2 竜との出会い

 森の中をひたすら走り続けたお姫様は、やがて竜のもとへとたどり着きました。

 そこはちょうど川の近くで、竜は水を飲んでいる様子でした。さっそく、お姫様はそれを木の影から見ることにします。竜はやはり、とてもおそろしい爪と牙と、とても美しい金色のうろこを持っているようです。お姫様は胸がどきどきします。


 と、そのとき、


「娘よ。そこで何をしている」


 竜が首を上げ、お姫様のほうへ振り返りました。


 ちゃんと隠れていたはずなのにどういうことなのでしょう。それに、竜がまさか人間の言葉をしゃべるなんて……。お姫様はとてもびっくりしました。あわてて木の後ろに身を隠します。


 しかし、竜はさらに、


「何を隠れている。出て来い。さもなくば、我が爪でその木ごと引き裂いてくれようぞ」


 と、言うではないですか。


 こう言われてはたまったものではありません。お姫様は、やむなく、木の影から姿を現しました。


「ほう……。身に付けているものからして、高い身分の娘のようだな。こんなところで何をしている? まさか、たった一人で私を狩りに来たというわけではあるまい?」


 竜はゆっくりとお姫様に問い掛けます。その声は、低く、しゃがれていて、とてもおそろしいもののように聞こえます。お姫様は心臓が縮み上がって、ただもう震えるばかり。


 すると、竜は、


「私に、何か用があるのか?」


 と、長い首を下げ、地面におなかをぴったりつけてお姫様と顔が向かい合うようにし、もう一度質問してきました。その声はさっきよりはずいぶん小さく、そのため、お姫様はさっきよりはこわい思いをせずにすみました。


「あなたを近くで見たかったの……」


 ようやく、お姫様は震えながらも、こう答えることが出来ました。


「私を見に? 妙な娘だな。私が怖くないのか」

「そ、そりゃあ、怖いわ。あなたは人間を食べるおそろしい竜でしょう」

「……人間を食べる竜、か。それは面白い」


 と、竜は急に目を細め、牙の間から細かく息をふき出しながら体を震わせました。どうやら、笑っているようです。


「娘よ。私はこの森で長らく生きているが、人を食ったことなど一度も無いぞ」

「え? それは本当?」

「ああ。私が食うのはこの森の獣達だ。彼らは年老いて寿命がつきかけると、私のもとへやってくるのだ。そのまま死んで土に返るより、私の命になることを望んでな。だから、私は彼らを食う。そうやって私はずっと生き長らえている」

「そうだったの」


 なるほど。この森の竜が人間を食べるというのは、まったくのデタラメの話のようです。お姫様は、ほっと胸をなでおろしました。食べられる心配はもうないのですから。


「しかし、娘よ。そんな噂を耳にしておきながら、なぜわざわざ私を見に来たというのだ?」

「さっき見たのよ。あなたが空を飛んでいるところ。とても綺麗で美しかったわ。だから、私、それをもっと近くで見れたらって思って」

「美しい? いよいよ妙なことを言う娘だな。お前は鏡を見たことはないのか。もしないのなら、そこの川べりに立って、水面に映る自分の顔を見てみるがいい。お前はとても美しい。そして、お前達人間にとって美しさとはそのようなものだろう。私はしょせん、お前達にとって獣にすぎない。違うか?」

「……獣に? そうかしら?」


 お姫様は首を傾げます。


「むつかしいことはよくわからないけれど、あなたは獣じゃないと思うわ。だって、こうやってちゃんとお話できるんですもの。それにあなたはさっき私のことを美しいと言ったけれど、それだって全然違うわ。私、お母様によく言われたもの。『お前は本当に泣き虫だね』って」

「泣き虫? 意味がわからんな。何が言いたい?」

「だからね、私、泣くとひどい顔になっちゃうみたいなの。それで、泣き虫だからそれがたくさん。美人でもなんでもないわ」

「なんだ、それは」


 竜はまた牙の間から細かく息をふき出して笑いました。


「ならばぜひとも、そのひどい泣き顔を見てみたいものだな。娘よ、今ここで泣いてみてはくれぬか?」

「泣くって……ここで?」


 今度はお姫様が笑う番でした。


「おかしなことを言うのね。涙なんて、泣けと言われたからって出るものじゃないわ」

「むう。では、人はいかなるときに涙を流すものなのだ?」

「悲しいときに」

「そうか。では、娘よ。お前にとって悲しいこととは何だ? 見ればお前は若く美しく、高い身分で、ひもじい思いをすることもないだろう。何がお前を泣かせ、泣き虫とやらにさせるのだ?」

「それは……」


 と、たちまちお姫様は胸の奥がぎゅうっと痛くなりました。都での悲しい出来事が思い出されてきたからです。涙が込み上げてきます。


「な、何だ。お前は先ほど泣かぬと言ったではないか。何か私が、お前を悲しませるようなことを言ったか?」

「いいえ、違うの……。お母様のことを思い出してしまって」

「母親のことを?」

「お母様は、少し前に亡くなってしまったの。ご病気で……」


 お姫様は涙を流しながら話します。お母様がとても大好きだったこと。そんなお母様が病気で倒れて、とても悲しかったこと。それなのに、王様は仕事ばかりしていて全然看病してくれなかったこと。そして、そのままさみしい気持ちでお母様が亡くなってしまったこと……。


「お父様は冷たい人よ。お母様より、王様の仕事のほうが大事だったの。かわいそうなお母様。私、絶対お父様を許さないわ」


 そう、そういう気持ちがあったので、お姫様は今日、狩りの最中に王様とケンカをしてしまったというわけでした。


「そうか、なるほどな。だが娘よ、死人にいくら想いを馳せても、それはかなわぬぞ。そんなことは早く忘れてしまえ。そもそも、こんな何もない森の奥に来るのがいかん。お前のような若い娘は、都に戻り、華やかな暮らしをしていれば、すぐにそんな悲しい思い出など忘れてしまえるものだ」

「いいえ。忘れることなんて出来ないわ」


 お姫様は首を振ります。


「夜毎に開かれる舞踏会のたびに、私はお母様に昔踊りを教わったことを思い出すわ。きれいなドレスを身につけるたびに、昔ドレスを仕立ててもらったことを思い出すし、教会に行けば、昔一緒にお祈りしたことを思い出すのよ。……都にはもう戻りたくないわ」


 お姫様はそう言うと、ますます激しく泣き出してしまいました。


「もういい、わかった。いい加減泣くのはやめろ」


 と、そのとたん、竜は舌でお姫様の顔を思い切り舐めました。


 お姫様は驚いて、悲鳴をあげました。


「泣き止まぬなら、このまま、舐めまわし続けてやるぞ」


 さすがにこう言われては、お姫様は泣き止むしかありませんでした。


「そうだ、それでいい。まったく、お前の泣き顔はひどいものだな。見苦しいこと、この上ない」


 竜は大きく鼻息をお姫様に吹きかけました。その勢いに、お姫様は思わずよろめいて、尻餅をつきます。すると竜は、何やらいきなり乗馬服のすそに牙にひっかけて、お姫様を高く上へ持ち上げました。お姫様はまた悲鳴をあげました。


「いちいちうるさい娘だな。お前を森の外まで送り届けてやろうというだけだぞ」


 竜はそうつぶやくと、首をひねって、お姫様を背中にちょこんと乗せました。


「さあ、都はどちらだ。言ってみろ。それとも、涙が乾くまで気晴らしにどこかへ行ってみるか。どちらでもいいぞ。お前の望むところまで飛んでいこう」

「望むところまで……?」


 その言葉に、ふと、お姫様は前からとても行きたいと思っているところがあることを思い出しました。ここは思い切って竜に頼んでみましょう。


「ねえ、竜さん。あなたは空を自由に飛んで、私達の知らない、ずっと遠くまで行けるのよね?」

「まあ、そうだが……。どこか、行きたいところがあるのか?」

「ええ。私の行きたいところはね、この空のずっと向こう。そこに行けばお母様がいて、何もかもすごく幸せなところ。死んだ人の国、天国。ねえ、竜さん、あなたなら行けるわよね? 私をそこへ連れて行って」


 しかし、お姫様がそう言ったとたん、竜はいきなり立ち上がって、お姫様を地面に叩き落し、


「何を言うか! 愚か者め!」


 と、とても荒々しく叫びました。


「よいか、娘よ。死者の国は文字通り死人のみが行くのが道理ぞ。二度とそのような口を利いてみろ。お前の首根っこ、私自ら噛み砕いて、望み通りお前を死者の国へと送ってやるぞ!」


 その竜の声のなんと大きくおそろしいことでしょう。お姫様はたちまち震え上がりました。


 しかし、まさかそんなふうに自分の言ったことをつっぱねられるなんて思ってもみなかったので、だんだん悔しいような、腹立たしいような気持ちがこみ上げてきました。


「いいわよ! たかが私の命一つ、あなたに奪われるだけでお母様のもとへ行けるというのなら、願ったりかなったりだわ!」


 せいいっぱい、涙ながらにお姫様は叫びます。


「まだそのような世迷言をぬかすか、娘よ」


 竜は毒ヘビのような目つきでお姫様をにらみます。


「もはや、お前のような痴れ者、話すことなど何もない。即刻、我が眼前から消え失せろ!」


 と、竜が叫んだ瞬間、お姫様は強い風に襲われました。見るとそれは、竜が翼を動かして起こしているものでした。お姫様は飛ばされるものかと、あわてて近くの木にしがみつきました。しかし、風はとても強くて、やがてお姫様のしがみついている木はぱきんと折れてしまいました。お姫様の体はその枝ごと吹き飛ばされてしまいました。

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