未だ誰も知られざる料理
有坂紅
カップラーメンとの遭遇
「お待たせしました、師匠」
「遅いじゃないか。もう少しで一人で始めてしまうところだったよ」
「始めるって、何をですか?」
「これだよ」
「これだよ――と言われても。なんですかこれ」
「カップラーメンだ」
「カップラーメン」
「これを君と一緒に食べてみようと思ってね」
「すみません用事を思い出しました」
「君の予定は把握している。三日後まで何もないだろう」
「今できたんですよ急用が」
「つれないな。そんなに嫌がることはないじゃないか」
「いやいやいやいや。だってそれ、旧世界時代のものでしょう? どのくらい昔のものかわかりませんけど、経年劣化で中身が石になっててもおかしくないですよ」
「記録によると、第三文明期の遺跡から発掘したものらしい」
「師匠、悪いことは言いませんからやめておきましょう。命あっての物種ですよ。前にも保存年限の切れた携帯食料を食べて寝込んだことがあったじゃないですか」
「あれは叔母上の会社で作った試供品だったんだ。忘れてたとは言え食べなかったとは立場上言えん」
「それで今度は大昔の発掘品を食べようと。師匠は学習能力がないんですか?」
「私のような天才を捕まえてなんてことを言うんだい。単にリスクと学術的興味を天秤にかけた結果だよ。何しろラーメンと言えば旧世界では人気のある料理だったらしいじゃないか。いやあ、どんな味がするんだろうね」
「というか、そもそも食べられるんですか、それ?」
「ああ、その点は大丈夫。時間凍結庫に大事に保管されていたそうだ。かの遺跡の時代にはもうカップラーメンは貴重品になっていたのだろうね」
「……その保管庫の方は?」
「稼働していたようだが、残念ながら学のない発掘者の手で破壊されてしまった」
「うへぇ……もったいない……」
「壊れてしまったものは仕方ないよ。我々にはもう時間を制御する技術はないんだ。だからこそ、過去から届けられたこのカップラーメンは大きな意味を持つ。たぶん二度と手に入らないぞ。旧世界の食生活を知る上でも重要な資料になると思うけど」
「……はあ。わかりましたよ。じゃあ一口だけ、ご相伴に預かります」
「そうこなくっちゃ。それじゃあさっそく調理しよう」
「いったいどうやるんです?」
「それは容器に書かれている。まずは蓋をあけて――おっと、旧世界の空気だ。もったいない」
「さすがに空気の組成は今とそんなに変わらないでしょう」
「でも特別感があるじゃないか。実物を見たことはないが、旧世界では時代の区切りごとに空気を缶詰にして保存する文化があったらしいぞ」
「後世の研究材料にするためですかね? さすがに旧世界人は頭がいいですね。もしかしたら大崩壊のことも予見していたのかも」
「そこについては議論の余地があるな。さて次に、中の袋を二つ取り出して、かやくと呼ばれる乾燥野菜を開封し、容器に投入する」
「少し取っておいてくださいよ。その野菜も現存してない品種かもしれないし」
「おっと、これは気がつかなかった。君を呼んでおいてよかったよ。そうしよう。次に、粉末スープの元を開封して、これまた投入する。最後に容器の線のところまで熱湯を注ぎ、三分待つ」
「三分待つ――って、その間何をしていればいいんですか? 手持ち無沙汰なんですけど」
「君の時間を有効活用しようという姿勢にはまったく敬服する。では私のいいところを三分かけて挙げてみるのはどうだい?」
「そんなに無意義な時間の使い方をどうやったら思いつくんですか」
「泣くぞ」
「はいはい。えー……まず、顔がいい。それから、頭がいい。それから……あと何かありますか?」
「性格もいいぞ」
「ノーコメントで。……こうしてみると三分って長いですね」
「それじゃあ逆に私から君にやってみようか。まずは努力家だな。『旧世界の料理から現代の料理に至る変遷と断絶』は興味深く読ませてもらった。断片しか残っていない旧世界の料理の情報を万に近いほど集めて復元を試みたその不屈の精神力。私はいい弟子を持った」
「ちょっと、やめてくださいよ師匠。そういうの、恥ずかしいですから」
「遺跡をめぐるフィールドワークのときも愚痴を言いながら一度も脱落したことがないしな。他の人間は渋る私からの招集にもこうしてすぐに馳せ参じてくれるし、人格的にも優れていると評せざるを得ない」
「師匠! ストップ! その辺で許してください!」
「まだ語り足りないが……君がそう言うのなら別の話にするか」
「それじゃ、せっかくですからラーメンについて話しましょうよ」
「なるほど。では君の知見から聞かせてくれ」
「えーと……そうですね。記録に名前は頻出するのに、実際の姿は確認されていない幻の料理です。分布区域は広いですが、残された資料の言語には著しい偏りがあるので、極端にこれを好んだ民族がいたようですね。わずかながら呪術的要素も確認されていて、食べるために特殊な呪文が必要な区域があったようです。しかし……このカップラーメンなる存在は初めて知りました」
「我々だって、わざわざ携帯食料の味について書き残したりしないだろう? おそらく緊急時用の保存食だろうから、君の研究範囲に出てこなくても不思議ではないさ」
「なるほど。――っと、師匠、三分です」
「そうか。ではさっそく食べてみようじゃないか」
「ところで師匠、さっきからずっとパンツ見えてますよ」
「ふん。女同士なんだ。そう気にすることもないだろう」
未だ誰も知られざる料理 有坂紅 @Hadaly
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