寂寥感を抱け

彼女と雑談をしながら標挟前の橋にさしかかった。

山々からの流水が月光を映し、光源を作り出す。

田園の間を堂々と流れる川の流れに目を追いつつ、身体は正面へ。

ただ真っ直ぐ標挟へ。

彼女は多分気付いていないふりを続けるようだが、アパートで追手を迎撃するべくだ。

策がなければ絶対なる死か誘拐か、ともあれ犯罪組織に目を付けられるのには生存したところで変わらないだろうが。


ふと、余生を味わうべく過去を思う。

自分の妄想癖は幼少期からであったが、便利な事もあった。

周辺状況や心理状況から生まれた像が具体的に妄想できるからなのか、人の気配が何となく知覚できてしまう。

超能力というぶっ飛んだレベルではなく、勘が良いというより直観力が並の人よりも良いようだ。

向こうは音を機械で消しているようだが、追手がいることは確実であり、しかも自転車のようなのであの男だろう。


そもそも、「分かるだろう?」と彼女に問いかけたのはあの男が生きていることを理解出来ているかの確認を取る為であったがそれは悪手であり、向こうに悟られる可能性を考慮したが甘かったので彼女は返答をはぐらかしたのだ。

まぁ、あの男が生きているという理由を男の頭周辺の血と色などで類似性を持った物質が事から判断した俺もまだまだだった。

男性が倒れていた道はそこそこの傾斜なので物質が流れ落ち、夕方といえども暑いので乾きも早いはずだが、物質は乾いていなかった。スレッジハンマーに付着していた物質のあとでさえ確かに凝固していたのに。

何故物質は乾かなかったのか。

それは物質がヘルメット内から継続的にいたからだ。

ただ、これは人間の頭から出血しても同じことが言えるかもしれない。

しかし、周囲の物質からはまるで血の匂いがしないのだ。

中途半端でそこまで確証性のない材料だが、俺はこれを信じた。

この考えが正しければ彼女のあの目は、男の反撃を待っていたのではないだろうか。

そもそも、彼女は何故正当防衛にスレッジハンマーを用いたのか、何故正当防衛をしたのかさえまだ見えないのだ。

多分護身用と、この地域は治安が悪い事に加えて、何かに追われていると想像して今もなお行動を共にしている。

咄嗟に彼女の顔を見ると

「どうかした?」

と柔和な笑顔で言う。

「ごめん気のせい」

此方も焦って早口で返してしまったが、恐らく聞き取れただろう。


周りの景色には再び人工物が多くなり、それぞれの物の境界を縫うように自転車で駆け抜け、アパートに到着する。アパートの右隣には確かに自分の記憶と合致した祖母の家があるが、今は我が身を大事にしたい。

アパートは珍しい事に三階建て、階段は中階段のみの横に広々としたものであった。

外にアパートに付属しているであろう自転車置き場があるので、自転車を停める。

彼女は乱雑に自転車を停めると急いで自転車の鍵をママチャリから抜き、アパート中へと駆け出す。

俺も急いでいこうと思ったが鍵がなかなか抜けないのでほったらかしにして中へ急ぐ。

彼女は2段飛ばしで階段を上り、どんどんと上階を目指す。

自分も共鳴するように足に力を籠めて3段飛ばしで上る。

10秒も経たずに最上階の三階へ到達し、彼女の後に張り付いて一番右端の部屋へ到着した。

表札には目を向けず彼女が鍵を開けるのを待ちながら呼吸を整えようと思ったのも刹那。

どうやら彼女の家には鍵がかかっておらず、彼女が鍵穴のあるドアノブを回して引くだけで空いた。

空いた瞬間に一言。

「入って」

声は彼女の第一声と同じトーンであった。


部屋は特に変わった特徴もない本当に一般的な1LDKで、家具もシンプルで最低限のものだけ。

それだけ確認し、最後に入って来た俺が施錠し、話しかける。


「なぁ、道化はもういいし巻き込まれたのだってどうでもいいけど、これからどうするんだよ。命の危機じゃないのか?」

「どうでもいいって言うけど、貴方?」

声のトーンは依然として変わらず、焦ってもいない。

分かってた。本当にそれだけは道化ではなくても言って欲しくはなかった。


「そんなの今はいいんだよ!」

場も何も気にも留めずただただ叫んだ。部屋に響く絶叫の後には津波の如き静寂が返ってくる。

これは自己欺瞞だ。それもとても、とても濃く、深く、そして浅ましく、悍ましい。

確かな吐瀉物だ。


「分かった。私に策があるから少し冷静になってお茶でもしようよ」

明るい声だが、道化だろうか。

「ふざけてるのか?」

「ふざけていないよ。策の為に貴方が冷静にならなきゃいけないのと、あるものを服用して貰う必要があってのお茶......いえ、飲み物............貴方ってトマトジュース飲める?」

策に薬を用いる?何故?身体能力向上?集中?

突然出てきたそのワードに当惑せざるを得ない。

悩むよりも今は行動だろう。

「はぁ......ああ。あがるぞ」

「ええ」

汚れたスリッポンを揃えて土間に置く。


玄関からあがって正面の通路を抜け、リビングへと通される。

リビングに設置されているダイニングチェアに腰掛け、正面のダイニングテーブルに彼女からトマトジュースの缶と、純白の錠剤二つが乗っけられた小さなガラスプレートが出される。


「大丈夫なんだろうな?」

「大丈夫、即効性の精神賦活剤だから」

危険ドラッグでは?と一瞬ためらったが、精神賦活剤は一応聞いた事もある薬なので少しばかり安心した。

それでも警戒し、少しばかり下で舐めてみると糖衣が溶けたようで微々たる甘さを感じる。

ホッとして、トマトジュースの缶のプルタブに力を入れる。

プシュッという勢いの良い音と共に、薄赤い液体が飛び散り、自分の白色のウィンドブレーカ―を汚す。


返り血かのように。


首を上げ、錠剤を口内に2つとも放り込んでトマトジュースで飲み干す。

トマト特有の酸味と野菜を感じさせる苦味のダブルパンチが味蕾を襲い、少々吐き気が。

次第に美味しさを感じられるようになり、貪欲に缶の中身を空にした。

口を拭ってダイニングテーブルに置かれた時計を見ると、時刻は7時丁度だ。

時刻を確認してすぐに身体に異変が感じられた。

頭が重いのだ。


「少々眩暈がするんだけど...」

「即効性だからね」

そう淡く彼女は返すと同時にガチャリとドアが開く音がした。


薄々気付いていたが、施錠しても無駄だったか。

勢いよくドアが開くと同時に人が入ってきたようだ。

自分の隣のガーデニングチェアに座る彼女が耳打ちしてくる。

「先に驚いた様子で出てくれない?」

構わず首肯し、通路へ移動するとあの男と鉢合わせた。

ヘルメットはまだ被っており、革ジャンには赤い液体がびっしりとこべりついている。




―――――男は自分と顔を合わせた瞬間、懐から何かを取り出すと同時に、部屋中に炸裂音と小さな閃光が走る。

鼓膜が破れるほどの爆音に反射的に耳に手が動くかと思ったが、身体は何も動かないどころか、ただただ重力に促されて崩れ落ちていく一縷を辿るのみであった。

首、首が熱い。初夏の暑さとかそういうレベルではなく、熱した鉄板をこすりつけられているようであった。

とても、いや絶命するような痛みが走るが、不思議と声は出ない。


地面に頭を打つと共に、首から赤いモノが垂れているのが真っ赤に汚れたウィンドブレーカーから状況が理解出来た。


ああ、何かで撃たれたのか。


昏倒し、朦朧としていく意識の中でそれだけを聞き取った。

「ごめんね。巻き込んじゃって」

という彼女の脆く儚い囁きを。





「はッ!?!?」

眠りにつくと同時に闇に堕ちていくのを感じ取ったが、自分の上半身は90になっている。

痙攣する手で首を触れるも傷は無い。


場所は撃たれたリビングへ向かう通路である。

立ち上がり辺りを確認すると彼女はおらず、ダイニングテーブルには「即効性ダウン系(Death)」と書かれた袋が。

置かれた時計は7時10分30秒を示す。







――――ここは海だ。それも浅瀬である。


胸に抱くは凪いだ後悔。


簡素なリビングから一変し、辺りを取り囲むは玉兎に照らされた絶海。


覚える衝動は破海。


俺はこの海を壊さなければならない。

かのモーセが海を割り、人を導くように。


俺も俺を駆り立てるのである。



何も知らない癖に、支離滅裂な言動で自分を鼓舞できる自分が好きだ。


どうでもいいなら、何をやっても構わない。

なら、それは何でもない確かな仮象。

夢想を滅するは我が手。


泥に変えてやる。



















  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

泥水の飛沫 雨石穿 @Amaisi_hoziku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ