェークリーテ様、あのお方は本当に立派なお方なのですよ」


 ロゼルはそれだけ言うと、思い出したように身を翻し、


「では、おやすみなさいませ」


 と、部屋を出て行きました。


「でも、やっぱり、あの人は悪い魔法使いだと思うわ」


 ふかふかのベッドに寝転がりながら、お姫様はひとり言を言いました。


「だって、私にうそをついたもの。それも、二回も。それに、そもそも私がここに来たのだって、あの人がむりやり私を馬に乗せて連れて来たんじゃないの。私はあの人の妻になんか、ならないわ。絶対に」


 そうつぶやくと、お姫様はすぐに、すやすやと眠ってしまいました。


 しかし、その翌日からのお城での生活は、ロゼルが言った通り、とてもぜいたくで楽しいものでした。


 リュクシスはお姫様に言いました。


「シェークリーテ、私は必ず君を妻にする。だが、それは今すぐむりやり結婚式を挙げようってことじゃない。君が、私と結婚してもいいと言うまで待つつもりだ。何か、欲しいものはないかい? きらびやかなドレスも、色とりどりの宝石も、君が望むがままに差し上げよう」


 お姫様はこう言われてとてもうれしくなりましたが、やっぱり魔法使いの妻になるなんていやでした。そこで、こんなことを言いました。


「じゃあ、リュクシス、私のお願いを聞いてくれる? 私の欲しいものは、あなたの言った、きらびやかなドレスと色とりどりの宝石。でも、それだけじゃないの。その二つを身につけて、舞踏会に出て踊りたいの。それが、私のお願い。どう、リュクシス。あなたなら、できるわよね?」


 お姫様としては、たとえ魔法使いでもこんな森の奥深くのお城で舞踏会を開くなんて、できっこないだろうと、いじわるを言ったつもりでした。


 しかし、リュクシスはにっこり笑って、


「舞踏会か。それはいいな」


 と、言うではないですか。お姫様はびっくりしました。


「何言ってるの、リュクシス。ここには私達二人だけしか踊れる人はいないのよ。そんなんじゃ、舞踏会なんて、できっこないわ」


「いや、心配いらないさ。さっそく、今夜にでも舞踏会を開こう」


 そして、リュクシスがそう言った通り、確かにその日の夜、舞踏会は開かれました。それも、とてもすばらしい舞踏会でした。


 そのやり方はこうでした。


 まず、日が沈んだ後、リュクシスはお姫様をお城の一番広いホールに呼びました。まだ何の準備もされていないホールです。そして、窓という窓をすべて開け放ち、リュクシスは鋭く短く口笛を吹きました。すると、その音が森の木々の間をこだました次の瞬間、たくさんの鳥達が窓から入ってきました。リュクシスはそれらの鳥達の頭を、一羽一羽、やさしくなでていきました。すると、どうでしょう。鳥達が、みるみるうちに人間の姿になったではありませんか。真っ黒なカラス達は華やかな貴婦人に、ずる賢いフクロウ達はりりしい貴公子に、臆病なミミズク達は楽しい音楽を奏でる演奏者になりました。そして、もう一度リュクシスが口笛を吹くと、ホールはたちまち、豪華な飾りやシャンデリアにいろどられた、すてきな舞踏会場になりました。


「さあ、好きなだけ踊っておいで、シェークリーテ」


 お姫様はすっかりうきうきして、夢中で踊りました。貴婦人達も貴公子達も、みなとてもすばらしい踊り手でした。


 しかし、しばらく踊っているうちに、お姫様はリュクシスがホールのどこにも見当たらないことに気づきました。


「まあ、リュクシスったら、いったいどこに行ってしまったのかしら?」


 お姫様はこっそり舞踏会場のホールを抜け出し、リュクシスを探しました。すると、お城の中庭に、一人、月明かりを浴びて立っているリュクシスを見つけることができました。


「ねえ、どうしたの、リュクシス。こんなところで?」


 お姫様はリュクシスに声を掛けました。


「せっかくの舞踏会なのよ。踊らないの?」


 リュクシスはお姫様に振り返り、


「まあね。私は魔法使いだからね。魔法使いってやつは、踊りなんか、踊らないものなんだ」


 と、ぶっきらぼうに答えて、ぷいとそっぽ向いてしまいました。


「でも、踊るって、とてもすてきなことよ。少しくらい、一緒に踊りましょう」


 お姫様はリュクシスの手を取り、そのまま舞踏会場まで引っ張って行こうとしました。すると、とたんに、


「ま、待ってくれ」


 と、とても気まずそうにリュクシスが声をあげました。


「シェークリーテ、実を言うとね、私は踊りなんか、からきしダメなんだ。踊れないんだよ、全然。だから、私のことはほうっておいて、君一人で踊っといで」


 お姫様はそれを聞くと、とてもおかしくなり、笑ってしまいました。


「まあ、リュクシス、それは本当なの? あなたは魔法使いでしょう。私はてっきり、魔法使いというのは魔法で何でもできるとばかり思っていたんだけど」

「うるさいなあ。とにかく、魔法使いにも一つくらい、できないことがあるもんだよ。だいたい、そんなに笑うってもんでもないだろう。踊りが踊れたからって、別にそんなに偉いってもんじゃない。違うかい?」

「ええ、そうね。でも、踊れないってことは、きっと踊れるってことより、少しだけつまんないことだと思うわ。ねえ、リュクシス、あなたが踊れないって言っても、これから踊れるようになればいいだけよ。私が教えてあげる。一緒に踊りましょ」


 お姫様がやさしく言うと、リュクシスはようやく、


「……わかったよ、じゃあ踊ろう」


 と、しぶしぶながら言いました。二人は再び、舞踏会場に戻りました。


 実際、踊ってみると、リュクシスは本当に下手くそでした。


「やれやれ、こんな格好悪い姿、君には見せたくなかったのになあ」


 しょんぼりとそう言いながら、実にぎこちなく踊るリュクシスに、お姫様はやはり笑いをこらえることができませんでした。


「本当に、全然踊れないのねえ。もしかして、今まで一度も踊ったことがないの?」

「もちろん。さっき言ったろう。魔法使いは、踊りなんか踊らないもんだ」

「でも、ちょっとぐらい踊りたいと思ったことはないの? 何かとてもうれしいことや、楽しいことがあったときとか」

「ないね。そんなことは今まで一度もなかったよ」

「じゃあ、誰かに踊りを誘われたことは?」

「それも、ない。今日君に誘われたのが初めてだよ」

「ふうん。魔法使いって、なんだかとってもつまんないものなのねえ」


 そんなことを話しながら二人は踊り続けました。そのうち、お姫様は踊りに合わせて歌を歌いはじめました。とてもきれいな歌声でした。


「シェークリーテ、君がこんなに美しい歌い手だったとはな」


 リュクシスは感心したようにつぶやくと、ふと踊りのステップを止めました。そして、いつかの夜のように、ぱちんと指を鳴らしました。すると、たちまちのうちに貴婦人も貴公子も演奏者もみな元の鳥の姿に戻って窓から飛び去っていき、ホールも、華やかだった舞踏会場だったものが、元のさみしいホールに戻ってしまいました。


「あら、どうしたの? もう舞踏会は終わり?」


 リュクシスは、いいや、と首を振ります。


「まやかしの音楽や踊り手達など、しょせん、とてもつまらんものだよ。君の歌のほうがずっと美しい。だから、消したんだ。もはや騒がしいだけだからね。さあ、シェークリーテ、もっと歌ってくれ。そして踊ろう。二人だけで、もう一度舞踏会をするんだ」


 そう言うリュクシスは何と楽しそうだったでしょう。さっきまで、あんなに踊るのをいやがってたのに。お姫様も、なんだかとても楽しくなり、笑いました。そして再び歌を歌い、手を取り合って一緒に踊りました。


 やがて、夜もだいぶふけたころ、踊り疲れた二人は、椅子も何もない冷たいホールの床に並んで座りました。


「シェークリーテ、さっき君が言っていたことは本当だったんだな。踊るということは、とてもすばらしい」


 リュクシスはすっかり上機嫌でした。


「それに、君の歌だってそうだ。とても美しい。不思議だなあ。君くらいの年頃の女の子は、みんなそんなふうに歌うものなのかい?」

「さあ、人それぞれなんじゃないかしら。私なんかより、ずっと歌が上手いって人もいるだろうし、逆にうんと下手な人もいるでしょうね。でも、たぶん、私くらいの女の子は、みんな歌うのが好きだと思うわ」

「そうか。それは知らなかったな」

「あら、おかしいわ。魔法使いって、何でも知ってるものでしょう。こんなことも知らないなんて」

「そうだね。確かに、私は何でも知っている。だが、それは私が一人でいるときだけだ。君と一緒にいると、私は本当に、知らないことがどんどん増えていくんだ」

「変なことを言うのね。よくわからないわ」

「ああ、私にも正直、よくわからない。たぶん、君と一緒にいるうちは、ずっとわかりそうもないだろうな」

「どういうこと?」

「さあ、ね……」


 リュクシスはただ、おだやかに微笑むだけでした。


 その夜を境に、二人はまるで十年も前からの知り合いのように、とても親しくなったようでした。


 二人はたびたび一緒に、お城の近くの湖まで散歩に出かけました。


「シェークリーテ、もうそろそろ、私と結婚する気になったんじゃないかい?」


 リュクシスはその都度、湖畔でお姫様に尋ねました。


 しかし、お姫様はあいかわらず、


「私は、あなたの妻になんかならないわ」


 と、言い続けました。お姫様にしてみれば、どんなに仲がよくなったとしても、魔法使いと結婚なんて、やっぱりできないと思ったのです。


 そんな、ある日のことでした。


 二人でお城の中庭のバラをながめていたときのことです。お姫様はふと、バラの花を摘もうとして、指をそのトゲに刺されて、けがをしてしまいました。


「シェークリーテ、私に見せてごらん」


 リュクシスはお姫様の手を取ると、とてもやさしくなでました。すると、あっというまにお姫様のけがは治ってしまいました。


「まあ、いったい、何をしたの?」

「魔法だよ。これぐらい、どうということはないさ」


 そう言うと、ふとリュクシスは思いついたように、


「シェークリーテ、もしかして私を、悪い魔法使いだと思ってるかい?」


 と、お姫様に尋ねました。


「当たり前よ。魔法使いって、うんと悪いものと決まってるでしょう」


 お姫様ははっきりきっぱり答えました。そうです、だから、リュクシスとは結婚できないのです。


「でも、シェークリーテ、私は別に、君が考えてるような悪いことに魔法を使ったことはないし、これからも使うつもりはないんだ」

「え? じゃあ、あなたは魔法使いでも、悪い魔法使いじゃなくて、いい魔法使いってこと?」

「ああ、そうだよ! わかってくれたようだね。私と結婚する気になったかい?」


 と、嬉しそうに手を握ってくるリュクシスに、お姫様は何と答えていいのかわからず、すっかり弱ってしまいました。というのも、なんだかリュクシスと結婚してもいいような気持ちになってきたからです。しかし、だからといって、このまま素直にはいと言うなんて、お姫様としては実におもしろくありません。そこでまた、リュクシスにいじわるを言うことにしました。


「わかったわ、リュクシス。あなたと結婚してもいいわ。ただし、今から言う、私のお願いをかなえてくれたらだけれど」

「本当かい? ああ、シェークリーテ、なんだってかなえてあげるよ」

「まあ、うれしいわ。実はあなたに竜と戦って勝ってほしいんだけど……当然、できるわよね?」

「竜だって?」

「ええ、そうよ。あなたは知らなかったかしら。この森のどこかにいるみたいなのよ。金色のうろこの竜でね、とても乱暴なの。ぜひ、あなたに見つけ出して、退治してもらいたいわ」


 そう言いながらお姫様はとても得意な気分になっていました。というのも、あの竜に勝つなんて、いくらリュクシスが魔法使いでも無理だろうと思っていたからです。きっとすぐに、そんなことはできないと言って、リュクシスは困り果てた顔になるでしょう。お姫様は、しめしめと思いました。


 しかし、リュクシスは、


「そうか、わかったよ。その竜に勝てばいいんだな」


 さも自信たっぷりにこう言うではありませんか。お姫様はびっくりしました。


「な、何言ってるの、リュクシス。あの竜を倒すなんて、いくらあなたでも、できっこないことよ!」

「いや、できるさ。言ったろう。君の願いは何だってかなえてあげるって」


 実に落ち着き払った様子でこう言うと、リュクシスはお姫様を抱きしめて、


「じゃあ、約束だよ」


 と、とてもうれしそうに笑いました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る