3 赤毛のリュクシス

 吹き飛ばされたお姫様は川へ落ちてしまいました。お姫様はまるで泳げなかったので川の流れに逆らえず、すっかりぐるぐる目を回して、やがて気を失ってしまいました。


 その後、お姫様が目を覚ましたのは木で出来た粗末な小屋の中でした。だんろの火のぱちぱちと燃える音が聞こえたのでお姫様がゆっくりと起き上がると、そのだんろのすぐ前に若い男が立っているのが見えました。まるでだんろの火が燃え移ったかのような赤い髪をしていて、あまり立派でない服装でしたが、とても美しい若者でした。


「ここはどこ? あなたは誰?」


 お姫様が尋ねると、男はゆっくりと振り向いて、


「ここは見ての通り山小屋だよ。私の家さ。私は猟師をしてるんだ」


 と、言いました。


「ふうん。でも、私、なんでこんなところにいるのかしら? 確か、川を流れていったはずなんだけど……」

「ああ、そうだよ。私が見つけたとき、君はまさに川を流れていくところだった。びっくりしたなあ。水を汲みに行っただけだったのに、まさか上流からこんな若い娘さんが流れてくるなんてね。いったい、何があったんだい、美しい娘さん?」


「……ちょっと転んで、川に落ちちゃったのよ」


 本当のことを言うのは恥ずかしい気がしたので、お姫様はこう答えました。


「そうかい。転んで川に落ちるなんて、ずいぶんのんびりした娘さんなんだね」


 男は笑いました。


 お姫様がシェークリーテと名乗ると、男も名前を教えてくれました。リュクシスという名前でした。とてもやさしい若者で、お姫様の足に、川に落ちたときにできたらしいケガを見つけると、


「このまま歩いて帰るのは無理だろう。具合がよくなるまでここにいるといいよ」


 と、何日もお姫様を泊めてくれました。


「ありがとう、リュクシス、こんなに親切にしてくれて」


 うれしくなってお姫様がこう言うと、リュクシスは、


「何言ってるんだ、君はケガ人だろう。ケガ人ってのはね、王様みたいに偉そうにしてればいいんだよ。そうじゃないと、治るものも治らなくなるぞ」


 と、ますますやさしくしてくれるのでした。


 そんなふうに過ごしてくうちに、やがてお姫様のケガはすっかりよくなりました。しかし、お姫様はそのころにはこのリュクシスの家がとても居心地がよくなっていて、もはや帰りたいとは思わなくなっていました。そこで、お姫様は治ってるはずの足を抱えて、リュクシスにこう嘘をつきました。


「まだすごく痛いわ。治るには、もっと、うんと時間がかかると思うの」


 リュクシスはお姫様がこう言うのにすこしも疑った様子はないようでした。お姫様はほっとひと安心。まだ前と変わらない日々が続きます。


 しかし、そんなある日のことです。二人で夕食をとってるとき、ふいにリュクシスが言いました。


「ねえ、シェークリーテ、足はまだ痛むかい?」


 リュクシスは本当に心配そうでした。そこでお姫様はすこしでも安心させるために、


「だいじょうぶよ。そんなに心配いらないわ。きっとね、すぐによくなると思うの。もう、すぐに」


 と、明るく言いました。


 しかしお姫様がこう言っても、リュクシスは相変わらず暗いしかめっ面をしています。


「でも、こんなに治るのが遅いなんて、これはひょっとすると、すごくやっかいなケガかもしれない」


 お姫様はそのおおげさな言い方にあわてました。


「だ、だいじょうぶよ。本当に、だいじょうぶなんだから!」


 しかし、リュクシスはなぜだかますますしょんぼりしていきます。お姫様はさすがに不思議に思って尋ねました。


「ねえ、どうしたの? 私ならだいじょうぶよ、本当よ」


 リュクシスは大きく息を吐くと、首を振りました。


「ああ……実はね、私は君に謝らなくてはいけないことがあるんだ」

「謝らなくてはいけないこと?」

「君の足のケガのことだよ。ずっと黙ってたんだが……あれはね、君が川に流されているときにできたものじゃない。君を川から引き上げたときに、わざと私がこしらえたものなんだ。……ナイフで君の足を傷つけて、ね」


 お姫様はその言葉にとても驚きました。


「まあ、なんて人! どうしてそんなひどいことをしたの!」


 リュクシスはしばらく黙ってうつむいていましたが、やがて思い切ったように一言、こう言いました。


「君が……とても美しい人だったからだよ」


 そんなことを言われても、お姫様には何のことやらわかりません。


「リュクシス、何を言ってるの。そんなの、ちっとも理由になってないわ」

「なってるさ、私にとっては。それが何よりの理由だった。聞いてくれ、シェークリーテ。私は君を初めて見たとき、なんて美しい人だろうと思った。でも、よくよく身なりを見れば、どうやら君は私なんかが話しかけることもはばかられるような、とても立派な身分の人じゃないか。きっと、このまま君を家に連れて帰ったとしても、こんなみすぼらしい家、君のような人はすぐに出て行ってしまうじゃないかって、ね。そう考えると、私はいてもたってもいられなくなったんだ。何でもいい、何か、君を私の家に引き留めておく方法はないかって考えて、それで……。君の足を傷つけて本当にすまなかったと思っている。でも、私は、君にすこしでも一緒にいてほしかったんだ」


 リュクシスはとても真剣な眼差しでした。お姫様は思わず恥ずかしくなり、顔が熱くなって何も言えなくなってしまいました。するとリュクシスはお姫様の手を取り、


「でも、まさかこんなに君の足の治りが悪いなんて思わなかった。ああ、このままずっと治らなかったとしたら、私は君に何とわびればいいだろう……」


 と、とても困ったように続けました。あまりに困ったような調子だったので、さすがにお姫様は、もう嘘をつき続けているのはかわいそうだと思いました。


「ああ、リュクシス。そのことだけれど、私の足、なんだか今になってすごく具合がよくなったみたいなのよ」


 そう言って、リュクシスの前で軽やかにスキップして見せました。


「本当かい! ああ、それはよかった……」


 リュクシスはひと安心したようでした。しかしどういうわけか、すぐにまたもとの難しいようなしかめっ面に戻ってしまいました。


「どうしたの、リュクシス。うれしくないの?」

「ああ、そうだね。君の足が治ったってことは、すごくめでたい話だね。でも、シェークリーテ、君はこれからその足でどうするつもりなんだい? ずっとここでスキップしてるってもんでもないだろう、君の足は。私はね、もうこんなことを言う資格もないんだろうけど、君に帰って欲しくない。ここに、ずっと一緒にいて欲しいと思っている。君が好きなんだ、心から。お願いだ、シェークリーテ、私の妻になってくれないか。私は見ての通り、弓の腕以外何の取り得もないような男だけれど、君を何よりも大切にすると誓うよ。だから、どうかお願いだ、シェークリーテ。私と結婚してくれないか」


 お姫様はこう言われてとてもびっくりしましたが、やがて、


「それはできないわ」


 と、きっぱり答えました。


「なぜだ、シェークリーテ。私が嫌いなのか?」

「いいえ。あなたは私の足を傷つけたけれど、私の命の恩人であることには違いないし、そのあととても親切にしてくれて、すごく感謝しているわ。私はあなたが好きなほうよ。でも、結婚なんて、やっぱりできないわ。だって、あなたのような貧しくて身分の低い人と結婚したなんて他の人に知られたら、私、すごく笑われちゃうもの。そんなの、ごめんだわ」


 お姫様がこう言うと、リュクシスはとても怒ったようでした。


「何だ、じゃあ君は、ただ私が貧しくて低い身分だから結婚できないって言うのか! なら、君はいったい、どんな人ならお気に召すっていうんだい!」

「そうね……あなたが王子様なら、いいわ」

「王子様だって! まったく君はなんて人だ。まあ、いいさ。そんなことを言うやつは、王冠とでも結婚しちまえばいいんだ」


 それはあまりにもばかにしたような言い方だったので、お姫様はすっかり怒ってしまいました。


「ええ、そうするわ! あなたなんかと結婚するより、そっちのほうがよっぽどましだわ!」


 そして、そのままリュクシスの家を飛び出してしまいました。


 お姫様は一応、そのまま都に帰るつもりでした。


 しかし灯りも持たずに真っ暗闇の夜の森をがむしゃらに走っても、都に帰れるはずはありません。お姫様はすっかり道に迷ってしまいました。


 空には冴え冴えと尖った三日月が見えるばかりで、他に灯りらしい灯りはありません。風がそよぐたびに、お姫様の服のすきまから夜の冷気が染み込んできます。周りを見回しても誰もいない、おそろしい夜の森です。お姫様は心底、心細くなってきて、ついには泣き出してしまいました。


「誰か……誰か、助けて!」


 返事はありません。


「ねえ、こわいの。本当にこわいのよ! お願い、助けて、誰か!」


 と、お姫様が叫んだ、そのときでした。


 遠くの闇の中に何か青白い光が一つ二つと浮かび上がり、それに照らされて一人の青年が姿を現したのです。そして、その青年は青白い光とともに、ゆっくりとお姫様に近づいて来るではありませんか。これはきっと森のお化けに違いありません。お姫様は悲鳴を上げました。


 すると、


「シェークリーテ、私だよ。よく見てごらん」


 と、そのお化けがお姫様の名前を呼びました。お姫様が言われたとおりこわごわ顔を上げて見ると、それは誰であろう、あの燃えるような赤毛のリュクシスでした。


 しかし、さっき別れたリュクシスとはなんと様子が違っていたことでしょう。その服装は、まるでとてもすばらしい貴公子のように立派なものでしたが、その色は、靴の先からマントのすそまですべて真っ黒でした。


「まあ、リュクシス。どうしてそんな格好をしているの?」

「……これが私の本当の姿なのさ。この、夜の闇と同じ色がね」


 お姫様は首をかしげます。


「何を言ってるの? さっぱりわからないわ。それに、どうしてこんなところにいるの?」


 リュクシスは静かに答えます。


「君を、さらいに来たんだよ」


 と、そのとたん、リュクシスの背後に一頭の馬が現れました。やはり真っ黒な馬です。リュクシスはそれに、ひらりとまたがりました。そして、風のような動きでお姫様のすぐ近くまでやって来たかと思うと、次の瞬間に、嵐のような素早さでお姫様の体をとらえて馬の背中に乗せました。


「もし君が、私を嫌いだという理由で結婚を断ったのなら、私は君を、このまま都に帰してやるつもりだった。だが、よりによって、身分が違うだの、他人に笑われるからだの言うとは実に気に食わん。やはり、君は私の花嫁になってもらう。さあ、来るんだ、私の城へ」


 そう叫ぶと、リュクシスはお姫様を抱えたまま馬の手綱を引きました。たちまち、馬は猛々しくいななき、走り出します。真っ暗闇の森の中を、すこしも木にぶつかることなく、馬はいかずちのような速さで駆けて行きます。お姫様はとてもおそろしくなり、リュクシスの体をゆさぶりながら叫びました。


「お願い、馬を止めて! 私をどこに連れて行くつもりなの! 都に帰りたいわ、私をはなして、お願い!」 


 しかし、リュクシスは、


「何もおびえることはない。言ったろう、これから君は私の城に来るんだ」


 と、冷ややかに言いました。


「シェークリーテ、馬から飛び降りようなんて考えないほうがいいぞ。わかるだろう、この馬はただの馬じゃない。ずば抜けて足が速いんだ。落ちたら最後、地面に叩きつけられておしまいだよ。しっかりつかまってるんだ、いいね?」


 そう言われて、お姫様はますますおそろしくなり、震えが止まらなくなりました。


「どうして……どうしてこんなことをするの? わからないわ」

「君が一人の猟師の求婚を手ひどく断ったからさ」

「猟師ですって? でも、あなたはさっき、まるで自分がお城を持ってるみたいなことを言ったわ。それに、あなたのその服も、この馬も、何がどう猟師と結びつくのか、教えて欲しいものだわ!」

「ああ、そうだね。私は本当は猟師じゃない」


 と、リュクシスが言ったちょうどそのとき、樹木の暗がりが開け、古めかしい城が姿を現しました。


「着いたようだね。ここが私の城だよ」


 リュクシスは馬を止めると、お姫様を抱えたままその城に入りました。

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